20kHz

水谷一志

第1話 ヘッドフォン

  中田亜美子(なかたあみこ)は、クールな見た目である。

 年齢は、もうすぐ20歳を迎えようとしているが、その見た目は、どこか大人びており、気品を漂わせている。例えば、亜美子は大きな目で、鼻筋も通っており、一般的に言う、「美人」という言葉が、亜美子にはぴったり当てはまる。実際、亜美子は現在とある総合大学に通う大学生であるが、その見た目から、亜美子に好意を寄せる男子学生も少なくない。

 また、その見た目は凛としたものであり、いわゆる「可愛らしい」という言葉は、亜美子には当てはまらない。俗に言う所の、「キレイ系」という言葉が、亜美子の見た目をよく表しているだろうか。

 そして、亜美子は身長も、160cm台後半と、女子にしては高めで、スタイルも良く、そのことが亜美子の品を、より一層高めている。

 それら全てを合わせて、亜美子は人から、

「亜美子って、クールだね。」

と、言われることが多い。

 さらに、亜美子がクールなのは、見た目だけではない。亜美子は、大学では文学部に所属しており、フランス文学を専攻している。その中でも特に、サルトルの著作が、現在のお気に入りだ。(サルトルの著作は一般的に難解だと言われているが、その難解さが、亜美子を惹きつけるらしい。)そして、そのサルトルの著作を原著で読むため、また大学の単位のため、そして純粋な向学心のために、亜美子はフランス語を真剣に勉強しており、近々、フランス語検定2級を、受けようとしている。

 この専攻だけでも、人から

「クールだね。」

と言われる要素は十分だが、亜美子はそれだけではない。亜美子は、大学のオーケストラのサークルに所属しており、楽器はフルートを担当している。そのサークルは、一応「サークル」という名目で活動しているが、実際は部活動に近く、亜美子を含めサークルのメンバーは、空き時間があれば毎日練習に、勤しんでいる。特に、そのサークルの定期演奏会が近づくシーズンには、夜遅くまで練習することも、珍しくない。

 「亜美子ってさ、本当に何でもできるよね。うらやましいな。」

これは、亜美子が友達から、よく言われる言葉である。実際亜美子は勉強もよくでき、通う大学もある程度の偏差値と格式のある所である。(ちなみにフランス語の出来も、大学に入ってからの勉強で、なかなかのものになっている。)また、楽器も得意で、サークルで担当しているフルート以外にも、ピアノやヴァイオリンを嗜み、それらの楽器全ての力量は、折り紙つきである。

 このような亜美子の趣味・嗜好から、

「亜美子って、見た目だけじゃなく中身も、お嬢様だよね。」

と、言われることが多い。

 しかし、亜美子はいわゆる「お嬢様」ではない。

 亜美子の家は母子家庭で、亜美子は母親の手一つで、育てられてきた。そのため、亜美子の家は決して裕福ではなく、昔からお金にはそれなりに苦労してきた。実際、大学に通うために、亜美子は奨学金を利用しているし、サークル活動で使用するフルートも、亜美子がアルバイトで貯めたお金で買ったものである。ただ、亜美子の大学は家の近くにあったので、亜美子は一人暮らしではなく、実家で暮らしている、ということが、亜美子の家の家計を少し助けている。もっともこれは、亜美子が自分から、志望校を変えて実家暮らしができる大学にしたのではなく、あくまで自分の志望校が、たまたま家の近くで、通いやすい大学であった、という結果である。

 このような亜美子の家の状況のため、亜美子はアルバイトを掛け持ちして、学費やその他の出費分を稼いでいた。そのため、亜美子は、その見た目や佇まいからは想像できないような、苦学生であったのである。

 

 「亜美子、今日もこれからバイト?」

亜美子の大学の同級生、緒形浩一(おがたこういち)が、亜美子にこう話しかけた。

 「うん、そうなんだ。まあ夕方からだけどね。夕方まではサークルの自主練で、その後は塾の講師のバイト。」

「相変わらずスケジュールぎっしりだな。塾か。亜美子らしいな。」

2人は、毎週水曜日は昼食前の2限の時間に同じ講義をとっているので、その後学食で一緒にご飯を食べることにしていた。また、亜美子たちの通う大学は、毎週水曜日は、どの学部も講義は午前中までで、午後からは休みになっていた。

 そしてその日は、大学が冬休みに入る直前の、12月の終わり頃で、亜美子たちの周りには、

「クリスマスの予定、どうするの?」

「私、まだ相手いないしな…。」

など、来たるクリスマスに向けた話をしている学生も、多くいた。

 「そうかな。バイトは大変だけど、頑張らなくちゃね。」

「亜美子は偉いな。俺もバイトは一応してるけど、飲食店で適当に接客してるだけだしな…。」

「そんなことないと思うよ。浩一も、十分頑張ってるよ。」

「ありがとな、亜美子。俺もこれから夜までバイトなんだ。」

「いえいえ。そうなんだ。頑張ってね。」

「おう!」

 こう2人は話した後、それぞれの予定へと向かった。

 

