第六節

 研究員の導入から早半年。

 新人だった彼等は、今や立派なジャパリパーク研究所の一員として日々仕事を行っている。


 その結果、現場や研究室を任せられるようになったことで、初代研究員の数名は手を空けられるようになった。



 事務所内で黙々と作業を進めるコクト。

 だが、其処は彼一人の居場所では無くなっていた。


 他の研究員達の指導を必要としなくなった何名かは、時たま此方に顔を出すことが多くなった。

 その一人として、偶にミタニがコクトの事務作業に手を貸すことが多くなっていた。

「コクト、此方の予算の件だが……」

「ああ、そちらの建設はまたコトにお願いはしますが、そうですね……一五〇〇が良いところでしょう」

「解った」

 静かだった事務所内は、彼等の掛け合いが時々良く響く。

 事務所に足を運んできた者立ちは、その声だけであの二人がいると解ってしまうほどには習慣付いていた。


 更に、カイロが離島の方から戻ってくると、偶に事務所に顔を出してくる。

「おーっす! 食い物持ってきたぜ~」

「食い物って……お前、偶に輸入品リストに変な食べ物入れるの止めてくれ。ジンギスカンキャラメルとか昔懐かしのネタじゃねーか」

「いや~。あの時はフレンズの反応が面白かったわ」

「もうアレヤダ」


 案外和み要素としては申し分ないのだろう。

 ただし、変な物を持ってくる癖は止めて欲しいものだ(ゴーヤを未加工で輸入させるのも辞めて欲しい……)。


 そして、謎のベクトルから此方に来る者も居たり……。

「コクトサーン!!」

「あれ? セシル今日非番じゃ……」

「そうですけど!! 見て下さいこのアニメ!! Heart-warmingかと思ったらMelancholyするんですヨ!! 何で日本のアニメはすぐDeadするんデスカ!!」

「いや知らないし、アニメ見てないし。そもそもお前そのためにその姿できたのか」

 Tシャツジャージの何という部屋着スタイル。

 職場に私用で来るというのもアレなのだが、この外国人は何所か……ネジが数本抜けているような気がしてならなかった。

「そんなことよりこのアニメデス!!」

「そこアニメーションとは言わないんだな……」

「知ったことか! デス!!」

 セシルは一度ハマると、沼と言うより穴に落ちるが如く浸り込む。

 こうなると、収まるまで待つしか無い。


 そして、一番厄介なのが。

「遊びに来たわよ~」

「きたわよ~」

「わよ~」

「よ~」

 レイコが事務所内に入ってくる。

 彼女の後ろにはお供のようにサーバル、カラカル、スナネコの三匹がひょっこりと顔を出していた。

「おー、また来たかー」


 いつも通りの風景など無いのかも知れない。

 常に日は遡り、状況は変化し、新たな発見を生む。

 当たり前の世界に、当たり前と名乗られた新たな出会いが生まれる。


 最初の五人と、更に輪に入る三匹。

 空っぽの城に、少しずつ募っていき、他愛も無い話を為て一日を終えた。



 そんな日常が続く、とある日。

「んー……」

 コクトは事務所を離れ、診療所のスタッフルームの中で一人カルテを覗いていた。


 忘れがちだろうが、彼もドクターの一人である。

 若年齢にしてドクターになると言う事自体については、外国などでは事例が無い訳では無い。無論、技術を学んだところで経験が無ければドクターになれる訳も無い。まして未成年の医師など受ける側も何かと不信を抱く事など多くある。

 コクトはどちらかと言えば技術では無く経験から学んだような人間ではあったが、本島で医者をやっていた時期もかなり周りの風当たりは強かった。

 そう思えば、ある意味ジャパリパークでの医師生活は天職だったのかも知れない。


 無論、作ったカルテが思いのほか突飛した内容だったが……。

(薬物とは違って生物的に持つ毒をカルテに書く事になるとは……、獣医時代は早々思う事は無かったが、フレンズ化して人と同じようなカルテになると、中々こう……かなり凄いカルテだな)


