第16話 和平交渉

 次々と襲い掛かってくるアストレア軍の兵士たち。果敢に迎撃するアクアとエリス、それに数名の近衛兵。みんなとても強くて優秀だ。だからさ、俺なんていらないよな。もうお家帰りたいよ、ママー


 裕也は、ひたすら自分の心の怯えを隠すことに専念する。いや、本当は正直に打ち明けたい。でもこの状況で、周りに愛想をつかされてしまったなら。一瞬でアストレア軍の勇敢な兵たちの刀の錆となる。


 もう二度と次の朝日を見ることは出来ないだろう。なので、本当は緊張と怖さで叫びだしたくなる思いを、必死に抑えきり、冷静沈着な裕也君を演じ続けた。


 「ファイアー・エクスプロージョン!」


 裕也のすぐ前に巨大な炎の竜巻が現れる。何これ怖い。敵って兵士だけじゃないの?魔法使いまでいるわけ?そんなサービスしなくていいよ。誰も頼んでないから。


 「アイス・ストリーム!」


 リーアの魔法ではない。どうやら、こちらにも魔法の使い手はいるようだ。よし、いいぞ。君の未来は光り輝いている。だが、裕也の期待は一瞬で打ち砕かれた。どうやら魔力切れのようだ。なんだこいつ、全然使えねぇ。もういい、どっか行けよ。いや、俺がどっか行きたい。行かせてくれ。


 どこまでも自分勝手な言い分を心の中で繰り返す裕也を、アクアが心配そうにのぞき込む。


 「大丈夫ですか?裕也さん。どうか頑張ってください。クルガン王の姿が見えるまで、あなたには指一本触れさせませんから」


 裕也は咄嗟に、アカデミー賞ものの演技で、勇ましい男の表情を作り出す。

 

 「アクアさんこそ、無理しないでください。こんなやつら、今まで戦ってきた敵に比べれば、蚊みたいなもんです。俺に構ってる暇があるなら、自分の身を一番に案じてください。そのほうが俺はよほど嬉しい」


 嘘です。アクアさん。俺のこと一番に守ってください。うわ、また炎の攻撃。今度は矢が飛んできた。今、俺の鎧をかすった。おおっ、鎧が傷ついてるじゃないか。危ねぇ。怪我したらどうすんだ。まじで慰謝料請求するぞ。


 裕也の心の声を全て聞いたかのように、リーアが白けた目で裕也を見つめる。


 「・・マスター、ボク、今だけ心理学者になれるよ。マスターの考え、全部わかるもん」


 「何を言ってるんだい、リーア君。やだなぁ。僕が心配しているのは、周りにいてくれる護衛の方々の身の安全だけじゃないか。うわっ、また別の魔法・・」


 裕也は咄嗟に頭を低くし、アクアの背後に隠れる。


 「いや、別にビビったわけじゃない。だが僕がいるせいで、護衛を務めてくれている方々の負担を増やすわけにはいかない。なるべく隊列の真ん中の、一番安全・・ではなく一番、周りがよく見える位置にいるよ」


 「ボクを敬称していいのは、ボクだけだよ。今のマスターが言うと気持ち悪いだけだからやめたほうがいいよ」


 裕也はリーアからの信頼を犠牲にしながらも、自らの身の安全を最大限に考え、なんとかクルガン王の本拠地が遠目に見える位置まで近づくことが出来た。


 だがそこで最大の試練が立ちふさがる。


 「裕也、出来れば、こんなところで会いたくなかったぜ。だが、こうなった以上は仕方ない。お互い覚悟は出来てるだろうしな」


 アストレアの英雄、ハルトが裕也の前に現れた。手には輝かしい、おそらく名うての名剣と思われる武器を持っている。


 誤解です、ハルト君。俺は覚悟なんて、これっぽっちも持ってません。出会いたくなかったのは同意。よりによって、ハルトを敵として迎えるなんて。


 裕也の思いをさらなる絶望が追撃する。メイガンとルキナまでもが、ハルトのそばにやってきた。


 「裕也、なんでこんなとこまで来るんだよ。クルガン王のそばなら、裕也はたどり着けないだろうと思って、ここに陣取ってたのに」


 「裕也君、リーアちゃん。そんなに命が惜しくないの?どうしちゃったのよ。私に裕也君を攻撃させるような状況を作って、楽しいの?」


 全然楽しくありません。命、とっても惜しいです。うわーん。最悪だよー。ハルト、メイガン、ルキナ。裕也の友にして、アストレアの英雄。もっとも出会いたくなかった三名との、命を懸けたお見合いパーティー。最初に仕掛けたのはアクアだった。


