【36】言いたかった言葉(1)

 瑠既リュウキはかすかに震える手で扉を開ける。そこは、鴻嫗トキウ城にしてはちいさな六畳ほどの部屋。

 真っ白な壁に囲まれ、中央にひとつのベッドがあり、その横には一脚の椅子がある。椅子と反対側に飾られているのは、壁に吸い込まれそうな、白い花。

 ゆっくりと吸いこまれるように、瑠既リュウキはベッドに歩く。疑う視線の先には、見慣れた女性が静かに横たわっていた。

「な……んだよ」

 疑いは、まぎれもない現実だと知る。

 瑠既リュウキは駆けだす。一目散に、女性の顔の間近まで。

「は? なんだよ……おい、倭穏ワシズ。起きろ……嘘だろ?」

 横たわる体を揺さぶる。徐々に強まる力。

瑠既リュウキ様」

 大臣は瑠既リュウキのとなりに行き、止めようと手を伸ばす。そのとき──。

「俺の女に触るな!」

 瑠既リュウキは大臣の手を振り払う。堰を切ったかのように、あふれていく涙。

「なんでだよ……こいつがなにしたって言うんだよ!」

 屈む上半身は、まるでこぼれる涙を隠すかのように。そして、力なく膝は折れていく。

 大臣は視線を落とす。

「申し訳ありません。……連絡はしておきました」

 静かに一歩下がり、深く頭を下げる。──頭を上げても、瑠既リュウキに反応した様子はない。力ないままの背中を大臣は見つめる。

 経緯を説明しようとしていたが、今の瑠既リュウキに話したところで到底聞けるような心持ちではない。大臣はそう判断して、別の機会に話すことにした。

「国葬の手配やこれからの段取りがありますので、失礼します」

 再び頭を下げる。大臣は無反応の瑠既リュウキから体の向きを変え、静かに部屋を出ていく。


 パタリ


 扉の閉まる音がわずかに聞こえると、瑠既リュウキは泣き崩れていった。




瑠既リュウキぃ!」

 聞き慣れた声が聞こえた。

「ん?」

 いつの間にか瑠既リュウキは真っ白な広い空間に立っている。突如響いてきた声に、反射的に振り向く。

 すると、視線の先には倭穏ワシズが立っていた。徐々に大きく見える倭穏ワシズを見て、走ってきていると瑠既リュウキは理解する。そのころには、もう目の前に倭穏ワシズがいて、すこし背伸びをしていた。

「なにかしてくるの?」

 声や容姿だけでなく、間違いなく倭穏ワシズだ。瑠既リュウキは細かい癖を知っている。例えば、艶のある話し方をしたり、媚びるような声を出したり、上目遣いをしたり。瑠既リュウキに話しかけるときは、いつもすこしだけ背伸びをしていたり。

 そうされると不思議なもので。普段だらけてゆるくいようとする瑠既リュウキに、自然と男スイッチが入る。背筋がピッと伸びたり、格好がつく振る舞いになったり、誘うような目配せになったり。

「あ、ああ。着替えてくるだけ」

 瑠既リュウキはいつの間にか抱えていた洋服を見せる。

「お偉いさんみたいになるの?」

「さぁ? 正装するだけだけど」

 ──鴻嫗トキウ城に戻ってきて、それで……なんで着替えるんだっけ? 

 思考を巡らせていると、

「へぇ~」

 と、倭穏ワシズ瑠既リュウキの手元にある服を、じろじろとのぞき込む。そして、視線を瑠既リュウキに戻すと、照れた表情を浮かべる。

「カッコイイんだろぉね。一番に見たいなっ」

 どこかへ行くのが楽しみかのような、無邪気な笑顔と声。

 瑠既リュウキはこの無邪気に明るい笑顔と声が好きだった。偽りがないと、安心する。

「い、よ。おいで」

 瑠既リュウキは微笑む。自然と出た表情に、幸せだを実感する。

 ──倭穏ワシズは……そう、例えるなら猫だ。拾われた猫みたいに、自分にだけ懐いてくる、そんなかわいいヤツだ。

 ふたりで過ごす時間は、安堵──そのものだ。



「お待たせ致しました」

 わざと明るく瑠既リュウキは言う。気恥ずかしいのを隠したくて。

 ──改まって言ったところで、子どもが普段使わない敬語を大人びて使うようなもんだな。

 そう感じてしまい、よけいに恥ずかしくなる。

 鴻嫗トキウ城を出たあの日から、正装などしたことがない。だから尚更、身の丈に合わないと萎縮しそうになってしまう。

 今更、『貴族』でいたいとは思わない。ただ、こうやって戻ってきて、どうせ正装したのなら。すこしくらいは服装に似合うようにいたいと思っただけだ。

 ──今日で最後だ。これから先、鴻嫗トキウ城に戻ってくることはない。

 だからこそ。最後くらいは。

 そう思っていただけなのに、倭穏ワシズはなにも言わない。

 倭穏ワシズは思ったことは、考えるより口に出るタイプだ。言えないと倭穏ワシズが思うことなど、相当まずいこととしか瑠既リュウキには思えない。

 無反応──その反応に、徐々に不安が募る。なにも言ってくれないなど、拷問だ。似合わない、そうならそうと、はっきり言ってほしい。このままでは生殺しの状態に等しい。

「どお?」

 恥ずかしさに耐えながら瑠既リュウキが言葉を投げかけると、倭穏ワシズはうしろを向く。

「なに? はっきり言えって」

「似合いすぎ」

 倭穏ワシズはうつむき、どこかそわそわしている。

「そんなに似合うと思わなかったんだもん。本当に、ここの人なんだって……思っちゃったんだもん。瑠既リュウキを、こんなに遠い存在の人に感じるなんて、思わなかった」

 怒っているような、それでいて照れた様子で涙声になる倭穏ワシズ瑠既リュウキは思わず、手を伸ばし、うしろから抱き締める。

「バカだなぁ。なぁに言ってるの。俺は俺じゃん」

「だけど……待ってた人、いるんでしょ? ルイちゃん、瑠既リュウキとお似合いだよ」

 倭穏ワシズはいつ、ルイと会ったのだろう。

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