第三節 世界一凶悪なDisasters.
一
深き闇より……。
人類の忌むべき歴史の中より。
咆哮が在った。
まるでそれは、獲物を見つけた様な、本能を研ぎ澄ませた声。
そしてそれは、一点の曇りもなく、目標に向けて走り出した。
二
ロシア、モスクワ市内。
レンタカー店。
黒斗は店員とレンタカーの取引で交渉している最中だった。
彼は店員とリクエストと内容を比較し合い、互いに何処か一致したのか熱い握手を交わして、店員は車の用意へと走っていった。
そんな最中、店内の小さなドリンクスペースでは、古都が暇そうにジュースを啜っていた。
「取り敢えず車は確保出来た。雪上用のタイヤと、返上はウラジオストクの空港近辺に有るらしい」
「成る程。矢張り見世物顔の商談は貴様が一枚手上のようだな」
「元々私は潜入と諜報の担当だったからな」
「もう一つ有っただろう。貴様の得意分野が」
「今では使う必要も無いだろ?」
「さあな、案外使う機会が来るかも知れんぞ?」
「俺はしたくないんだ」
「そうか……」
古都は紙コップをグシャッと握りしめた後、ゴミ箱に放る。スポンッと放物線上を描いてゴミ箱に入ったゴミに目もくれず、彼は後に続ける様に話し出した。
「で、態々モスクワからアメリカまで……そもそも、イギリスからアメリカに行かない理由はあるんだろうな?」
「空港から行けば時間は早いだろうが、国際空港での移動は顔が見られる。遅かれ速かれ大英図書館での事件は公になるだろうが、そうなってもそうならなくても、我々が関係者として浮き彫りにされる可能性は高い」
「ま、そうだろうな。仮にも普通に視察に行った上に、私たちは日本人だ。異国人が居るだけで目立つ」
「だがEUで繋がっているヨーロッパ間であれば、成る可く監視上最も薄い場所を通れる。空港などは国際的であるが故に顔が浮き彫りになるが、公共鉄道はそこまで重視されていない。更にEU加盟国のポーランドと非加盟国のベラルーシは、加盟していないにせよその流通は頻繁的に行われている。主要国ほど重視されていないからこそ、彼所の国境は通りやすい」
「ま、そうだな。それで、ユーラシア横断の件は?」
「直ぐに何処かの空港で飛ぶにも、ヨーロッパ近辺の空港に行くにも、近い場所では監視の目が行き届きやすい。更に飛ぶにも時間を空けなければそれこそ察しが付きやすくなる」
「だから横断して時間と距離を稼ぐのか」
「まぁな」
「だが、最近までの新聞を読んでいても、事件等の記事は無い。そもそも、潜入されて大掛かりな物を盗まれたなら未だしも、隠していた禁書級の物が、聞いた所に寄れば机の隠し扉に仕舞われていたそうじゃないか。しかも閉めてきたんだろ? そうなれば……素直にこの事件が発覚するのは軽く数年先の話になりかねないか?」
「……良いんだよ、予防で良いんだ予防で」
「まあ、問わないでおく。それで、この横断はウラジオストクまで大体どれほど掛かるのだ?」
「約一二〇時間。走り続ければ丸五日だな」
「……、」
古都の表情が、明らかに嫌という言葉を吐き出したそうな顔になっている。目元と口元が妬み辛みを今にも擬音として吐き出しそうだ。
「嫌そうな顔は解るが、まあ、すまない」
「……まあいい、旧友あっての頼みだ。以前に比べれば未だ楽な方だろうな」
「あ、あはは……」
そうこうしている内に、店員が黒斗達に手を振っていた。
どうやら車を運び終えた様だ。
*
「SUVSか……良いのを借りたな」
「ロシアは地形が問題だからな。長距離のためにタイヤや工具も用意してくれたらしいが、何処まで持つか……」
「一応は途中途中にスタンドがあるらしい。そこまで気にするほどのことか?」
「返上する時に故障代も視野に入れないといけないんだよ……」
「マメな男だ」
「悪かったな」
用意された車を観ながら、車を挟んで馬頭を吐き捨て合う。店主は車が気に入らなかったのかとオロオロし始めた所で、黒斗は店主にこの車に決めたと話を持ちかけた。
黒斗は会計を済ませると店主にエンジンキーを受け取って車に戻ってくる。
「3万ルーブルか……まあ、良い所だろ」
「明細を睨んでどうした?」
「……職業病だ」
「そうか」
「で、お前はちゃっかり既に助手席なんだな」
「後で変わってやる。ルートの大体はお前の頭の中だろ」
「カーナビ使えよ」
「私は交渉系のロシア語しか知らん」
「出来るだろ!! ……まぁいい」
カーナビをセットし、ウラジオストクまでの経路が既出される。ロシア語の音声は微妙になれない感覚なのか、黒斗は首を傾げ、最終的に音を切った。
「……、」
「何も言うな」
後々、日本語の機能を知ったが、使ったのは古都だけだった。
*
ロシアの国道を走る、黒斗達の乗る車。
町中を快走しながら、彼等は特に何かを話す訳でもなく進んでいた。
