過去と未来と君と僕と

@PrincipiaX

第一章 運命の傷を乗り越えて

第1話  面倒ごとは嫌いなのに・・

「お疲れさまでしたー」


「家に・・帰れる・・」


「安西先生、爆睡が・・したい・・です・・」


短期プロジェクトとは言え、山あり谷ありなどという言葉ではとても言い表せない、濃密な三か月だった、、

最初は四人でスタートした。終わった時には二十名。入れ替わった人数八名、うち退職者三名


 企画が明確なコンセプトをもたないまま、開始されたプロジェクト。経営陣は最新技術さえ取り入れれば成功を見込めると判断し、VRを取り入れよう、機械学習を取り入れようと次々と要求仕様を変更。いや、最新技術を取り入れること自体はいい。

 むしろエンジニア目線で言えば様々な技術に積極的に触れ合える非常に恵まれた環境とも言える。モック形式で小規模プロジェクトを試してみるぐらいなら、やってみる価値は十分にあるだろう。大変有意義な時間の使い方だ。


 だがそれが社運をかけたプロジェクトとなれば話は全く異なる。ビジネスモデルは一貫性を保っておらず、ターゲット顧客すら曖昧。仕様は毎日どころか毎時のように変更される。いくらタスクスケジュールに気を使っても、何の意味もない。

 これで炎上プロジェクトにならないなんて、プロジェクトの持つ合理性の否定。そんなことは神にも不可能。そのプロジェクトが長く辛い奇跡の末に、今ようやく終わりを告げた。経営層がたった一度だけ発した、誰もが待ち望んでいた魔法の言葉によって。


「中止しまーす。来月からまた別プロジェクトにアサインするから、それまでゆっくりしてて」


PCとオフィスに持ちこんでいた寝袋を片付け、久しぶりに帰路についた。今は真昼時。朝夕はラッシュで身動きすら満足に取れない電車だが、この時間帯なら余裕で長椅子を独り占めして座れる。最後に寝たのは何時間前だっただろう・・とっくに数えるのをやめていた。人はあまりに体が衰弱しているとかえって眠ることができないようだ。


 目をつぶることすら疲れておっくうになっている状態で、ふと何気なしに電車の窓から景色を眺めていると、拳大の大きさの羽虫のようなものが見えた。いや、羽虫ではないか。目を凝らしてよく見てみると、奇妙なことにその得体のしれない何かは女性の顔を持っていた。金色の綺麗なロングヘアーに緑色の瞳。やや童顔さが残っているが、それがかえって幻想的な美しさを醸し出している。


これだけ疲労がたまっているんだ。そりゃ窓の外に怪物の幻も見るわな。


・・いや、幻じゃない。確かにその形容しがたい何者かは電車の窓の外を浮遊している。しかもこちらの方を見て何か叫んでいる・・ような気がする。

そんなわけがない。気のせいだ。寝よう。睡眠をとればすべてが解決する。

 朝霧裕也が、全てを忘れて眠りにつこうと目を閉じたとき、腹の上になにかが乗っているような感触を受けた。なんだ?柔らかくて暖かい。そして気持ちいい。だが眠いんだ。他のすべてのことはどうでもいい。頼むから寝さしてくれ。


