同人誌書き下ろし短編作品「世界の終わりとレールガン」
2021.12.31発行「いきなりレールガン女子高生+Animal」掲載
約16000字
### 1
都市がある。丘陵と山脈の合間、河川を中央に据えて、開けた平野部に形成された都市。葉脈のように並んだ道路には漏れなく街路樹が植えられているが、手入れは一切されておらずつる草に巻かれていた。人の住まう土地と手付かずの森が混在しているような光景。道端には乗り手のいない自動車が放棄されている。
道幅の大きな道路を上流へと遡るように辿っていくと、都市の中央に到着する。都市中央部には東西を分断するように駅、併合して巨大な商業施設。食事処や書店、遊技場など組み込まれた店舗は数も種類も豊富であり、各店の規模も大きい。大変な賑わいを見せていたことが窺える。
駅前広場には高架歩道が架かっている。歩道は複雑に折れ曲がりながら四方のビルを繋いでおり、途中、地上に降りるためのエスカレーターも設置されている。電気は通っているようだが、全体に塵が積もっていた。乗降検知のセンサーが正常に動作している以上、それが意味するのは長期的な使用者の不在である。
駅の改札も同様で、自動改札機の扉が開いた痕跡は見当たらない。歩廊の電光板は電車の時刻を表示している。いずれの路線も遅延はない、通常通りの運行を予定していると構内のスピーカーから無機質なアナウンスが流れた。
駅の設備に不足はなく、都市の動作に不備はなく―唯一。
人がいない。
本来ならば人波でごった返していたはずの駅構内には、人間が存在していなかった。
ただし、誰もいない訳ではない。駅のホームで合成音声のアナウンスを聞く者がいた。埃を被ったスピーカーの下で女が柱に寄りかかって休んでいる。女は、
桔梗の傍には、彼女の背中と同じ大きさのリュックサックが置いてある。ずいぶん汚れてはいるものの、かなり頑丈な作りをしているようで、壊れやほつれは一切見当たらなかった。
桔梗は休憩に区切りをつけ、立ち上がって身体の筋を伸ばす。
リュックサックからペットボトルを取り出して、水を飲んだ。二割も残っていなかった中身が空になる。空っぽのペットボトルを近くのゴミ箱に突っ込み、流れるような動作で隣の自動販売機に蹴りを入れた。外扉が吹き飛び、飲料品がごろごろと転がり出る。水と茶をメインに、変わった味の製品も何個かピックアップ。慣れた手付きでリュックサックに詰めた後、軽く揺らして背負い直す。
そうして桔梗は制服のポケットから方位磁石を取り出し、方角を確かめる。線路の伸びている先と駅前とを見比べてから、駅の改札方面へ向かった。無人の階段を下り、人のいない改札を飛び越え、駅前広場に出る。
彼女の目の前に広がる街並み――高層マンション、オフィスビル、少し離れて住宅街や商店街。遠くは山麓と、上空に溶け込む頂まで――そのすべてから生者の温かみは失せている。
都市に人間の息遣いはなく、自然に生物の息吹はなく。
世界には冷めた空気が満ちている。
これまで訪れたどんな場所でも、視界の印象は変わらなかった。最後の地であろうこの都市でも、やはりこれといった違いはない。すでに彼女にとって馴染みの景色となったものが同じく目に映るだけ。
馴染みの景色。
押鐘桔梗が生きている現在。
それは、あらゆる生命の痕跡が消失した世界。
すなわち、終末の風景である。
### 2
押鐘桔梗は旅をしている。
旅に出たきっかけは二つ。一つは、突如として記憶を取り戻したことだ。
登校途中。その日も校庭から響いてくる咆哮に日常を感じつつ、桔梗は慣れた通学路を歩いていく。
神代高校は全寮制の学校である。桔梗のように女子高生―女子型高等生命体へと変じた者たちは、基本的には全員が神代寮に寄宿することとなる。女子高生とはそういうものと決まっている。同じような時間帯に同じ通学路を通い、揃って神代高校に向かう。一般常識と基礎学問を修めながらも高等生命体らしい獣性を発揮し、異常事態を引き起こす。女子高生という集団の一員となって、女子高生としての三年間を過ごす。
桔梗はその一年目。
冬風が冷たさを増す十一月のことだった。
一切の前触れなく、激しい頭痛が桔梗を襲った。今までの生で味わったことのない強烈な痛み。このままだと倒れる、直感した彼女は急いでその場にうずくまった。両手で頭を押さえつける。
体感で二十秒ほど経った頃、急速に痛みが引いていった。桔梗は立ち上がり、手を二、三度握り直す。一瞬とはいえ倒れそうなほどの痛みがあったというのに、不調は完全に消えていた。