 獣医としてのカルテを人として書く。

 最早常人が聞けばまず第一に首をかしげたくなる。


「だが、試しに身体検査を行ったのは正解だったな。新天地での新発見は、時に課題として重しになるのも事実だ」

 今後この経験を生かし積み重ねていく事は重要になる。

 次の増員には医師の増員も考えなくてはならない。


 現在建っているこの施設さえ、個人経営の診療所の大きさ程度。フレンズの数も考慮し、また新たに大型病院の建設や医師の増員導入も課題としてのし掛かってきた。


「……アレ? そうなると俺まで研修に狩り出されるのか。事務も増やして、医師も増やして、研究員も……んー……」

「失礼するぞ」

 椅子の上で悩んでいるコクトに来客が扉を開けてスタッフルームに入ってきた。

 椅子を回し扉を見ると、其処にはミタニがカイロを連れて来ていた。

「よーっす。おー、初めて見るけど中こんな事になってんのね~」

「病院のスタッフルームなんて入る事早々無いだろうしな」

「何か用か?」

「あーそうそう。ハイこれ、今回の予算資料と研究進捗ねー」

「ああ、態々悪いな」

「……、」

「どうした?」

「いやぁ~。そう言えばコクトちゃんドクターなんだよねーって」

「忘れがちだけどな」

 軽く談笑しながら資料を手渡すカイロ。

 コクトは資料を受け取り、中をパラパラッと覗き見る。


「コクト」

「何ですミタニさん?」

「お主、何故医者になったのだ?」

「ん、あー……」

「あ、それ俺も気になるかも」

「って言ってもなぁ……ある意味興味を持ったからってしか言いようが無い」

「医者って興味持ってやるもんなの?」

 カイロは対面にあるオフィスチェアに反対向きに座り、背もたれに腕を乗せ寄りかかる体勢のまま此方の話を聞き始める。ミタニも興味があったのか、近くのソファーに腰掛けていた。

「まあ違うっちゃ違うだろうけどな。強いて言うなら、先生かな」

「センセー? 医者の?」

「いや、まぁ……違わなくは無いけどそうじゃないな……」

「話しづらい事じゃったか?」

「……いや、話すよ。ちょっと待ってろ」

 コクトはそう告げると、スタッフルームの横にあるコーヒーメーカーへ歩み寄り、コップを取り出す。そしてそのままコーヒーメーカーのスイッチを入れ、湯が沸くのを待った。


「切掛は……、いや、そもそも生まれてすぐの話だったかな。俺は戦争孤児……いや内戦孤児と言う方が適切かもな」


 彼は、切り出した。

 己が過去の、残痕を……。


「一応は日本人だったけど、俺が生まれてすぐ居たのは外国のある村だった。生まれてすぐの記憶は無いし、親が居たかも解らない。居たとすれば、多分もう居ないのだろうけどな。内戦はかなり激化していて、覚えてるだけでも、最初に見たのは火の海だったよ」


 街が、村が、全てが真っ赤だった。

 火と、火と、火。

 全面全てに火が広がり、唯一の灰色がかった物は、地に落ちた瓦礫の山だった。

「まさに地獄絵図。そんな中で僕は、逃げるようにして森に走ったよ。あの頃は本当に何も知らなかった。知る機会も、知る瞬間も、何も無かった。そうやって僕は森の中で生きてきた。動物と同じ、謂わば古代人のような野性的な生き方をしてね」


 知る機会など一瞬も無かった。

 学校を知らない。

 家族を知らない。

 友達を知らない。


 否、それ以前に。

 自分以外の人も、自分以外の生物も、そもそも人が同じ類かと言うことも知らなかった。


「そんな生き方をしていた時に現れたのが、先生だったよ」


 コクトは、今でも思う。

 あれが、コクトの分岐点。

 全ての変わった瞬間だったと。


「先生は、俺を見つけて、俺を救ってくれた。その後はまあ、その人に連れられて、日本に渡ったんだけどね」


 話の終わりと同時に、入れ終わったコーヒーを彼等に配る。

 彼としては、片手間に終わらせられる程度の話だと思ったのだろうか。

 それとも、また別の思惑があったのだろうか。

 こんな事を片手間に話す彼の精神もどうかしてると、彼等は多少思った。


「で、まあ此処からかな。私が医者になった理由としては」


 片手にコーヒーを持ち、壁にもたれ掛かりながら話を続けた。


「衰弱してくれた私を介抱してくれたのが先生だったよ。そのまま私はあの人と共に過ごす事になって、色んな事を教えて貰った。命の儚さや、人間の道徳。いや、正直何から何まで教わったってのが本当の話なんだけどね。でも、あの頃が一番楽しかった」


 何も知らなかった少年が、その日多くをため込んだ。

 その知識の量は、今の彼を肯定するとすれば人並みならぬ量の知識をその頃から内包し始めたのだろう。


「医師を志そうとした切掛では無いんだけど、ある意味、揺さぶる理由になったんだ」

「ん? 切掛じゃ無いの?」

「ああ、まあ……近いところそうなんだけど、別にあの頃は医者になって世界を救うなんて大望無かったし、子供っぽい考えはあの頃からもう無かったかもな。……いや、子供より幼稚な考えはあったな」

「……?」

「いや、話を戻すか。切掛はもう少し先さ。俺が医者になったのは、ここに来る数年前。その時だった。その時、私はある一人の少女を見つけたんだ」

「少女?」

「ああ、海外の内戦……とはちょっと違うが、その時見つけた一人の少女。その子を救いたかった一心だったな。その一心で私は持ってる知識を使ってガムシャラに彼女を救い上げようとしたよ。ちょっと傲慢かも知れないが、自分で治してあげたかったんだ」

(あんな事言われたらな……)


