第二〇節
嘗ての事件から、何が過ぎ去っただろうか?
コクトは突然の失踪から五日後に勤務に戻り始めた。
突然の失踪に無論社員は驚いたが、コクトが戻ってきたことで落着とし、表向きの成果上犠牲が無かった為に、お咎め無く落ち着いた。
コクトは公に何をしていたかは話さなかったが、過大評価の
コクトは特に断言すること無く、いつも通りの彼のまま業務に専念することとなる。
真実を知っていたギンギツネは、他言することは無かった。だが、研究所に来てもコクトに出逢うことはせず、彼女なりの気遣いで距離を置いていた。気遣いとしてもう一つ有るとすれば、ギンギツネは再フレンズ化したキタキツネと接触したらしい。
記憶が無くなっており、性格も若干変動しているキタキツネは、今後ギンギツネがある程度の面倒を見ることとなった。
――コクトはその後、キタキツネと会うことは無かった。
セルリアンの突然の猛攻に、ジャパリパークもセルリアンの存在を隠しきる事ができなくなった。その日を境にジャパリパークはセルリアンの存在を世間に表明。だが、その情報は「フレンズに害成す者」と言うことと、「今回の戦勝に置ける対策」を表立たせて開示し、人に脅威は無いことを説明させた。世間の目線はその出来の良い上辺の情報に躍らされ、他人任せと無知の集合である脅威への無関心は、時間と共に過ぎ去り、ジャパリパークはまた人々の遊園場所としての型を取り戻していた。
そして日取りは、一ヶ月近く過ぎた。
一二月下旬。
そう、この日は日本本島で行われる、ジャパリパーク入社試験の日でもあった。
*
人事課設立の甲斐あって、試験などの取り決めは細部まで改善された。
試験は三段階の形式で行われる。
一つ目は、筆記試験。この試験は至極極端で、謂わば知識チェックと名付けた。この試験は一一月下旬に二日間で行われ、その二日間で適用する知識の持ち主かどうか測るという具合だ。
二つ目は、集団面接試験。此方も同じ事だが、謂わば人柄や言葉遣い。詰まる所人としての完成度を問われる。この試験は筆記試験の同日に行われ、二日間の内前日と後日の二分割されて各役職事にチェックされる。
この二つの試験で、どちらも規定ラインに届いて、初めて次の二次試験へと上がることが可能とされる。つまり一次の時点で落ちる志望者も相当多く、今回に置いてはかなり倍率が高い。
無論、その知識と人間性チェックは各役職の担当者がチェックするので、謂わば自分たちの職場に見合うかもそこで判断される。
此処までが第一次試験の概要だ。
だが、此所まで来て安心だと思う者がいるとすれば、それは間違いだろう。
二次試験では、第二面接として全ての第一次通過者が面接する。これは、各役職全員が対象となり、個人面接で行われる。
一次通過者でも、比率こそ少ないが数で考えるとかなり多い。その多い人数を一人一人面接するのは何故か。
最後の砦が、面接官だからである。
そう、それは、黒斗だ。
彼が最後の砦と言われるのは、研究員達が皆でそう名称付けたからなのだが、それは無論ただのお遊びでは無い。前回同様、黒斗はそこで試験者の心理を測る。
研究所や事務所における人間が、邪な考えを持つことを禁ずると、聖堂的な人身を押しつけるつもりは無い。だが、そこにもし下心やフレンズに対して実害が出かねない人材を見つけた際、その者は事実上の不合格者となる。
無論、人心相手に黒斗を上回れればの話だが、彼も多くの人間をより多くの現場で見てきており、欺し合いで負けは無い。嫌な話だが、彼の欺くスキルが此処で功を成すとは思わなかっただろうが、必要なことに変わりは無い。
悪しい力でも、使わねば損をするのだ。
……逆に言えば、心理性が確立されていれば、大体受かる。
「……はぁ」
「お疲れ様です、黒斗さん」
試験会場で、面接官達は真ん中に座す黒斗の溜息に声を掛ける。
「まったく、人が多すぎると言ったらありゃしない。まあ、良い人材ばかりだから良いがな」
「かなりぶっ込んだ質問多いですけどね、コクトさんの言葉に内心驚いてる人たちばかりでしたよ「人類史における神話的存在の見解を答えよ」とか、なんか、別ベクトルに凄いし、泣きそうな人もいましたね」
「こう言う話は殆どの手合いは知らない。謂わば知らない話をぶつけた時、相手が誤魔化すか素直に言うかが勝負だ。別段誤魔化すことは悪いことじゃないが、社会人が本当のことを言わず嘘をついたら、それはもう社会で生きていけるかも心配になるがな」
「……って言う割には、ちゃんと答えられた人も一応は合格枠には入れてるんですね」
「この人らの殆どは本当に知ってる人らだよ。カコの研究発表でここまで別学に手を伸ばす人間が多くなったのは初めてだ。咄嗟で難題を出してしまったことを後悔してるよ」
「フェルマー予想とか混乱するの眼に見えてやってるでしょ黒斗さん。と言うか何でそんな難問ポンポン出せるんですか」
「ま、そこそこ勉強はしてるからな」
(博士でそこそこ?)