ただ、その空気を見かねてか、それとも単純な疑問から来る問題か、古都は口を開けた。
「腹減った」
「あー、そう言えば朝から何も手を付けていなかったな」
「どっかに店は無いか?」
「あー……まあ、レストランとかはチラホラ見えるな。確か街を抜ければ雪原地帯を抜けるだけになる。何処かで色々と調達しておくか」
「何が要る。長期保存の可能な飲食等は必要だろうが」
「防寒着だろうな。この先は冷える」
「今も十分に冷えてないか?」
「……シベリアに行きたいか?」
「解った買ってくる」
「取り敢えずは飲食類と防寒着だな。彼所に止めるか」
黒斗は車を動かして近くの大型デパートに車を止めた。二人で車を降り車の鍵を閉め、彼等はデパート内に入っていく。
のだが。
「寒い……」
「だろうな。市街地でもこの寒さだ。モスクワは未だ良い方だったろ?」
「何故此処まで冷える? 訳がわからんぞ」
「季節感の問題だ」
「あーもうさっさと入るぞ。限界だ!」
「お前は駄々をこねる子供か」
「貴様にも言えることだ。どうせもうそこら辺の感覚も無いのだろ?」
「まあな。もう既に寒さは感じない。以前までは苦しい状態にも思えたが、今では慣れてしまえば楽な方だ」
「馬鹿者が。それが異常なのだ」
「……わかってる」
古都の忠告をある程度受け流す様に聞き取ると、彼等はデパート内に入っていく。中では暖房が行き届いており、中も豪華な品揃えになっていた。
「町中だと油断していたが、素晴らしいな」
「ま、政策上かなり余裕がある国だからな、日本のギリギリの維持とは違うのさ」
「仮にも母国なんだがな」
「ま、そこはどうしようも無い」
「で、どうする? 取り敢えずは飯か」
「別に私はお前が喰っている間に買い物を済ませても良いぞ?」
「貴様は自己管理が疎かすぎるだろう。仮にも空腹を感じなくとも、栄養の無い身体は限界が直ぐに来るぞ」
「今や肉を食べた所でゴムを噛んでいる様な物なんだ。軽く苦行なんだが?」
「栄養剤にも限界があるだろう。薬膳でも食べておけ」
「ロシアに来てまで薬膳なのか……」
「まあ、あるかどうかは知らんがな」
「……食べに行くか」
医者である彼だからこそ、食すと言う事の重要性は理解している。この点で言えば彼を説得する上では最も簡単な部分でもあるのだろう。
彼等はフードコートへと向かうと、適当な飲食店を選ぶ。
中に入り席へ通されると、彼等は席に座りメニューを開いて食す物を探し始めた。
「……、」
が、黒斗だけは、そのメニューを見ても、どうにも悩ましい顔で考え込んでいた。
最早味覚も無い彼は、その白黒の世界の食べ物になんとも言い難い感情に悩まされてしまっているのだ。
「……はぁ」
古都はそんな彼を見て呆れ顔で溜息を吐き捨てると、店員を呼んだ。
『すみません、このBステーキセットとマルゲリータピザ、ジャンボパフェをお願いします』
その注文を受けた店員は、和やかな挨拶をして離れる。
「そんなに食うのか?」
「馬鹿、あと二つはお前のだ」
「は?」
「良いから食っとけ」
「……まあいい」
注文した料理が席に着き、古都の前にはステーキとパン、スープのセット。黒斗の前にはマルゲリータピザとジャンボパフェが置かれた。
「また妙な注文だな……というか、食後じゃ無いのか」
「まあな。取り敢えず食べてしまえ。味は違うだろうが、感覚で食えるだろう」
「? まぁ、頂くか」
「ああ」
彼等は各々の食事を一口頬張る。
古都は特段変わりなく食べ始めるが、黒斗はピザを口に運んで、口の中で咀嚼するだけだった。
どうにも、食べているという食感が湧かない。
だが、そんな黒斗に古都は付け足す様に吐き捨てた。
「それを食べたら、次はパフェを一口食ってみろ」
「は?」
「良いから食ってみろ」
「……まあ、お前が言うなら」
と、半ば押され気味にスプーンで一口上部のアイスクリームを頬張る。
「……、」
黒斗が止まる。
味は感じないはずなのだ。それこそ、美味しいと思えるはずも無く、氷を食べる様な物に近いはずなのだ。
だが。
「……どういう事だ?」
「先生から昔、聞いたんだ。お前を拾って、初めて食べたのは、その二品だったってな」
「……!?」
黒斗の目は大きく見開いた。
彼は、その言葉を聞いて……否、その手順を通して、何故か口の中に味が広がることを感じた。これは味覚が復活した訳では無い。記憶の濃い部分が復元されているのだと、知った。
だが、そんな理由はどうでも良かった。
「……あぁ」
それからは無作為に食い始めた。
ピザとジャンボパフェ。
絶対に合うことの無い二つの品。
だが、その全てを平らげた後、彼の顔には、久方振りに小さな笑みが浮かんでいた。
*
「真逆、お前に貸しが出来るとはな」
「貸したなどと思ってはいない。寧ろ、返しただけさ」