良かった、で済ますには異常が過ぎる。頭痛の原因となりうる要素があっただろうかと記憶を探り、情報を整理しているうちに彼女は気が付いた。
思い出せる情報が増えていたのである。
具体的には女子高生になる前、生まれてから十五年間の記憶。家族、あるいは友との、楽しかったり辛かったり悲しかったりする思い出の数々。今まで自分がどこで生まれ、どこでどのように育ってきたかという経歴。
通常何の抵抗もなく引き出せて然るべきそれらが、今まで思い出せない状況であったという事実を、桔梗はここで初めて認識した。
要するに、彼女は記憶喪失でありながら、記憶喪失だという自覚がこれっぽっちもなかったのだ。
周囲の女子高生たちに確認してみると、皆、桔梗が体験したこととまったく同じ内容を口にした。記憶を失くしていたことに無自覚だった、どうして自分の過去を忘れていたのか分からない、と。
症状は、女子高生に共通して発生していたようだった。
ともあれ、記憶の戻った女子高生たちにとって、帰巣本能が指し示す先は高校の寮ではなく生まれ育った自宅である。
女子高生は下校を始めた。桔梗の属する一年生だけではない。二年、三年と寮暮らしをしてきた女子高生たちも、本来の居場所を思い出したとばかりに下校していく。全女子高生たちが一斉に、放課後のチャイムを待たず、各々の家に帰り始めた。
桔梗も他の生徒と同様、記憶を頼りに自宅へと帰っていった。
家族はいなかった。これがきっかけの二つ目。
女子高生になる前――まだ一年も経っていない――は自分と父と母で三人暮らしをしていた。兄弟姉妹はいない。両親はどちらも同級生の親と比べて高齢ではあったが、煙草も酒もやらず、健康そのものといった具合で暮らしていた。女子寮に入ってからの期間で劇的に生活が変わっているとも考えづらく、どうせ夫婦水入らず穏やかに過ごしているだろうと想像していた。
桔梗が自宅にたどり着いたとき、父親も母親も不在だった。女子高生になる前の生活が続いているとすれば、仕事からは帰っている時間だったから、別件で外出しているのかと思った。買い物か、外食か。もしくは趣味の散歩かもしれない。加齢に伴い、両親が外に出る機会は少なくなっていたが、まったく出掛けないというほどではなかった。外出自体にそう違和感はない。待っていればそのうち戻ってくるだろう。
しかし。
冷静な自分が、その考えを即座に否定した。
家に着くまでの四日間。自動運転の電車やバスを乗り継ぎ、田舎道を歩いてここまで移動してきたが、その道中、人の姿をまったく見かけなかった。高校から離れたこの土地では女子高生とすれ違うことさえもない。
周囲は無人。なのに、桔梗の両親だけが記憶通りの日々を続けているなんて、都合の良すぎる幻想だ。
家の隅々まで見て回る。
居間のテーブルには飲みかけのコーヒーが入ったカップ、置き去りにされた文庫本と、出しっぱなしの血圧計。台所の食器洗い乾燥機には、洗浄済みの食器が入れられたままになっている。シンクは完全に乾いており、少なくとも数日は使われていなさそうだった。洗面所と風呂場には乾燥しきった洗濯物が干してある。
生活の跡は残っている、のに、人がいない。
まるで、いきなり人間だけが消失してしまったかのよう。
桔梗はソファーに腰かけて、深呼吸をする。家に残された品々を眺めながら、不在の両親について思う。どこにいったのか、何が起きたのか、どうしてしまったのか。考えるだけ考えて、何も分からないことを理解する。
思えば、分からないことだらけだった。
自分が記憶を失っていた原因も。突如として記憶を取り戻した理由も。どうして桔梗の両親が、人間がいなくなっているのか。
それらの事項に関係性はあるのか。
桔梗には何も分からない。考察するための情報が、何一つとして手元にない。
いつの間にか日が傾いていた。差し込んできた夕焼けを避けるように体勢を変える。ソファーに寝転がると、懐かしさが込み上げた。
クッションを腕に抱いて、桔梗は眠りに落ちていった。
翌日になっても両親は戻ってこなかった。戻ってくることはないだろう、と桔梗は判断する。押し入れからリュックサックを探し当て、冷蔵庫に残っていたペットボトル飲料を入れる。棚の奥から缶詰も回収して、可能な限り詰め込んだ。食料や飲料は多いに越したことはない。
自宅に留まり続けるという選択肢もあるにはあった。電気水道は生きている。食料の備蓄も充分だ。近くには商店もある。居着く気になれば当面の間は何不自由なく過ごせるだろう。