「・・て」


「・・づいて」


 腹の上にのっている何かが囁きかけてくる。こんな幻聴まで聞こえるようになったか。いよいよ末期だな。どれだけ疲労が溜まっていたんだ。


「ボクに気づいて」


 腹の上のなにかは、ついにはっきりと、裕也の耳に聞こえる言葉を投げかけた。裕也は疲れの中、薄目をあける。

腹の上には先ほどみた拳大ほどしかない身長にもかかわらず、羽をつけて、緑色の目と金色の髪をした、はっとするほど美しい顔を持つ何かが、裕也の目を見つめていた。


 ・・人は本当に驚いたとき、悲鳴すらあげなくなるという。話に聞いたことはあったが、実体験する機会が訪れるとは今この時まで思ってもみなかった。

 今の状況を、あくまで論理的に説明しようとするなら、『疲れて寝ぼけている』の一言につきる。

 目の前に羽の生えた美少女がいる。腹の上に座っており、感触もある。これは現実なのだろうか。そんなはずはない。だが・・


「ボクのこと見えるんでしょ?ボクの声、聞こえているんでしょ?ボクはリーア。お願い、気づいて、裕也」


 リーアと名乗った得体のしれない生物は、懇願の表情を浮かべて裕也に囁きかけてくる。必死さを切実に訴えかけて泣きそうな目。プロジェクトがデスマーチに陥って、それでも納期だけは迫ってくるときに見るチームメンバーの目によく似ている。

 幻聴、幻想だとわかっていながら、何故か無視することに罪悪感を覚えてしまう。それゆえ、裕也はついに、リーアと名乗る得体のしれない何かに向かって返答してしまった。


「リーアって誰だよ?何なんだよ?いや、なんでもいいから放っといてくれ。頼むから眠らせてくれ。」


 「!!  やっぱりボクが見えるんだね。」


 リーアは、絶望のさなか、ようやく一筋の光を見たかのように裕也を見つめてくる。そして、裕也の目線の目の前に顔を近づけると、裕也が次の言葉を発する前にふいに唇を重ね合わせた。

 瞬間、あたりは薄紫色の光に包まれる。何も見えない。そうか、これは夢の中か。もうすでに俺は眠りについてるんだな。裕也は自分の今の状況をそう判断し、ならばどうでもいいやと目を閉じた。そして何十時間ぶりかの睡眠につく。


 いつのまにか光が消え、気が付くと、石畳の上に眠っている自分に気が付いた。なんだ?確か電車に乗って帰る途中だったはず。いや、あれも夢だったんだっけ。リーアとか言う変な羽の生えた頭のおかしな女にいきなりキスされたんだったか。でもまぁ悪くはない夢だったかもな。

 しかし、ここはどこだ。いやそもそも、どこからが夢だったんだ。家には帰ったんだろうか。体のあちこちがきしむ。重なる疲労に加えて、寝ぼけて石畳の上に倒れていたからだろうか。


 だが、なにかおかしい。ここがどこかも分からないが、その前にまず通行人の様子が変だ。猫耳の被り物を頭につけている者。尻尾をつけた女性。トカゲの被り物を身に着けている者もいる。もっとも、普通の人々も大勢いるが、身に着けている衣装が中世の西欧諸国のような、あまり見かけない服装が目立つ。

 今は四月。ハロウィンの季節じゃないはずだ。まぁ好きなやつは時や場所に関係なく仮装パーティーを楽しむのだろう。個人の趣味をどうこういうつもりなどない。だが、それが一人や二人ではなく、そこら中にいる。何かのイベントだろうか。


 とりあえず現状を把握しようと周囲を見回してみると、奥のほうに人だかりが出来ているのが見えた。気になって、近づいてみてみると、漆黒のローブをまとった銀色の長い髪の少女が顔を手でかばいながら涙を浮かべて立っていた。その周囲には悪意と憎悪に満ちた人々が立ち並び少女を囲んでいる。彼らは皆、殺気立って、道端の石などを少女に向かって投げつけていた。


 「このガキが後何時間たってられるか、賭けねぇか」


 「なんでこんな娘がこの街にいるのかしら」


 「早く追い出したほうがいい」


 「いや、それより奴隷商人にうっぱらって、その金でビロード街いこうや」


 「ビロード街って、あの娼婦街か。ま、それもいいかもな。今手に持っている分だけ投げ終わったら、そうするか」


・・なんだ、これ。何のイベントだ。いや違う。こんなイベントあるわけない。というか犯罪だろ。なんで誰も助けようとしない。警察はどうした。目の前の男が再び手に持っている石を投げつけようと手をあげる。裕也はその手をとっさに掴んだ。


