福島姉妹
姉貴と藍子さんと三人で遊んだ翌日の月曜日。その昼休み、僕はクラスメイトの福島さんに、意を決して声をかけた。
武田に絡まれていた時に助けてもらって以来、彼女は僕のことをよく気にかけてくれている。岡部さんの件が起こってからも僕を気味悪がったりせず、普通に接してくれる貴重な存在なのだ。
福島さんは教室で昼食の弁当を食べた後、二、三人のクラスメイトたちとおしゃべりしていた。明るくて社交的な性格を持つ彼女の周りには、常に何人かの友人がいる。
「あの、福島さん」
「あ、今川くん。どうしたの?」
僕が声を掛けると、福島さんの周りにいたクラスメイトが一瞬ぎょっとしたような顔をした。こういう反応にだんだん慣れてきてしまった自分が悲しい。でも福島さんだけは、以前と全く変わらない屈託のない笑顔で応じてくれた。
「もしかして武田? またあいつに何かされた?」
「いや、そうじゃなくて……福島さんって、もう演劇部に入ったんだよね? 演劇部、まだ部員募集してるのかなって思ったんだけど……」
すると、福島さんはつぶらな瞳をパッと輝かせた。三年のお姉さんと同じ演劇部に早くから入部を決めた彼女は、入学して間もない頃から僕を演劇部に誘ってくれていたのだ。
「もちろん! いくらでも募集してるよ! 今川くん、入ってくれるの?」
「姉貴や藍子さんにも薦められたし、もし入ってもいいなら――」
と言い切るより早く、福島さんはロケットのようにすごい勢いで椅子から立ち上がり、さっと僕の両手を取って言った。
「『もし』なんて、そんなわざとらしい。私、ずぅっと誘ってたじゃない、今川くんのことをさ。超大歓迎だよ! 今川くんが入るって聞いたら、きっとお姉ちゃんも大喜びすると思う!」
「ほ、ほんと? ありがとう」
「こちらこそ! ……あ、ちょっと待っててね」
すると福島さんは、制服の内ポケットからスマホを取り出して、目にもとまらぬ速さで画面を操作する。それから十数秒後。廊下からバタバタと物凄い足音が僕たちの教室に近付いてきて、辺りからかすかなどよめきが起こった。直後、キィッ、と靴底のゴムが床のリノリウムを擦る独特の音と共に、教室の入り口に見覚えのある黒縁眼鏡の顔が現れる。
「麻美! 今川くんが演劇部に入るってマジ!?」
「うん、マジマジ! やったねお姉ちゃん!」
と応じる福島さん。
そう、僕たちの教室に駆けこんできたのは、入学式の日に姉貴に挨拶をした二人のうち、福島と呼ばれた上級生。つまり福島さんのお姉さんだったのだ。
「やった~!」
弾むような足取りで教室に入ってきた福島さんのお姉さんは、まず福島さんと歓喜の抱擁を交わすと、その勢いのまま僕の体にも抱き付いてきた。ショートボブの髪からふわりと柑橘系の香りが漂い、姉貴以外の女性から抱き付かれる機会のない僕は、どう反応していいかわからず完全に硬直してしまった(全身の話であって下半身のことではない)。入学式の日も姉貴に抱き付いていたし、この人はハグが好きなんだろうか?
しかし、さすがに男に抱き付くのはまずいと思ったのか、福島さんのお姉さんは僕からはすぐに離れ、体の火照りを冷ますように手で顔をぱたぱたとあおぎながら言った。
「あ、あの、ごめんね、なんかテンション上がっちゃって……ふぅ、落ち着け落ち着け。そう、入学式の日に今川先輩には挨拶したけど、自己紹介はまだだったよね。私、麻美の姉で、福島舞っていいます。演劇部の副部長をやってるの」
福島さんのお姉さん、舞さんは、そう言って軽く頭を下げた。
お姉さん、といっても、妹のほうの福島さん(以後麻美さん)と二人並ぶと姉妹が逆に見えてしまう。麻美さんが女子の中では割と高身長で僕と同じぐらいあるのに対して、舞さんは一年の中に混じっても小柄な方に入る。声は金切り声という形容が相応しいほど高いし、茶色がかった髪はショートボブ。やや丸顔の麻美さんと比べると舞さんは顔立ちもほっそりとしていて、似ているのは、黒縁眼鏡で強調されたくりっとした目元ぐらいだろうか。唇の左下にある小さなホクロが、何となく印象に残った。
「副部長さん? なんか、急に呼び出したみたいになって、すみません」
「いやいや、私の方がすっ飛んできただけだから、君が謝ることなんて全然ないんだよ。今川先輩にはすっ……」
ここで二、三秒の間が空く。
「っごくお世話になったし、君のことだって、一目見たときから、こんなかわいい男の子が演劇部に入ってくれたらなあって思ってたの」
「は、はぁ……恐縮です」