町中を、車が疾走する。
彼等二人は買い物を終えて、車内で車の旅を寛いでいた。
「返した?」
「まあな。お前は、意外とお前の知らない場所で、多くの奴等に貸してるんだよ」
「そうか? そうは思わないが……」
「貸してるさ。お前の幸せを対価にな」
「何だそれ?」
「気にするな」
古都は助手席で席を倒し、寝転がる。
「じゃ、俺は少し寝る」
「結局交代しねーじゃねーか」
「良いんだよ。夜は俺がやる」
「……ま、わかった」
その言葉を皮切りに、車内は静かになって行く。互いに一語とも話さず。黒斗は終始運転に集中し、古都はアイマスクを付けて寝転がっている。
車は街を走り、そしていつの間にか、街を抜け雪原地に入る。
雪原に入ると最早周りに住宅や建物は無い。ただ広がる雪と木々の世界と、時折見える動物達が居るくらいだ。車内はエアコンの暖房が効いている御蔭で外の寒波は感じないが、ビュウビュウッと聞こえてくる音が耳の中で燻っている。
次第に陽は落ち始め、周りは夜の星空と白い大地に征服されていた。日本ほどの地上の光が多い国で無く、光の無い雪原地だからこそ観られる満点の星空は圧巻されるほど美しい。
(……きっと、本当は綺麗なんだろうな)
黒斗は見えない。
黒の空に白い点。
地上は白。
その世界には色彩の差が無いために、彼にとっては絵の世界にも思える程に……何も解らないのだ。
車を発進させていると、不意に遠くに光源が見える。
善く善く目をこらせば、それはどうやらガソリンスタンドの電灯らしい。その看板を視認した黒斗は、車のメーターを確認した。
既にメーターは半分以上に達しており、燃料もかなり危ぶまれている。
(流石に、この距離だとな……)
車をガソリンスタンドに入車し、セルフスタンドの脇合いに止める。車の扉を開こうとし、不意に古都を気に掛けた。
特に上に被せること無く吐息を漏らして眠っている古都。黒斗は彼を見かね、後部座席から買ったばかりの防寒着を彼に掛け、給油口の蓋を遠隔的に開けて外に出た。
外に出て、扉を直ぐに閉める。寒風によって中の温度が逃げない様にするためだ。
特に黒斗自身は防寒着を着込まず外に出ていた。遠巻きにスタンドの屋内を観れば、従業員らしき男が椅子の上で肩を揺らし眠りこけている。
セルフスタンドの電子給油を操り、蛇口を給油口に入れ込む。
流れ出したガソリンが入り込むまでの間、彼は満点の筈の空を見つめていた。
口から吐き捨てられる白い吐息。
きっと世界は幻想的なのだろう。黒斗の目には映らない黒に最も近い紺色と煌びやかに瞬く星空の世界、更には足下に及ぶ白銀の世界と相まって、素敵なのだろう。
きっと、世界は美しい。
だが、その世界を見据える目は、もう無い。
今在るのは、彼の手に残っているのは、使命のために怪我されて行く手と、嘘偽りで固めた自分の表面。内なる場所には、異形の何かが潜んでいる。
自分とは何か?
それは、今でも解らない。
「……、」
だが、それでも。
だが、そうだとしても。
今、自分が行うべき事は何か?
そう考えた時、パッと頭の中に浮かんだのは、嘗ての友の顔、自分を愛してくれた者達の顔……だが、その最後に流れ着いたのは、サーバルと決別したあの日の……彼女を裏切ってしまった時の、悔やみと、無念と、苦しみと、最後の、義妹の言葉だった。
「――私は、何を見つければ」
何も、見つからない。
もう、何も見えない。
苦しすぎて、その痛みさえ感じなくなったこの身体で、何処まで行けるのだろうか?
それでも、進むしかない。
きっとこの道は、黒斗がこの世界に、ジャパリパークに降り立ったあの日から、運命は始まっていたのだろう。
きっと。
*
給油が終り、黒斗は車を発進させる。
積雪量が少しずつ増していき、雪が両脇に避けられた車道を進んで行く。
未だ古都は隣で寝ている。
一人の時間、ラジオの音は無く、ゴウゴウッと唸る風と、車の進む音。
そして、どれくらいが経っただろうか?
太陽が昇り始めた。
日の出と共に、積雪達はキラキラと輝き出す。
白と黒の世界には、まるで写真の様にしか映らない。そんな光景を見て、黒斗はした唇を噛み締めて、そして、思ってしまった。
きっと、思うはずが無いと、そんな訳が無いと、今になって思ってしまった。
だけど、それでも、遅いと気が付いても、悔いてしまうのだ。
(……こんな事を思うなら、あんなことをしなければ良かった……キタキツネと親しくならなければ良かった……櫻と出逢わなければ良かった……研究員達を呼ばなければ良かった……サーバル達と、出逢わなければ、良かった)
そうしなければ、きっと彼等は、自分たちが思う真っ当な生き方が出来たのでは無いのだろうか?
自分に出逢わなければ、きっと輝かしい世界の中で、素晴らしい物を見続けてきたのでは無いのだろうか?
