第5章『高揚』

第268話『自然を愛する者と人を愛する者』

ゴブリン・リーダーを含むホブゴブリン率いるゴブリン部隊を撃破したケイト達は、ジイール国で起きた竜線士伝説の竜戦士の一人、小人を連れた商人ことハマーが伝える射手と合流することが出来た。


ゴブリンの群れと戦闘した場所から、それほど遠くないところに、ひっそりと小屋が建っていた。

大木にのめり込む様に建つ小屋は、壁や屋根には蔓がびっしりと覆い、自然に溶け込んでいるようにも感じる。


小屋の中は一人で住むには広いが、家族で住むには狭い程度の大きさだ。

未だしっかりと掴んで離さないケイトを、トルクは微笑みながら頭を撫でて放すよう伝える。

彼女は不意に顔を上げると、

「キスして…」

と、周囲に人がいるにも関わらず求めてきた。

誰もが驚く中、トルクはそっとケイトを抱きしめると唇を重ねる。


「もう…。もう放さないんだから……」

そう言ってニヒヒヒヒーと笑うケイトは、いつもの彼女だ。

ゆっくりと長椅子に座る。

仲間も従う。


「私は、シルフィーナ」

トルクは軽く頷くと、

「わたしはトルク、こっちの神官がケイト、そして戦士デューク、ソフィアです。まずは、助けていただいたこと、お礼を申し上げます」

彼は物腰も柔らかく、仲間の紹介とお礼を述べてきた。


「お礼を言うのは私の方だわ…。生まれつき悪かった足を治していただきました」

そう言うと、初めてニッコリと微笑む。

その笑顔は誰をも魅了する。


そして、あの戦場で起きた奇跡の数々を淡々と述べる。

その話しがすすむにつれて、誰もが信じられないといった表情を浮かべ、そして奇跡の立役者とも言えるケイトを見る。


彼女はボーっとしながらシルフィーナの顔を見ていた。

「……………」

話し終わるとケイトは、ポカーンとした表情で、顔はシルフィーナに向いているが視線は定まってなかった。


「ケイト…、ありがとう」

トルクの言葉にハッと我に返った彼女だったが、明らかに狼狽していた。

「わわわ、わたし無我夢中で…、その…、あの…」

「ハーハハハハハハッ!」

デュークは腹を抱えて笑う。


いつもののほほんとした彼女とのギャップがおかしかったのだ。

「ケイト!お前には驚かされたばかりだ。今度も助けられた。お前達でいうところの神の導きってやつかもしれねぇな!」

大雑把で思慮のない発言ではあったが、誰もが納得するしかなかった。


天変地異に近いゴブリン・リーダーの圧倒的破壊力を秘めた突進を止めたばかりか、数え切れないほどのゴブリンの群れまでも押し返したのだから無理もない。

更に慌てるケイト。


「わたし…、わたし…。ううん…。なんでもないの…。みんなの笑顔が見られてよかった」

そう言って微笑む彼女の笑顔を、誰もが一生忘れることはなかった。

その笑顔が天使の笑顔だと言われても、納得してしまうほどのものだったからだ。


笑顔が広がる小さな小屋には、神聖な空気が漂っているように感じる。

誰もが奇跡などという、不確定で信用のないものを信じはしない。

世の中そんなに甘くないことを、嫌というほど痛感しているからだ。

現実は厳しい。


トルクは誰も気が付かないほどの小さい溜息を付くと、本題を切り出した。

「私達がここを訪れたのには理由があります」

その言葉に全員が我に返る。


「シルフィーナ…、あなたを探していました。それは…」

そこまで言いかけた時、彼女はゆっくりと首を横に振る。

「最後まで聞く必要はありません。それは答えが『却下』だからです」

「いいえ、あなたは最後まで聞く必要があります。いや、聞く義務があります」


彼女は目をつむり、うつむき加減で、淡々と語るトルクの話しを聞いていた。

それは西の都の成り立ちから、極限にまで追い詰められたゼムビエス国の現状だった。

「私達は大きな試練に立たされています。どうか、一緒に…」

彼女は再びゆっくりと首を横に振る。


「あなた達は動物をむやみに狩り、自然をむさぼる…。そんな人達のお手伝いをすることは…、ありえません。ゼムビエスという国が消えるならば、それは自然の定め」

