第88話 マンジュ一角馬部隊

 リューシスは、イェダー・ロウに一千人の兵を預けてルード・シェン山の防衛を任せ、強力な天法術ティエンファーを持つエレーナも含めて、その他の者たちと共に五千人の軍勢を率いてルード・シェン山から出撃した。


 そして、サイフォン・ラドゥーロフ、シュエリー・ユーらの一万五千人の軍勢と合流し、共にハルバン城へと向った。


 マンジュ族王子バティはそれを知ると、


「ほう。敵であったはずのリューシスパールと組むとはこれまた奇策。だが望むところよ。我らマンジュの力を思い知らせてくれん」


 と、マンジュ語で不敵に言い放ち、配下の者どもに出陣を命じた。


 だが、その数は五千人――


「五千人? あいつらは総勢一万人だろ? 半分しか出て来ねえってのか? 舐めやがって!」


 その知らせを受けた時、ネイマン・フォウコウが真っ先に怒りをあらわにした。


 リューシスらとサイフォンらの軍勢は合計二万人。それに対して四分の一の兵力である。


「それだけ自分達の力に自信を持っていると言うことだろうが……」


 サイフォンは馬上で腕を組みながら言うと、


「野戦に出ている間に、手薄になった城を攻撃されることを警戒したのかもな」


 リューシスは舌打ちして言った。

 事実、リューシスはそのような策も考えに入れていた。


「だとしたら、北方高原の蛮族と侮るわけにも行かないな。そして、四分の一の相手だからと言って油断することもできない」


 ハルバン地方は空気が乾燥している。

 リューシスは、かさついた頬を撫でた。



 そして翌日の午前。

 両軍はハルバン城南方の平野で接近した。

 一面茶色混じりの平坦な草地である。

 

 両軍はそのまま決戦に及ぶかと見えたが、リューシスは一旦それを回避、小高い台地を見つけて簡易な陣城じんしろを築き、まずはそこにこもった。

 対して、バティらマンジュ軍もまた、野営地を張ってリューシスらの動向を注視した。


 更にその翌朝、リューシスはマンジュ軍の動き方を探るべく、バーレン・ショウに軽装騎兵隊約一千騎を預けて出撃させた。


 すると、マンジュ軍の方でも、通常の騎兵約一千騎を差し向けて来て、両軍は中央で対峙した。


 しかし、戦おうとするバーレン隊に対して、マンジュ軍騎兵隊一千騎は一定の距離を保って弓矢の射撃を行い、バーレンらが果敢にもそれをくぐって突進して行こうとすると、背を向けて逃げながら矢を放つ、即ち「北方射法ベイファンシャーファー」を行った。


 彼らは、こうして自分達が被害を受けるのを避けながら敵を射撃し続け、やがて敵軍が動揺して浮足立ったところを見計らって一斉に取って返し、敵軍の中央に騎馬突撃を食らわせる。


 これが北方騎馬民族たちの間で古来より使われている得意戦術であり、マンジュ軍もまた常套手段としていた。


 だが、それを知っており、またリューシスに「奴らの北方射法ベイファンシャーファーによく注意してくれ。そして決して追うな。今回はあくまで敵の出方を探る為だ」と言われていたバーレンは、


「追わなくともよい! まずはこれで引き上げるぞ!」


 と、手早く兵士らをまとめて引き上げて行った。


 その様を、陣城の物見櫓ものみやぐらの上から見ていたリューシス。


「やはり北方射法ベイファンシャーファーが基本か」


 難しい顔つきで腕を組んだ。


「そうですね。それでこちらが動揺し始めたら、或いは追いかけて行ったら、そこへ自慢の一角馬イージューバ部隊が出て来るのでしょう」


 リューシスの後ろで、シュエリー・ユーが大きな黒い瞳を光らせた。


「お前は奴らの一角馬イージューバを見たんだよな? どんな感じだ?」

「噂通りです。体格こそ普通の馬と変わりませんが、普通の馬と違って臆病なところがなく、とても猛々たけだけしく獰猛どうもうです。その上、太くとがったつのを額に持っております。あれで暴れられたらたまったものではありません。馬と言うよりも猛獣ですね」