 「ちょっと、何してるんですか?警察呼びますよ。」


 だが、手をつかまれた男は酷く眉間にしわを寄せた形相で裕也を睨みつけた後、迫害を受けている少女に向かって、裕也を突き飛ばす。


 「なんだぁ、てめぇ、まさか悪魔の子の味方しやがんのか?」


とたんに周囲が同調する。こいつも殺すか。いやまずは嬲ろうぜ。まぁ恐ろしいわ。揃って消えてくれないかしら。悪意をもった人々の目が裕也を睨みつけてくる。


 なんだってんだ・・意味が分からない。今の状況もそうだが、明らかに犯罪行為を働いている目の前の輩を、なんで誰も糾弾しない。なんで誰も警察を呼ばない。

 いやそもそも、ちょっと待て。さっきの男、奴隷商人がどうとか言ってなかったか。法治国家の現代日本において、そんなものないだろ。


 くそっ、現状把握しようにもわけのわからないことが多すぎる。

 頭の中カオス状況で、それでも考える。優先順位をつけるとしたら何が先か。現状把握はとりあえず後回しでもいい。

 最優先事項は目の前にいる怯えている少女に対して、悪意をもっておかしなことをしようとしている集団をなんとかすること。まずは警察を呼ぼうとスマホを取り出してみたが、何故かこんな街中なのに圏外になっている。公衆電話らしきものも、目につく範囲には見当たらない。


 別に正義の味方を気取るつもりなんて全くない。そんな力も知恵も勇気もない。裕也は自分のことを客観的に見ても、出来るだけ日和見主義の事なかれ主義というへたれであることを認識している。

 しかし、それでも、例えどんな事情があるにせよ、一人の女の子に大の大人がよってたかって、明らかに当たれば怪我をするものを投げつけるような非道を許すほどには、自分は腐ってはいない。

 

 だが、どうする?少女に悪意を持って、何かを投げつけようとしている輩は少なく見積もっても二十人以上はいる。それも老若男女様々な構成だ。そして、それを取り囲んでいるやじ馬たち。警察は見当たらない。やじ馬たちも見ているだけで、目を背けたり、顔を覆って、少しやり過ぎじゃないかと呟いている人はいるが、助けようとしている人は誰もいない。


 裕也自身でなんとかしようにも、もともと、そんなに喧嘩の腕にも、他者への説得力にも、それほど自信があるわけでもない。それにこの状況じゃ、仮に多少の腕があったとしても、収めるのは難しいだろう。


 かといって、あまり考えてる時間もない。結局なにもいい考えが浮かばないまま、裕也は目の前の男に向かって、地面に落ちていた、なるべく当たっても痛くなさそうな小さめの小石を投げつける。男が一瞬だけ怯んだ隙に、少女の腕を掴んで、一目散に逃げだした。少女は驚いて裕也を見るが、無言でついてくる。


 どこに逃げればいいのか、全くの見知らぬ土地で皆目見当もつかない。出来れば交番を探したいが、そんな余裕もない。すぐ後ろには悪意を持った集団が追いかけてくる。


 結局考えなしに適当に道を選択しながら、逃げ回ったあげく、袋小路に入ってしまった。さっき少女の目の前にいた男とは別の、見るからに屈強そうなタンクトップ姿でスキンヘッドの男が、獲物を狩る残忍な目で裕也と銀色の髪の少女に近づいてくる。その後ろにもぞろぞろと嫌な目つきをした連中が連なっており、どう頑張っても逃げ場など作れそうもない。


 銀色の髪の少女は震えて、自分の両腕を抱きかかえている。裕也はせめて、自分の身を盾にして目の前の少女を守ろうと、迫ってくる男の前に両腕を広げて立ちふさがった。そんな行動に何の抑止力もないことなど、この場のほかの誰よりも裕也自身が理解している。


 ただ、少女を守ろうとしたという自己満足が欲しかっただけかもしれない。しかし、それでも今の裕也に出来ること、考えつくことはそれしかなかった。


 力のある人間なら、目の前の男たちを叩きのめして少女を救えるかもしれない。頭の良い人間なら、華麗にこの場を切り抜ける妙案を思いつけるのかもしれない。

 だが裕也にはそのどちらも出来なかった。ただただ自分の無力さをはがゆむことしか出来ない。裕也は目をつぶり、少女を助けられない自分の弱さを心の中で謝罪する。

 

