城ノ内探偵事務所
桂瀬衣緒
城ノ内探偵事務所
Prologue
「どうも初めまして。当事務所所長の城ノ内です。どうぞ、かけてください」
机の向こうで椅子に腰掛けた男が、にこやかに笑いながら着席を促す。
「はい、失礼致します」
五月のある晴れた日。私が訪れたのは郊外にある雑居ビルの一室。
応接スペースは別にあるようだったが、通されたのは部屋のど真ん中だった。
その事務所は陽当たりが悪く、真っ昼間であるにも関わらず薄暗い。おかげで窓を背にした相手と向き合っていても、ほんのり後光が差している程度で特に眩しくはなかった。
所長と名乗ったその男をほんの数秒だけ観察する。見た目はずいぶんと若い。年齢は二十八と聞いていたが、もう少し若く、いや、幼く見える。片側だけ掻き上げた髪型に、外見年齢を上げようという努力が見えるけれど、それでも十代と言ってもギリギリ通用してしまうくらい。
「えーと、園田あかりさん。年齢は二十三歳、と。……緊張してます?」
机に置かれた履歴書はたった今、私が渡したもの。そこに書かれた名前を読み上げ、男はちらりとこちらを流し見る。
その一瞬の視線に、すべてを見透かされているような錯覚を覚え、身体が跳ねた。
「っ、はい。少し」
少し? どこが? 心の中で自分が自分を嘲笑う。心臓の音がうるさい。
とっさに胸にやった手が震えているのに気付いて、思わず苦笑しそうになった時。
「別に、取って食いやしませんよ」
くすりと、目の前の男が笑った。
「……っ」
予想以上に子供っぽい笑い方。整った顔立ちも相まって、私の心臓は一度だけ、違う種類の音を立てた。
病的に見えるほどに白い肌。色素が薄いのか、髪も染めているわけではなさそうなのに真っ黒ではなく、わずかに茶色がかっている。美少年や美青年というよりは中性的な容姿。スカート穿いてカツラでも被ればそれだけで十分女の子に見えるだろう。
くすくすと笑う声が、緊張に拍車をかける。
踏み込んではいけないところへ来てしまったような気になってくる――
「で、いつから来られるんですか?」
「……えっ?」
突然の質問に、ハッと我に返る。思わず素っ頓狂な声が出て、また笑われた。
「採用すると言ってるんです。うちの事務員募集に応募してきたんでしょう?」
「え、でも、私まだ何も聞かれてませんが」
「経歴は履歴書もらったし。派遣で事務やってたんでしょ? じゃあ問題ないよ。人となりは見りゃわかる」
「……はぁ」
「僕は、あなたを信頼出来る人間と判断しました」
まっすぐにこちらの目を見て、そんなことを言う。何か問題ありますか? と笑って。
その笑顔に、心の奥底がずきりと痛んだ。
――やめて。
「私はいつでも……明日からでも、今日からでも構いません。所長の指示に従います」
「んー、じゃあ明日からにしよっか。片づけて机も用意しておくから」
不思議なくらい楽しそうな話し方に、はい、と短く答える。
「それから、僕のことは名前で呼んでください。所長ではなくて」
「はい。えっと、城ノ内さん」
「ん、OK。僕と君しかいない事務所で所長とか呼ばれるの滑稽だと思うんだよね」
「そうですか?」
「うん。それに僕は堅苦しいの苦手だから。園田さんはそういうのきっちりしたいタイプ?」
いつの間にか、彼は口調を変えていた。親しみを込めて、――馴れ馴れしく。
自分より年上なのに、まるで弟のよう。
人懐っこいその笑顔が、誰からも愛されてきた人生を体現しているようで、少し息が苦しくなる。
「…………園田さん?」
名前を呼ばれ、またハッとする。
「あ、えっ、と」
取り繕うように、こちらも笑顔を作って。
――いけない。ちゃんとしないと。
あっさり採用が決まったとはいえ、彼と上手くやれなければ元も子もない。
「……いいえ。出来れば名前で呼んでほしいです。苗字でなく、名前で」
私の回答にきょとんとした顔が、数秒かけてまた笑顔に変わる。今度は先ほどとはまた違う、困ったような笑い方だった。
「OK。なんかセクハラっぽいけど、本人が望むなら問題ないよね」
そんな彼の言葉を、沈黙のまま、笑顔で肯定する。
「ようこそ、城ノ内探偵事務所へ。末永く、よろしく頼むね。あかりちゃん」
差し出された手を、握り返す。色々なものを振り払うように、精一杯力強く。
「はい!」
時間にしてコーヒー一杯分の世間話をした後、明日からの上司に見送られ、私は事務所を後にした。
建物の外に出て、一度、事務所の窓を見上げる。
城ノ内探偵事務所。
明日から私の職場になるその場所は、外から見てもやっぱり陽当たりが悪かった。
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