 ふと、カイロは眉をひそめた。

「なあ、もしかしてその少女って、コクトちゃんが前に言ってた……」

「そう、もう一人、僕に義妹が居るって言ったよな。彼女だよ。銀蓮櫻。彼女がその子だ」

 本島の病院。

 弱った体で、今も病室に居るので在ろう彼女。

 その少女が、彼を医者にする切掛だった。

「成る程ね~。で、すぐに医師免許をとりに行ったと」

「だが、そうなるとその年齢で医者というのは……」

「ああ、だから俺は、海外に行って取ってきた。まあ、医師免許は早々取れるものでは無いけど、博士の取り方を考えたら、そういう取り方もあるって知ってるだろ?」

「あー、成る程ね。納得したわ」

「そうなるとコクト、貴様が免許を取ったのは真逆……」

「そう、取りたいって思って……直ぐって程じゃ無いが、ある意味直ぐだったな」

 若年齢の医者の真相。

 それは、同じ境遇をした子を守りたいという思いからでは無く、彼の守りたい物を守りたいが為だった。


 そしてそれは、今も続いていた。

「でも、そうなると何でコクトちゃんジャパリパークに来たのさ」

「……彼女が要因だ」

「妹さんが、か……」

「ああ。櫻は今、正直病状が良くも悪くも変化しない状態になっていてな。謂わば膠着状態さ。だから、精神的に彼女を治す切掛が無いとダメな状態になっている」

「……え、コクトちゃんって真逆そのために!?」

「ああ、そう言う事」

 精神的な面での治療は、医学においてもかなり重要視される世界だ。

 患者が生きたいと願えば、それに呼応するかのように体の働きが活発になる事も多い。

 彼が今したがっているのは、ジャパリパークで彼女を治す。

 私欲混じりでも、恐れは何れ世界を治す特効薬にもなると信じて、彼なりの信念で動いてきていた。


 ただ、本当にそれだけの為にここに来るのだろうか……?


「へー……いや、意外」

「そうか?」

「いや~、なんて言うか、ちょっと堅物感があったけどさ~最初は。でも、意外とお兄ちゃんしてるんだな~って」

「あー……まあな」

「だが、コクト。良いのか? そんな大事な妹から離れて生活していて」

 ミタニが問う。

 彼の言う事も最もだ。

 話を聞くだけでも、家族であるコクトが近くにいるべきでは無いのか? と。


 ただ、コクトなりにも、想いが無い訳では無かった。


「まあ、そうだな。ただ……、此処が最後の希望だったんだ」

「最後の……希望?」

「……、」

 顔を伏せ、マグカップの中でオドルコーヒーに目線を移す。


 兄としての葛藤。

 医者としての思惑。

 所長としての重責。


 重荷は多く、背負った物の大きさは測りかねる。

 だが、この全てを成し遂げた瞬間、その瞬間で無ければ、彼女は救われない。


「……済まない。この先はまだ言えない」


 彼が初めて言葉に詰まった。

 ミタニとコクトも、その思いが解らない訳では無い。

 コクトは感情的ながらも、医者や科学者としての理性を元に動いていると言う事は理解している。

 ……いや、少なくとも悟っていたのだ、彼等も。


 今のコクトは、本当の意味で切迫していると。

 此所に居るコクトが余裕な表情でフレンズや研究員と接していても、本当は急いでいる。待っていられない。


 あらゆる方法を模索し、あらゆる手を尽くしてきたのだろう。


 もう、彼にとっては、喉元を絞められている気分なのだ。


 その証明に、今の彼の顔は、彼等に見せた顔は、初めて人間らしい、

 ……苦悶と、挫折と、恐怖を混ぜ込んだような、身を切るような切実な苦しみを抑えた、ハリボテと言うには脆い作り笑顔だった。


「……ッ。済まないな。所長らしくない」

「……、」


 カイロは、席を立つ。

 そして。


 ドガァッ!

 コクトの腰に、思い切り体勢を作った蹴りが炸裂した。

「あだァッッ!! ……って、何するんだよ! コーヒー零れるところだったわ!!」

「いや、辛気くせーなーって思って」

「いやいやいや、ここまでするか普通!?」

「するんじゃね?」

「しないから!! する事無いから!!」

「まーなんだ、コクト。要は、サッサとジャパリパーク作って妹さんに見せてやりてーんだろ?」

「ま、まぁ……そうだけどよ」

「じゃあ作ろ」

「……はい?」

「だろ~? ミタニさん」

 振られたミタニも、ニヤッと、出さないような表情を見せる。

「じゃな。直ぐにでも作って、妹さんを笑わせてやって治すのだろ?」

「お前ら……」

「だからシャキッとしろよ所長。アンタが辛気くせー面してたら誰も一緒に歩いてくれねーぜ!」

「ああ、じゃから、いつも通り、前を向け。その不適で優しい笑顔で、我らの前を歩いてくれ。我らが所長よ」

「お前ら……」


 悩んだ自分を、彼等は受け入れてくれた。

 彼が一人として考えていた思惑を、彼等は先に進めと鼓舞してくれた。

 今の彼にとって、その言葉がどれ程嬉しかったのか、どれ程の励みとなったのか。

 最早それは、言うまでもない。


「――ああ、ありがとう」


 今、再び思う。

 彼は人生で、唯一無二の友に出会えたのだな、と。

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