第40話 勝利の女神
「ちっ、急げよ!」
ネイマンは苛立ちながら短く言うと、大刀を抜き払って吼え、向かって来る一団に躍りかかった。
ヴァレリーの同志たちである兵士らもそれに続く。
建物の中に飛び込んだリューシス。
中は、まず左右に集団の牢が並んでいた。だがリューシスはそれには目をくれず、一番奥に見える地下に通じる階段へと走った。
そして地下へと降り、生臭い魚油の灯りだけがある薄暗い廊下を奥へと走ると、左手の独房の中に、エレーナが座っているのが見えた。
エレーナは、浮かない顔で物思いに耽っていたが、現れたリューシスを見ると、
「リューシス……どうしたの?」
と、驚いて立ち上がった。
「助けに来た」
リューシスは言いながら、鍵束の中から手当たり次第に鍵を出しては鍵穴に突っ込み始めた。
その手元を見ながら、エレーナは顔を険しくした。
「助けにって……いらないわよ、貴方の助けなんか」
「このままここにいたら、斬首だぞ」
「
「フェイリンを復興させたいんだろう? いいのか、ここで死んで」
その時、八本目に試した鍵が合い、鉄格子が開いた。
「さあ急げ」
リューシスは、エレーナに出るように急かした。
しかし、エレーナはそっぽを向いて言った。
「何で私を助けに来たのよ。形だけの夫婦だった赤の他人よ。それどころか、貴方は私の仇なのよ?」
「形だけにせよ、一度は夫婦の契りをしたのは事実だ。縁があった元妻が殺されるのを放っておけるか」
「…………」
その時、地上の方で新たな怒号が交錯し、戦闘の音がより激しくなったのがわかった。
「新手か……? エレーナ、くだらない意地を張っている場合か、急げ」
「誰が貴方に……」
尚も意地を張るエレーナに、リューシスは怒鳴った。
「早くしろ! 実は俺も正体がシーザーにばれて追われているんだ。この音はそれだ。ぐずぐずしてられないんだ!」
エレーナは、はっとしてリューシスの顔を見た。だがすぐに睨む目つきになった。
「ここから出たら、そのうちいつか貴方を殺すかも知れないわよ」
「いつでも殺されてやる。だが今は急げ」
エレーナが牢から出た。
「他の仲間たちはどこだ? 二、三人いただろう?」
「連れて行かれたわ。ちょうど今、別の場所で尋問されているみたい」
「そうか、じゃあ仕方ない。先に急ぐぞ」
リューシスは先に立って走り、階段を駆け上がり、外に出た。
すると、そこではネイマンとヴァレリーの仲間たちがまだ奮戦していた。地面には十人ほどの敵兵らが血を流して倒れていたが、敵の数は先程よりも増えていた。やはり新手が駆け付けて来たらしい。
リューシスは右手で
だが、エレーナがさっと動き、「ちょっと
飛散する土砂と共に十人近くが吹き飛ばされた。その直後、すかさずエレーナは上に上げていた両手をそのまま前に振った。そこから凄まじい突風が吹き、その背後から続いて来ていた敵兵らが吹っ飛んだ。
凄まじい
「今だ! かかれっ!」
そこへ、ネイマンらが隙を逃さずに斬りかかり、あっと言う間に敵兵全員を斬り伏せた。
リューシスは、唖然とした顔で、エレーナの不機嫌そうな横顔を見た。
「それほどの
「毎日鍛錬をしてたのよ。いつか貴方の首を取る為にね」
エレーナは冷やかに言い放った。
リューシスは背筋に冷たいものを感じつつ、苦笑いをするしかなかった。
そして、リューシスらは無事に城外へと脱出した。
途中、運良く馬を奪うことができ、皆騎乗で城外へと出た。
一方のヴァレリー・チェルノフは、各所を駆け回りながら仲間たちをほぼ全員決起させたのだが、それだけではなかった。
ヴァレリーが駆け回りながら飛ばした激。
「ローヤン人たちよ決起せよ! ローヤンの第一皇子リューシスパール様がここにいるぞ! リューシスパール様をお助けしてクージンをローヤンに取り戻すのだ!」
と言う炎の叫びが他の者たちの魂を揺さぶり、ヴァレリーが声をかけていなかった元ローヤン兵士らも続々と立ち上がり、更には無血開城を密かに苦々しく思っていた一部の市民らも武器を取って加わったのであった。
そして、ヴァレリーは流石に元駐屯軍総司令官だっただけあり、優秀な軍事指揮官であった。
城内の大混乱の中でも、迅速に脱出口である城門を確保し、ばらばらに結集した全員を城外に出した上、追い討ちをかけてくるガルシャワ兵らの攻撃を撃退しながら、ジューハイの森の手前まで移動したのであった。