工夫なんて、数多に出来たはずだ。
なのに、何故こんな道を選んだのか……。
唯々、今はそれだけが、彼の心の中で燻って仕方が無かった。
*
「ん?」
助手席で、古都が目を覚ます。
外がやけに輝かしい。
「……ぁ」
彼はポツリと、呆れた様に吐き出していた。
「黒斗」
「ん? あぁ、おはよ」
「どれくらい寝てた?」
「多分、半日くらいか?」
「……正気か?」
「悪いが事実だ」
黒斗は、淡々と答える。
ただ、運転中なのか、此方に向き直る様子はない。
「ああ、じゃあ何処かで止めてくれ、変わる」
「……頼む」
黒斗は、何も通らない雪原の間を走る車道の脇に、車を寄せた。
座席からでて、黒斗は車を一回りし、その間に古都は車の運転席に移動した。
車の助手席の扉を開けて黒斗は車内に戻り、アイマスクを手に取り瞼を隠す様にして、彼は寝転がった。
「……少し寝る」
「ああ、任せておけ」
それだけだった。
互いに会話をする訳でも無く、互いに何かを喋ることもすることも無く、車は走り出した。
(……)
三
車を走らせて、三日目。
交代制で雪原を走っていた彼等は、交代的に車内で体を休めていた。
現在は二日目で古都が長時間の睡眠を取ってしまっていたために、黒斗は夜を走ることとなっていた。なので、三日目の昼となると、黒斗は助手席で盗み出した本を読み漁り、古都は運転席で淡々とナビゲーターから送られる命令に巡視して運転しているのみだった。
時折流されるラジオやテレビ番組も、受信出来ずに結局切られている。
「なぁ」
精神的に暇な時間を持て余していた古都は、黙読に集中していた黒斗に声を掛けた。
「何だ?」
目線を外さず、唯々本を読み進める黒斗。
「その本は、具体的にどんな本なのだ?」
「The Last Revelation of Gla'aki. 5th.……まぁ、要約すると『グラーキの黙示録 第五巻』だ。暗黒大陸時代についての書物で、まあ、色々書いてある」
「色々?」
「余り口に出せる内容では無い。そもそもその内容が濃いために常人なら約七〇週間を要して理解する書物だろうな」
「七〇か……かなり恐ろしいな」
「だが、その内の一部、つまりコレは五巻だ。全一一巻の内の一つだから、時間は更に減縮する。とは言っても、それなりに労力は必要だ」
「良かったのか、第五巻のみで?」
「私の知り合いの、その手の記述にこの巻が記されていた。どうやら奴はその写本を何処かで見ていたらしい。内容も見ている限り接点もある。まあ、間違いでは無いだろう」
「そうか。まあ、要するに内容には触れなければ良いんだな?」
「そうとも言うが……まあいい。とりあえず、丁度良い所で変わる」
「良いのか? 休んでても良いんだぞ?」
「解読にかなりの時間を要する。コレは区切りの良い所で休むのがいい。少しの間だが、任せてくれ。その後にまた交代する」
「解った」
車はまたも車道の横合いに止められ、彼等は乗り場所を入れ替える。
そして、車はまたも車道に戻り、みるみる快速し始めた。
道は変わらず雪原が広がる平野と、道脇に木々が立ちこめる森がある。
先をどれだけ見ても、街らしき建造物は地平線上に見当たらない。
「……、」
「黒斗。貴様、妙に気を張りすぎていないか?」
「そうか?」
「ああ、モスクワに着いてから、どうにも緊張しているというか……」
「あー、道路が氷結してないかとか考えてたからかもな」
「違うだろ」
「……、」
「なぁ、黒斗、どうしてそこまで、威嚇している?」
古都は、黒斗から漂うプレッシャーを感じていた。
その威圧感が、今までよりも段違いで上がってきていることに。まるで、獲物を前にした野獣か……もしくは、強敵と遭遇した猛獣か……まるで、睨み合いを為る様なその気迫は、古都にはハッキリと感じ取れていた。
だが。
「古都……違う、俺はそこまで強くしたつもりは無い。それは俺じゃない。だが、この距離でこの威圧感を出せる奴は、俺達の知っている……奴しか居ないだろ」
「――ッッ!?」
古都が、黒斗から車の進行方向の先に視線を変える。そこからでは何も見えないのだろうが、彼等にはハッキリとそれが解っていた。
「――
「ああ、俺もこの国に入って薄々は感じていた……居るよ、間違いなくこの国に奴が居る」
彼等の喉に、唾が通る。
彼等が感じるプレッシャーは、この広大な大地にその威圧感を張り巡らせられる様な、その強大な闘争本能と、そして……捕食をされる側に向ける物だった。
「――、」
「黒斗」
「本当に、嫌な奴だ。アイツほど、本能に飢えた人間は居ない……いや、アレは最早、怪物だろう……」
黒斗は、車を脇合いに止めた。
車は彼等以外通っては居らず、静けさだけが漂うその雪原の中で、黒斗はエンジンを止めた。
「降りるぞ。アイツ相手に車なんて持っていったらぶち壊される」
「真逆、向き合う気か」
「此処で通り過ぎられる程、アイツは寛容じゃ無い。それに、ずっと向けられてたプレッシャーも、要は来いという合図だ」
「……仕方ない。おい、防寒着を着ずに降りるのか?」
「邪魔になる」
どこか、黒斗の声は落ち着いていた。
いや、冷静や淡々と言った具合では無い。
寧ろ何処か、何かを押さえ込む様な、その内から煮えたぎる何かを、止める様な声だ。
「……古都、やっぱりコレ持ってろ」
黒斗は取り外した車のキーを古都に投げ渡す。片手で受け取った、古都は「はぁ?」と尋ね返してきたが、それでも矢張り彼の声は落ち着き、更にプレッシャーの方向から目線を変えずに、続けて吐き捨てていた。
「お前は此所に居ても良い。最悪、離れてろ……素直に、どうなるか解らない」
「……一人で行くのか?」
「ご所望らしい」
「っち、呆れた。やっぱり化け物同士何か気でも合うのか?」
「さあな、あっちに言ってくれ」
「……鍵は持っててやる。だが、貴様について行かせて貰うぞ。コレも契約なんでな」
「お前はお前で律儀だな」
「……ッハ」
車道を、歩み始めた。
コツコツッと、言葉を交わらせずに。
静かだ。
妙に静かだ。
木々の揺らめきも感じない。
風のながれる音も感じない。
まるで、その場にある生命、現象、その全てが、此処から逃げ去った様な、何も無い簡素な世界だ。
黒斗の足は速まる。
古都の徒歩を置いて行き、彼だけが走り出した。
古都は止めない。
その先に起きる何かを既に知っているから。
黒斗は振り返らない。
目の前のそれに向かって足を速め出す。
その足は、世界の陸上選手の速度を抜き、陸上動物最速の脚を抜くような速さだった。次第に音は置いて行かれ、彼は風を切って走り出す。
否。
ここでは、注釈を付けるべきだろうか?