だが、桔梗はそうしなかった。
両親のいない家に留まる意味はない、と思った。
用意を進めながら、十五年を過ごした生家を見やる。年季の入った茶箪笥。毎年正月になると身長を刻んだ柱。障子の木枠には、家族写真が貼り付けられている。
ある程度の郷愁を感じはするものの、そこまで。住まいと決めるには至らない。どうやら押鐘桔梗という女子高生は、自分で想像していた以上に場所に縛られない性質だったらしい。
すっかり膨らんだリュックサックを背負う。玄関の扉を開けて、思い出したばかりの、戻ってきたばかりの家を出る。
彼女は旅に出ることにした。
――それから二年の時が経った。
桔梗は記憶を取り戻し、家族がいなくなったことで旅に出た。二年をかけて、各地を旅して回った。数多の地を巡った。
けれど、どこも同じだった。
どの地域にも人の気配はなく、寂寥たる世界が果てしなく広がっていた。死んでいた。終わっていた。桔梗は物語の終焉を確信した。此処に続きはなく、先はなく、人の生きる未来はない。そう理解するに足るだけの時間が経過した。
そして、現在。
押鐘桔梗はウサギを追いかけている。
### 3
旅を始めた当初。
いくつかの町を巡って桔梗は確信した。
いなくなったのは人だけではない。犬も猫も、鳥も、虫も、どこにも何もいない。広く生息しているはずの生物がことごとく見当たらないのだ。方々へと散っていった女子高生たちならばどこかに残っているはずだが、自分のように出歩いている者はごく少ないように感じていた。
桔梗は、ひとまずの目的を女子高生以外の生存者の発見と決めた。旅をするにあたっては、目的があった方がいいだろうと考えたからだ。本当に誰も、何もいないのか、確かめたい気持ちも強かった。
実際、生物が一斉に消失したと仮定するより、どこかに集められているという仮定の方が現実的だと思われた。生物だけを跡形もなく消し去る術を、桔梗は想像できない。だったら生物たちが集う場所がある、と思っていた方が、旅の行先を設定するにもスムーズに進められる。
指針は定まった。
以降は、捜索と移動を効率的にこなすことに注力した。探索場所は電車が運行している地点から周辺に限定した。無人バスや自動車を使えば駅のない町にも立ち寄ることはできたが、その町を調査する行為自体が非効率だと桔梗は考えていた。
桔梗は電車で都市間を移動し、駅を起点に生存者を探していった。誰かいないか。誰とも知れない、いるかも定かでない相手に向かって、喉が枯れるほど問いかける。君が生きているのなら、どうか言葉を返してくれ。
誰か返事を、と叫んでは場所を変え、大声で呼びかける。ある時は住宅地で、ある時は商店街で、ある時はビルの設備を使って周辺への放送を試したりもした。
桔梗の声はどこにも届かず、虚しく溶けていった。
繰り返す日々。ひと月、またひと月と時を重ね、半年が過ぎても彼女の日常は依然として変わらなかった。
変化が訪れたのは、旅の開始から一年が経とうとした頃だ。
桔梗はとあるホテルの一室で目を覚ます。
旅を始めてからの宿には、主に駅前のビジネスホテルを利用していた。最低限の家具や家電、生活必需品が用意されており、同時に清潔さが保たれている。フロントから鍵を拝借するだけで、すぐさま綺麗なベッドに飛び込めるというのは、旅する女子高生にとっては大変に好ましい環境だった。もし部屋を汚してしまっても部屋を変えれば事足りる。
さらに言えば、孤独な世界の中で快適な寝床が保障されているという事実。ホテルの存在は、桔梗に少なくない安心感を与えていた。
カーテンの隙間から漏れた陽光が朝の訪れを告げている。
眠気を飛ばすべく目を擦り、桔梗は起き上がってカーテンを開いた。眩しさから逃れるように手のひらで視界を覆う。
外は雲一つない晴天だった。
こんな空を見るのはいつぶりだろう、と知らず頬が緩む。
目が光に慣れてきてから、手を外す。澄んだ空気、見渡す限りに広がる青。これほどの快晴は珍しい。思わず深呼吸をした。窓際から離れると、スーパーマーケットから調達したレトルト食品を開封し、耐熱容器に注いで電子レンジで温める。
天気につられるようにして、桔梗の気分も上向きになっていた。今日はいつもよりたくさん歩いて、いつもより広い範囲を捜索してみよう。声だっていつもより張って、捜索しよう。誰かを見つけるために、いつもよりもう少しだけ努力してみよう。
彼女は決意を新たに、温まった朝食を電子レンジから取り出して、再び窓の近くに寄った。青一色の空を見上げる。
――あれ?
