【71】真偽

 キラキラとちいさな光が輝く空間を、忒畝トクセはしばらく見つめていた。その空間は、母のいた場所で。輝きがゆっくりと薄れていき、次第に悠穂ユオの寝ている姿が鮮明に見えてくる。


 どうして母だけが人の姿を取り戻したのか。──漠然と頭を支配する疑問。


 煌めきが完全になくなり、忒畝トクセは母が六百年という年月を取り戻して消えたと理解する。悲しみがないわけではないが、悲しみに浸っている時間はなく。そもそも、こうなるとわかっていたと受け流すしかない。

 忒畝トクセは立ち上がり、振り返る。視線の先にいるのは、『龍声リュウナ』。


 ──ああ、そうか。

 忒畝トクセは不足していた欠片を見つけた気がした。


 ──母さんが人の姿に戻ったのは。

龍声リュウナ』を身籠っていたからではないかと。──覚醒により力があふれ、彼女たちは人の姿を保てなくなった。だが、封印という異質な空間の中で、自らの命を守るのがやっとになった。それにも関わらず、刻水トキナの体はお腹に宿っていた命も守ろうとした。

 結果、女悪神ジョアクシンの力はあふれなくなり──つまりは封印の間、女悪神ジョアクシンの力は我が子を守るために作用し、刻水トキナは人の姿に戻った。


「ごめんなさい。私、戻らなくては。皆を……今更、裏切れないわ」──刻水トキナ克主ナリスに別れを告げ始める言葉を忒畝トクセは思い出し、心を締めつけられる。


 母の行方がわからなくなる前、母は竜称カミナを見て名を呼んだ。あのとき、忒畝トクセは異形の存在の名を初めて知った。

 だが、あのときの母はどんな気持ちだったのか。刻水トキナの記憶を蘇らせ、苦しみ、受け止めようとした母。


「許さんぞ、克主ナリス。私たちはお前が再び目覚めたとき、この封印から目覚めてやる。よく、覚えておけ……」

 封印されようとしていた竜称カミナが最後に呟いたあの言葉は、刻水トキナも聞いていただろう。

 忒畝トクセはいたたまれなくなる。ただ、母は母の道を歩み、選んだのだと信じる。最期は、とても幸せそうに笑っていてくれたから。


 そうとなれば、忒畝トクセも今するべきことを選び、進まなくてはと足を踏み出す。向かうは、『龍声リュウナ』。

 白緑色の長い髪の毛が、うつむく顔を隠している。到底、瞳の色は見えないが、アクアの色彩を持っていることだろう。

 忒畝トクセにとっては、姉とも妹とも双子とも言い表すには遠い、『刻水トキナ克主ナリスの娘』。

 忒畝トクセの考えの通りであれば、この娘は産まれたときに竜称カミナが連れ去っている。そして、『刻水トキナ克主ナリスの娘』を連れ去った竜称カミナは──。


 ──『龍声リュウナ』と呼んで『かわいがっていた』?

 一度、中断していた道しるべを忒畝トクセは追っていく。そうして、辿り着きそうだった答えを見出す。


 ──竜称カミナは、克主ナリスを恨んでいたわけではなかったのか?

 忒畝トクセはハッとする。導き出したものが、真実と思って見てきたものとかけ離れていて。


 ──『そう思わせたかった』?

 ずっとわからなかった竜称カミナの真意。わずかに見えた光を、忒畝トクセは見失わないように近づいていく。それは、記憶の巻き戻し。

 巻き戻せば巻き戻すほど、不可解なことが起こる。


「お前は終わりだ」──違う。思い返せば、あれが忒畝トクセの体内の毒素を回らせた。あの一件がなければ、忒畝トクセの求める血清は作れなかった。


「妹は連れていけ。来られては困るのでな」──違う。あれは悠穂ユオを巻き込みたくないという願い。あの件で竜称カミナたちはやはり復讐を企てていると思わせたのではないか。


 忒畝トクセが思い出せば思い出すほど、真偽が反転していった。重なっていく偽に、忒畝トクセは圧迫されそうになる。


 忒畝トクセの命を奪わなかった。

 忒畝トクセを遠くでずっと見ていた。──いや、母をずっと、見ていた?


 ──重なった。

 今度は偽が真と重なり、真が浮き立っていき、そこで固定する。

 直面したのは、忒畝トクセにとっては酷な事実。


 ──これは、悠穂ユオには言えない。


 竜称カミナ聖蓮セイレンとなった刻水トキナを見守っていた。──竜称カミナ忒畝トクセが気づいてしまった。

 忒畝トクセは母に言わなかった。──竜称カミナ刻水トキナに言わないように、忒畝トクセを見張っていた。

 母が竜称カミナに気づいてしまった。そこから、刻水トキナの記憶が混ざるようになり、聖蓮セイレンとして幸せに過ごしてきたと、母が自責の念を募らせていく。そうして、母は聖蓮セイレンの記憶よりも刻水トキナの記憶が強くなっていくようになり、忒畝トクセたちの前から姿を消した。

 母は自責に耐えられなくなり、記憶が不確定になっていく。竜称カミナは全責任を被るつもりだった。女悪神ジョアクシンの痕跡を現代から消すかを悩み、忒畝トクセを殺めようとした。だが、できなかった。

 封印から目覚めたとき、恐らく自我がハッキリとしていたのは、竜称カミナだけで。刻水トキナは姿が戻ったことで、記憶が白紙になった状態で。邑樹スミナ時林ユキナは、自我を失っていたのかもしれない。封印の最後まで立っていた竜称カミナを思えばこそ、彼女の精神の強さゆえというべきか。

 やがて、刻水トキナ克主ナリスの魂を継ぐ者に近づき、その手で──。竜称カミナは驚いただろう。まさか、刻水トキナ竜称カミナにそういう形で懺悔をするとは思わずに。


 父、悠畝ヒサセがなくなる前、母を見かけたという噂が克主ナリス研究所内ではあった。

 父は、封印した塚が見える窓を気に入っていた。──克主ナリスは、琉菜磬ルナセの助言を受けて、塚の見える窓を設け、その窓からの風景を心の拠り所とした。


 忒畝トクセは目の逸らしたい事実に気づいてしまった。過去生を見たとき、克主ナリスに初めて抱いた感情。それが、どうにも尊敬する父とは重ねられなくて。

 つまりは、噂が噂ではなく。


 ──父さんを衰弱死させたのは、母さんだった。

 刻水トキナも母の一部だと思えばこそ、『刻水トキナだった』と忒畝トクセには言えなくて。失踪してからの母は、刻水トキナだったのかもしれないが、その中にはわずかでも聖蓮セイレンもいて。だからこそ、最期の最期で母は、『母』となった。


 竜称カミナ刻水トキナに応えるには、復讐を──復讐に見立てて、今度こそ、彼女たちの終焉を願った。そう考えればこそ──。


「お祝いに、そろそろ刻水トキナ龍声リュウナをお前に託してやろう」──これが、真となる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る