彼等は、風を切る素早さで、互いに向かって走り出していた。
風を飲み込み、空気を裂き、そしてその弾丸の様な速さの彼等は、接点に到達した瞬間、拳を合わせた。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!!
黒斗と衝突した其の人物は、まるで闘争本能の権化だった。
荒くれる白い髪に、牙とも見える八重歯、ニタリと心から笑った様な口に、瞳孔が限界まで開いた目。和風装束に緑色の所々傷ついたズボンを履き、腰には武具の様な、所々の刃先が尖った殺傷力の高そうな刀とも剣とも言える武具を携えていた。
衝突した両拳は、たった一度の衝撃で、辺り一帯に猛烈な爆風を起こしていた。
そして、その目の前の男は、黒斗を観て、叫んだ。
「黒斗ォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!」
「ガルダァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!」
敵意剥き出しの両者、彼等は拳を離すと、更にもう片方の拳を放った。
轟音は、辺りに鳴り響いた。
*
衝突した彼等を、遠目に古都は見ていた。
彼は介入しない。
それは、それが当たり前であるかの様な、事象とも言えた。
だが、それでも、懸念はあった。
(黒斗……暴走だけは、為るなよ?)
*
二撃目の拳は、黒斗が速かった。
ガルダと呼ばれた男は、顔面にもろに受け、後ろに仰け反る。
それをすかさず黒斗は追い打ちを掛ける様に追いかけようとした。
だが。
グシャァッッ!!
「……ッ!?」
黒斗の脇腹に、倒れ込んでいる手前のガルダの蹴りが、空中で腰を捻るようにして炸裂する。
メキメキメキッッと鈍い音を立てながら、黒斗は車道脇の雪の山に激突した。
「ガハッ……!」
雪に埋もれ込んだ黒斗。
対しガルダは、その蹴る勢いで身体起こして追撃に向かってきていた。
黒斗が視認した所でもう遅い。黒斗の腹部に、強烈な拳が炸裂した。
ガボォッッ!!
「ゴハッ……ッッ!!」
殴られ、その雪山に一瞬でヒビが走り巡った。
だが、黒斗も終わらない。
ガルダの腕を掴むと、片方の脚でガルダに対しても強烈な蹴りを、それも腕を引き寄せながらに放っていた。
「ぐ――ッ!?」
引き寄せられ、蹴りを放たれた直後、ガルダは飄々とした声を発するが、それよりも速く彼の額が黒斗の顔面に向かって放たれた。
ガゴゴォォォッ!!!!
額と額、更にガルダの腹部に黒斗の脚が炸裂する。
ガルダは押し負け、そのまま後ろへと飛ばされたが、身を翻す様にくるっとバク転を加えて姿勢を戻す。
黒斗も、その蹴りの勢いで既に雪から脱出し、ガルダを見据え立っていた。
「久しぶりだっつぅぅのによぉ!! まだまだ現役じゃねぇか!! 黒斗ォ!!」
「耳障りなんだよ、クソ野郎……何故此所まで来た、ガルダァ……」
「んなもんお前と殺し合いに決まってるじゃねぇか!!」
「……そうかよ。じゃあ望み通り、此処で殺してやるよ」
「あぁ!! やれるもんならなぁ!!」
刹那、彼等は駆け出す。
放たれた拳は摩擦し、擦れた先で黒斗は脚を回しガルダを狙う。ガルダは脚を腕で防ぐと、そこから接近する様にもう片方の拳で殴る。だが、その途中で黒斗が放っていた脚の膝を曲げて途中で動きを止め、更に再度脚を伸ばしてガルダの身体を飛ばす。
勢いで攻めに行ったガルダは、胸元に膝を受けた後、身体がそのまま横に流されてしまう。
だが、そのまましゃがみ込んで黒斗を狙う。
黒斗は身体を回転させ、更に反対側から踵を繰り出そうとするが、ガルダはそれを飛び退き、退いた先から再び突撃しだした。
振り切った脚をその勢いで地面に戻した黒斗は、構えを取り直す。
ガルダは走りながら空中へと高く飛び上がる。
そして黒斗の頭上から拳を振り下ろそうと、腕を後ろに回した。
「――ッ!?」
黒斗は直ぐさま後退して拳を避ける。
黒斗が消え、地面に衝突する形となったガルダの拳。
彼が焦ったのは、それが理由だった。
バゴォォォンッッッ!!!!
