第275話『告白』
「ミルー、例の物を持ってきてー」
「はーい。少々お待ちを…」
シータは緊張感のかけらもないコオチャに疑問を持ちつつ、西の都を揺るがす程の大事件を差し置いて何をするのか分からなかった。
自然界の異常現象…、なんて事を感じさせないほどゆっくりとした空気が流れている。
ミルはいつの間にか直ぐ傍まで来ていた。
「どうぞ…」
そう言って藍色の小箱をコオチャに渡す。
その小箱をゆっくりと手にするコオチャ。
後から思い出せば、その手は少し震えていたかもしれない。
「シータ、今日は大事な話があるんだ」
何を今更と視線を投げかけると、彼の瞳は真剣な表情だ。
そしておもむろに立ち上がると、小箱をそっと抱えながらシータの直ぐ脇まで歩み寄る。
頭では理解できなかったが、鼓動が高鳴る。
何かが起こると直感する。
更に鼓動は速くなり、目の前にいるコオチャに聞こえるのではないかと思うほどだ。
突然コオチャはシータの傍らで片膝を付いた。
「私はシータの事を…」
コオチャが自分のことを「私」と呼ぶのをシータは初めて聞いた。
そんなどうでもいいような事を気になるほど動揺していたシータだったが、ふとコオチャの顔を見ると、彼の顔は真っ赤に染め上がっているのに気付いた。
「シータの事を愛してます」
・・・・・ドクンッ!
その言葉の瞬間、自分の大きな鼓動を聞いた。
「私と、結婚を前提に…、付き合ってください!」
そう言って藍色の小箱をそっと差し出す。
コオチャは直視出来ないのかうつむいていた。
表情は見えなかったが耳が赤いのだけはわかった。
そんな彼の姿を理解する事が出来ないほど、頭が真っ白になり何をどうして良いかわからない。
ほんの数秒のはずが、何時間も経った気がする。
ハッと我に返ると、取りあえず差し出された小箱を受け取る。
そっと開けてみた。
「!!!!!」
ガラスよりも透明で、エルフ語の刻まれたネックレスがそこにはあった。
太陽の光を吸収し、優しく輝いていた。
その眩しさは何故かコオチャの心のように感じた。
そして、ようやく何が起きているかを理解した。
シータは椅子を蹴飛ばし夢中でコオチャに抱きついた。
そして誰にはばかることなく大声で泣いた。
「もう離れないんだから…」
「もう離さないんだから…」
「こんな事になるなんて、思ってなかったの…」
「想いを伝える前に死んじゃうじゃないかって思う時もあったの…」
「私もコオチャが好き!」
「誰よりも愛してるんだから!!」
二人はしばらく抱き合ったまま動かなかった。
コオチャはシータに想いを寄せながらも、その気持ちを伝えるべきかどうかを悩んでいた。
でもプレゼントを贈ると決めた日に告白を決意した。
シータも言ったように、自分の想いを伝えないまま死ぬことがあったら、それが一番後悔するだろうと思った。
そして気持ちを伝えて良かったと感じる。
それは両想いだったからではない。
思い残すことがなくなったからでもない。
今という時間が「幸せ」という時間なんだということが分かった事が嬉しかった。
苦労の末につかみ取った幸せは、二人には重く重く心に響いていた。
そんな感動に浸っていたが、ふとコオチャが目を開けると、ガラスウィンドウの外に多くの人々の姿を確認する。
やっと落ち着きを取り戻してきたはずが、再び赤面すると小声でシータに告げる。
(いっぱいギャラリーがいるのを忘れていたよ…)
その言葉にシータも我に返り、二人はモジモジしながら席に戻る。
タイミング良くミルが食べ物と飲み物を持ってきてくれた。
「告白というのは、愛に満ちていて素晴らしいわ」
と言ってウィンクする。
赤面しながらうつむく二人の視線に、ミルの運んできた食事が映る。
そこにはパンに似たスポンジ状の物の上に、生クリームがかけられフルーツで飾ってある。
「それはケーキという食べ物で、とっても甘いのよ。今の二人みたいにね」
追い打ちをかける言葉に耳まで赤くなったコオチャが何か言おうとしたが言葉にはならなかった。
飲み物の方は紅茶のようだ。
シータは甘い香りに誘われてスプーンで食べてみる。
ガタンッ!
