塵芥の王子様

飛騨群青

暴力

第1話 5月16日 おそらく10時 晴れ 

 僕が乗っているバスは、もう何時間も止まっていた。運転手の姿は見えない。


 退屈だった。僕以外、誰も乗っていないバスの窓から、外の世界を眺めてみる。家がある。電柱がある。歩行者がいる。ママチャリ、安っぽい乗用車、どこにでもありそうなものはある。だが喋る犬や、血に飢えた殺人鬼、外宇宙から来た侵略者の姿はない。どうやら退屈さは解消できそうにもなかった。

 僕の節穴の目で見る限り、ここは地方都市の住宅街らしい。田舎と呼ぶ程には寂れてはいないが、注意を引くものは何もない。

 この場では目蓋を閉じる以外にできることはなさそうだ。舌を噛むのも悪くないが、後片付けが面倒だからやめておこう。

 このバスは観光バスではない。路線バスでも、長距離バスでもない。日本のどこかにある全寮制の学校、おそらくは監獄の代用施設へと向かうバスだ。

 校名はバスに書いてあった気がするが、面倒だったので読んでいない。そんなもの、なんだっていいだろう。ところで、僕が名称不明の某学校へと向かっているのは、僕の意志ではない。父が勝手に決めたことだ。

 僕は自分の母親のことは知らない。兄弟姉妹もいない。親戚は捜せばいるのだろうが、会ったこともない。子供としては困ったことに、僕の唯一の肉親である父は、公私ともに立派な人間ではなかった。

 僕の父は国家公務員をしており、そこそこ出世していた。だから給料の方も地位に比例して、そこそこ良かったとは思う。しかし、父は日本政府からもらった金では、明らかに足りないと言えるほど、贅沢な生活をしていた。

 なぜそんなことができたのだろうか。父に尋ねたことはない。理由は想像するしかないのだが、僕の頭に浮かぶのは1つだけだ。父は官吏としての職権を利用し、賄賂を受け取っていたのだろう。

 何の便宜も図ってくれない無能な人物に、金を払う人間がいるわけもないので、父は有能な人物なのかもしれない。とは言っても、仕事をしている父を僕は知らない。僕が知っている父は、めったに家に帰ってこない、背の低い小太りの中年だった。

 見た目を別とすれば、汚職官僚である父の欠点は欲深なことだった。おそらく、我慢という言葉は父の辞書にないのだ。父は欲しいと思ったものはもちろんのこと、欲しくもないものでも買っていた。特に高価なものに目がなかった様だ。

 例えば、つけない腕時計を買って、箱から出さずに積んで置く。ゴルフなんかやらないのにゴルフ用品を買い、ゴルフバックを酒樽のように並べる。乗らないバイクや車を買ったら、車庫へ放り込む。ほとんど家に帰らないのに、大きな家を買う。

  父の浪費については他にも書けることはあるが、どれもまぁ、こんなような感じだ。バラエティが豊富とは言えない。もし、そこら辺に転がっている石に値段がついているのなら、父は喜んで金を払っただろう。

 父が心の病気だったのは間違いない。そしてアル中なんかと同様に、父には病気の自覚も、治療の意志もないのだから、病気は治るわけもなく、ただ悪化するだけだった。僕は父のために何かすべきだったのかもしれないが、面倒だったし、家にいることがほとんどない父は他人でしかなかったので、放置することにした。

 そうやっている内に病状は順調に進行して行き、1か月ぐらい前になると、父はもう末期だった。悪性腫瘍の末期ならとても良かったのだが、もちろんそうではない。小金持ち系悪党特有の、金で何でも手に入るという精神疾患の末期だ。

 父は家族、つまり人を買うことにした。父に比べれば若い、だいたい30歳ぐらいの頭の中身がなさそうな女が、人類かどうかも怪しい3歳ぐらいの連れ子と共に父の家にやって来ると、僕はあっさりと立場を失った。

 数人の住人が増えたとしても、あの家には空き部屋が無限にあったので、居住スペースの心配はなかった。しかし「金銭」という絆で結ばれた家庭の中では、僕はあからさまに浮いていた。僕はおそらく父の実子だが、そんなもの、あの家の中では何の意味も価値もないのだ。

 僕と父は同居していても、限りなく音信不通に近い。会う機会自体が少なかったし、会っても話すことなどないのだ。最後に父と話をしたのは、いつだろうか。思い出そうと努力をしてみても、僕にはまったく記憶がない。そんな状態で僕と父の間で、新しい家族についての意見交換が行われるはずもなかった。

 だが、父が何を言いたいのか、口をきかなくても、脳の代わりにクソが詰まっていても、あの目を見れば、たやすく理解できた。


 「出ていけ。2度と顔を見せるな」


 親が子を捨てることは最近の流行でもなく、人間だけの習性でもない。46億年前の生命の誕生から、ずっと続いてきた地球の伝統だ。それに父は官僚なのだから、盲目的に先例に従う習慣があるのだろう。父は僕を合法的に自分の家から追い出すことにしたわけだ。

 説明が長くなったけど、僕の転校の経緯は以上になる。ここら辺で自殺でもすれば、この話をうまいこと「めでたしめでたし」で終わらせることができるだろう。だが、僕に自殺をするような自主性はない。だから僕の人生はもう少し続く。

 非常に退屈かもしれないが、つまらないのが人生だし、父が何も我慢しない人間だったのだから、親の因果が子に巡り、僕が苦しめられるのも仕方ない。


 だからさ、あれだ。僕は諦めることにしたわけだ。

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