10 裏切りの夜

 暗い森の中を駆ける一匹の魔獣がいた。


 女性らしく、細くしなやかな体が木々の合間を縫うように走る。時折、足を止めて聞き耳を立て、周囲の様子を窺った。誰かに見つからぬよう気を配りながら、道なき道を進む。やがて目の前に、木の枝と葉で隠された小屋が現れた。


 女性の魔獣は走るのをやめ、ゆっくりした足取りで小屋に近付く。すると扉が突然開いた。


「誰だ!」


 中から二匹の魔獣が現れた。厳つい顔に大きな体。その姿は、獣化していなくとも熊の魔獣であることが分かる。


「私よ……そんな大きな声を出さないで。見つかったらどうするの?」


「何だ、お前か! まあ、心配すんな。こんな街道から外れた森の中に入ってくる奴なんかいねえよ」


「そうさ。いつも俺たちゃ話をしてっけど、今まで見つかったこたぁねえぜ」


 そういって二匹はゲラゲラと笑った。


「……そんなことより、緊急の連絡よ。グランドに例の毒を盛ったわ」


「なにっ!?」


 二匹の顔色が変わった。


「おい、お前何勝手なことしてんだ! あの魔王が帰るまで、延期だって──」


「絶好のチャンスだったのよ。それに、あの魔王は兵を借りに来ていただけ。断られた以上、もうグランドールに用はない。グランドが倒れても、あいつならゴタゴタに巻き込まれないように、さっさと逃げると睨んだのよ。そして──」


 その女は冷たい微笑みを浮かべた。


「思った通りだった。魔王ヘルシャフトはもういない。いまが仕掛け時よ。グリズラ様に至急連絡をして」


 二匹の内の一匹が手早く旅支度を調えた。


「グリズラ様は手勢を連れて前線基地にいる。急げば明日の夜には奇襲ができるぜ」


「分かった。じゃあ、明日の夜に街の門を開けておくわ。街と屋敷の地図は?」


「もうグリズラ様に渡してある。じゃ、行ってくる。お前も戻れ。気付かれるなよ」


「あんたがたに言われたくないわ」


 女の魔獣は元来た道を戻ってゆく。しばらく森を行くと、木々の隙間から街の明かりが見えてきた。立ち止まり、背の高い草むらを掻き分けると、その下に大きな穴があった。女はその穴の中へ体を滑り込ませる。


 暗い穴の中をしばらく進むと、上からわずかに明かりが差し込んでいる場所がある。出口だ。女は顔を半分だけ出し、周囲に誰もいないことを確認すると、一気に穴から抜け出した。


 そこは、今は使われていていない倉庫だった。


 体の埃を払い、立てかけてあった木の板を穴の上に置いて塞ぐ。古びた棚に置いてあった調味料の袋を抱えると、そっと倉庫を出た。


 屋敷に戻ってくると、屋敷の門番に挨拶をして中へ入る。買い物にしては時間がかかり過ぎだが、咎められたことはない。町外れで星を見るのが好き、ということにしてあるからだ。


 この一年、常に緊張の連続だった。だが、不自由な生活とも、あと少しでおさらばだ。長い時間をかけて仕込みをした甲斐があった。思わず鼻歌を歌い出しそうな良い気分で、自分の部屋の扉を開け中に入る。ドアを閉め、脇に置いてあったランプを取ろうとして、手が空を切った。


「あれ?」


 そのとき部屋の明かりが点いた。


「遅かったな。シルヴァニア」


「!?──ま……っ!!」


 ベッドをソファ代わりにして、魔王ヘルシャフトが座っていた。

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