直後、ほっぺたを両手で覆いながら立ち上がると、
「おいしい~!!」
と、外まで聞こえるほどの声で叫んだ。
シータの普段の行動からは想像もできないリアクションに、コオチャも食べてみる。
「………!!」
甘いケーキとちょっと渋めの紅茶のバランスが良い。
シータは座り直すとバクバクと食べる。
その姿はまるで子供のようだ。
コオチャの方も夢中になっている様子は、ウィンドウ越しに見守っていた観客の興味を大いに誘った。
「お幸せにね」
ミルは二人の美味しく食べる姿に満足したのか、ゆっくりとその場を去る。
カウンターへ戻りながら外を見ると、道路をふさぐ程の見学者により通行止めとなり、どうやら騎士団が収拾にきたようだった。
「どうした!何があったのだ!?」
そう言いながら二人のエル・ナイトを引き連れてやってきたのは、最近名が売れ始めている第3師団長その人だった。
彼は数ヶ月前に王室世話係のルルイにふられたばかりだが、そんな噂を消し飛ばす程の活躍をしている。
「ラノッサ!北側の通路の確保をするのだ!」
「おまえは南側へ行け!」
二人に素早く指示を出すと、店の前に第3師団長自ら躍り出る。
「私はエル・ナイト第3師団長ヴィット=マーシュマーである。キルス通りが封鎖されているという情報を得て、事態の収拾に参った。皆、事情があるだろうが、道を開けてやってくれ!」
気遣いの見え隠れする言葉遣いに、住民達は素直に従う。
北側、南側にも部下を配置させ上手く誘導したようだ。
こういった細かい作業でも手際の良さを発揮する辺りは、実力が本物だと認識させられる。
ヴィットは混乱の原因とも言える、住民が注視していたガラスウィンドウを覗き込むと、そこには自分の尊敬する主が、最高司祭と共に何やら会話を交わしているのが見えた。
「ヴィット様…」
近くにいた主婦が第3師団長に小声で教える。
たった今、コオチャがシータに告白し、結婚を前提としたお付き合いを始めたのだと。
「なんと…。そうか!そういうことか!それは喜ばしいことだな!!」
混乱の原因が理解出来たと共に、その内容に自分の事のように喜ぶ第3師団長の姿には、住民達も微笑ましく見守っている。
そしてヴィットは、部下の帰りを待たないで店内に入り込んでいく。
「いらっしゃいませ」
店だと言うのをすっかり忘れて入り込んだヴィットは、突然目の前に現れた女性に視線を奪われた。
「あっ…」
我らが王に用事があるだけだと言おうとしたのだが、その女性の美しさに心も奪われる。
呆然と立ち尽くすヴィットの姿を見つけ、ラノッサが店内に入りそっと声をかける。
「ヴィット師団長、どうなされました?」
「あっ…、いや…」
ラノッサはチラッとヴィットの前にたたずむ女性を見ると、
「こちらは、ブラックエルフ族代表のミル殿であります」
と教える。
「あら、ラノッサ様ですね。その節はナルがお世話になりました」
ミルからの返答に軽く会釈するラノッサに、ヴィットは視線を変えることなく少しだけ取り戻した落ち着きをふりしぼり、
「我らが王の姿があったため入らせてもらった。営業の邪魔にならないようにいたします」
とだけ伝える。
軽くお辞儀をすると、コオチャの元に行き片膝をつく。
ラノッサも後ろでならう。
「コオチャ様!今回はおめでとうございます!我々も心より祝福いたします!!」
コオチャはスッと座り直すと、
「相変わらず熱いなぁ、ヴィットは。俺は、皆の努力のお陰で自分のことについて考える時間がもらえたから感謝してるんだよ」
「何をおっしゃいます!今の平和があるのはお二人の…」
ヴィットが熱く語りそうになったところでコオチャは話の腰を折る。
「そうだ!皆もさ、ここのケーキを食べてみてよ。美味しいよー」
「しかし、今は勤務中につき…」
「じゃぁ、王としての命令にしよう!」
「………」
ポカーンと口を開けるヴィットは、間抜けな顔をしていた。
すかさずフォローするラノッサ。
「丁度休憩時間のようでした。お言葉に甘えて、ここで休憩させていただきます」
「是非そうしてよ。今日オープンしたばかりの店だしね。皆は運がいいなぁ」
そのころ南側の誘導を終えたエル・ナイトも戻ってきた。
3人はコオチャとシータの座る隣のテーブルに腰掛ける。
可愛らしい木製の椅子に似合わない、いかつい鎧を身にまとっていた大男達だったが、ミルは特に気にすることなく3人分のケーキセットを持ってきた。
「疲れた時には、甘い物を取ると体に良いと我が種族に伝わっております。時間のゆるす限りゆっくりしていってくださいね」
優しい笑顔はヴィットじゃなくても見とれるほどだ。
当のヴィットは再び視線を奪われていたが、ラノッサからつま先で軽く脛を蹴られると我に返るころができた。
「ありがとう!それではいただきます!」
そう言って一口ケーキをほおばる。
コオチャはニヤニヤしながら、身を乗り出してその様子を見ていた。
ガタン!