 「アイス・エクスストリーム」


 アクアの仕掛けた魔法に対して、すかさずメイガンが迎撃する。


 「アイス・ドルフィン」


 アクアとメイガンがやりあっている隙をついて、ルキナが裕也のもとに素早く近づいてくる。その前をエリスが阻む。


 「ここから先はいかせないよ。顔でも洗って出直してきな」


 狂犬のような獰猛な笑みを浮かべて、ルキナをけん制するエリス。ルキナはエリスを無視し、召喚魔法を唱え始めた。詠唱は一瞬で終わり、エリスの周りに五体の土人形が姿を現す。


 「くそっ、なんなんだこいつら。異様に強えぇ」


 エリスと土人形の戦いが始まる。エリスは、素早い動きで土人形の仕掛けてくる連続攻撃を紙一重で躱しながら、腰の鞭で一体ずつ確実に屠り去っていく。


 「あら、なかなかやりますわね。ルシファーのもとにいるのが惜しいくらい」


 「けっ、てめぇみてぇな性悪そうな女に褒められても嬉しくねぇんだよ」


 アクアとメイガン。ルキナとエリス。それぞれが互角の戦いを繰り広げていた。そして、必然、余ったハルトが裕也のもとに近づいてくる。


 「まさか、おまえとこんな形で対面することになるとはな。恨むなよ、裕也。せめて苦しまないように一太刀で決着をつけてやる」


 裕也は内心、冷や汗かきまくりでハルトと対峙する。相手はアストレアの英雄。こちらは剣のど素人。クレアの特訓を受けて、基本の型と動きだけは教わったが、それだけだ。勝負とは戦いの前に既に決しているもの。孔子の教えは実に正しい。


 「ハルト、落ち着け、話し合おう。一太刀なんて勿体ないじゃないか。もっと長くながーく、お互いのやりとりを楽しんでからでもいいんじゃないかな」


 ハルトは裕也の言を無視して、攻撃を仕掛けてくる。裕也はハルトの太刀を受け止めるなんて、分不相応な考えは最初から捨てていた。逃げる。ただ、その一点だけに集中する。それが功を制した。なんとかハルトの初太刀をすんでのところで躱すことができた。それだけでも、ほとんど奇跡に近い。


 「どうした、裕也?向かってこないのかよ」


 向かいません。誰がそんな命をドブにさらすような真似しますか。せっかくクレアやジェシカといった美女たちに、いい感じにモテてきたってのに、こんなとこで終わってたまるか。くそっ、こうなったら意地でも生き延びてやる。


 「ファルナーガ!」


 リーアが炎の魔法でハルトをけん制する。だが、ハルトは剣を僅かに動かすだけで、リーアの魔法をかき消した。


 うわぁ、化け物だ。もうハルト君ってば、お強いんだからぁ。こんな俺なんかに構ってないで、とっとと別のところに行けよ。そのほうがアストレアにとってもずっと有意義だろ。うわー向かってくる、向かってくるよぉ。来ないでいいって。俺なんかのために、そんな労力、もったいないよ、ハルトくーん。


 ハルトは次々と攻撃を仕掛けてくる。裕也は文字通り命をかけて、ハルトの攻撃をかわし、逃げることに専念する。もちろん格好良く紙一重で避けるなんてマネは絶対しない。どんなにみっともない躱し方でも構わない。何よりも生き残ることが肝心だ。


 一撃。二撃。三撃目。だめだ、どう頑張っても、これが限界だ。むしろ、ここまでアストレア軍の英雄の猛攻を躱し切った自分を褒めてやりたい。やぶれかぶれになった裕也は声高に叫ぶ。


 「ハルト、おまえはこれが自分の正義だと信じてるみたいだが、本当にこれでいいと思ってるのかよ。俺は今でもおまえのことを大切なダチだと信じている。おまえが俺のことをどう思ってるかは知らないがな。メイガンやルキナも同じだ」


 「今更、何言ってやがる。その大切なダチをおまえは裏切ったんだろうが」


 「俺は、おまえらのことを裏切ったことなど、只の一度もない。それだけは神に誓って言える」


 「ほう。じゃあ何か?ルシファーのところには、情報収集のためのスパイでもしに行ったってのかよ」


 ハルトの発言に、それまで戦いを続けていた、アクアとエリスの手が一瞬止まる。メイガンとルキナはその隙を見逃すほど甘くはない。それぞれの一撃が、アクアとエリスを吹き飛ばす。致命傷にこそならなかったものの、かなりのダメージだ。


