*真実のありか

 マークはふと、

「もしかして、国から要請が来たりは──」

 その問いかけに、ベリルはニヤリと口の端をつり上げてグラスを軽く掲げた。マークは唖然としたあと、こらえきれずに腹を抱える。

 ベリルは国自体が関係する事柄は引き受けない。しかし、それ以外なら場合によってどの国の要請でも了承することがある。

 例えば要人の護衛や人質救出、内戦で取り残された村人の救出などといったものだ。

「そうか、そうだよな」

 傭兵をしているなんて思いもしないよ。マークはひとしきり笑うと、ふいに視線を落とした。

「君が無事で、本当に良かった」

 ぼそりと発したマークを見やる。その手は微かに震えていた。施設の状態を見たならば、どれほど気に病んだことだろう。

「僕は、戦場を知らない」

 あれは戦場とは言えないけれど、凄惨なことだけは充分に実感できた。

「どうして、あんな」

 たぐり寄せた記憶に悔しさが湧き上がる。政府はあの襲撃について、もともと深い捜査をするつもりはなかったのかもしれない。

 事件から数年足らずで捜査続行不可能という決定をくだした。機密が公になる事を避けたかったのだろう。

 マークはそれにやるせなさを感じたものの、一人ではどうする事も出来ず諦めるしかなかった。

「ハロルド・キーロスという言語学者を覚えていますか」

 奥歯を噛みしめるマークに、ベリルはやや躊躇いがちに口を開いた。

「ハロルド? えと、君に言語を教えていた人だよね。僕が観察担当になる前に病死した」

「彼が生きていたことは」

「なんだって?」

 施設の医師が死亡を確認し、遺体は教え子たちが引き取ったと聞いていた。

「実際は仮死状態だったらしい。致死量には足りなかったのだろう」

「致死量?」

「奴が何故、私の口調にこだわったのか」

 険しい表情で天井を見上げる。

「あの襲撃は彼の計画だったと──!?」

 マークは、あまりの話に思わず立ち上がる。行き場のない怒りに手が震えた。

「彼は、君を人類の王にしようとしたのか」

 ──ハロルドの思想は危険だと判断した政府は彼を毒殺した。

 運良く息を吹き返したハロルドは、殺されかけた事への憎しみをぶつけるように、ベリルを奪う計画のなかで施設の人間を皆殺しにするようにと傭兵に命じたのだ。

 この世界には支配者が必要だという彼の説には、まさにベリルが相応しかったのだろう。

「あの時に捕らわれていれば、逃げられなかっただろうね」

 それでも、ハロルドの思惑に従う事はなかっただろう。洗脳になど、決して屈服してやるものか。

 三十五歳の時に捕らわれはしたが、ハロルドの計画は失敗した。そして、ベリルには大きな傷だけが残った。

 施設での事はハロルドにとっては小さな犠牲かもしれないが、ベリルにとってはそうじゃない。

「施設の地下で私のクローンが造られていた事も驚きだったがね」

「なんだって? クローンは成功していたのか!?」

「成功と呼べたのは一体だけだそうだよ」

 他は、どこかしら精神が病んでいた。作成チームが成功としていた一体にしても、あとが続かなかったことから、偶然の成功でしかない。

「それで、そのクローンたちは」

「二名を残して全て死亡。その二人ももういない」

 愁いを帯びた瞳に、マークはそれ以上は訊かなかった。ベリルはそれらに関わり、過去の傷と新たな傷を背負ったのだろう。

 そう思うと、その傷を開くようなことはしたくなかった。尋ねれば、彼は「構わない」と言うだろう。それでも、聞く気にはなれなかった。

 解っている、これは半ば自己防衛だ。僕は、彼の傷を共に背負う勇気を持たない。

「今は別の意味で大変でね」

「大変?」

「何せ不死ですから」

 何度捕まったか知れないと肩をすくめる。

「ああ、それなら僕も調べてみたい」

「冗談でしょう?」

「半分、本気だ」

「言ってくれる」

 外はやや陽が傾きかけたのか、向かいの家の壁がオレンジ色を帯びた陽射しを浴びていた。

「ああ、そうだ」

 マークは思い出したようにつぶやくと、メモ帳に何かを書き始めた。記した一枚を破き、それをベリルに手渡す。

「彼らに会いたいだろう?」

 書かれた文字に眉を寄せ、マークの言葉にベリルの目が曇る。メモを折り、気を取り直すようにマークを一瞥した。

「もっと早くお会いしたかったのだが」

「監視が邪魔だったろ」

「まったく」

「三十年か。長かったな」

「そう、長かった」

 交わす視線に全てが集約されたように、互いに無言で小さく頷いた。何十年と経とうとも癒える事のない傷なれど、それに囚われている訳にはいかない。

「この世界はどうだい?」

 その問いにベリルは窓の外に目をやり、ほんの少しだけ口角を緩めた。

「学ぶことはまだまだあるようだ」

 それだけで、マークには充分というほど理解出来た。彼にとって、学びは楽しみの一つだ。好奇心は尽きないということなのだろう。

 そうして、ベリルは静かに立ち上がる。

「行くのか」

「はい」

 ベリルは上着のポケットから細長い箱を取り出して、見送るために同じく立ち上がったマークにそれを差し出す。

「奥様に」

「ありがとう」

 綺麗に包装された箱の文字を見て目を丸くした。

「これ、かなり高価なものなんじゃないのか」

「独り身だと金の使いどころが無くてね」

 その気遣いに感謝し、マークは素直に受け取った。箱のサイズからしてネックレスだろう。

「また来ます」

「元気でな」

「あら、もうお帰りになるの?」

 買い物から帰ってきたローラが笑顔でベリルを見上げる。

 かなり時間がかかったようにも思えるが、きっと近所のリリーと喋っていたのだろう。いつものことだ。

「とても綺麗な方ね。男性に言う言葉じゃないけど」

「ローラ。彼から君にプレゼントだよ」

 彼女が持っている荷物を受け取り、箱を手渡した。

「まあ! ありがとう」

「それではお元気で」

「また来てちょうだいね。今度はお食事でもごちそうしますわ」

「ありがとうございます。是非」

 マークは、堂々とした威厳のある足取りと遠ざかる後ろ姿にベルハースとブルーを重ね、風格さえ漂わせているその背中に安堵した。

 扉を閉めてリビングに戻ると、緑のボトルをじっと見下ろす。

「──よかった」

 声を詰まらせながらも噛みしめるようにつぶやくと、ボトルを抱きしめてうずくまった。

 これで、僕の役目は終わった。この国ももう長くはないだろう。全てを道連れにしていくよ。だから、君は安心して君の思う道をひたすらに突き進んで欲しい。

 君ならば、その永遠をきっと上手く使いこなすことだろう。だからこそ、君に与えられたのだと思う。もう、何も悔いはない。

 今までの感情がせきを切ったように溢れ出し、涙となって洗い流されていく。

 その腕の中にあるボトルは、語りかけるように琥珀色の液体を、静かに揺らしていた──

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