 「ファルナーガ!!」


 突然、凛とした声があたりに響いた。目の前の男の前に炎の壁が立ちふさがる。どこから聞こえた?声の主を探そうと周囲を見回す。ふと、目の前に拳大ほどの大きさの羽をつけた金髪の美女がその妖艶な姿を現す。


「さっき電車の中で夢の中に現れた・・」


 「ちょっと、何言ってるのさ。意味わかんないよボク。それにリーアってちゃんと名乗っただろ?いや、そんなことは後回しだ。とりあえず、あいつら片付けるよ。」

 

 リーアが手をかざすと、目の前にドーナツ状の炎が現れる。リーアの手の周りに薄く白い光の幕が出来たかと思うと、炎はまるで意志をもったかのように、悪意を持って追いかけてきた集団に襲い掛かっていく。


 それは異様な光景だった。炎が人の攻撃を躱す。炎が銀髪の少女と裕也に近づく輩に対して盾となる。炎が襲い掛かろうとしてきた男を吹き飛ばす剣となる。炎はまるで忠実な意思を持ったリーアの部下のように振る舞う。

 

 その異様さに畏怖した人々は一目散に、方々に逃げ出した。悪意を持っていた人々の脅威は去り、リーアと銀髪少女、そして裕也だけが残される。


 「助かったぁ・・もうどうすることも出来ないと思ってた・・」


 「ボクがせっかく連れてきた裕也を、こんなところで見捨てるわけないじゃん」


 思わず安堵をつぶやいた裕也に対して、リーアが微笑みかける。だが、言葉の意味は全く理解できない。何でリーアは俺のことを前から知ってるかのように話す?少なくとも俺はリーアのことなど何も知らない。

 いやまず、ここが何処で、今がどういう状況なのか、自分はいつも間にこんな全く見知らぬ土地に来たのか。リーアはどういう存在なのか。何故、銀髪の少女は、あんな目に遭わされていたのか。現状を整理しようにも、何もかもが分からない。


 混乱しながらいろいろ考えているうちに気が付いたら、銀髪の少女が裕也の服の袖を掴んでいた。

 よほど怯えていたのだろう。袖を掴みながら、まだ震えがとまっておらず、涙を浮かべた目で裕也を見つめてくる。


 そうだ、状況整理ももちろん大事だが、まずこの娘の安否を確認しなくては。見るとところどころに擦り傷を負っている。汚れもひどい。だが、それ以上の大きな怪我はないようだ。不幸中の幸いというやつか。

 裕也は持っていたハンカチを、少女の一番大きな擦り傷のところに巻き付けて簡単に応急手当てし、そっと頭をなでる。


 「怖がらないで。もう大丈夫。少なくともお兄さんは君の敵じゃないよ。」


 「あっずるい。その言い方だとボクは敵みたいに思われるじゃんか。」


 銀髪の少女を安心させるためにつぶやいた言葉に思わぬ形で反論が入った。リーアが裕也の目の前で空中静止して、鼻先をつついてくる。


 「なんだ羽虫女?いや、お前のことも色々聞きたいんだが、まずはこの娘の手当が先だ。とりあえず病院に連れて行かないと。見た目だけでも相当ひどいしな。ここから一番近い病院、どこか知ってたら教えてくれないか?」


 「ちょっと、羽虫女ってなにさ。キスまでした相手にその言い方はないだろ。ボクの名前はリーア。何回言わせるのさ。せっかくボクがかっこよく助けてやったってのにあんまりじゃないのさ。それに病院ってなんのことなのさ。」


 キス、夢じゃなかったのか・・え、それよりちょっと待て。病院を知らない?いや、何を言ってる?じゃあ、病気やケガしたときどうしているっていうんだ。健康診断受けたことないのか?

