第10話 ワンティンの覚悟

「何か騒がしくない?」


 シャオミンが不安そうにきょろきょろとした。

 遠くから、人が走る音と叫ぶような音が聞こえて来ていた。

 この時、実はまさにリューシスが地下牢から脱出し、地上に出たところだったのである。その騒々しさはその為であるのだが、ワンティンとシャオミンはまさかそのようなことが起きているとは思いもしない。


「殿下が斬首と決まったから色々と準備で慌ただしいのかも。急ごう」


 一人と一匹は小走りで先を急いだ。


 ワンティンの考えで、宮城の正門である南門には向かわず、東門に向かった。


 だがすでに夜である。夜は、アンラードの外城も内城も宮城も、全ての門が閉じられている。中からも外からも、通れるのは皇族か最高級の重臣だけに限られていた。

 それ故、一人と一匹が東門の門番の兵士に止められたのは当然であった。


「駄目だ。夜には皇族と重臣以外通れぬのは知っているであろう。どこの勤めの者かは知らぬが、今日は諦めて仕事場で寝ろ」

「仕事が長引いてしまって、つい遅くなってしまったんです。どうにかして通してくれませんか?」

「何と言おうと駄目だ。特に今は、リューシスパール皇子の明朝の斬首が決まったと言うので、何人であろうと絶対に通すなと言われている」

「そうですか……わかりました。ではこれでどうでしょうか」


 ワンティンは、お金を入れた革袋を開き、中から金貨を数枚取り出して差し出した。

 薄暗い夜闇の中でも煌めきを放つその金貨を見て、門番の兵士二人は目を丸くした。


「それは……」


 兵士二人は、今にもよだれを垂らしそうな顔をした。

 この東門は、正門である南門や西門、北門に比べて重要度が低い為、門番の給与が他の門よりも低かった。その為、外から内へは絶対に無理であるが、内から外へは賄賂を渡せば通してくれると言う噂があった。

 南門に向かえば目立ちやすいから、と言うのもあるが、ワンティンはその事を知っていた為、東門に来たのである。

 しかし、今夜はリューシスのことでかなり厳しく言われているのか、兵士二人は物欲しそうな顔をしながらも、まだ迷うような様子があり、金貨を見つめたまま何も言わない。


「まだあります。外の方の分も。どうぞ」


 ワンティンは更に数枚の金貨を取り出して見せた上に、彼らが一番気にしているであろう罪悪感を和らげてやる言葉を放った。


「私の母が病なのです。仕事が遅くなったのは、母の薬を買う為に少しでもお金を貰おうと、本来の仕事でない他の雑務もしたからなんです。でも、そのせいで今夜母の看病をしてあげられなくなるなんて、私は本当に馬鹿でした。お願いします。母の側にいてあげたいんです」


 ワンティンはすがるような目で懇願し、更に金貨を一枚追加した。

 これで門番二人は完全に落ちた。


「うむ、うむ。そうか。それは不憫な。そしてその親孝行、実に感心なことである。本来は絶対に開けられぬのだが、今回だけは特別だからな」


 彼らは金貨を受け取ってそそくさと懐にしまうと、周囲を警戒しながら、こっそりと門を開けてくれた。


 こうしてワンティンとシャオミンは宮城から内城区域に出ることに成功した。

 同じ手口で、内城区域から外城区域にも出た。


 しかし、


(これからどうすればいいんだろう? どこへ行って何をすればいいのかな?)