「そうか。兵士達は、そんな未知の一角馬イージューバ部隊を見たら恐怖するだろうな」

「ええ」


 シュエリーはうなずくと、リューシスのひじを引っ張った。


「何だ?」


 リューシスが振り返ると、


「殿下、私も恐いです。戦場で一角馬イージューバに襲われたら守ってくださいね」


 と、シュエリーは黒い瞳を潤ませながら上目使いに言った。


 だが、リューシスは白い眼で素っ気なくその手を振り払った。


「お前は十四紅将軍シースーホンサージュンだし、策の多い女だ。いくらでも自分で身を守れるだろうが。できないなら一角馬イージューバに潰されてろ」

「ま、なんて酷い言い方でしょう」


 シュエリーは頬を膨らませた後に、「冗談ですよ」と、けらけら笑った。

 リューシスは呆れながらそれを無視して、「会議をするぞ」と、櫓の階段を下りて行った。



 そして翌朝、リューシスとサイフォンらは出陣して、中央へと進出した。

 それに呼応するように、バティらマンジュ軍も出て来た。


 リューシスらローヤン軍二万人対、バティらマンジュ軍五千人である。


「俺達の方が数の上では有利だ。ここは基本通りに両翼包囲を狙う」


 リューシスらは、包囲殲滅の備えを布いた。


 右翼と左翼にサイフォンらの騎兵三千騎ずつを配し、中央はリューシス軍も含めて約一万人を縦に厚い三段に分けて配した。

 最前線一陣に歩兵三千人、二陣に三千人、三陣は本隊でリューシスとサイフォン、シュエリーが率いる騎兵二千騎ずつが並んで備えた。

 合計約一万六千人。残りの四千人は万が一の時の為の予備として陣城に待機させている。


 数の上では倍以上であるのに、かなり慎重な備えと言える。

 だがそれでも、上空から供回りの護衛龍士ロンドら五十騎と共に、彼方で不気味に静まり返っているマンジュ軍を見はるかすリューシスは、


 ――不安がぬぐいきれない。


 何か、亡霊に憑りつかれたかのような嫌な予感に、背筋に冷たい物を感じていた。


 原野の向こうに見えるマンジュ軍は、陣形とも呼べぬような布陣で、無秩序に固まって待機していた。


 ――だが、逆にそれが不気味なんだ。


 リューシスのすぐ後ろにいたエレーナは、そんなリューシスのいつもと違う様子に気付いた。

 彼女もまた、飛龍フェーロンに騎乗していた。

 ルード・シェン山の飛龍フェーロンたちの中に、エレーナによく懐いた飛龍フェーロンがいて、この数ヵ月間、彼女はその飛龍フェーロンに乗る訓練をして自由自在に乗りこなせるまでになっていた。