テーブルを激しく叩きながらヴィットが立ち上がる。
ラノッサとその仲間も一口食べてみる。
「うまい!」
「これは体に沁みますな」
二人は率直な感想を述べる。
「ヴィット師団長、この飲み物もうまいっすよ。感動するのも結構ですがこぼさないでくださいよ」
コオチャがヴィットの顔を覗き込むと、今にも泣きそうな顔のヴィットの姿があった。
「食べ物で感動したのは生まれて初めてであります…」
そう言って、素手でケーキを丸ごと口の中に押し込んだ。
「あはははははははは!」
ヴィットほどの熱い男が、甘い物を食べてなんて答えるのか興味のあったコオチャだったが、あまりの反応に思わず噴き出してしまった。
シータも口元を押さえながらクスクスと笑っている。
ところが、その場にいた全員の予想をくつがえし、ヴィットはつかつかとミルの前に行くと、
「あの食べ物にあなたの優しさすら感じるほど感動いたしました!」
その訳のわからない言葉にも優しくうなずくミル。
「どうか!この俺と付き合ってもらえませんか!!」
この言葉には、さすがのミルもキョトンとする。
直ぐに気を取り直すと、
「少しだけ、私達の種族の事をお調べになって、それでも気持ちが変わらなかったらもう一度来てください」
再び優しく微笑みながら、そう答えた。
ヴィットは真剣な面持ちでその言葉を理解し、
「………少々浅はかでした。出直してまいります!!」
そしてマントを翻し「帰るぞ!」と告げ店を出た。
「待ってくださいよ!」
慌ててケーキを食べ、紅茶で流し込む二人の部下達。
「すみません。師団長はああ見えていつも真剣なんです」
とラノッサはミルに伝える。
「真剣さは伝わりました。私も年甲斐もなくドキドキいたしました。ただ…」
「いえ、承知しております。あ、お代は?」
「今回は俺のおごりにするよ」
二人の会話にコオチャが割り込みウィンクする。
深々とお礼をするラノッサ。
あわただしく仲間と共に店を出て行った。
「あんな素直に気持ちを伝えられたら、どれだけ…」
そこまでコオチャが言うと、シータはいたずらっぽく彼の頬をつねる。
「待ってた方の身になってよね」
「それは…、その…、そうだ!ネックレスを見せて。実はまだ俺もよく見てないんだ」
そう言われてつねっていた手を離すと、藍色の小箱を開ける。
再びそっと開け、そして首にかける。
コオチャは後ろに回りネックレスのチェーンをつないであげた。
宝石にも見える部分を持ち上げながら、
「どう?似合うかな?」
と照れ笑いしながら振り向くシータの笑顔をコオチャは一生忘れなかった。
「凄くよく似合っているよ!」
そう言いながら二人で宝石部分を覗き込んだ。
そこへミルがヴィット達の食べた後片付けをしながら声をかける。
「コオチャの気持ちを形にする技法を使ったの。その透明度は彼の気持ちの純粋さを表しているわ」
板状になっている宝石部分は気持ちを形にしたものだという。
シータはそっと太陽に向けると、何もないかのように透き通ってしまう。
少し離れて見ていれば、そこには何もなく、エルフ語だけが浮かび上がっているように見えるだろう。
そしてその純度の意味を理解すると、そっと両手で包み込んだ。
「ありがとう…、コオチャ…」
「喜んでくれてよかった」
「ところでエルフ語でなんて書いてあるの?」
「えっと、その…」
今度はコオチャが照れ笑いしながらモジモジする。
そこへミルが再び会話に割り込む。
「『シータの願いが叶いますように…』ですって」
嬉しそうに答えながら厨房の方へ消えていった。
「コオチャ………」
うっすら涙を浮かべながらシータは感動に包まれる。
「あのー、入ってもいいかな…」
そこへ待ちくたびれた住民達が押し寄せてくる。
「遠慮なく…」
ミルの言葉が終わらないうちに、あっというまに店内は満員になってしまった。
「コオチャ様!シータ様!おめでとうございます!!」
「コオチャ様が食べた物と同じものをください!」
「こっちの工芸品も見ていいですか?」
店内は急に喧騒に見舞われる。
その光景をコオチャとシータは見守った。
ブラックエルフ族の新しい一歩が刻まれたからだ。
「シータ様、そのネックレス見せてもらえませんか?」
年頃の女性がコオチャのプレゼントに興味をもったようだ。
ちょっと恥ずかしそうに見せると、
「なんて奇麗なの…。ある程度の厚みがあるのに、ものすごく透き通っていて…。それにエルフ語で刻まれた文字がとっても素敵」
流行に敏感な女性にもうけたようだ。
この後このネックレスは、コオチャが告白時に贈った事実と重なって、爆発的に売れる事になる。
男性が告白する時の必須アイテムになったのだ。
その事例が積み重なり、ブラックエルフ族の工芸品も順調に売れていくのだった。
「そろそろ帰ってあげないと、テールの首が長くなっちゃう」
コオチャが楽しい時間に別れを告げる。
シータも小さくうなずいてそっとコオチャと腕を組んでいく。
いつもは半歩下がっていたが今は違う。
「ミルー!今日はありがとね!また来るよー」
そう言いながら彼女の返事を待つことなく店外へと出た。
言われたミルに声は届いていたが、返事をすることも出来ないほど接客に追われていたのだった。
1時間後…
サマリア城の王室には、コオチャ王とシータ最高司祭、そして首を長くして帰りを待っていたテール宮廷魔術師の姿がある。
シータが見た現状は、幾度となくジイールの、いや西の都の危機を救ってきた3人の思考能力を完全に停止させるには十分な内容だった。
長考の末、コオチャが出した結論は、
「待とう…」
だけだった。
の一言だけであった。
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