 ただでさえカオス状態の現状把握をさらに混乱させてくるその物言いに、裕也は軽く怒りを覚える。

 

 「病院知らないって、何の冗談だよ。この娘の怪我みてなんも思わないのかよ。そりゃ、助けてもらった手前、偉そうなことは言えないけどさ。だけど、この状況で変な冗談言ってる場合じゃないだろ!」


 だが、リーアも怯まない。


 「なに言ってるのさ。その娘の怪我は、たった今、君が現在進行形で治してるじゃないか。ヒーラーの魔法の使い手なんて珍しいのに、君のほうこそ何をわけわからないこと言ってるんだい?」


 え?治してる?俺が?いやいやいや。何の治療もしてないし、当然医師免許なんか持ってないぞ。だが、改めて見ると、少女の怪我は確かに前より減っている。どういう原理だ?何もしてない。それに治ってる箇所と治ってない箇所があるのはなんでだ。俺が治したってどういうことだ?


 しかし、あることに気づいてはっとする。先ほどハンカチで応急処置した箇所を含めて、裕也が触れた箇所だけ、傷が治っているのだ。そんなまさかと思いつつ、裕也は少女の別の傷を触ってみる。


 すると、触れた箇所を中心として、傷が泡状になっていき、その泡もだんだんと小さくなっていく。最後には傷そのものがなくなっていった。


 傷が癒えていくことに、裕也と銀髪の少女は互いに互いを見ながら驚いていた。最も、二人が驚いている理由は全く異なる。裕也は自分が触れた箇所が癒えていくことに驚く。自分にそんな力があるなんて信じられない。今自分はこの娘に何をしたのだろうか。

 

 だが、少女の方は、裕也の癒しの力ではなく、そもそも自分を助けてくれる人がこの街にいるということに深い驚きを感じていた。自分は悪魔の子だ。街の中では、そう誰もかれもが指さしていた。


 自分は世の中に間違って生まれてきた存在なんだ。爺やとカカ様のところ以外、どこにもいてはいけないんだ。今の今までそう思い続けていた。まさか、こんな自分を爺やとカカ様以外で助けてくれる人がいるなんて夢にも思わなかった。そのことを思うだけで再び涙が出てきた。辛さや痛みでなく別の理由での涙だ。少女自身、今の自分の感情がどんなものであるのか、はじめての感覚だった。 


 裕也はそんな少女を見つめる。今がどんな状況なのか全くわからない。

 だけど、この娘が酷い目に遭わされていること、そしてこんな酷い目に遭わされる筋合いのない人間ということだけは分かった。

 裕也は何とも言えない胸の奥から締め付けられるような衝動に駆られて、思わず少女を、優しく抱きしめる。瞬間、電気ショックを受けたような感覚が裕也を襲い、裕也と少女の意識が交差する。


 これは少女の記憶・・?


 どこかの納屋の中だろうか。両手両足を縄で拘束されて、折檻を受けている少女が見える。周囲には明らかに悪意に満ちた目や蔑みの目が累々と並ぶ。虐待というやつだろうか。人間の嫌な箇所ばかりを集めたフィルムでも見ているようで、吐き気がする。気持ち悪い。


 「なんであんたみたいのが生まれてきたのよ」


 「こいつになら、なにしても許されるよな」


 「こいつのせいで、俺は・・」


 「悪魔の子め。とっとと失せろ」


 「悪魔の子よ。坊や近づいちゃだめよ。あっちに行きましょ」


 少女の記憶の一旦が裕也の脳裏に焼き付けられる。少女の感情の一部が裕也の全身を駆け巡る。まるで救いのない世界。ほんの一部で、これほどの痛々しい記憶があるのなら、この少女の抱える心の闇はどれほどのものなのだろうか。