「それにね、実は昨日織田先輩からLINEが来てて、『葉太郎くんを演劇部に誘っておいたからよろしく』って。だから、今日はずっとそわそわして、一年の教室のあたりをウロウロしてたんだ。きっと一年の子たちには『なんだこいつ?』って思われてただろうけど、とにかくそれぐらい待ち焦がれてたんだよ、今川くんのこと!」
なるほど、麻美さんが連絡してから十数秒でここに駆け付けられたのは、元々この辺りにいたからなのか。しかし、外で不審人物と思われていたかどうかはわからないけれど、突然教室に駆け込んできて僕に抱き付き超ハイテンションの早口で喋り続ける三年の女子に対して、僕のクラスメイトたちは驚きと戸惑いの入り混じった視線を向けている。
自分が注目を集めていることにようやく気付いた舞さんは、照れ笑いを浮かべながら周囲に小さく頭を下げた。
「あはは、すいませーん……じゃあ、今川くん、放課後部室に来てよ。詳しいことは麻美が説明するから。麻美、あとはよろしく! そいじゃ、お騒がせしました~ぁ!」
舞さんはそう言って、逃げるように僕たちの教室を後にした。
まるで嵐の後のごとく静まり返る教室。麻美さんは苦笑しながら言う。
「うるさかったでしょ、お姉ちゃん」
「いや、そんなことないよ。賑やかで楽しそうだし」
「そうかなぁ。私も今川くんみたいに、クールでかっこいいお姉さんが欲しかった」
うちの姉貴だって、家では決してクールでもかっこよくもないけれど、とは思ったが口には出さない。
その時、自分の席で様子を窺っていた武田がおずおずとこちらへやってきて、僕に話しかけてきた。
「よう今川、やっぱりお前、演劇部に入ることにしたんだな」
「え? うん、まあ、姉貴や藍子さんにも勧められたし、福島さんにもずっと前から誘われてたし」
「よ~し、じゃあ、俺も演劇部に入ることにするぜ!」
急にやってきて何かと思えば、武田は謎に晴れやかな表情で胸を張り、そう宣言したのだった。
え、武田が演劇部?
まあ、たしかに武田もまだ部活は決まっていなかったはずだけど。福島さんは怪訝そうな顔で武田を見据えた。
「ええ? 武田が?」
「おう。部員募集してるんだろ? 今川が入れるんなら、俺だって入っていいはずだよな?」
武田の発言はたしかに正論だが、テニス部を志望した動機があまりにも不純だっただけに、急に演劇部に入りたいと言われても、その理由には疑いの目を向けざるを得ない――福島さんもそう考えているらしく、僕が入部希望を伝えたときとはまるで態度が違っていた。視線を逸らして唇を曲げ、どうしたものか迷っている様子だ。
「まあ、うちの演劇部は基本的には誰でも歓迎なんだけど……武田、あんた、またなんか良からぬこと企んでるんじゃないでしょうね?」
「よからぬことって何だよ? 俺がいったいいつ、何月何日何曜日何時何分地球が何回回った日にそんなことを企んだよ?」
武田は小学生みたいな文句で詰め寄るが、福島さんは一向に動じなかった。
「企んでるでしょ~? 今川くんをダシにして由比さんを誘いだしたり、今川くんをダシにしてパンチラ目当てでテニス部に入ろうとしたり!」
「なっ……何故それを……」
と、武田は大きく目を剥き出して狼狽える。更紗の件にしろテニス部の件にしろ、いずれも僕と武田しか知らない話のはず。いったいどこからその情報が漏れたんだろう。
福島さんは激しく狼狽する武田を鼻で嘲笑った。
「ふん、あたし、こう見えても地獄耳なんだよ。特に、あんたのそのデリカシーのないダミ声は、小声で話してるつもりでも丸聞こえなんだから」
「ななな、なんだと……!」
衝撃のあまり絶句する武田。仮に内緒話のつもりで喋っていたことが全て筒抜けだったとしたら、その心中は察するに余りある。武田は普段僕にクラスメイトの女子の容姿に関する話などもしていたから、もしもそれまで全部聞かれていたとしたら、気まずい事この上ないだろう。ちなみに、武田による福島さんの評価は、『中の上』だった。
それにしても、武田はたしかにダミ声ではあるけれど、決して大声で話していたわけではない。周りの女子たちもお喋りに興じている中で武田の話す内容をはっきり聞き取っていたのだとしたら、福島さんの地獄耳は想像を絶する精度を誇ることになる。僕もあまり迂闊な事は言えないな……。
あんぐりと口を開けたまま硬直した武田を見て満足したのか、福島さんはふっと表情を緩めて言った。
「ま、いいわ。じゃあ、今川くん。放課後、演劇部の部室に案内するよ。武田も、本気で演劇部に入る気があるなら、一緒についてきてもいいよ」
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