 浩一とは、小学校からの付き合いであり、「幼なじみ」という言葉が、2人にはよく当てはまる。2人は、通っていた小学校、中学校はもちろんのこと、高校も一緒で、さらに、今通っている大学も、一緒である。またその関係か、親同士も仲が良く、亜美子の家と浩一の家とは、家族ぐるみの付き合いをしている。

 また、浩一は背も180cmと高く、顔もいわゆる「イケメン」に入る部類であり、今までの人生、浩一は、異性に好意を寄せられることが多かった。

 それに関して、こんなことがある。高校時代、浩一はサッカー部に所属していた。浩一は運動神経も良かったので、そのサッカー部では、エース級の活躍をしていた。そのため、その見た目とプレーの実力から、女子高生からの人気は抜群で、ラブレターも、浩一はたくさんもらっていた。

 そんな中、浩一より1つ下の、サッカー部のマネージャーが、浩一に告白してきた。

「緒形先輩、これ、読んでください!」

と、練習終わりにその後輩が、浩一にラブレターを渡したのである。

 「緒形浩一先輩、私、先輩のことが好きです。(中略)これ読んだら、学校近くの、○○公園まで来てください。私、待ってます。」

ラブレターの内容は、抜粋すると、このようなものであった。

 「ごめん、俺、香織ちゃんと付き合うことはできないよ。」

浩一は、その女の子の呼び出しに応じ、近くの公園まで出向き、丁重に女の子の告白を、断ろうとしていた。

 「…そうですか。分かりました。…先輩、かっこいいし、モテそうだし、私なんか、眼中にないですよね…。」

「いや、そういう意味じゃないんだ。香織ちゃんはかわいいし、魅力的だと思うよ。

 ただ、俺、好きな人がいるんだ。そいつとは小学校の時から一緒で、いわゆる幼なじみ、ってやつだね。俺、そいつのことが、本気で好きなんだ。だから、ごめん。他の人と付き合うことは、考えられない。」

「そうですか。その幼なじみさん、幸せだと思います。でも、そんな一途な先輩、素敵ですね。やっぱり、私なんか眼中にないですよね!」

「いや、そういうわけじゃ…。」

「冗談ですよ。

 それで、その幼なじみさんは、先輩のことどう思ってるんですか?」

「多分、俺のことなんか意識もしてないと思うよ。全然そんな素振り、見えないからね。まあ、昔からの友達、ぐらいにしか思ってないんじゃないかな?

 でもいつか、ちゃんと気持ち伝えて、一緒になりたいな、って思ってる。」

「なるほど。頑張ってくださいね!」

「うん。今日は本当にごめんね。」

 実際、小さな頃からモテてきた浩一であったが、彼女ができたことは、今まで一度もなかった。


 「浩一ってさ、そういえば、今まで彼女とか、できたことないんじゃない?」

これは、とある日の、学食での亜美子と浩一との会話である。

 「いや、まあ、その、亜美子が言う通りだよ。」

「へえ~。何でだろうね。浩一、モテそうな気もするけどな。」

「そ、そんなの知るかよ。」

「でもそういえば昔っから、浩一に告白してくる女の子、いたよね。例えば…、高校時代の後輩マネージャーとか!」

「おい、昔の話は止せよ。」

「いいじゃん。懐かしいな~。確か、浩一にラブレターを渡す所、他の部員がたまたま見てたんだよね!それで、軽く噂になって…。でも、あの後輩マネージャー、かわいくなかった?」

「まあな。」

「まあなって何よ~。でも、結局付き合わなかったんだよね?どうして?浩一のタイプとは違ったから?」

「そんなんじゃねえよ。

 …まあ、あの頃は部活も勉強も忙しかったし…。いろいろあったってことだよ。やっぱりいいじゃん、昔の話は。」

 その時相手の女の子に、自分には好きな人がいること、そして、大学生になった自分は今でもその人のことが好きなこと、そして、その好きな人は、今自分の目の前にいることなど、到底亜美子に言えない、浩一なのであった。

 「そういえばさ、亜美子だって、彼氏できたことないんじゃない?亜美子はさ、好きな人とかいないの?」

「そうだね。特に好きな人は、いないかな。私ってさ、裕福な家庭ではないじゃん?だから、恋愛とか、そういうこと考える余裕がないっていうか、何というか…。もちろん、いい出会いがあればいいんだけどね。」

「…そっか。」

 基本的に何でもそつなくこなせる、器用なタイプの亜美子であったが、こういった色恋沙汰には、鈍いんだな、浩一は亜美子を見て、改めてそう思った。また、それが亜美子のかわいい所でもある、浩一はそんな感情も持っていた。

 

 そして亜美子は、サークルの自主練に向かった。最近は、特に定期演奏会や、大会が近い、というわけではないが、亜美子は練習を休もうとはしない。このように、日々の鍛錬を怠らず、常に向上心を持ち続けている所は、亜美子の長所の1つなのであった。