コンクリートの地面がいとも簡単に破壊された。
拳はズッポリとハマり、周りの地面は迫り上がっている。
破片を両腕で防ぎながら、直ぐさまガルダに目線を戻す。
彼は、ゆっくりと立ち上がると、黒斗に瞳孔の狭まった目線を向け、そして……、
ニタリッと、笑った。
四
激突は終わらない。
何度も交差する衝突。
速さを極め、力を極め、人間という枠組みを超えた極致へと到達する。
木々の中を駆け巡る。
風さえも置き去りにし、彼等の衝突は轟音となって響いていた。
木々を活かし、持ち前のスピードで疾走する黒斗。だが、ガルダはまるでその行く先を匂いと本能的に嗅ぎ分けているのか、先回りをしては衝突する。
黒斗もそれでは終わらない。
空中で相対せば、そのスピードに乗せた一撃をガルダに撃ち放つ。
その衝突の連鎖は過激さを留まらせず、苛烈さを極めて行く。
彼等の瞳孔は、本能的の合図なのか、小さくなり、そして敵だけを見つめている。
まるでそれは、捕食者同士の削り合い。
轟ッッ!!
「アッハッハッハッハッハッハッッッ!!!!!!」
笑い、そして牙をむき衝突するガルダ。その姿はどんな凶暴性の高い動物よりも本能的で、闘争的だ。まるで戦場を求める戦闘狂かのような狂った笑いは、その声だけで恐怖を覚える。
「……、」
対し黒斗は寡黙だ。
だがその瞳孔は開ききり、敵意を剥き出しにしている。表情は冷静その物でありながら、彼の感情は沸点を既に通り越しているのだ。
両者は、木々を粉砕し、転がる岩を打ち砕き、轟音と突風を引き起こし、そして、その戦いの姿は神話に達するのではないかと……ただその一景が、闘争という全てを物語っているのではないかと、遠目に見ていた古都は感じていた。
(……黒斗……そして、ガルダ……こうなるのは矢張り必然となったか)
動かない。
黙して見定める。
今の彼は、その場所にて、この戦いの行く末を待ち望んでいるようにも見えた。
だが、それと裏腹に焦りもあった。
それこそ、現在の目的である横断や、計画をご破算とさせられたら、彼にとっても痛手となる。
だが、それを差し置いても、一つだけ、言えることがある。
(この戦いにおいて、介入は禁項だろう)
*
傷など関係ない。
それは、両者の戦いにおいて、気にするべき項目上最も不要なことであった。
自衛をしようと思えば、その隙を狙って真っ先にどちらかが喰われる。
精神と闘争を張り巡らせる戦いは、極限を知らぬまま、高ぶり続けていた。
グゴッッ!!
ガルダは、両拳を握り黒斗の頭蓋に向けて振り下ろした。
鈍い音を出しながらも、黒斗は直ぐさま顔を上げ、ガルダの顎元を蹴り上げる。
ドゴァァッッ!!
空中へと飛ばされたガルダ。
黒斗も直ぐさま飛び上がり、彼の足を掴むと、グオングオンッと回し、投げ飛ばした。
「――らァッ!!」
ガルダの身体は木々に何度も衝突し、その木々を抜け車道を越え、雪原に吹き飛ばされる。
身体を何度も打付けていながらも雪原上で身を切り返し、立ち直れば、既に黒斗はガルダの目の前まで急速接近し、拳を振り上げていた。
ガルダという男も止まらない。
瞬時に判断したと思えば、ガルダも拳を上げていた。
ドゴォォォォォッッ!!!!
二人の拳が互いの頬に激突する。
そして、爆発でも起きるかのように彼等の身体は背の方向へと吹き飛ばされた。
ズサズサズサズサァ!!
雪原で身体が滑り、そして止まる。
倒れ込みながらも互いに迫り上がった雪の上に座るようにして止まった彼等は、敵を見据えていた。
そして、互いに確信した。
((次で決める!))
ガルダは今まで使ってこなかった腰に差された刀を引き抜いた。
刀と言うにはトゲトゲしく、殺傷よりも傷つけることに特化したような鋭利に剥き出すそれは、まるで七支刀のような形状を成していた。
黒斗も奥の手を使う。
体中の皮膚が、バキバキバキィッと陶器が割れるようにヒビが走る。それは、今までよりも素早く、そして、今までに無いほどにヒビの隙間から黒い蒸気が噴き出した。
バシューーーッッ!!!!
機関車の蒸気のように巻き上がる黒い瘴気。それは、まるで幾つもの爆薬を一斉に爆破させたかのように、辺り一帯に広がる。
七支刀のような殺意の高い刀。その刀を一時振るえば、辺りに豪風が吹き荒れる。
彼等の脳内には、互いに互いを殺すだけの殺意と力しか、最早無いのかも知れない。
殺意の噴出。
殺意の形。
互いの獲物は、互いによって掌握している。
ならば、後は狩るのみ。
「「……、」」
沈黙の中、彼等は互いに駆け出す構えに入る。
この脚が走り出せば、勝敗は決まる。
そして。
ダンッッ!!
駆け出した。
初速さえも、爆音を放つ彼等の速さは、雪原一帯の雪を吹き飛ばした。
激突まで一秒もかからない。
残り数十メートル……そう、その時だった。
彼等の接触点となるだろう中心に、古都が立っていた。
(……ッ?!)
