第20話 さらば麗しのアンラード
リューシスは素早く命令した。
「この城門の鍵の管理は別の人間か。仕方ない、門を破壊するんだ、急げ!」
「承知いたしました!」
兵士らが一列に並び、一斉に門扉に向かって体当たりをした。
「もう一度だ!」
二度、三度、とそれを繰り返した。しかし、門はきしむような音を立てただけでびくともしない。
「とても駄目です!」
兵士達が悲鳴を上げた。
「外城の門だもんな。そう簡単には破れないはずだ。何か、他に道具はないか? 丸太とか」
リューシスは皆にそう聞いたが、彼らはリューシスを助けに来るだけで精一杯で、攻城戦の時のような準備はして来ていない。
「他の門……同じだよな……くそっ」
リューシスは唇を噛むと、バイランの横腹を蹴って空へと舞い上がった。
上空からアンラードの市街を見回す。西と東の城門からこちらへ向かって来る加勢の一団は、もうかなり近づいて来ている。
「まずいぞ、もう来る。急げ!」
リューシスが叫んだ。
再び兵士らが門扉に体当たりを食らわした。だが、何度やっても同じことであった。
リューシス始め、バーレン、ネイマン、イェダー、そして親衛隊全員の心中に焦りが広がる。今更、別の城門に向かうわけには行かない。
実は、リューシス一人なら簡単にアンラードの外に出ることができる。彼は飛龍バイランに乗っている。飛龍の最高高度は三十メイリ(メートル)にもなる。
通常、攻城戦の際には、防御側は飛龍の空からの侵入を防ぐ為、城壁の上に更に高い鉄柵を立てるのだが、この非常事態で鉄柵は立てられていない。
バイランに乗っているリューシスならば、やすやすと城壁を超えられるであろう。
しかし、そう言うわけには行かない。いくらバーレンやネイマンら、イェダーたち親衛隊の者らがリューシスを助ける為に来てくれたとは言え、ここで自分一人だけ城壁を越えるわけにはいかない。
皆と共にアンラードから脱出しなければならないのだ。
「くそっ、どうすれば……」
西門と東門からの援軍はどんどんと迫って来ている。
更に悪いことに、内城の北西にある兵営からも更に一団が進発し、こちらに向かって来ていた。しかも見てみれば、それにはおよそ五十程の飛龍隊が混じっている。
しかしその時、兵士ら数人が、
「こんな物がありましたがどうでしょう?」
と、後方から走って来た。
彼らは、両手に巨大な鉄の棍棒を抱えていた。
「さっき戦った相手の中に、これを使っているでかいのが数人いたんです。これ、何とか使えませんか?」
すると、バーレンとネイマンが駆け寄った。
「俺達に貸してくれ。
バーレンとネイマンはそれぞれ棍棒を取ると、鉄門の前に行き、
二度、三度と、連続して繰り返す。凄まじい音を立てて、棍棒が閂に激突する。
皆、固唾を飲んで見守った。これで閂を破壊できなければ、自分たちは加勢に来た連中に追いつかれ、ここまでの善戦虚しく、ここに命を散らしてしまう。
四度、五度……そして十度目だった。
バーレンが棍棒を叩きつけ、次にネイマンが咆えながら棍棒を振ると、ついに
「やった! やったぞ!」
全員から歓喜の声が上がった。
リューシスもほっと息をついた。だがすぐに表情を引き締めると、
「よし、門を開けるんだ。アンラードから脱出だ!」
と命令、自ら先頭に立ってバイランを走らせ、スウィーダ門を潜り抜けた。
バーレン、ネイマン、イェダー、そして親衛隊の者達が後に続き、スウィーダ門の外に出た。
アンラードは巨大都市で、外城の周囲にも整備された道があり、その脇に人家や商店などが広がっている。
その先には更に牧場、飛龍を放してある
それら全てを含めて、アンラードである。
だが、外城の城門を抜けてしまえば、もう行く手を遮るようなものはない。
リューシスらは、ついにアンラードを脱出したのであった。
宰相府でその知らせを聞いたマクシムは、思わず机に拳を叩きつけた。
「あともう少しと言うところであったのに、何てザマだ! 追え、すぐにあの皇子らを追うんだ。近衛軍全軍で追え!」
七龍将の一人、ダルコ・カザンキナは、慌ただしい兵営で兵士らをまとめながら、冷静に呟いていた。
「好かぬ御仁ではあるが、何とも恐ろしい器量である。あの状況から命を繋ぎ、アンラードから脱出までするとは。これは近衛軍全軍で追わねばなるまい」
皇太子バルタザールは、青い顔で回廊を歩いている。
「まさかアンラードから脱出するとは。やはり兄上は凄い……兄上の方がやはり玉座につくにふさわしいのか……」
