第28話 別れ
楓は、庭野の携帯電話に何度も電話したが、「この電話番号は、現在使われておりません」とアナウンスが流れるだけで、連絡がつかなかった。庭野の実家にも電話をしたが、庭野の母親から、庭野が会社の寮に入ると言って出て行ったきり、連絡がきていないと聞かされた。
そして、庭野からのハガキが届いたとき、嫌な予感がした。きっと茂木に騙されたのだ、と思った。会いに行こうにも返事を出そうにも、庭野は自分の住所を書いていなかった。
庭野の身を案じて、何も手につかなくなった頃、楓の携帯電話に知らない番号から電話がかかってきた。庭野かも知れない、そう思った楓は慌てて電話に出た。
「もしもし、庭野くん?」
「庭野じゃないよ。茂木です」と、半笑いしているような茂木の声が聞こえてきた。楓は背筋が寒くなるのを感じた。
「どうして、私の番号を知っているんですか」
「庭野に聞いたんだ」
「庭野くんは、今どこにいるんですか!」楓は大声で言った。
「庭野のやつが、闇金から借金をしちまってね。ヤクザに脅されてるんだ。俺も助けてやりたいんだけど、金額が金額で、どうにもならなくてさ。今、庭野は住み込みで働いてるよ」
「借金?まさか…」
楓はそう言うと、言葉を失った。確かにハガキには、急にお金が必要になった、と書いてあった。茂木の言っていることは本当かも知れない、と楓は思った。
「借金は、いくらですか」と楓は聞いた。
「100万近く」と、庭野は実際の請求より、かなり上乗せした金額を言った。「そんなに」と、楓は驚いた。
「ねえ楓ちゃん。楓ちゃんは、庭野を助けたいと思わない?貯金とかしてないの?」
「貯金は少しなら、していますけど、100万円もありません…」
すると茂木は、優しい口調で言った。
「庭野を助ける為に、稼ぎのいいアルバイトを紹介してあげてもいいよ」
楓はすぐに聞き返した。
「どんなアルバイトですか、教えてください」
「手っ取り早いのは、風俗かな。ソープランドやヘルス」
楓は沈黙した。茂木は続けて言った。
「最初は抵抗があるかも知れないけど、100万円くらいなら短期間ですぐ稼げるよ」
「庭野くんの居場所を、教えてください」
楓は震える声で言った。
「庭野に、口止めされているから、言えないよ」と茂木が言うと、
「教えてくれないなら、アルバイトはしません!」と楓は怒鳴った。
「わかったわかった、じゃあ庭野と相談して決めるんだね」
茂木はそう言うと、庭野の職場と寮の住所を楓に教えて、電話を切った。
次の日、楓は仕事を休み、庭野が働く新聞配達の会社に出向いた。庭野は寮で、死んだように仮眠していた。楓が来てびっくりして飛び起きた庭野は、「夜の配達までまだ時間があるから、外で話そうか」と言った。汚れた寮の部屋に、楓を居させたくなかった。
寮の近くの川沿いを、二人は黙って歩いた。庭野のやつれた姿を見れば、どんな生活をしているのかは、楓にはすぐわかった。
「話は、茂木くんから聞いたわ」
楓が言うと、庭野は歩みを止めた。
「私、庭野くんの借金を返したい。茂木くんに紹介してもらって、アルバイトをしようと思うの」
庭野は、顔をこわばらせながら、楓に聞いた。
「アルバイトって、どんな仕事か、茂木くんから聞いたのかい?」
「ソープランドとか、言っていたわ」
庭野は目を見開いて、楓を見た。男性恐怖症の楓に、そんな仕事をさせるわけにはいかない。自分なんかの為に、大事な楓を汚したくない。
庭野は、ぽつりと言った。
「俺たち、もう別れよう」
辛い決断だった。しかし、楓を守るには、別れるしかなかった。
「どうして?私に迷惑をかけたくないとか、そう思って言っているの?」
「風俗で働く女なんかと、付き合いたくない!もう、来ないでくれ。顔も見たくない」
庭野は楓を残して、走ってその場を立ち去った。悲しすぎて、涙も出なかった。一番大切なものを、とうとう失ってしまった。これが、楓を自分の妄想の中で汚した罰だ、と庭野は思った。
西日が眩しい川沿いを、庭野は狂ったように走り続けた。
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