「邪魔だぁ!! どけぇ!!!!」
ガルダの怒声が古都にぶつかる。
対し黒斗は、見開いていた瞳孔がスッと元へ戻ると、身体の瘴気は一気に収束し始めた。
だが駆け出した彼等は止まらない。
古都も解っている。
だから。
突き刺すように伸ばされたガルダの七支刀を避け、そして彼の腕を掴む。
ギュルンッとガルダの身体をその勢いを利用し、宙へ上げ、そして……彼の身体を地面にたたき落とした。
黒斗も急ブレーキを掛けながら、衝突を避け、彼等を避けるようにして斜めに飛び退く。
「……一本背負いとはな」
「こうでもしないと、貴方たちの暴走は止まらないだろう?」
「……クッソッ!! 邪魔すんじゃねぇよ!!!」
「久しぶりだな。真逆、こんな形で……いや、貴様の場合はコレが上等だったか?」
場の空気の熱は一気に冷めていた。
黒斗は腰を上げて、ガルダは雪上に寝転がる。
そんな最中でも、古都は続けてガルダに吐き捨てた。
「真逆、昔馴染みがこうも再会するとはな――奇縁だな、
「……チッ! 興ざめだ」
「……、」
破式ガルダ。
黒斗、そして古都に継ぐ、もう一人の幼馴染みにして旧縁……だが、それでも、黒斗とガルダにはある因果のような、謂わば腐れ縁のようの物が有った。
「次は決着を付ける」
「言ってろ」
(コイツらは……いつもそうだな。顔を合わせれば、どんな状況でも、どんな事態でも、殺し合う。いや、以前までは違う……だが、時代がそうさせたのだな)
「……で、この惨状はどうするよ」
黒斗は奥の林木々を見据えて吐き捨てた。
森林の木々はあちこちがへし折られ、道路の一部も破壊されている。
「……、無視しよう」
「無視だな」
「そっか……」
古都とガルダは淡々と吐き捨てた。
だが、観られる前に此処を離れなければならないのは事実だ。
彼等は、車まで移動を開始した。
「……いや、何でお前も着いてくる」
「あ?! 寒いからに決まってんだろ!」
「あー……もう、話すのは後にしてくれ。暴れてたお前達と違ってこっちは観てただけなんだから」
「お? 今度はお前がやるか?」
「やらん」
彼等三人は、先程の激闘が嘘かのように、車に入り込むとエンジンを掛け、発進した。
「で、なんだ? 今度は何の悪いこと企んでるんだ?」
「貴様には関係ない」
「んっだよつまんねぇなぁ~……黒斗ォ、お前はどうだ?」
「さぁな。だが……お前の力は後々必要にはなるかもな……ムカつくが」
「何だと? こいつも連れて行く気か?」
「寧ろ放置しておくのも何だろう。それに、アイツの差し金かも知れないしな」
「……奴か」
「あ?」
「別に知らなくて良いよ」
「んだよ」
ガルダを余所に、黒斗と古都は大きな溜息を吐き捨てていた。
この男、凶暴につき、要注意。
五
「グガーッ! グゴゴーッ!!」
「スー……スー……」
「……、」
夜。
運転席にコクト、助手席で耳栓とアイマスクを使用して眠りこけている古都、後部座席を独占して鼾を吐きながら眠っているガルダ。
その呑気さは、戦闘後に運転を任されるという疲労感倍増の黒斗にとっては苛つきの種となっていた。
(うるせぇ!!)
*
四日目。
昼。
ロシア、チタ州。
山を背に栄えた街と、オゼロ・ケノンという湖を持つ州にして、極東近くにしてはかなり栄えた、更にモンゴルに近しい州だ。街並みは何処かインドのような特徴的な建築物や、遊園地などがあり、歴史的にもそこそこ有名な土地でもあった。
一〇月の日平均でも気温は零度を下回り、最低でもマイナス三三・一度。年間を通して最も寒いときはマイナス五〇に近づくとも言われている。だが、それでも夏場の最高気温は四三度に達するとも謂われ、温暖さがかなり激しい州でも在る。
「腹減った~」
ガルダが、開口一番に吐き捨てた。
チタの街をブラリと歩いていた三人。彼等は三日間に及ぶ非常食を尽かせたタイミングで、その街で料理を食そうと立ち寄っていたのだ。
「異色風ではあるが、それでも所々だけだな、後はマンションか見慣れた店……」
「現代文化が浸透している象徴だろう。この国とて外国のように異文化を重視する方針より、寒波の激しい土地の暮らし方に適応する方がマシだ」
「難しい話してねぇでさっさと飯に行こうぜ~」
「そうだな。……と言うよりは、ここまで到達したのであれば後は問題はあるまい。此処からウラジオストクまではかなり近い。その分発展した町も多く行き着くことになる。此れといった問題はもう無いだろうな」
「まあ良いけど。素直にそろそろ運転手変わってくれ。俺ももう眠い」
「免許持ってねーぞ、俺は」
「お前には期待してない」
「……ああ、私か」
「お前以外に誰がいるんだよ……」
適当な店を選ぶと、彼等三人は店内へと脚を進めた。
中は広い店内に幾つものテーブルと椅子が設置され、奥には竈が見える。どうやら此処はピザ屋らしく、黒斗達は席に着くと手渡されたメニューから食す物を選び出した。
(ま、ここまで来ると味覚とかの問題はこの際どうでも良いか。古都にも世話になったし、普通に周りに合わせるのが良いよな)
「……、」