 はっと目が覚めて周囲を改めて見回すと銀髪の少女の震えは止まっていた。裕也を見つめて、囁きかけてくる。


「泣いてるの?お兄さんもつらい?やっぱり私が悪魔の子だから・・ごめんなさい・・ごめんなさい・・」


 裕也は先ほど見た少女の記憶の一部かと思われる反吐が出るような光景を思い出し、少女を力をこめて抱きしめて思わず叫ぶ。


「謝るな!お前、何にも悪くなんかないだろうが!」


 少女は驚いて裕也を見る。裕也もまた、少女を見つめ返す。裕也は、もうなんとなくだが、今いるこの場所がこれまで自分がいた世界と全く常識の異なる世界だということを受け入れていた。夢を見ているだけだというならそれでも構わない。ただ目の前の少女を助けたい。それだけだ。


 「帰るところはあるのか?もしないなら、俺と一緒にこないか。といっても俺自身この世界のこと何にもしらないし、今の状況も何もわかってないんだけどさ。」


 「えっでも私、悪魔の・・」


 「んなこと、知るか。面倒なことは嫌いなんだ俺は。だからシンプルに考える。俺はお前を助けたい。だから助ける。それだけ。オーケー?」


 「お・・おーけー・・」


 少女の瞳に再びまた涙が溜まってくる。これも痛みや辛さではない涙だ。少女は裕也の背中に腕を伸ばして抱きしめ、その小顔を裕也の腹の中心に埋める。裕也もまた、少女の背中に手を回し、そっと銀色の綺麗な髪を優しくなでる。


「なぁお前・・じゃなくて君。綺麗な銀色の髪のお姫様。名前を教えてもらってもいいかな?」


 「ルーシィ。私、ルーシィ。お兄さんは誰?」


 「ああ、俺は朝霧裕也。ユウヤでいいよ。」


 「ユウヤぁ。えへへ。変な名前~」


 ルーシィは裕也の膝の上に顔を載せかえて、ひとしきり笑った後、そのまますぅっと眠りについた。そんないい雰囲気を勝手に作ってる二人を見て、リーアは両手を腰にあてて、頬を膨らませる。


 「ちょっと、さっきからボクのこと無視しすぎじゃない?君をこの世界に呼んだのはこのボクなんだよ。さっき助けたのもボク。そこのところ、分かってる?」


 君をこの世界によんだ・・か。裕也はそれほど驚かなかった。なんとなくだが、さっきから、リーアが裕也をこの世界に連れてきたという気はしていたのだ。分けのわからない世界に、常識はずれの人々の仕打ち。それは全部、電車の中でこの金髪の羽虫美女・・リーアを見てから始まっていた。


 裕也はルーシィを膝の上にのせ、頭を優しくなでながら、リーアを見る。先ほどまでに比べれば、いくぶんか平常心を取り戻していた。


 「まぁそうだとは思ってたよ。そんでもって、お前の目的・・のうちの少なくとも一つは、この娘を俺に出会わせること。まぁ他にもいろいろあるのかもしれないが。そうなんだろ?」


 「へぇ。分かってるんだ。ちょっと見直したよボク。さすがはボクが主にしてもいいって思った人だね。これから、宜しくね・・裕也・・いや、ホクのマスター様」


 マスター・・?この数時間の間で、何度目になるかわからない『何のことだ』の追加だ。いつから、俺はこの羽虫女のマスターになった?


 「マスターって何?もしかして何々と戦えーとか、何々を救えーみたいな、めんどくさそうなこと?だったら、遠慮しとく。そりゃルーシィのことは放っておけないけど、それとこれとは別。言っとくが俺は平和主義なんだ。争いごとは極力ごめんこうむる。」


 そんな裕也の素っ気ない返答にリーアは急に慌てだす。


 「ええ?遠慮するの?ボクのマスターになれるんだよ。考え直そうよ。うん、そうしよう。こんな可愛い精霊を放っておいて、良心が痛んだりしない?するよね。するにきまってる。」


 「お前精霊なのか。そんのもの本当にいたのか。いや、どうでもいいや。それよりもだ。あいにくと全く、当方ではそのようなもの(良心)などは取り扱っておりませんので、謹んで面倒ごとは辞退させていただきます。」