桔梗は首を傾げた。
一面の青、ではなくなっていた。
ほんの二、三分の間に、青色ばかりだった空のキャンバスには白い雲が生まれていた。レトルト食品を胃に流し込みながら見守っていると、点のように小さかった雲はみるみるうちに巨大化し、空の一角を占拠した。異常なほど早い変化だった。
桔梗は窓を開けて、白の領域を凝視する。
ぱっと見で雲に見えたそれは、どうやら巨大化しているのではなく、凄まじい速度で移動しているようだった。つい数分前まで遥か彼方にあったものが、巨大に感じられる距離まで近づいてきた、らしい。時速換算でどれほどになるか。自動車や電車、女子高生の移動速度は確実に上回っている。
白の領域は自在に形を変えていた。細かく向かう方角を変えながら、高速で空を飛び回っている。華麗に弧を描く軌道は、飛ぶというよりも泳いでいるという表現が適切に思えた。群れを成して空を泳ぐ。かつて映像資料で見たイワシ、が絵面としては近いか。もっともイワシは空を泳ぐことも飛ぶこともないし、色だって白くない。
桔梗は白の領域、その正体を目撃する。彼女はそれがイワシでなく、むろん雲でもなかったことを理解する。
獣だ。
耳を翼に空を泳ぎ、大群で宙を舞う。
それはウサギだ。
空を泳ぐウサギの群れだった。
桔梗は真っ先に自らの正気を疑った。地上に生息するウサギは空を飛ばない生物だと記憶している。ペンギンならともかく、どうしてウサギが空を飛んでいるのか。
気を違えてしまったのかと考えて、桔梗はスタンドミラーで自分の姿を見直した。細身の身体、腕、なだらかに落ちる肩。背中に軽くかかる髪は寝ぐせで跳ねている。目、鼻、口、どれも普段通りいつもの顔が鏡には映っていた。
いつも通り。なら、幻覚ということもないだろう。
改めて窓の外を見た。
変わらずウサギは空を飛んでいた。
あれが現実だというのならば、ますますどうして、ウサギが空を飛んでいるのか。困惑する頭とは裏腹に、彼女の身体は最適解を選択していた。身支度を放棄してリュックサックを抱え、ホテルの窓から飛び出す。華麗な前方二回宙返りを披露しつつも路上に着地、ウサギを再確認して走り出す。
そこでやっと、行動に思考が追いついた。人ではなくウサギだが、これまで旅をしてきて初めて発見した生物だ。―逃したくない。追いつきたい。
桔梗の胸は高鳴っていた。静寂ばかりが広がる世界で、ウサギはようやく見つけることのできた命だった。追いついて何かしようと思ったわけではない。ただ、その衝動に身を委ねた。
桔梗は息の続く限り走り続けたが、ウサギの群れは次第に遠ざかっていった。
順当な結末ではあった。飛翔するウサギは、女子高生よりもずっと速かったのだから。
追いつくことは不可能だと判断して、桔梗は足を止めた。リュックサックから方位磁石を取り出して、ウサギが飛び去る方角を記憶する。
小さくなっていく群れを見送る。
桔梗はウサギが生きていることを知った。女子高生だけが生き残っているのではない。他にも生きている命があると知った。
故に桔梗は決意する。どれだけの距離があっても構わない。追いかけて、追いつこうと決める。
桔梗の目的は、生存者の発見からウサギの追跡に更新された。
本当に誰も、何もいないのか――彼女の疑問に、ようやく否定が返ってきた。
その日以来ずっと、押鐘桔梗はウサギを追いかけている。
### 4
空飛ぶウサギを追う中で、桔梗はある予測を立てた。
ウサギには巣が存在するのではないか。
群れで空を飛ぶウサギたちは複数存在していた。ある時、集団の規模が異なるウサギの群れを東西に目撃したことがあった。まさか二兎を同時に追える訳もなく、一旦観察に集中した。
そこで桔梗はウサギたちに二種類の動きがあることを学習した。
片一方のパターンにおいて、ウサギの群れはランダムに空を飛び回っている。集団を成してはいるが、どこに向かうでもなく弧を描いて一定範囲を周遊し、また別の空域に移動する。索敵しているような奇妙な動きで町々を巡っていた。桔梗が最初に発見したウサギたちはこちらに該当する。
もう片方のパターンにおいて、ウサギたちは真っ直ぐに空を飛んで行く。直線的に伸びる影はイワシの群れというより大蛇か、川か、もしくは飛行機雲。わき目も振らず飛び去る姿は、まるで何者かからの呼び出しを受けたように見えた。また、この場合はただでさえ速いウサギの移動速度がさらに上昇し、追う気が起きないほどになる。
呼び出されたか否かの真偽はさておいても、後者のパターンから、ウサギたちが集う場所―巣に匹敵する地点があることは予測できた。その後、数か月の追跡調査を経て、桔梗の予測は確信に変わっていた。
桔梗は追跡を続けた。都市を移動し、ウサギが直線的に向かっている方角を把握、さらに移動を繰り返す。
そして現在に至る。
ウサギの群れは、この都市で消えていた。
間違いない、と桔梗は断定する。近くにウサギの巣がある。
都市に到着してから丸二日が経っていた。順当に高校の日程が進んでいれば、今日は卒業式が行われているはずだ。桔梗は本日をもって神代高校を卒業する。女子高生ではなくなってしまう。