 「いーや、俺はここにいるアクアとエリスの味方だ」


 裕也は自信を持って断言した。アクアとエリスの顔に安堵の表情が浮かぶ。同時に、ハルト、メイガン、ルキナの顔が失望の色にせまる。


 「そんな顔をするなよな。俺は同時に、ハルト、メイガン、ルキナの味方でもあるんだからよ」


 「なんだそりゃ?蝙蝠野郎にでもなり下がったか。おまえの言ってることは矛盾だらけだぞ」


 ハルトは裕也になおも迫ろうとする。ハルトの一撃を、エリスが代わりに防いでくれた。仮にもアストレアの英雄の一撃を正面から防ぐとは、エリスの力を少し見くびりすぎていたのかもしれない。


 「ハルト、俺はひとっかけらも矛盾なんかしてないぞ。俺はアストレアの歴史なんか全然知らない。ルシファーの部族についてもな。だから、俺は自分の目で見て、耳で聞いて、心で感じたことに従っている」


 裕也はハルトの目を見て真剣に訴えかける


 「俺は、ハルトもメイガンもルキナも好きだ。アクアもエリスも、そしてルシファーも一緒にいて心地いい奴らだって感じてる。ハルト、頼む。俺をクルガン王に会わせてくれ。ルシファーはおまえらが思ってるような奴じゃない」


 ハルトは初めて攻撃の手を止めて、裕也の言葉に耳を傾ける。メイガンとルキナも同様だ。


 「何かの誤解が、最初はつまらないことから始まって、それがいつの間にか取り返しのつかない程、大きくなっただけなんだ。戦争なんて、大体がそんなものだろう。皆が自分は正しい。こっちが正義だって言い合って。それで一番傷つくのは、真面目に頑張って生きている弱者なんだ。ハルト、おまえの正義はそんな薄っぺらいものなのかよ。国の英雄が聞いてあきれるぜ」


 ハルトはこれまでになかった狼狽の表情を浮かべる。剣技でも魔法でも、自分よりはるかに格下にいるはずの裕也の言葉は、ハルトを確実に追い詰めていた。メイガンとルキナも手に持っていた武器を地面に卸す。


 「裕也。最初に会ったときから思ってたよ。おまえは、何か心の芯の強さっていうのか、上手く言葉には出来ないが。目に見える力とは別の、とても強力な何かがあるってな」


 「そりゃ、買い被りだ。ハルト、おまえまで、俺を過大評価してんじゃねぇよ。俺はぐうたらで、面倒くさがりで、いつだって嫌なことからは逃げ出そうとしてる甘ちゃんさ。でも、だからなのかな。おまえや、他の強い奴らが、こいつら、こんなに強くて頭もいいのに、なんでこんな無駄な争いしてるんだって、それこそ矛盾ってやつを感じちまうんだ」


 いつの間にか、裕也の言葉に、その場にいた皆が黙って耳を傾けていた。ハルトは刀を懐にしまい、裕也のもとにゆっくりと歩いてくる。さっきまでの殺気はもはや欠片もない。


 ハルト達だって最初から、望んで裕也と戦っていたわけではないのだ。むしろ、裕也たちと戦わずにすむ口実を、ずっと心のどこかで探し続けていた。


 「おまえには負けたよ。ついてこい。クルガン王相手にどこまで話せるか分からねぇが、俺も出来るだけサポートしてやる」


 メイガンとルキナも、裕也に近寄ってくる。その顔はあきらめのような、それでいて清々しさを感じさせるものでもあった。


 「俺らもとんだ、メンドクセェ、ダチを持っちまったよな」


 「全くよ。今までの苦労が全て水の泡になるかもしれないわ。ふふっ。リーアちゃんも、こんなマスター持っちゃって、大変ねぇ」


 リーアはここぞとばかりに大袈裟にため息をつく。だがそのすぐ後に、誇らしげに自分の意志で選択した主を見つめ、いつもの定位置、裕也の肩の上に座りかける。


 「これだから、ボク、マスターの側を離れられないのさ」


 アクアとエリスは互いに顔を見合わせ、頷きあった。ルシファー様の判断は間違ってなかった。かすかに見え始めたルシファーの部族の希望。裕也は確かに単純な戦闘力という意味では、雑兵一人倒せないかもしれない。


