箱庭の螺旋

河野 る宇

◆踊る螺旋

*プロローグ

 好奇心というものには果てがない。

 例え、それが後々のちのちに何かを引き起こす可能性を多分に秘めていたとしても。

 湧き上がる欲望を抑える事は、この上もなく困難だ──


「成功だ! やったぞ!」

 目の前の泣き声に一人の男は歓喜する。

「やりましたな教授」

「うむ」

 白衣を着た老齢の男たちは口々に喜び合う。

 ここはA国の遺伝子研究所、森の中にある軍の敷地内に建てられた国家機密の扱いを受けている研究施設だ。

 国の正式名称はアルカヴァリュシア・ルセタ──その三分の一は広葉樹林、国の広さはさほど大きくはない。資本主義国家で、アメリカと似た文化を持つ。

 ヨーロッパの一角に位置し、その町並みはイタリアを思わせる。ほとんどを科学技術の輸出でまかなっている小国である。

 薄暗い部屋に設置されている丸いガラスケースには幾つもの管が取り付けられていて、その先には見慣れない機械が赤や青のランプを定期的に点滅させていた。

 元は透明だったと窺える液体は赤く染まり、己の仕事を終えたのだというように満足げにその動きを止めた。

 ガラスで作られた疑似子宮から取り出された赤子はすぐに大きくひと泣きして生を得た事を伝え、それきり沈黙する。

 小さな命から窺える反応や顔からは恐怖でも喜びでもなく、どこからも何の表情も読み取れない。

 鮮やかな緑の瞳は研究チームのリーダーであるベルハースを捉えていた。

 四十代ほどの、わずかに白髪の混じったブラウンの髪に赤茶色の瞳と白いあごひげをたくわえたベルハースはそんな赤子と見つめ合う。

「みんなで名前を決めないか?」

 おもむろに出されたベルハースの提案に一同は笑って同意した。

 しかし、赤子を見つめる彼らの目から少しずつ喜びの光が消えていく。癒しの色の瞳の奥にある輝きは、成功を喜んだ者たちの心に何かを穿うがった。

「綺麗な瞳ね」

 十人からなる研究チームの唯一の女性が小さく笑って赤子の小さな手を指にからませた。

 赤子は母親を求めるように、年配であろう彼女の指をか弱く握る。

 事前の血液検査で全てにおいて正常であると結果が出たその赤子の性別は男性だ。彼女は目を細め口の端をやや吊り上げる。

「きっと聡明な子になるわ」

 赤子はまるで彼らのした事を理解しているかのように、ただ静かに見つめていた。数人がその瞳に耐えきれず視線を外す、それが自責の念かどうなのかは解らない。

 ベルハースは、淡々と威厳のある声を低く絞り出す。

「ベリル・レジデント──というのはどうだろう?」

 その言葉に研究室は一瞬ざわつき、すぐに静まりかえった。

 皆が目を見開いてベルハースを凝視したが、それから眉を寄せ視線を床に落とした。

「ふむ、悪くない」

 頭頂部が禿げた白髪の六十歳ほどの男は薄く笑ってその名前に同意した。

「サイモン教授……」

 それに促されるように他の者も頷く。取り囲み見下ろされる赤子は、複雑な色の視線を感じながらもただ静かに彼らと視界に映る室内を見回していた。

 薄暗い部屋の一角で、人知れずそれは誕生した。

 地球上に現存するあらゆる人種のDNAを可能な限りかき集め、研究を重ね実験を繰り返して完成した完全なる人工生命体、それを造り出す事に彼らは成功したのだ。

『実験No.6666。俗称:キメラ』

 それがA国での彼の名前となる。この世のどこにも存在していない人の名だ。

 彼らの目に、赤子の姿はどう映っているのだろうか──

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