その時、ジューハイの森の手前に集結したヴァレリーの反乱軍は、なんと総勢三千人近くにまで膨れ上がっていた。
その軍勢を、ヴァレリーは手際良く部隊分けして隊列を整えさせた後、リューシスの指示通りに、一言も発さぬように厳命し、さも何か策でもあるかの如く悠然とガルシャワ軍を待ち構えるふりをしたのであった。
それを見て、シーザーよりも先に第一大隊三千人を率いて城外に出て来たガルシャワのクラース・シュタールは、
「この状況下において、ジューハイの森を背後にしてあの落ち着きぶり。相手にはリューシスパールがいる。何か策があるに違いない」
と、警戒して攻撃に出ずに、シーザーが来るまで隊列を整えて待っていた。
それは、リューシスの策の狙い通りなのであるが、ヴァレリーの見事な指揮統率能力のお陰でもある。
「作戦遂行力はイェダー以上かもな」
と、リューシスは帷幕で最も信頼するイェダー・ロウの名前を挙げて、ヴァレリーの手腕に感嘆した。
だが――
「ここからどうするかだ。シーザーは必ず、これがハッタリだと見破るはずだ。時間稼ぎにしかならない」
と、リューシスは対峙する敵軍勢を睨んだ。
「ヴァレリー。メイロン城へは使者を出しているな?」
「はっ。先に早馬で向かわせました」
「そうか。じゃあそろそろ到着している頃だな。だけどそれからメイロン城の軍がこちらに来るまではまだまだ時間がかかる……。逃げるか、戦うか……」
呟くように言うリューシスの瞳に、続々と膨れ上がるガルシャワ軍が映る。
第二大隊が合流し、第四大隊も続々と出て来ている。その総数は九千人に近くなっていた。
「逃げるのは難しいな……」
「戦いましょう、殿下」
ヴァレリーが熱っぽい目で言った。
「ご覧ください。士気は十分です。皆命令に従って静かにしておりますが、心の中は燃え立っております」
リューシスは、整然と並ぶ兵士らを見た。
確かに、どの顔にも覇気が漲り、瞳に強い光があった。爆発しそうな闘志に満ちていた。
ローヤンの皇子を守った上で将帥に頂き、そのまま敵国に占領された都市を奪還する戦いと言う、ある種の男のロマンが彼らを酔わせ、その士気を高めているようだった。
(確かに士気は高い。そして、兵数は増えた。だがそれでもガルシャワとは大きな差がある)
リューシスは唇を結び、左手で赤毛混じりの褐色の頭髪を触った。
――どうにかして敵の側背をつければいいが……。
リューシスが多用する基本戦術として、一部隊で正面から敵の軍勢を引き付け、拘束し、その間に何らかの奇策でもって別の機動部隊を敵の側背に回り込ませて包囲攻撃すると言うものがある。
その際、正面の敵軍勢を引き付ける役を担うのは、いつもネイマンであった。
ネイマンは見た目通りの猪突猛進型で、何段階もの複雑な作戦行動は苦手であるが、正面からの強襲突撃と、少数部隊で壁となって敵軍を拘束する行動を得意としていた。
自身の豪勇を活かして前線で暴れ回るだけでなく、その姿で周囲の兵士達を奮い立たせて戦わせ、見事に敵軍を食い止めるのであった。
そして、その間に、騎馬や飛龍などの機動部隊が、奇策を使って敵の側面背後に回り込んで急襲するのである。
――だが、こちらは全て歩兵だけで、機動部隊となるまとまった騎兵が無い。
馬は少数しか奪って来られず、リューシスやヴァレリーらの他に、二十数騎の騎兵しかなかった。
(そもそも相手はシーザーだ。そう簡単には側面背後には回り込ませてはくれないだろうし、逆にそれをやられる可能性も高い)
リューシスは険しい表情で考え込んだ後、苦悩の目を開いた。
――駄目だ。何か、決定的な武器が無い!
だがその時、リューシスは、すぐ隣で不安そうな顔をしているエレーナを見て、目の色を変えた。
「エレーナ!」
「え?」
突然大きな声で呼ばれたので、エレーナはびっくりして振り返った。
「
「え? ええっと……得意なのは風と土で……
と、エレーナは得意とする術を説明した。
それを聞いたリューシスは、楽しげに笑った。
「いいぞ。エレーナ、一部隊を率いてもらうがいいか?」
「え?」
「一流の
リューシスは自信に満ちた顔で言い切った。
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