厳しい言葉にトルクは反論の糸口を急いで探す…

それが無駄に終わるのを感じつつも、今はどんな言葉をもちいてでも引き返すことは出来ないと思っている。


「おい!黙って聞いてりゃぁ、何十万人の命より自然の方が大事だって言うのか?」

デュークの怒りのこもった言葉にも、脅える事無く彼女は答える。

「ええ、その通りよ」

デュークに向けられた視線は、真直ぐで揺るぎの無いものだった。

その迫力はゴブリン・リーダーとは違う迫力を持ち、かつ同等なものだ。


「待ってください。私の話しには続きがあります」

トルクは話しが途切れるのを恐れた。

「確かに人間達は自然を我が物顔で侵食してきました。ただ、それには理由があったこと、そして異を唱える人達も沢山いるのです」

「どんな理由があろうとも、何も無くなった荒野になってからでは遅いのです!」

シルフィーナの鋭い視線が飛ぶが、誰も目を背ける者はいない。


「そうならない為に、畑を耕し家畜を育ててきた人類の歴史があります…。では、何故ゼムビエスはそうではないか…。そこが問題なのです」

視線を送るシルフィーナは、考えているようにも見えた。

確かにそういった経緯もあるし、それが自然と人間との住み分けとも言えるかもしれない。


黙って聞いていたケイトがゆっくりと口を開いた。

「私達は人間社会に、シルフィーナは自然と共に暮らしてきました。なので主義主張が違っていて当然だと思います。ただ、向かうべき方向は一緒だと、私は感じています」

そう言って目をつむり祈りを捧げる。

その姿は大自然の中に舞い降りた天使を想像させた。


ゆっくりと目を開けたその視線に、シルフィーナは釘付けになった。

純粋で何もかも見透かされているような視線を受け決意する。

「分かりました…。あなた達の主張が本当かどうか…。そして自然に偏りすぎた知識だけに頼らないよう、私自身の成長の為に戦いましょう」


ガタッ!

思わずトルクは椅子を蹴飛ばしながら、中腰まで立ち上がる。

もう駄目かと思っていた交渉が、辛うじて上手くいったため驚きと嬉しさが入り混じっている。


「ただし!」

不意に鋭い視線をトルクに投げかけるシルフィーナ。気難しい彼女の難題を想像してしまう。

「このパーティのリーダーを、ケイトが務めるという条件を付けさせてください」

「!!」

全員がケイトに注目した。


真っ先に何故?という感情がわきあがるものの、ケイトの解き放つ博愛の精神は仲間達に浸透してきている。

「なるほどねぇ」

デュークは成り行きを見守りながら、シルフィーナの言いたい事も理解できた。


決してトルクが、リーダーとしての素質が無いわけではない。

むしろ安心して舵取りを任せられる人物だ。

ただ、ケイトの持つ、純粋で神聖な言動は多くの人々を動かす力があると感じている。


ケイトと付き合いの浅いソフィアでさえ、最初に会った時と随分と違う…、いや、まったく別人のような印象をケイトにもっている。

指名されたケイトだったが、キョトンとして小首をかしげていた。

長い髪がゆれる。


ゆっくりと、いまだ中腰のままのトルクの顔を見上げる。

シルフィーナの方を見ていた彼は、姿勢をただしケイトを見ながらゆっくりと頷いた。

彼はパーティリーダーとしてやっていく自信もあるし、常に責任と仲間の命の重みを感じながらやってきたつもりだ。

ただ、ケイトのもっている物は、自分には無いと考える。


「ケイト…。引き受けてくれるか?」

「今の現状は…、自信が無いとか私には無理だとか言っている時ではないと思うの…。皆が望むなら、私は全力を尽くします!」

あのつかみどころの無いケイトは、そこには居なかった。


「それに、頼り甲斐のある沢山の仲間がいるもんねー」

ニヒヒヒヒーと無垢な笑顔を振りまくと、神聖だった小屋の中は一気に和んだ。

暫くの談笑の後、新たな第1歩を踏み出したパーティは、急ぎガントレット男爵と合流予定の北の栽培場へ急ぐのであった。

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