 「そんな、やだ。やだやだやだやだ。ねぇボクの何が気に入らないの。マスターになってよぉ。お願い、お願いします・・」


 リーアは裕也の周りを飛び回り、両手を合わせて祈ってくる。裕也には何故リーアが自分なんかのことを、マスターとやらにしようとしているのか、全く心当たりはない。しかしこんなに懇願されると可哀そうになってくる。それにさっき助けてもらった恩もある。


 「しょうがねぇな。マスターとやらになってもいい。だがその前に事前確認だ。契約書はちゃんと読んでからサインしないとな。まず、マスターになることでのメリットとデメリットを教えてもらえるか?いやそれ以前にマスターになるってどういうことだ?」


 リーアは一瞬で泣き顔から満面の笑みに早変わりし、説明をしだす。


 「うんとねぇ。まずマスターになるってことだけど、ボクが裕也のお供になるってことかな。特別に命令されない限りは一緒に行動する。命令があれば、ボクがよほど嫌だと思うものでなければ、聞くよ。次はメリットだね。ボク、こう見えても料理・・はちょっとできない、掃除・・も少し苦手。洗濯・・は自分でしたことないや。だけどね、えっとえっと、、あ、そうだ、さっき見せたような火属性魔法なら使えるよ。けっこうすごかったでしょ。もっとも見かけだけで、あたっても威力は低級レベルなんだけどね」


 「メリット、なんかあまり多くねぇな。っていうか、要は低級の火属性魔法使えるって点しかねぇんじゃ・・で、デメリットは?」


 リーアは再び満面の笑みから泣き顔になる。表情を素早く変更できるってのも、ある意味、特技のひとつかもしれない。


 「デメリットは・・ボクの願いをひとつだけ、かなえてもらう必要があるということ。その願いはマスターになった後で教える」


 「なんだそりゃ?つまり、契約後じゃないと、願いの内容すらわからないってことか?」


 「うん・・やっぱり、ダメ?」


 「ダメに決まってんだろ。契約した後、お前の命よこせとか、一生奴隷とか言われたら、飲まなきゃいけないってことじゃねぇか。却下だ却下。」


 「そんな、ボクが裕也にそんなこと願うわけない・・でも、信じてもらうしか・・やっぱりダメだよね・・ボク、このままここにいたら迷惑だよね。ごめんね。さよなら・・」


 リーアは肩を落として、飛び去ろうとした。裕也はそんなリーアを見て、さすがに気の毒になり、なんとなく手を伸ばす。そう気を落とすなよ、と肩を軽く叩くだけのつもりだった。手がリーアの肩に触れる。瞬間、再び裕也に電気ショックを受けたような衝撃が襲い掛かる。


 今度はリーアの記憶が流れ込んだってことか?


 どこかの城か大聖堂の中だろうか。やたら、大きな広間に素顔を完全に隠した神官らしき者たちが八名、リーアを取り囲んでいる。背景には巨大なステンドグラスが飾られており、周囲には巨大な騎士の彫像が立ち並んで、荘厳な雰囲気を醸し出している。


 「次の贄には、リーア・・なってくれるか?」


 「えっ?嫌、嫌よ。私もっと色々な場所に行きたい。色々なものが食べたい。勉強したいことだって、それにいつかは恋だって・・まだ死にたくない・・」


 「しかしのぉ、しょうがないことなんじゃ。お前もわかっておろう。」


  「やだ、お願い。絶対にいやぁ。そうだ・・マスター見つけて・・」


 そこで、意識は途切れた。裕也は目を覚まし、リーアを改めてみる。これはリーアの記憶の一部なのか。だとしたら、このまま放っておいたら、リーアは死ぬことになってしまうということか。なんでルーシィといい、リーアといい、こんな深刻な体験ばかりしてやがる。



 「あぁもう・・なんでこんな面倒くさいことに・・リーア、契約するよ。お前のマスターになってやる。ほらとっとと俺の気が変わらないうちに、契約の手続きかなんか済ませろ」


 リーアは驚いて、裕也を見つめ・・そして本日二度目の口づけをした。


 


 


 

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