「どうしたの、リューシス? 何か変だけど」


 エレーナは、そっと声をかけた。

 リューシスはちらっと振り返って、


「何でもない。北方高原の連中と戦うのは初めてだから色々考えているだけだ」


 と言うと、逆にエレーナに、


「エレーナ、俺が連れて来た癖にこう言うのもおかしいが、戦場では俺の側から離れるなよ。そして、危なくなったら俺のことは気にせずに真っ先に逃げろ、わかったな?」

「う、うん……」


 エレーナは緊張した顔で頷いた。


 その時、眼下からサイフォンが声を上げた。


「殿下、そろそろでは?」

「ああ。そうだな、では進軍だ」


 リューシスは、遥か前方のマンジュ軍を見据えたまま、静かに答えた。


 そして、合図の角笛が吹き鳴らされ、陣太鼓が叩かれてローヤン軍が動いた。


 中央の軍がゆっくりと動き、陣寄せを始める。

 弓矢が届く距離にまで詰めたら、すぐに射撃を始める手筈になっている。


 それに合わせて、左右両翼の騎兵隊もゆっくりと前進する。


 対して、バティ率いるマンジュ軍もゆっくりと前進して来た。

 最前線のマンジュ騎兵らは皆、弓矢を構えている。


 ――北方射法で来る気だな。


 リューシスは思った。

 だが、それも束の間、「なにっ?」と、リューシスは目をみはった。


 弓矢を構えたマンジュ騎兵らの隙間から、一斉に後方の騎兵らが突出して来たのだ。

 その乗馬は皆、額に鋭い一本の角を備えていた。


 マンジュ族自慢の一角馬イージューバである。


 その先頭に立つのは筋骨隆々の猛者たる大将軍コルティエル。


「かかれっ! 突撃じゃ!」


 コルティエルは自ら手槍を握って先頭を駆けた。

 その後に続くマンジュ一角馬イージューバ部隊、皆口々に咆哮しながら疾駆し、虚をつかれているローヤン軍中央一陣との距離を詰めて突進する。


「いきなり正面突撃だと?」


 リューシスはもちろんのこと、その配下の者達、サイフォン、シュエリーらも皆仰天した。


 中央一陣を率いていたサイフォンの部下の将軍は、慌てて射撃を命じた。


「矢を放てっ! 一斉射撃だ!」


 だが、いきなりの突撃に動揺した一陣の者たちは手元が覚束おぼつかない。

 射撃を始めたものの、その呼吸はバラバラで、矢もあらん方向へと飛んで行く。


 コルティエル率いるマンジュ一角馬イージューバ部隊は、最前線の数十人がローヤン軍の矢に倒れたものの、他の者らは怯まず果敢に矢の雨を掻い潜り、想像を超える速さでローヤン軍中央一陣に肉薄、雄叫びを上げながら突撃した。


 北方高原でその名を轟かせるマンジュの一角馬イージューバ部隊。

 噂通りの猛威であった。


 一角馬イージューバたちは、獰猛な目を赤く光らせて凶暴性を爆発させながら、その鋭い角を突き出して躍り込んで来る。

 馬上のマンジュ兵らもまた、北方高原の遊牧民特有の勇猛を発揮して猛り狂い、縦横に刀槍をうならせてその切っ先に真っ赤な血が飛び散った。

 

 たちまちに響き渡る悲鳴と舞い散る鮮血。それらは全てローヤン軍兵士らのものであった。


「いかん! 左右両翼、急ぎ回り込んで包囲せよ!」


 サイフォンはすでにそう命令を飛ばしていたが、それよりも速く左右両翼もそう動いており、マンジュ軍の後背に回り込むべく疾駆していた。


 だが、それを想定していたように、マンジュ軍も動いていた。

 中央に突撃して来たコルティエルの一角馬イージューバ部隊の背後に控えていた通常のマンジュ騎兵隊らが左右に分かれ、ローヤン軍の左右両翼にぶつかって来たのだ。


 ――速い!


 上空から見ていたリューシスは驚いた。


 一角馬イージューバではなく通常の騎馬部隊である。

 だが、それでもローヤン騎兵よりも遥かに速かった。

 風の如くあっと言う間に距離を詰めるや、ローヤン軍に襲いかかった。


 ――何て速さだ。いや、それよりも……。


 リューシスの背筋が再び冷えた。


 中央から突撃して来るマンジュ一角馬イージューバ部隊も、左右両翼の騎馬隊も、見ればそれぞれ一千騎程度なのである。

 ローヤン軍よりも遥かに少ない。

 にも関わらず、不意を突いたとは言え倍以上のローヤン軍を一方的に押しまくっているのだ。


 そこへ、マンジュ軍が更に動いた。


「突撃だ!」


 マンジュの王子バティが、満を持して残りの全騎兵を率いて突出して来た。

 バティはコルティエルと同様、自ら先頭に立ってローヤン軍中央目掛けて疾駆した。

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