皇后ナターシアは、自室の煌びやかな椅子に座り、傍らの小卓の上の茶が冷めるのにも構わず、じっと何か考え込んでいた。
その白い顔には、ぞっとするような冷たい色があった。
「やはり恐ろしい子。かつては実の子同然に思っていたとは言え、こうなったら本物の実の子の為に、徹底的にリューシスを追い詰めて捕らえないと行けないわ」
そして、
その頃、自室の
「何事じゃ、騒がしい」
床の上に半身を起こし、イジャスラフは不機嫌そうに声を上げた。
それを聞いた、外に控えている侍女二人が飛び込んで来た。
「御目覚めですか」
「お水を」
と、侍女らは水差しから陶器の碗に水を入れて差し出した。
それを受け取り、一口飲むと、イジャスラフは変わらぬ不機嫌さで言った。
「この騒々しいのは何事かと聞いておる」
「はい」
侍女二人は跪き、簡潔に報告した。
それを聞いたイジャスラフは、驚きのあまり碗を取り落しそうになった。
「な、何、リューシスが?」
「はい」
イジャスラフは呆然とした後、身体を震わせた。
「むう……裁判を前にして脱走したばかりか、マクシムの命までも狙いおったか。しかも今またアンラードから逃げようとするとは……やはり予の命を狙ったのは本当であったのだな。何たる愚か者、何たる親不孝者よ。おのれ……わしの着替えを持って来い!」
侍女の報告は、彼女らが伝え聞いたことを述べただけで、そこには真実が含まれていない。
だが、この時点では、イジャスラフは真実を知る術もない。皇帝は単純に激怒した。
今朝も、体調はあまりすぐれない。
だが、手早く着替えをすませ、顔を洗い、口をすすいだイジャスラフは、朝食も取らずに足早に皇宮内を進んで行く。
「マクシムはどうした?」
「ダルコ・カザンキナ
駆けつけて来た近侍の者が答えた。
「マクシムに伝えい。一等の罪を重ねおったが、まだ殺すでないぞ。生きて予の前に連れて来い。皇帝と皇子とは言え、息子の悪事の責任は父親にある。予自らが成敗してくれる。そう、マクシムに伝えて来い」
「はっ」
そして、イジャスラフは宮殿を出ると、物見用の高塔に登った。
最上階から、四方を見回した。
雲一つ無い蒼天の下、今日もアンラードは、朝日に照らされて紅の屋根たちが輝き渡り、
その鮮やかな街並みを見はるかし、北の方角を見た。
そこに、白い
――あれか。なんと、もうすでにアンラードを出ているではないか。
イジャスラフの目が怒りに吊り上る。
だが、
「うん?」
遠くてはっきりしないのだが、先頭の白龍に跨る人間がこちらを振り向いたような気がした。
その瞬間、イジャスラフの身体から、不快に燃えるものがすっと消滅した。
顔からも怒気が落ちていた。
――リューシス……。
イジャスラフは、羽ばたいて行く白龍の
「リューシス」
父親は、呟いた。
――父上……。
奇しくもまた、その
リューシスは、そこにイジャスラフが立っていることを知らない。
だが、何か感じ取るものがあったのか、彼は高塔をじっと見つめて呟いた。
「父上」
そして、息子は更に呟いた。
「父上……お元気で……お身体にはお気をつけて……」
褐色の瞳が濡れて光っていた。
彼は更に、何か呟こうとしたが、やめて胸の奥に飲み込んだ。
そのまま、遠ざかって行くアンラードの巨大な街と、皇宮を空から見つめていた。
ローヤン帝国、栄光の首都アンラード。
北方の紅玉、紅の都とも呼ばれる美しき街、アンラード。
これまで二十二年間、ローヤンの皇子として暮らしていた街である。
だが、言葉では言い尽くせないような多くの複雑な感情があった。
赤茶色の高い城壁と、一面紅の屋根を戴く建物。朝日を受けて輝く沢山の高塔と、中央にそびえる白亜の壮麗な皇宮。
数えきれないほどの思い出があった。
優しかった実母と楽しく暮らした幼き日々。
運命が一転し、陰謀が渦巻く伏魔殿と化した政庁。
紅い夕陽の下で、荒れた遊蕩生活を送った下町。
それでも信頼できる仲間たちと出会い、絆を深めた青春時代があった。
沢山の、沢山の、語りつくせない思い出がつまった街。
この都市を恨み、憎んだ時もあった。
しかし、それ以上にこの都市を愛していた時の方が長かった。
愛しき麗しの都、アンラード。
だが、もう今後、このアンラードには帰って来られないかも知れない。
逃亡者となってしまった皇子は、皮肉そうな笑みで、芝居がかったような口調で呟いた。
「さらばだ、アンラード」
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