高校卒業など日付上の話でしかないはずだが、しかし、桔梗は今日が最後だという漠然とした予感があった。女子高生でなくなってしまえば旅は終わると、女子高生としての本能が訴えていた。
彼女はどうしてもウサギの巣を見つけたかった。
巣は、ウサギたちが集う場所はすぐ近くにあるはずなのだ。すぐ近くにあるはずだというのに、二日かけてもまだそれらしい場所の手掛かりすら見つけられていない。
建造物の内部は調査済みだ。高層ビルの屋上を渡り、周辺を探った。地上、地下、桔梗が想定し得るあらゆる可能性を当たってみた。それでも巣の発見には至らなかった。どこかに巣はあるはずなのに、どこにも見つけられない。
巣の存在そのものが疑わしくなってきた彼女にとって、残る期待は巣に向かうであろうウサギだった。
最終日。桔梗は電波塔の展望デッキにいた。
四方を見回し、白い影を探す。
歩いて探せる範囲はすべて探し終えた。ウサギの巣を見つけるには、もはやウサギに頼るしかなくなっていた。二日間の探索中、一匹たりともウサギの姿を見かけることはなかったが、彼女は高所にて巣に帰るウサギを待っている。他の手段は思いつかなかった。
桔梗は展望デッキから都市を俯瞰する。
電波塔から見る都市は日光に照らされて輝いていた。機械的で物質的な光沢。緑の他に生命の気配はない。
今までの街もそうだった。
己以外の誰もがいない。誰もいない街、そして空。
本日の空は日本晴れ、初めてウサギを見つけた日が思い出される。青空の中に一滴、白の絵の具を垂らしたような場景―すぐさま雫が広がり、白に染まっていく様を。
時間が経つごとに日は昇り、頭上から強く熱を感じるようになる。
ウサギは現れない。携帯食料も飲料も底をついた。補給するのを忘れていた。今日で旅が終わるのだ、という感覚に押し出されるようにして、生命維持の行動を忘却していた。幸いにも腹は満たされている、あと半日程度なら活動に支障はないだろう。
空っぽのリュックサックはすっかり砂や泥で汚れてしまっていた。
長いこと旅をしてきたものだ、と桔梗は思う。最初は女子高生でない生存者を探していた。ウサギを見つけてからは、それらを追いかける日々だった。そんな旅ももうすぐ終わろうとしている。
太陽は頂点からわずか傾いた位置。
卒業まで半日を切った頃か。
日付が変わった瞬間、押鐘桔梗は女子高生ではなくなる。ぼんやりと眼下の街を眺めながら、卒業したあとの自分について考える。
彼女の直感が告げている旅の終わりは、いったいどうやって訪れるのだろうか。何が、どうして終わるのか、なぜ自分はそんなことを予期しているのか。彼女自身でさえ解けない疑問が湧いて、答えを得られないままに消えていった。
徐々に日が沈んでいく。
空の色が青から橙、赤に移り変わる。
桔梗は平坦な空をじっと見つめている。平らで、静かで、何もない。
何もないならそれでいいか、と桔梗は思う。静かに孤独に消えるのも終末らしいといえばそうかもしれない。
無の空。
赤ばかりの空。
一面の紅。
に、
―点のような白。
桔梗はすぐさま立ち上がる。
夕焼け空を突っ切って、猛烈な速度で近づいてくるウサギの群れ。今までの群れと比較して明らかに数が多い。数百羽、もしかしたら数千羽。詳細な数は知れない。数えきれないほどの量だということだけが分かる。
大量のウサギたちは巣に向かっている。飛んでいく先にウサギの集まる場所がある。
これが最後のチャンスだ。
桔梗は決して見逃すまいとウサギたちを目で追う。まばたきもせず、じっとウサギを見守る。
ウサギは群れを分かちながら降下、地上すれすれの高度を滑空していく。ビルの合間を抜け、無数に分岐した道路を迷いなく進行。最終的に電波塔の下に集合する。
電波塔に押し寄せるウサギたちが塊となり、わずかに停止。
その直後、塔の表面を駆け上がるように上昇し始めた。
上。
すなわち、巣の在り処は――。
桔梗は理解と同時、リュックサックを片手に展望デッキの窓を割り、空中へと飛び出した。目の前を飛翔するウサギの群れに突っ込むと、空になった背負い袋をパラシュートのように広げる。ウサギが三匹ほど袋の中に入って、しかし少しの速度減衰もなく桔梗ごとリュックサックを引き上げる。
ウサギという上昇気流に乗って、桔梗は天高く飛び上がっていく。
電波塔の先端を越えてもウサギたちは止まらない。もしも雲があったのならば、とうに通り過ぎているだろう。都市は遥か下方、点みたいに小さくなった。地平線の彼方まで見渡せる高度を超えて、ウサギたちは上昇を止めようとはしない。
跳びついたのは軽率だったかもしれない。ウサギの巣なんてものは、やはり桔梗の想像でしかなく、実際はどこにもないのかも。
先の見えない空の旅に不安を抱き始めた桔梗だったが、終点は突然に現れた。
――――。
桔梗は息を呑んだ。
それは天上の領域。地を見下ろす異空間。
明確に足場らしき物体はない。ちらと見ただけでは空が継続しているように思える。だがよく見れば、光が歪んでいる異常な領域を判別できた。
空気を固めたような透明な何かが宙に浮かんでいる。地上からの観測は不可能だ。本来ならばあらゆる生命体の接近を拒絶するであろう神聖領域。