 そして、亜美子はサークル室に向かうまでの間、この後練習する予定の、クラシックの曲を、ヘッドホンで聴きながら歩いていた。その日、空は雲に覆われていて、今にも雪が降ってきそうであった。亜美子は、小さい時は、ただただ無邪気に雪が好きであったが、大きくなってからは、雪の時は原付も運転しづらく、交通事故も多くなるので、喜んでばかりはいられない、でも雪化粧をした街を見るのは好き―、と、相反する2つの感情を持ち合わせ、そんな自分に、心の中で苦笑した。

 そんな時である。いつものヘッドホンから、亜美子がセットしたCDのクラシック音楽ではなく、人の声のようなものが、聴こえてきたのは。

 「マイクテスト、マイクテスト、そちら、聞こえますか、どうぞ。」

亜美子はその声を、はっきり聞きとることはできなかったが、どうやら、男の人の声らしい。

 「でもおかしいな。これ、普通のヘッドホンなんだけど。何かまるで、無線で交信してるみたい。

 …そんなわけないか。故障かな?」

亜美子はそう思いながら、サークル室に着いた。

 「ちょっと悪いんだけどさ、ヘッドホン、貸してくれる?」

「あれ、亜美子、自分のやつ持ってないの?」

「それがさ、私のヘッドホン、故障しちゃったみたい。何かさ、男の人の声らしき音が、聴こえるんだよね。」

「え、それって怖くない?」

「確かにちょっとホラーかもね。でも、ただの故障だと思うんだ。それで、曲のイメージトレーニングがしたいから、ちょっとだけ、お願い!」

 「もちろん、亜美子の頼みなら何でも聞くよ!」

 こんなやり取りの後、亜美子はサークル内の友人から、ヘッドホンを借りた。そして、自分のCDをセットし、音楽を聴こうとした―、しかし。

 「もしもし、マイクのテスト中。そちら、聴こえますか、どうぞ。」

 聴こえてきたのは、自分のヘッドホンと同じ、男の人の声であった。

 「…ごめん、私、気分が悪くなってきちゃった。この後バイトもあるから、私、先に帰るね。

 ヘッドホン、ありがとう。」

「そうなんだ。お大事にね。」

亜美子は、今の状況を全く飲み込めず、とりあえず、

「私、疲れてるのかな…。」

と思い、一旦家に帰ることにした。

 家に帰った亜美子は、すぐに自分の部屋に入り、再度ヘッドホンをつけ、クラシック音楽を聴こうとした。しかし、

「もしもし、マイクのテスト中。聴こえますか?」

ヘッドホンは、この1点ばりであった。

「私、確かに疲れてるのかもしれない。でも、さすがにこれはおかしい。いったいどういうこと?」

不審に思った亜美子は、ヘッドホンから流れてくる人の声を、注意深く聴くことにした。

 「もしもし、マイクのテスト中。聴こえますか。聴こえたら、応答お願いします。」

「はい!聴こえます!」

亜美子は試しに、少し大きめの声で、ヘッドホンの向こうの声に向かって、返事をしてみた。すると―。

 「うん、今反応あった?ような、なかったような…。もしもし、そちらにマイクは、付いていますか?僕の声が聴こえたなら、マイクで返事、してください。」

このような声が、ヘッドホンから聴こえてきた。

 「マイク?確かにこのヘッドホンは、マイク付きじゃない。ということは、マイク付きのヘッドホン、用意した方がいいのかな?」

亜美子はそう思い、近くの電気屋へ行くことにした。

 「そうですか。中田さんが休むなんて、珍しいですね。具合が悪いのなら、仕方ないです。お大事に。」

亜美子はその前に、バイト先の塾に電話を入れ、

「今日は体調が悪いので、申し訳ありませんが、休ませてください。」

と、嘘の連絡をした。

 亜美子は真面目な性格で、これが、人生初のズル休みであった。普段から、バイト先の勤務態度も良好で、「よく気も利くし、しっかり働く女の子」という印象をバイト先に与えている亜美子であったので、体調不良の連絡はすんなり受け入れられ、職場の上司を、本気で心配させた。(実際、電話越しの声に、相手の態度は表れていた。)亜美子は、職場の人を騙したことを心苦しく思いながらも、どうしてもヘッドホンから漏れてくる声が気になったので、

「ごめんなさい!」

と心の中で謝りながら、電気屋へと急いだ。

 そして、電気屋に着くやいなや、

「すみません、マイク付きのヘッドホン、置いていますか?」

と亜美子は訊き、店員さんの商品説明もそっちのけで、勧められた商品を購入し、家へと急いだ。

 また亜美子は家に着くと、試しにその購入したヘッドホンの先端を、亜美子のスマートフォンに差し込み、様子を見ることにした。

 「もしもし、マイクのテスト中。聴こえますか?」

「はい、聴こえます!」

「あっ、通じたみたいだ。もしもし、応答どうぞ。」

どうやら、亜美子の声は、マイクを通じて、ヘッドホンの声の主に伝わったらしい。亜美子は、今日あった一連の出来事を不審に思いながらも、この、「声の主」の言うことを少し聞いてみよう、そう思った。

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