「ガルダ……貴様そこまでメニューに拘る奴だったか?」
「あ? 読めねぇんだよ!!」
「……あー」
失念……とは違うが、それでも黒斗と古都は定着しすぎていて気が付かなかった。ロシア語をいとも簡単に話せる日本人など早々存在しない。だからこそ、自分たちの世界観で生きてきたからか、知人に対してまでもその懸念を無意識に押し付けていた。
「別に色で見分けられんだろ?」
「あー……、じゃあ、こっからここまで」
「どんだけ食う気だよ!」
「こっちはどっかしらの山ん中彷徨って此所まで来たんだぞ?」
「……違法入国かコイツ」
「解ってはいたが、そうだな。此奴はそういう奴だった」
頭を抱える黒斗。古都も項垂れるが、二人はふとあることが頭の中に過ぎった。
「……オイ、貴様。真逆とは思うが、金はあるのか?」
「ない」
「じゃあ、此処の支払いは?」
「任せる」
「「……、」」
頭を抱え出す二人。
今からこの男をつまみ出そうとすれば、この店で第二の紛争が起こるだろう。更に言えば協力を申し出た黒斗としてもガルダとの決裂は今だけは避けたい。
多くの思考が錯誤し、そして結論を導き出す。
古都と黒斗の中にあった選択肢が合致したのか、二人は座っていた席を立ち、テーブルの横に向かい合うように立ち並んだ。
そして……。
「解ってるな? 黒斗」
「解ってるさ、コレは意地だ」
片方の拳を強く握りしめる。
互いに片足を下げ構えを取ると、一瞬の間の後に、互いに放った。
「「漢気じゃんけんじゃんけんぽん!! あいこでしょ! あいこでしょ! あいこでしょ!!」」
……。
――悲しいじゃんけんの末、勝者は古都となった。
「あー、負けちゃったなぁ~」
黒斗の言葉に悲しさが微塵も感じられない。
古都はと言えば表面上は嬉しそうだがどことなく震えていた。
「古都、わりぃな! ゴチだわ!!」
「頑張れよ、古都」
「そりゃあなぁ……払いたくてなぁ……しょうがなかったからなぁ」
震えている。
滅茶苦茶震えている。
ガルダに至っては爆笑寸前だ。
「ああ、因みに古都。今のうち偽造パスを手配した方が良いかも知れないぞ」
「どういう事だ?」
「ガルダ」
「んぁ? 持ってるぞ?」
「は? 何で」
「いや、元々此処に来る前に、彼奴に渡されてたんだ」
「……、」
「本当の話なのだろうな?」
「ああ」
再び、古都と黒斗は頭を悩ませ席で伸びる。
そして、その先行きの不安の中で、黒斗は吐き出した。
「とりあえず、食べよう」
なんとも言い難い妥協案と共に、多くの注文が(主にガルダから)発せられた。
幾枚も来るピザの応酬に、ガルダの胃は留まることを知らなかった。
黒斗も適当に腹八分目まで入れ込む。
その最中、黒斗はふと頭の中である懸念を浮かべていた。
(真逆、奴もアメリカに?)
*
ウラジオストク国際空港。
「着いたぁ~」
「昨日にはな」
「黒斗、そこは共感してくれ」
「俺は食えた」
「聞いてないからな」
空港ロビーにて、黒斗達は自分たちの乗る便のチケット等を確認していた。
「で、古都。守備は?」
「私の企業の見立てだと、どうやら我々への疑いの目は全くないらしい。どうやら盗んだ事実さえ表立って出ていない上に、裏向きの捜査もなかった。その本自体どうやら一昔前のある教授が厳重保管を要請したようだが、その本の価値自体解らなかったのだろうな」
「まあ、当たり前だろうな」
「んで、なんで俺の武器まで回収なんだよ」
「当たり前だ。お前の武器は公の運搬路では必ず引っかかる。私の企業の運搬船に隠し入れていた方が未だ安心感はあるだろう」
「っちぇ~。つか、そうなると俺達の方が荷物より早く着くじゃねーか」
「ま、到着翌日くらいだろうな」
「暴れてぇー」
「やめてくれ」
話していると、不意にアナウンスが入る。
何ヶ国語かが入り交じるその言葉は、どうやら彼等が乗る便の出発前のアナウンスらしい。
「……さて、それじゃ、行くか」
「全く、今回の仕事は割に合わんな」
「ま、そっちでやることが楽しみだから、俺は良いけどな」
冷静なのか、理知的なのか、それとも呑気なのか。
彼等三人は。飛行機の搭乗口へと歩んでいった・
*
暗闇の中、誰かが椅子に腰掛けていた。
目の前の壇上にはチェス盤が敷かれ、だが、駒達は雑多に倒されている。
五つの倒れたビジョップ、ナイト、ルーク……そして、二色のクイーン。一つだけ立つ、黒と白が入り交じるキング。
そして、その周りに、束となって倒れ囲む、ポーンの束。白黒、その全てが入り交じり、それが何を意味しているのかは解らない。
だが、席に座った男は、口元をニヤッと口角を上げて、その盤上を見つめていた。
彼の指は、真っ直ぐと、盤上に一つだけ立つキングを倒す。
カタンッと倒れたキングは、ヒビが入っていたのか、パキンッと砕けてしまった。
其れを見ても尚、誰かは口角を下げない。
そして、そのニヤついた顔から、その口元から、吐き捨てられた。
「――完成する……泥だらけの
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