第16話 楓の象徴

 クリスマスが近くなり、街はイルミネーションの優しい光で溢れていた。スーパーへ行ってもコンビニエンスストアに行っても、クリスマス一色だった。

 庭野は久しぶりに楓に連絡を取り、仕事が終わったら会うことにした。

 待ち合わせ場所のファミリーレストランに、大きなクリスマスツリーが飾られていた。楓を待つ間、庭野はクリスマスプレゼントのことを考えていた。楓と付き合って、初めてのクリスマスだ。金は相変わらず無かったが、安くても、楓に何かプレゼントしたいと庭野は思っていた。


 マサから話を聞いたヤスが、庭野に連絡をしてきた。そして、「実家に居づらいなら、俺のアパートで寝泊まりしたらいい。俺は一人暮らしだし、部屋も余ってる。俺の親が大家のアパートだから、家賃も払わなくていいぜ。お前は、自分の使う金だけ稼げ」と庭野に言ってきた。

 庭野は、実家を出た。そして、ヤスのアパートに住み始めた。ただ、ヤスはたまに女を連れ込んでくるので、そんな時、庭野は外で時間を潰した。

 ヤスが喧嘩っ早く、キレやすい性格なのは知っていた。庭野が部屋を散らかしたままにしていると、ヤスの容赦ない鉄拳が飛んできた。スナック菓子のカスを少しでも床に落とそうものなら、「テメェ、今、お菓子のカスこぼしただろぉぉ!」と、裏拳をくらわされた。

 そして、一番風呂にしか入らないヤスは、庭野が先に風呂に入ろうものなら、アッパーカットをくらわせた。しかし、庭野は、ヤスと2人で飲む仕事の後の缶ビールが美味しくて仕方なかった。ヤスの暴力も、好きな子に意地悪をするような、どこか愛情を感じるものだったので、庭野はヤスに殴られても、恨んだり、出て行こうと思ったことはまったくなかった。

 庭野は、昼間は工場、深夜はコンビニエンスストアでアルバイトをした。ヤスが家賃を入れなくてもいいと言ってくれたので、安い給料だったが稼いだお金は自由に使うことができた。


「庭野くん、お待たせ」


庭野の向かいの席に座った楓は、息を弾ませていた。


「楓ちゃん、走ってきたの?」と庭野が聞くと、「うん、庭野くんに会うのは久しぶりだから、早く会いたくて」と、はにかんで言った。

 庭野がリストラされたことや、今はアルバイトを掛け持ちしていることは、楓は知っていた。マサの家で焼肉を食べさせてもらったあの日の夜、庭野はフラれるのを覚悟で楓に電話をして、すべて告げた。楓は驚いていたが、別れたがるどころか、落ち込んでいた庭野のメンタルを心配してくれた

 昼間と深夜のアルバイトの掛け持ちは、ゆっくり寝る時間がなく、自由な時間もなかなか作れなかったので、あまり頻繁に楓とは会えなくなっていた。しかし今日、深夜のアルバイトが休みになったので、楓と久しぶりに会うことができた。

 二人は、近況報告をしあった。楓はパソコンソフト開発会社の事務員をしており、サービス残業が最近多いことを愚痴った。庭野は、仕事の話はあまりしたくなかったので、ヤスとの暮らしを話した。


 「俺、まるで、ヤスの嫁さんみたいだよ。風呂に入ってるヤスの背中を流したりさ」


 楓は驚いて、「ヤスくんと、一緒にお風呂に入っているの?」と恐る恐る聞いてきた。庭野は笑って、「入るわけないよ。俺が上着の袖とズボンの裾をまくって洗い場に入って、ヤスの背中を流すんだ。力加減が気に入らないと、ヤスのパンチが飛んでくる。おかげでいつも傷だらけだよ」と、言った。しかし、庭野の表情を見ていると、ヤスに手をあげられてもまったく気にしていないどころか、楽しく生活している様子だったので、楓は安心した。


 楓は、店内の中央に飾られた、大きなクリスマスツリーに目をやった。


 「綺麗ね。庭野くんは、毎年クリスマスはどう過ごしていたの?」


 「仕事の帰りに、コンビニでショートケーキを買ってきて、一人で食べてたなぁ」


 楓はくすくすと笑った。


 「今年は?マサくんやヤスくんと、クリスマスパーティーでもするの?」


 「いや、そんな話は出てないよ。マサは早奈恵ちゃんと過ごすだろうし、ヤスはアパートに彼女を呼ぶみたいだから、俺はお邪魔虫」


 「そんな。じゃあクリスマスに、庭野くんはどこで寝るの」


 「まだ決めてない」


 楓は、庭野の顔は見ずに、クリスマスツリーを眺めながら言った。


 「クリスマス、私の家で、一緒に過ごさない?」


 言った後で、楓は慌てて付け加えた。


 「私に、何もしないのが、条件だけど」

 庭野は驚いて、目をぱちぱちと瞬きさせた。


 「楓ちゃんの家に、行っても、いいのかい?」


 楓は微笑みながら頷いた。庭野は、クリスマスに二人きりになるのに何もできないことがちょっと残念だったが、楓と二人で過ごすクリスマスを想像して、わくわくしてきた。


 「クリスマスケーキと、チキンと、シャンパンと、あとは何を用意すればいいかな」


 「庭野くんの、寝袋を用意してね」


 「俺、床に寝袋で寝るの?」


 「そうよ、それが条件なんだから」


 「それはそれで、キャンプしてるみたいで、楽しそうだ」


 二人は顔を見合わせて笑った。


 「マサくんと早奈恵さん、ヤスくん、そして私たちも、それぞれのクリスマスを過ごすのね。みんなが幸せな気持ちになれる日になりますように」


 クリスマスツリーを眺めながら言った楓の横顔が美しかった。庭野は、楓の頬に触れてみたい、と思った。今は無理でも、いつかきっと。



 12月23日。クリスマスイブ前日。庭野は工場の仕事を終え、深夜のアルバイトが始まるまでの空いた時間を、いつもなら仮眠を取るのだが、今日は近所のデパートに出掛けた。そして、女性向けのアクセサリーショップを探し、それらしき店を見つけると、楓に似合いそうなアクセサリーを探し始めた。

しかし、女の子に贈り物をしたことがない庭野は、何を選べばいいか悩んだ。ネックレスか、指輪か、ブレスレットか…。

 ふと、庭野の目に、あるヘアピンがとまった。庭野はそのヘアピンを手に取って、よく見てみた。ユリの花をかたどった飾りが端についているヘアピンだった。

 いつも、髪で顔が隠れがちな楓だった。庭野は、楓がもっと顔を出すような髪形にしてほしかった。このヘアピンで髪を留めれば、きっと楓の表情が今までよりたくさん見られるだろう、と庭野は思った。それに、ユリの花は、庭野にとっては楓の象徴でもあった。

 庭野はユリの花のヘアピンを二つ買うと、プレゼント用にラッピングしてもらった。そして、宝物を扱うように、そっと胸ポケットにしまい込んだ。

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