第11話 白いユリ
次の日、庭野はてきぱきと仕事をこなし、仕事が終わると急いで家に帰った。白いTシャツの上に、水色のチェックの柄のシャツをはおった。鏡を覗き込んで念入りに身だしなみをチェックすると、約束の時間より大幅に早く家を出た。
庭野は、駅に向かう途中にあった花屋に寄った。金はあまり持っていなかったが、楓に花をプレゼントしたら喜ぶかな、と思った。
売られている切り花の値段を見て、庭野は溜息をついた。花ってこんなに高いのか、と小さく呟いた。庭野は花束を楓にプレゼントしたかったが、そんな金は持っていなかった。
庭野が店先で悩んでいると、店員が話しかけてきた。
「プレゼントですか?」
「あ、ええ、はい」
「彼女さんへの、プレゼントですか?」
若い店員は、気さくに声をかけてくれたので、庭野は安心して話し出した。
「大切な女性に、花束をプレゼントしたいんですけど、あいにくあまりお金を持っていません」
庭野は、金を持っていないと言えば店員に冷たくあしらわれると思ったが、その花屋の店員は、笑顔で庭野に聞いてきた。
「お相手は、どんな方ですか?」
「汚れていない、純粋で、触れると壊れてしまいそうな人です。貧乏な俺にでも、優しくしてくれる人です」
庭野が説明すると、店員はにっこり笑って、
「それなら、その方にぴったりのお花がありますよ」
と言って、店先に並んでいる花の中から、白いユリを一本、取り出した。
「白いユリの花ことばは、純粋、無垢。花束じゃなくても、気持ちがこもっていれば、一輪のお花でも女性は嬉しいものですよ」
庭野は、一輪のユリを買った。店員が綺麗にリボンをつけてラッピングしてくれたおかげで、一輪でも可愛らしかった。庭野は、ユリの花ことばも気に入った。楓にぴったりの花だと思った。
待ち合わせした公園に、庭野は約束の時間より30分も早く着いてしまった。ベンチに腰をかけ、夕日が沈んでいくのを眺めた。
「庭野くん」
背後から名前を呼ばれて振り返ると、水色のワンピースを着た楓が歩み寄ってきた。色白の楓の肌に、淡い色のワンピースはよく似合っていた。庭野はベンチから立ち上がって、楓と向き合った。
楓は俯いていた。頬にかかる黒髪が美しかった。庭野は、90度に腰を曲げて、頭を下げた。
「楓ちゃん、この前は、本当にごめんなさい。許してください」
楓は黙って庭野を見ていた。そして、小さな声で言った。
「もう、あんなこと、しない?」
庭野は顔を上げると、何度も頷いた。
「もう、あんなひどいことはしないよ。二度としないよ、約束する」
「それなら、許してあげる」
楓のその言葉を聞いて、庭野は嬉しさのあまり崩れ落ちそうになった。
楓は、すぐ傍のベンチに腰をかけた。庭野も隣に座った。
「楓ちゃんに、プレゼントがあるんだ」
庭野は照れながら、両手でユリの花を持ち、楓に差し出した。
「まあ!」
楓は声をあげた。
「これを、私に?」
庭野が頷くと、楓はそっと花を受け取った。そして、微笑みながらユリの花を眺めた。
「ありがとう。とても綺麗ね」
「白いユリの花ことばを知ってる?」
庭野は、さっきの花屋の店員から聞いたことを、受け売りで言った。
「純粋、無垢、という意味なんだ。楓ちゃんにピッタリだと思って」
そう言われて、楓の顔が急に陰った。庭野は、自分が何か失言したのかと慌てた。
楓は、ユリの花を見つめながら、悲しそうに言った。
「私は、純粋でも、無垢でもないわ」
庭野には、楓の言葉の意味はわからなかった。ただ、楓の美しさと、きめ細やかな色白の肌と、妖精のような儚げな表情を見て、庭野は自分が本気で恋に落ちたことを感じた。
庭野は、楓の手を握りたい衝動を抑えて、楓に言った。
「楓ちゃんが嫌なら、俺は絶対に手を出さないから、俺と、付き合ってくれないかな」
楓は遠くを眺めながら、しばらく黙っていた。やがて、振り向いて庭野の瞳を見ると、
「本当に、何もしない?我慢できる?」と小さく言った。
「俺は、楓ちゃんと一緒にいるだけで幸せなんだ。大切にする。約束するよ」
庭野は真剣な顔で言った。プラトニックな関係で恋人として付き合うことは、性欲の強い庭野には辛かったが、楓を思う気持ちを止められなかった。
すると、楓がにっこり笑って言った。
「缶コーヒー、おごってくれたら、付き合ってもいいかな」
「本当に?すぐ買ってくる!待ってて!」
庭野は、嬉しさで高鳴る気持ちを抑えきれず、「ひゃっほうー!」と叫びながら、自動販売機に向かって走って行った
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