 ワンティンは、ここからの考えがまとまっていなかった。

 あれこれ考えながら、比較的裕福な層が住む住宅地区を闇雲に走っていると、後方から怒鳴るような声が響いた。


「そこの女、待てっ!」


 ワンティンが振り返ると、三人ばかりの兵士が血相を変えて追って来ていた。


「わあっ」


 一人と一匹は速度を上げ、必死に逃げた。

 ワンティンは心臓が破裂しそうになりながら必死に走り、シャオミンは翼が千切れそうになりながら飛んだ。

 しかし、すでに静かで薄暗くなっている商店街に来た時、脚が止まり始め、ついに追いつかれてしまった。


「おい、お前はリューシスパール殿下のところにいる侍女だな?」


 兵士らは呼吸を整えながら詰め寄った。

 ワンティンは激しく息を乱しながら、


「ち……違います……」

「嘘をつくな。俺はお前を見た事がある。殿下のところにいるワンティンと言う侍女に違いあるまい」

「そ……そうだとしたら……何なんですか」

「ワルーエフ丞相がお呼びだ。悪いが来てもらうぞ」

「嫌です」

「何、丞相の命に逆らう気か」

「行けません」


 ワンティンは大きく首を横に振った。


「仕方あるまい。子供に手荒な真似はしたくないが、力づくでも連れて行くぞ」


 兵士の一人がワンティンの腕を掴んだ時、背後から雷のような大喝が落ちた。


「やめろ! てめえら子供に何してやがる!」


 兵士らがびくっとして振り返った。


「あっ」


 ワンティンは兵士の肩越しにその声の主を見て顔を輝かせた。


「ネイマンさん!」


 平服の上からでもわかる筋骨隆々たる長身の男。ネイマン・フォウコウであった。

 ネイマンはワンティンを見て驚いた。どうやらワンティンとは知らずに声をかけたようであった。


「あれ? お前は確かリューシスのところにいる……ティンティンじゃないか! あ、シャオミンもいるじゃねえか」


 ネイマンがぎょろりとした目を丸くしながら言った。ワンティンは少し呆れた顔で、


「……ワンティンです。……何回言ったら覚えるんですか」

「そうだ、ワンティンだ。ごめんな。で、ワンティン、こんなところで何してる」


 ネイマンが言うと、ワンティンが叫んだ。


「助けてください。この人たちに追われているんです!」

「何?」


 ネイマンは目を怒らせた。


「てめえら、ローヤン近衛軍の兵士の癖にこんな子供を追い回すってのはどういうことだ? しかもこいつはリューシスのところの侍女だぞ」


 すると、兵士らがじろりとネイマンを見て言った。


「お前、リューシスパール殿下の配下の者か? ワルーエフ丞相がこの娘を連れて来いとの仰せなのだ。邪魔するでない」

「丞相が……? 何の理由でだ。リューシスが捕えられたって聞いたが、そのことでか?」

「お前の知ったことか。とにかく、邪魔するとお前も連行することになるぞ」

「…………」


 これだけでは状況説明としては不十分である。ネイマンはわけがわからず、ワンティンとシャオミン、三人の兵士の顔を見た。


「助けてください。連れて行かれたら私たち多分殺される! それに、リューシス殿下も斬首刑が決まったんです!」

「何だと?」


 ネイマンの顔色がさっと変わった。

 兵士ら三人がいまいましそうに舌打ちした。


「待てよ。リューシスは捕えられたが、明日には裁判が開かれるって聞いたぜ。斬首ってのはどういうことだ?」

「それが、皇帝陛下の一存で裁判をすることなく、明日の朝には斬首と決められてしまったらしいんです」


 ワンティンの言葉を聞くと、ネイマンはぎろりと兵士三人を睨み回した。


「そうと聞いたら黙ってられねえ。おい、てめえら、ティンティンを放せ!」

「そうは行くか。丞相の命令だ。お前こそ、邪魔すると牢獄行きだぞ」

「おもしれえ。俺はそもそもローヤンの正規兵でもない、元をただせばただのアンラードのチンピラだ。牢獄行きなんぞ誰が恐がるか」


 ネイマンは言うや、兵士らに素手で飛びかかった。そして並外れた剛力を発揮し、兵士らを叩き伏せ、投げ飛ばし、動けなくさせてしまった。

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