 だけど彼は、もしかしたら、この長引く混沌とした戦争までも、本気で何とかしてくれるのではないかと、期待を抱かせてくれる。

 

 アクアは何度か繰り返した言葉をもう一度呟く。


 「裕也さん。あなたは本当に不思議な人です。あなたが味方になってくれて、良かった・・」



**************************************



 アストレア陣営の本部。これまで想定もされていなかった会食が突然行われた。クルガン王の隣には、ハルト、メイガン、ルキナが座っている。アクア、エリス、そして裕也とリーア。他にもそれぞれの軍の幹部や、位の高い兵隊長が、それぞれの軍で同数座っている。


 裕也たちとは別ルートで、出来るだけ周囲から隠れるようにやってきたルシファーも、なんとか必死の思いで、どうにか、ここまでたどり着くことが出来た。ルシファーは、アクアの隣の席に腰を落ち着ける。ルシファーの体のところどころに負った傷が、ここまでの道のりがいかに険しかったかを物語っていた。


 「ルシファーよ。せっかくこのような機会を与えてやったのだ。ここまで来て、返答を間違えはせんだろうな」


 クルガンの威圧は、流石に大したものだった。一国の王ともなれば、単なる高圧的な物言いとか、支配的な態度と言ったものとは、まるで異なる。ある種カリスマ性すら持って、聞く人すべてを惹きつける力を持っていた。

 

 「クルガン王。私の答えは変わりません。クヌルフは私たちの領土を突然全て捧げるように通達してきました。多額の税を治めさせ、そのうえ、ここにいるアクアにまで害をなそうとしたのです」


 「やはり、答えはかわらぬか。無駄な会食であった。もうよい。片付けてよいぞ」


 クルガンはそのまま席を立とうとする。それを呼び止めたのは、自軍にいるハルトだった。


 「お待ちください、クルガン王。彼の話をちゃんと聞いてやってはもらえませんか?」


 クルガンは目を見開いた後、ハルトを睨みつける。


 「おまえまで、どうしたというのだ。クヌルフは、確かに褒められた性格ではないが、ルシファーの言うことを真に受けるとは、どうかしてるぞ」


 すると、今度はメイガンが自分の意見を挟む。


 「クルガン王様。どうか決めつけにならず、双方の言い分を聞いて差し上げてくださいませんか」


 「なんだと、メイガン。貴様、誰に向かって口を聞いておる」


 クルガンの姿勢は崩れない。やはり和平交渉など無理だったのだろうか。ちなみに裕也は緊張のあまり、視点も定まらず、口をガタガタ鳴らしていた。


 「あーあ、まーた、元の情けないマスターだよ。もう、どうしちゃったのさ。さっきの格好いいマスターは、どこに置いてきたのさ」


 だが、裕也は答えない。答えられない。緊張で胸がいっぱいになってしまう。もしここで自分が迂闊な失言をしてしまったなら。失敗しました、明日までに修正して提出しますでは済まされない。


 ハルト達やアクア達だけじゃない。顔すら知らぬ大勢の人々の運命まで大きく左右されることになる。プレッシャーが余りにも重すぎる。きちんと断ればよかった・・

ごめん、みんな。俺がその場に流されて、こんな場所までついてきてしまったために、とんでもない迷惑をかけてしまうかもしれない。


 「・・マスター、ねぇマスター・・」


 耳元でリーアが他の誰にも聞こえないような小声で囁いてくる。ああ、リーアだけは俺の本当の弱さも、不甲斐ない心もちゃんと分かってくれてるんだった。無理な期待などせずに、きちんと俺を見てくれている。


 「マスターは、色んな事考えすぎなんだよ。名前も知らない多くの人々とか、考えなくてもいいんだよ。マスターは王族でも政治家でもないんだから。マスターがこれまで出会った、ハルト達やアクア、エリス、それにこの前、一緒に遊んであげた子供たち。まずは彼らのことだけ考えてみて。みんなマスターが弱いことなんて、とっくに分かってると思うよ。分かったうえで、マスターをここに連れてきたんだと思う」


 リーア、今更そんなこと言われても困るよ。裕也は改めて周囲を見渡す。もう心の中がプレッシャーだらけになってしまい、誰が何を発言しているかも碌に分からない。それでもクルガン王とルシファー、それに周囲のみんなの表情から、この会議が上手くいってないことだけは、分かる。