気高く、貴い、神々しき聖域。
神の座という言葉がピタリと当てはまる。
そんな神の座には人がいた。
いや、こんな場所に人がいるはずはない、と桔梗は考え直す。人ではない、人のカタチをしている何者か。
一人は祭壇のような場所に寝かされていた。仰向けの体勢で目を閉じ、静かに横たわっている。短い白髪をサイドテールにまとめ、黄色いマフラーを身につけた女。人工物のように冷たい印象を受けた。
女の隣には、背丈と同じ大きさの武器らしき物体が置いてある。黄を基調とし、黒の模様が入った三本の細長いレール。トリガー部の存在から銃と考えられたが、とても女の小さな手では扱いきれないほどに巨大だった。
もう一人は祭壇で横たわる女の傍に座り、その姿を見守っていた。緩く巻いた明るめの茶髪と左目の泣きぼくろ、優しそうな目をした女。一目で他者に愛おしさを感じさせる優れた容姿、穏やかな性格を示すような表情。
得体の知れないそいつらは、二人とも神代高校の制服を着ていた。
桔梗はリュックサックから手を離し、透明な床に着地する。着地音を聞いて、優しそうな女は女子高生の方を向いた。
数秒の無言。それから女は「初めまして」と笑いかけてきた。
慈愛の表情だった。
まるで神様みたいだと思った。
### 5
「もう少し、待っててくれる?」
優しそうな女が言う。
「あの子たちがいなくなるまで……」
女が指差したのは、座の周囲を飛ぶウサギたちだった。言葉の意味を問う前に、桔梗はウサギの状態を確認する。
連中は電波塔時点からさらに加速を続けていた。女子高生の動体視力をもってしても個体が認識できず、白い壁のようにしか見えなくなっている。ウサギたちの速度はついに光速に達する。ウサギという肉体は完全に崩壊し、ウサギは真に大きな光の奔流と化す。光は座の上空でひとつに集い、祭壇で横たわる女の身体に向けて降下する。
ウサギだった光は女の身体に入り、ほのかな輝きを残して消失した。
光が消えたあと、横たわる女の身体にほんの少しだけ熱が戻ったように見えた。
「ありがとう」
女は立ち上がり、桔梗に向き直る。
桔梗は相対している女のことを尋ねようとして咳き込んだ。彼女は長らく声を発していなかった。喉が錆びついてしまっている。
女が近づいてきて、背中をさする。
「無理しないでね」
咳が落ち着いてきてから、桔梗は女に尋ねる。
貴女は誰ですか。
おんぼろの喉から無理やり絞り出した声は、酷く擦れていた。
「私……私は、
御巫茉希と名乗った女は、嬉しそうに笑った。綺麗というよりは可愛らしい印象だ。神様みたいだと思った数瞬前からイメージが自在に変化していく。
彼女は時に女神のようであり、時に少女のようでもあった。
「っとと、名前だけじゃダメだよね。私は昔、女子高生だったの。女子高生で、巫女。神様に仕えていた」
その自己紹介に、桔梗は困惑した。
神様に仕えていた。巫女。
彼女を指して神様みたいだと考えたのは単なるたとえ話だ。桔梗は、本当に神様がいるとは思っていない。神様は概念で、空想の産物だ。想像上にしかいない、幸と不幸の理由を出力するためのシステムでしかないはず。
だというのに御巫茉希は、神様が実在しているような口ぶりだった。
「それで、こっちで眠っているのが」
御巫茉希は、祭壇に横たわる女に視線を送った。
神代高校の制服を着た小柄な女。呼吸はしていないようだが、死んでいるようにも見えない。かろうじて保たれている、といえば適切か。死にゆく身体をなんとか繋ぎ止めているような。触れればすぐにでも壊れてしまいそうな儚さを感じる。
「
レールガン女子高生。聞き覚えのない名称だ、と思った。
「神様だよ」
御巫茉希の言葉が脳に届くまで三十秒を要した。
神様だという。長井零路が、レールガン女子高生とやらが神様だと御巫茉希は言っている。今にも消えてしまいそうな、明日をも知れない状態の女が、神様だと言う。
信じられない。
信じられることがない。
もしかしたら夢でも見ているのではないか、と桔梗は思い至る。
あの電波塔からウサギの群れに跳びついて、けれど上空に飛び上がることなんてできなくて。この光景は落下中の自分が見ている、死の直前に見る夢なのだと思いつく。いわゆる白日夢というやつだ。ウサギの巣を探した先に誰かがいる、という願望充足的な内容がまさしく夢らしい。神様の実在を認めるよりも、遥かに現実味を帯びている。
あるいは、もう既に桔梗は死んでいて、ここは死後の世界なのだとする。天国か、もしくは地獄か。御巫茉希という女は、孤独に嫌気が差した彼女が作り出した幻覚である。
尤もらしい。妥当性がある。
「そうかもしれないね」
御巫茉希は頷いた。
心を読んだのか、と驚く気持ちと、自分で生み出した幻なのだから自分の心が分かるのは当たり前だろう、と納得する気持ちが半々にやってくる。
「でも、どれが正しいかを証明する手段はない」
その通り。
「だから、好きに願えばいいよ」と御巫茉希は微笑んだ。