互いに話を進めていると、コンコンッと音が鳴る。
どうやら次の面接試験者が来たようで、彼等は席に深く座り戻す。
黒斗は周りを確認した後に「どうぞ」と呼びかけた。
「失礼します!」
中に入ってきたのは新卒だろうか、若々しい女性で、髪は薄緑から、毛先に掛けて濃い緑となっている。眼鏡をしている奥の瞳は青く、だがどうやら何処か緊張しているようだった。
(地毛届は出てる。見た目も申し分ない。……ガイド部要望か)
「えっと、お名前をお願いします」
「はい、ジャパリパークガイド部を推薦致しました、ミライと言います。よろしくお願いします!!」
「はい、座ってどうぞ」
「失礼します」
(何処か肩の力が抜けきってないなぁ……)
どことなく、カチカチッと動きがぎこちない。
黒斗は自分までその緊張感が映りそうな中、取り敢えずと何か質問してみることにした。
「では、まずジャパリパークに入社したい、ガイドになりたいと思った切掛は何ですか?」
「む、昔から動物が大大大好きで、動物図鑑を端から端まで毎日眺めていました! それが切掛でなのと、ジャパリパークと言う場所で色んなフレンズさんとお話ししてみたいとも思い、触れ合いたいと思ってます!!」
言葉がどことなくギクシャクしてはいるが、少し力は抜けたように思える。黒斗は動物関連の話だと気兼ねなく話せそうだと考え、切り出してみることにした。
「そうですか、動物がお好きなんですね。因みに、動物が好きになった理由とは、何でしょうか?」
気軽に答えてくれればそれで良い。
この時最初はそう想っていた。
この質問は、思い掛けない方向へと舵を切り、穏やかな航海が嵐舞う大海原へと投げ出された。
「はい!! 動物が好きになったのは、そりゃあもう動物が可愛かったからです。最初は犬や猫の特徴や尻尾耳までも可愛らしく思えて、それが切掛で動物園に行ってみると、今まで見たことも無い動物達と出会えました。ゾウは鼻が大きくてその鼻を使って果物や野菜を掴んで口へ持って行くのですが、鼻で掴むと言うよりは鼻で吸引させる物もいるんです!! さらにライオンはあのタテガミがキリッと際立つ姿が格好良くて、あんな格好いいのに一日二〇時間も睡眠するなんてもうとても可愛いんです!! 虎だって負けて無くて、ホワイトタイガーなんかはあの白さが溜まりません!! 白い艶やかな毛並みに黒いラインの入ったあの姿!! ゼブラ柄とも呼ばれてて……あっゼブラ柄って言うのはシマウマの模様のことを意味してまして、シマウマだって馬とは違ってこれもまた可愛くて――ッッ」
面接試験とは何だったのだろうか。
面接官の数名は唖然とその姿に翻弄され、黒斗に至っては和やかな笑顔を浮かべているが内心はその驚きでいっぱいだった。
(こ、この娘は凄いな……話が終わるかも解らない。い、いつまで続くんだ? いや、正直ここまで動物に熱意があるのは良いことだし、正直人間性にしてもクリアだ……なんか、興奮したカコにどことなく似てるような……でも、此処まで表立って言えるタイプは初めてだ……いや、本当にいつ終わるんだ? このマシンガンは……)
「――と言うことでつまりビーバーの生態は」
「す、すみません、ミライさん? えっと……取り敢えずそこまでで、ね?」
一人の面接官が止めに入る。
すると、先程までの自分を思い出してか急に顔面を真っ赤に燃やすと、小さな声で「すみません……」と意気消沈してしまう。
その姿を見て、黒斗は彼女の熱弁の後の彼女にこう語った。
「そこまで熱弁されるのです。さぞ動物が好きなんですね。我々も多くの研究を重ねてきましたが、ガイド部に専攻してそこまで知っている方は早々我々のジャパリパークには居ません。余りそこまで気を落とさず、もっと誇っても良いですよ。面接時間は少ないですが、またお時間がありましたら拝聴させて下さい」
「!?」
消沈したミライの目にまた火が再発火した。
「本当ですか!! 是非!!」