 リーアは裕也の懐に突然潜り込んだ。こんなときに何をやってるんだ?そこには確か・・あっ、そうか、そうだった。こんな大事なことまで、緊張で忘れちまってた。まったく、自分の情けなさが嫌になる。思い出させてくれて、ありがとうな、リーア。


 「やはり、これ以上の話し合いは無駄と見える。いいか、ルシファー。おまえの誤った判断が決定をくだしたのだ。アストレア軍の総力を持って、その罪を償わせてやろう」


 クルガンは、威圧的にルシファーを見下ろし立ち上がる。裕也はその姿を見て、これまでとは全く違う感情を抱き始めた。なんだ、ただの頭の固いオッサンじゃないか。何が王だ。笑わせてくれる。人の話すらまともに聞けないような、堅物が政事なんか、携わってんじゃねぇっての。


 それまで会議の場で一言の口も効けないほど、小さく丸まってた裕也は、突然立ち上がって、あろうことかクルガン王に向かって、即刻切り捨てられても、おかしくない発言を大声で叫んだ。


 「クルガン王、あんた俺よりも頭が悪いんじゃねぇの?何が総攻撃だ。てめぇのバカさ加減を棚に上げて、勝手なこと、くっちゃべってんじゃねぇよ!」


 周囲が一斉に驚き、ざわめきつく。ハルトが何をとち狂ったんだと呟く。アクアとエリスは何も言えず目を丸くする。周囲の参加者たちが、口々に裕也をつまみだせと指示する。裕也はそれら全てを無視して、自分の意見を伝え始めた。


 「大体、あんたらの中でルシファーの治めている街を、実際その目で見たやつ、どれぐらい、いるんだよ?何が未開の部族だ。人を馬鹿にするのも大概にしとけっての。そりゃあ、アストレア王国の城下町には劣るぜ。でもさ、少なくとも俺には、そこに住む街の人々は、みんなそれなりに幸せそうな生活送ってるように見えたよ」


 皆が裕也に注目する。裕也はルシファーのもとにゆっくりと歩みを進め、その肩に手を置いた。


 「ルシファーの言ってることは、おそらく本当だ。クルガン王が渡した財宝は、クヌルフが勝手にてめえの懐に入れちまったんだよ。税を七割治めろだぁ?そんなこと言われたら、反発するにきまってんだろうが。おまけに自分の好きな女にまで、害を加えようとされてよ。それで大人しくしてたら、男じゃねぇっての」


 クルガンは裕也の言うことに、黙って聞いていられなくなり、思わず反論する。


 「だから、それはルシファーの作り話だと言ってるだろうが。どうせ、自分の部族を支配的に扱って、民を苦しめているのだろう。アストレアの属国となれば、そいつらだって、幸せになるはずだ」


 「違います。ルシファー様は、そんな人じゃありません。どうして分かってくださらないのですか?勝手に決めつけないでください」


 クルガンの発言に真っ先に反論したのはアクアだった。エリスも同様にクルガンを厳しく睨みつける。裕也は、今度はアクアとエリスの間に移動し、静かな口調で語りかけた。


 「アルスはさ、喧嘩っ早いけど、常にみんなのこと考えて行動してんだぜ。俺があの年のころは、自分のことで精いっぱいさ。まぁ今でもそうだけどな。あいつ、将来は街の治安を守る仕事に就きたいんだって。立派だよな。ルシファー、よかったら、面倒見てやってくれよ」


 裕也が突然始めた会話の意図が分からず、クルガンはハルト達に問いかける。


 「なんだ、あいつは何の話をしている?アルスというのは何者だ?」


 問いに答えたのは、ハルトではなく裕也だった。


 「アルスってのは、ルシファーの治める街にいる子供の一人だよ。クルガン王様。次にクリードだ。あいつはこの前、妹が出来たって喜んでたっけ。クリードの奴、少し抜けてるとこあるからな。立派なお兄ちゃんになれるか心配だぜ」


 「ベスティはすごいぜ。驚くほど頭がいいんだ。呑み込みも早いし、あいつ、始めてやったはずのドロ刑で、とんでもない作戦たてやがるんだ。このままいけば、将来は立派な参謀とかにもなれるかもな。どうだ?クルガン王。クヌルフなんかより百倍役に立つ大臣になれると思うぜ」