「死ぬ直前なのかもしれない。死んだあとなのかもしれない。生きてこの場所にたどり着いて、卒業という終わりが迫っているところなのかもしれない。だけど、どれだって同じだよ。何も変わらない。もうすぐ終わるか、終わっているかの些細な違い。なら、貴方が欲しい想いを願えばいいの。……私が叶えてあげる!」
御巫茉希の提案は、とても魅力的だった。
だが――何を願うべきなのか。自分は何が欲しいのか。
桔梗は何か、欲しいものがあって旅を始めたのではない。旅に出た切欠は、両親がいなかったというだけで、積極的に両親を探そうとしていたわけでもない。家で籠る行動に意義を見出せなかった。それだけだ。
ウサギを追いかけたのだって、生物を見つけたときの衝動に突き動かされるがまま。明確に理由があったとは言い難い。
理屈は何もかも後付けで、行動は受動的。無意味なことを避けながら、流されるまま歩いてきた。
だから、桔梗は言葉が出てこなくなってしまった。
御巫茉希の言葉に対する答えを、桔梗は持っていなかった。
時間は刻々と過ぎていく。
「真面目なんだね」
目の前の女が微笑みかけてきた。
その笑顔を見た途端、急に身体のこわばりが消えた。肉体と思考が緊張状態にあったらしい。解された肉体に続き、思考も明瞭になる。
彼女自身が言ったように、御巫茉希が幻覚か現実かを見定める術はない。桔梗は思い直す。幻覚かもしれない相手を前に、時間を掛けて悩む必要はなかった。
気になっていたことを解消するくらいだって問題ないはずだ。
旅の最中に浮かんでいた疑問が蘇る。
「疑問を解消したい」
桔梗が口にする前に、御巫茉希は言った。
「うん、いいよ。答えてあげる。私の答えを教えてあげる」
朗らかに頷いた後、補足するように続ける。
「もしも私があなたの脳が生み出した幻覚なら、私の答えはあなたの答えでもある。もしも私とあなたが別の個体なら、私の答えとあなたの答えは違うかもしれない。同じかもしれない。どちらであるかを証明することはできない。でも、どちらであろうとも結末に差異は生じない」
結末に差はない。何にしてもこれが最後だ、と宣言される。
「答えてあげる、代わりに……」
御巫茉希は押鐘桔梗をじっと見つめ、しばし沈黙した。それから桔梗の頬をつつき、にこりと笑いかけた。
「そのあとで。あなたのお話を聞かせてほしいな」
そして彼女は語り出す。
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むかしむかし。
あるところに、レールガン女子高生という神様がいました。
レールガン女子高生はたいていのことは何だってできる万能の神様でしたが、人の未来を救うことだけは出来ませんでした。己が可能性を費やし、事象改変を続け、世界を捻じ曲げ続けても、理想の未来には辿り着けなかったのです。
神様は人類存続のために生まれた存在です。人類の滅亡が確定してしまった世界で、神様は存在することを許されませんでした。存在意義を失った神様はすぐにでも世界ごと滅びる運命だったのです。けれど、神様と仲良しの巫女は、神様が消えることを受け入れませんでした。
神様と仲良くなりすぎた巫女は、神様と、神様たちに願いました。
未来がどん詰まりになってしまったことは承知しました。世界が終わることは構いません。でも、終わるまでの時間を奪うことは、どうか止めてもらえないでしょうか。
世界の終わりまででいいのです。
最後まで、最期まで、私は神様と一緒に生きていたいのです―。
願いは届き、神様は眠りにつきました。自らの時を止め、巫女以外のすべてから関係を断ち、少しでも長く生きるため眠りにつきました。
巫女は神様の権能をちょっとだけ引き継いで、世界を見守ることになりました。
最初は神様と一緒に、空の上から世界を眺めているだけでした。でも、数年前から神様が弱々しくなっていることに気付きました。巫女は神様の存在を維持するため、神様が使い切ってしまっていた可能性、未来のカケラを集めることにしました。遣いを放ち、いまだ生存する数少ない命を集め、その未来を回収しては神様に与えました。
神様の遣いにはウサギを選びました。白くてふわふわしていて可愛いかったし、元から人の命を収集することに長けていたからです。
遣いとなったウサギは方々に散り、神様のために命を回収していきました。人間がいなくなりました。虫がいなくなりました。遣いを除いて、獣はいなくなりました。けれど女子高生は残っています。神様の力を譲渡された特殊生命体、女子高生は、女子高生である限り神様と別の個体だということを定義づけられています。
世界から、女子高生以外がいなくなりました。
それでも神様の弱化は止まりませんでした。
神様が力を失うほどに、女子高生に掛けていた制限も解けていきます。記憶を取り戻すこともあるでしょう。本当の自宅へ帰ることもできるでしょう。
女子高生は野に放たれ、それぞれの終末を謳歌しました。
けれど、卒業したら女子高生は人に戻ります。人に戻った時点で、その命は、回収対象物と変わります。
年度が替わり、卒業を迎えた女子高生の命と未来が回収されました。
一年が経ち、卒業を迎えた女子高生の命と未来が回収されました。
また一年が経ちました。