「はい、面接時間も押してしまったので、此処までとさせて頂きます」
「え、あっ……はい、ありがとうございました」
熱弁によって削られた質問時間。ミライは結果的に落ちてしまったのでは無いかと思い込み、再び意気消沈して部屋を後にした。
「……凄い方でしたね、所長」
「流石の私も驚いたな……いや、正直此処まで純粋に向き合ってるタイプは初めてだ」
「彼女の履歴書は、どちらのファイルに入れますか? 合格か、不合格か……?」
目の前には合格者と不合格者の専用ファイルが置かれている。詰まる所、そのどちらかに入れる事になるミライという人物の履歴書。それは詰まりその合否が此処で決まるも同然だった。
「確かに活気は良かった。動物に対してのあの姿勢は、目に映る物が有る。だが、あのぎこちの無さは人前、つまりガイドに為るかは悩ましい所だ。好きな物に一直線なのは良いが、
「……では、どちらに?」
「そうだな、じゃあ――」
黒斗は熟考した結果、彼の中で判決を下す。あらゆる場面を想定し、どのような行動が発生するか、その手順を組み込み考え、更には全ての可能性を飲み込んだ結果。
黒斗はその合否を決めるファイルに手を伸ばし、そして、決定した。
*
大晦日。
祝日の営業はジャパリパークという遊園組織でも当たり前に稼働していた。むしろ、ジャパリパークの休業日は平日の方が多い。イベントを挟み込む日程となると、前日や後日の休業が多く、寧ろイベント当日はイベントに沿った何かをすることが多い。
新しい一年が明日に控えているこの日は、ジャパリパーク内も営業と並行して大忙しだった。
それはコクトも例外では無く、ただ彼の場合は契約更新など成すべき事の主目的が何処かずれていたりもする。それこそ所長としての仕事であるには変わりないのだが、その分大晦日は事務所を開けて取引先に顔を出すことが多い。
そして、それは外交を主目的としたコトの組織も例外では無かった。
「うん、以前のランプの代金の徴収、契約の更新。以上だ、今年もお疲れ様だな」
「ま、確かに色々有った。だが、今まで良くやってこれたよ」
「その中に私達の努力も有ることを忘れぬように」
「解ってるさ」
年の終り。
その瞬間前に旧い友人と話せるのは中々に嬉しい物でもあったりする。コクトにとってもコトは今も尚続く一人の幼馴染みとして顕在しており、彼の援助は見えぬ所で矢張り冴え渡っている。
「さて、更新も完了したし、我々は忘年会の準備に移らせて貰う」
「何でそっちの事情をコッチに態々言うんだ」
「なあに、気まぐれさ」
「ハイハイそうですか」
冗談を言い合えるのは、ある意味信頼の証なのだろう。コクトもコトも会話の中に嫌な顔を為る瞬間は一度も無かった。
「だが、変わった物だな」
コトは、話を切り替える。
それは、その今までの人生を振り返り、そして……。
「嘗てのお前では想像もつかない人生だ」
本心を語った。
否、それはコクトも同意見には他ならない。
何故なら、彼程コクトという人間の本当の姿を知っている者は他に居ないのだから。
それは、彼の真実を知っていること。
「どうしてそう想うんだよ」
「想うさ、何故なら」
今日この日、ジャパリパークは新年度を迎える前のその日。
その島に、一つの真実が語られた。
誰にも聞かれない場所で、誰にも見えないその場所で。
そう、世界の死角と言うべきその場所で。
「嘗て、我々は途方もない悪意を世界に観た。その結果我々は今はもう別々の道を歩み始め、世界は我々に子供で居させる権利を奪った。それでも尚、君は己が信念を突き進んでいる。多くの屈辱や苦悩を抱えても、進み続けている。だが、それでも、矢張り想うよ。なぁ?」
そうだ、コクトもそう想う。
それを、忘れてはいけないと。
そして、己が野望は未だ潰えていないという、再確認を。
「――最も醜悪なテロリストよ」
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