 「最後はシャーロットだ。彼女はとても優しい子だよ。氷鬼やってる途中で、いきなり止まるんだ。おかげですぐ捕まっちまう。なんでだって聞いたら、足元に咲いてる花を潰したくなかったの、だってさ。あんな娘を将来、嫁さんに出来る男は、間違いなく幸せ者だろうな」


 クルガンは突然に全く場違いな話を始めた裕也を、頭のおかしい、可愛そうな子でも扱うように、見つめる。だが、アクアとエリスは違った。彼女たちは裕也がたった今あげた子供たちの名を覚えていた。もっとも、裕也が子供たちと、いつの間に知り合ったかまでは、分からなかったが。


 「裕也さん、なぜ今そんな話を?」


 「だってさ。悔しいじゃんか、アクアさん。どこかの国の頭の固い王様が、ルシファーは自分の治める部族を支配的に扱ってるとか抜かしやがるんだぜ。俺の小遣い三か月分を賭けてもいい。ルシファーは決して、そんな奴じゃねぇよ」


 「お前の小遣い三ヶ月分っていくらだよ?」


 「ハルト、そこ突っ込まなくていいから」


 裕也とハルトは互いに笑いあう。ハルトの隣にいたメイガン、ルキナまで笑い出した。笑いはアクアとエリスにも伝染し、初めて、アストレア陣営とルシファー陣営が同じ卓を囲んで笑い出した。


 一人激高したクルガンが、机を両手で激しく叩く。


 「もういい。おまえの茶番は十分だ。それもルシファーの入れ知恵か?それとも、おまえが自分で考えた作り話か?」


 裕也は、わざとらしく長い溜息をつくと、懐から手紙の束を取り出し、テーブルの上におく。ハルトとアクアが一枚ずつ取り出し、順に読み上げていく。


 「おれのしょうらいのゆめは、みんなをまもってあげられる、まちのヒーローになることです。もっともっとつよくなって、せんそうをおわらせて、みんながわらってくらせるひをつくりたいです」


 「このまえ、いもうとがうまれました。ぼくはこれから、おにいちゃんになります。いもうとがおおきくなったら、ゆうやおにいちゃん、りーあおねえちゃん、またいっしょにあそんであげてください」


 「私はアストレアにいったことあるんだよ。すっごい大きな町だった。でもなんで、私たちのところに攻めてくるんだろうね。誰か悪いことしたのかな。早く捕まって、みんなで仲良く、お互いの街を行き来できるようになるといいなぁ」


 「このまえはあそんでくれてありがとう、ゆうやおにいちゃん。わたし、はしるのおそいから、あしをひっぱちゃってごめんね。でもすごくたのしかった。またあそんでね」


 ハルトは手紙を一つにまとめ、クルガンのもとに持って行った。クルガンの目に初めて動揺が浮かぶ。ルシファーが支配的な人間なら、こんな手紙、存在すること自体が不可能だ。


 アストレア陣営にいた、誰もが難しい表情を浮かべて、顔を下に向ける。アクアは陣営関係なく、皆の空になったグラスにお茶を注いだ。エリスは、ハルトがまとめた手紙を優しく見つめる。


 クルガンが小さくつぶやいた。


 「・・全て、本当のことなのか。ルシファー、おまえは最初から嘘などついてなかったと言うのか・・」


 この世界にはネットもTVもない。情報を正確に伝える手段がないため、悪意と影響力のあるものが情報の受け渡しの間に入ってしまうと、簡単に事実を捻じ曲げてしまう。


 クヌルフは遠縁とはいえ、仮にも王族の血を引くもの。人間は小さい、しかし、権力は大きい。そんな人物が、大臣となり、ルシファーの元へ外交役で出向いたことが、全ての悲劇の始まりだった。


 自分こそが正義と信じるクルガンは、あと一歩で、この手紙を書いた、何の罪もない子供たちが住む街を、大群を持って攻め込むところだった。


 「すまぬ、ルシファー」


 クルガンは初めて、ルシファーの言葉を信じた。ルシファーがクルガンの前に手を差し出す。クルガンはその手をしっかりと握る。


 裕也は二人に拍手を送る。リーアとハルトが続く。メイガンが、ルキナが、アクアもエリスも、立ち上がって手を叩く。拍手は瞬く間に広がり、その場にいたもの全員が立ち上がって、手を叩き続けた。


 今、このときをもって、長く続いた戦争はようやく終わりを告げた。

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