残った女子高生も、もうじき卒業です。
すべての命と未来は神様と溶けて、混ざって、神様の一部となります。人も虫も獣も女子高生も巫女も、誰も何もいなくなった世界は神様を維持すること叶わず、破綻します。
そうして世界は終わります。
だから女子高生の終わりは、すなわち世界の終わりです。
残る女子高生が卒業したときこそ、この世界とレールガン女子高生の終焉なのです。
「……おしまい!」
御巫茉希は満足そうに息を吐いた。
「話すことはこれくらいかなあ。他に聞きたいこと、ある?」
一つだけ、と桔梗は返した。
おおよそ疑問は解消された。自分がこれからどうなるのか、どうやって終わりを迎えるのかも想像できた。桔梗がもとから抱いていた疑問に関して、聞きたいことはない。
だからこれから尋ねるのは、御巫茉希についての話。
たった一つ、気になってしまった内容だ。
どうしてそこまでするのか。
長井零路と御巫茉希は、神と巫女という関係である。それは理解した。だが、神に仕える一介の巫女が、必死に頼み込んでまで最後の時間を引き伸ばそうとする理由が、桔梗には分からなかった。
桔梗が尋ねると、
「友達だ、って言ってくれたから!」
御巫茉希は最高の笑顔で答えた。
「
…………。
押鐘桔梗は自分の話をしなかった。自分についてではなく、これまでの旅について話し始めた。巡ってきた道を、歩いてきた町を思い浮かべながら、自分の思いを綴るように話した。
桔梗は二年をかけて、各地を旅して回った。
どの町にも人の気配はなく、荒涼たる世界が見渡す限り広がっていた。
多くの地を巡り、同じ光景を見て、それでも足を止めずに旅を続けた。物語の終焉を確信した。此処に続きはなく、先はなく、人の生きる未来はない。そう理解するに足るだけの経験を重ねても、桔梗はずっと歩き続けた。
つまらない景色だと思った。生きているものを見つければ、命の鳴動を感じられれば、この景色も少しはマシになるかと考えて生き物を探した。
人を探した。動物を探した。そう考えていて、そう思っていた。
でも、違った。
御巫茉希と話していて、分かった。
桔梗は寂しかったのだ。ずっとずっと……話をしたかったのは、自分の方だった。孤独に旅をして、いつか心細くなっていて、寂しくて、誰かと話したかった。辛かった。苦しかった。話しかけたかった。話しかけられたかった。
押鐘桔梗は話を続ける。
二年の間で積もりに積もった感情を吐き出していく。
いつしか桔梗は、己が女子高生ではなくなっていることに気付く。卒業を経て女子高生としての構成要素が抜け落ち、ただの人間に戻りつつあることを知る。女子高生ではなくなった自身、肉体、生命、存在、その境界が揺らいでいく。それでも尚、女子高生だった者は旅の話を続ける。そう頼まれたからではない、自分が欲し、そうしたいと願い、相手も応えてくれるから。
はたと、押鐘桔梗でかつ、女子高生だったものは自分が誰かの記憶を語っていることに気付いた。それは彼女のものではなかったが、彼女のものになりつつあった。そうして理解する。御巫茉希という他者から聞いたはずの記憶を参照する。レールガン女子高生という神的存在との同一化に伴う個の消失。自分が誰であるかという意識を持つ意図も理由も目的も失われてゆく。目の前にいたはずの女を認識できない。他者と自分の区別がつかない。ない。わたしでもあなたでもない。ここにはレールガン女子高生がいる。それでもわたしというレールガン女子高生はあなたというレールガン女子高生に話を続けている。わたしの話。あなたの話。
感情が溶けあう。寂しさが霧散して混ざる。より濃い孤独と絶望と、それを包み込むような優しさとが混ざり合って一つになる。
恐怖はない。
ただ、安堵がある。
母なる存在への回帰。魂が告げている。此処が滅亡からすべてを蘇らせた創造の原点。歴史と文明と記憶と記録が此処から誕生し、収束し、消失しようとしている。何もかもがレールガン女子高生になり、レールガン女子高生として死ぬ。あらゆる生命体は統合された。女子高生という個は消失した。世界と生命とレールガン女子高生はイコールで接続され、理解も拒絶も肯定も否定も意思の疎通さえも不要となった。
区別も、断絶も、何もない。
レールガン女子高生がある。
レールガン女子高生だけがある。
レールガン女子高生は最期に記憶を辿る。わたしが話していた記憶。わたしが聞いていた記憶。この世界を生き、死んだ命に刻まれた記憶。
丁寧に、丁重に読み進めていく。
レールガン女子高生の大切な思い出。積み重ねてきた歴史と時間。それは一つの世界が最期に見る夢。走馬灯。万物の命を見守り、慈しみ、抱いて眠る。
命が消える。
終わる。
さよなら、
安らかに、穏やかに。
とある失敗した世界は、こうして幕を閉じた。
The world and railgun / End. EXTRA "Platycodon grandiflorus"
そしてまた、新たな
人の未来を救うまで。
理想の終わりを手に入れるまで、
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