第25話 you

 マリーは今、朱里絵に付き添われて検査をしている。機械に使う素材の中で身体にあわないものがないか調べているのだそうだ。

 こうした検査はどんな機械化手術においても行われるというが、マリーの場合は特別念入りな行程を踏んでいるようだった。

 孫王そんのう病院の機械化医療スタッフ、館山夫妻、そしてドクター・ウッドの三者でチームを組んだ今回の手術は、国内の機械化医療界隈でも珍しいものとなるらしく、学会誌や医療メディアの取材が来ることもあった。


 大きなプロジェクトだ。〈フェアライン〉のサポートが助けとなったが、すべてを決定づけたのはやはりマリーだ。マリーの強い意志が、これだけの人を巻き込んだのだ。

 雄吾は、それらの動きを、遠くから見ていることしかできなかった。


「どっか行くの?」

 雄吾がソファから立ち上がるのを見て、美波は首をかしげた。

「課題あるから、先に帰るよ」

「えっ? あたしひとりになる……」

「マリーがすぐ来るよ」

 じゃあ頼んだ、と言い置いて病院を出た。

 緑の多い場所を目指して歩き続けた。海浜公園の遊歩道に入り、ウォーキングをしている人たちのうしろについていく。

 波の音が聞こえて近づいてみると、眼の前に黒々と広がる博多湾の眺望が開けた。

 砂浜は誰の影もなく、冷たい風が吹きすさんでもの寂しく見える。

 白波が立ち上がっては波打ち際でべちょりと崩れた。


 しばらく佇んでいた雄吾の耳に、聞き覚えのある声が届いた。

「おい、そこの」

 驚いて振り向いた雄吾に向かって、ランニングウェアを着た女の子が笑いかけた。

「何してんの」

 キャップをかぶり、スポーツサングラスをしているが、その大人びた容姿に反した幼さの残る声を、雄吾は忘れていない。


「おま……朝倉っ?」

 朝倉優姫は満足そうな笑みを浮かべた。「久しぶりだね。これから泳ぐの?」

「んなわけあるか」

 朝倉が顔をのぞき込んでくるので、雄吾は恥ずかしくなって眼をそらした。

 最後に見た朝倉の、制服を脱ぎ捨てたあの姿がどうしても頭をちらついてしまう。

「ま、そうだよね」朝倉はサングラスをはずした。「泳ぐっていうより、海に潜ってそのまま出てきたくないって顔してたよ」

 雄吾は驚いて、朝倉の顔を見返した。

「何かあった?」

「…………」


 雄吾は話した。マリーが手術を受けるところからはじめたが、背景を語るうち、どんどん過去の出来事に遡った。

 時折、無言になったり、まわりくどい言い方をしたりしたが、途中で相手が逃げ出しても構わないというような投げやりな気持ちでしゃべっていた。

 しかし朝倉は立ち去ることも嫌な顔をすることもなく――胸中はわからないが――ともかくそこにいて話を聞いてくれた。


「俺……マリーの眼が治るって聞いたとき、あんまり嬉しくなかったんだ。うそだろ、ってそればっかり思ってた。どうしてなのか、自分でも整理つかなかったけど……今ならわかるよ。俺はマリーのこと、利用してただけなんだ」

 利用、と朝倉は言葉の輪郭をなぞるようにつぶやいた。

 彼女は海のほうを向き、砂浜と芝生の間際に膝を抱えて座っていた。肩を並べている雄吾も強いて横を見ないようにしながら、言葉を接いだ。

「マリーの面倒をみてるとき、俺は兄貴なんだ、家族の一員なんだって実感できたし、安心できたんだ。それまではきっかけがなくて、うまくみんなの中に入っていけなかったから……」

 マリーの怪我のことで、ヴィクトルとも自然に会話ができるようになった。似た者同士の朱里絵と、どっちがマリーのことを想っているかアピールしようとして言い合いになったこともあった。

「自分のことしか頭になかった。俺はマリーのこと想ってなんかいなかったんだ」


「ふうん?」

 朝倉はちょっと観察するような眼で雄吾を見てから「これっぽっちも?」と訊いた。

「そうだとしたら、別に気に病む必要ないと思うけどな。自己満足だけで他人ひとに尽くす行動ができるって良いことだよ。誰も損しないし」

「やっ、だけど」

「そうだよねえ。自分が納得できないと、ね」朝倉はそう言って嘲るような眼をした。「でもその感情もひっくるめて、君はエゴにとりつかれてるよ――ぶくぶくに太った自家受精のおとしものに。その自覚、ある?」


 面罵されているのかと思って雄吾はたじろいだ。

 すると朝倉は雄吾の肩をぽんぽんと叩いた。

「そんな顔しないでよ。私、君に説教する気もないし、軽蔑もしてないよ。ただ……もったいないなぁって思うよ。今の君みたいに、拗ねて見せて、誰かに慰めてもらうのを待つより、もっと良い方法があるのに」

 屈託なく言う朝倉の顔を、雄吾は半ば唖然として見返した。

「エゴは悪いものじゃない。それがあるのは理想への欲求が強いってことだから。なりたい自分になるために必要なものなんだよ。だから、受け入れてあげるといいよ。

 ただし、余分なものは削ぎ落としてね。芯の部分にだけ響く力があるの。それに従えばいいよ。自覚のある自己満足、コントロールされたエゴは、よくよく役に立つんだから」


「おまえ、いつもそんなこと考えてんのか」雄吾はやっと言った。

「うん」と朝倉はあっさりうなずいた。「見損なった?」

「いや……」

「私だって、最初からこんなんだったわけじゃないんだよ。君みたいな悩み方したこともあったし。でもそれって、なぜベースランニングで必ずホームに還らなくちゃいけないのかって考えるのと似てるよね。考えてる暇あったら走りたいな、私は」

 私は、私は、私は、と朝倉は三回繰り返した。

「こうやっていつの間にか自分の話になるのは、エゴイストじゃなくてナルシストだね」

 そしてまた嘲るような眼つきをする。そこには自嘲の意味合いも込められているのではないかと雄吾は気づいた。


「でも、君もそうだよ」

「え?」

「君は今、自分で自分の気持ちを語ってるでしょ? でもね、自分のこころをそんなにきっちり言葉にできるって、ありえないと思うんだ」

「……どういうことだよ?」

 朝倉は雄吾の眼をのぞきこんだ。「君、自分の作文に酔ってるよね」

「なっ……」

 がつん、と手痛い一発をもらったようだった。

「あはは! だから大丈夫だよ」

「意味がわからない」

「君がさっき打ち明けたのは、君のこころの一部でしかない――そう考えてみるのはどう? 自分のことはわかってる、なんてかっこつけないでさ、自分のこと思いきり疑ってみるのも必要じゃないかな……ねぇ、君はどう思う?」

 朝倉の瞳の中の自分が、雄吾をじっと見つめ返していた。


 波がざん、と砕けた。朝倉は立ち上がって脚についた砂を払った。

「私に言えるのはこんなことくらいかな。全然参考にならないでしょ?」

「そうでもない、けど……」

 雄吾も立ち上がった。今さらしゃべりすぎたような気がして、朝倉の顔をまともに見れない。

 もごもごと言葉だけを渡した。「助かったよ、話聞いてくれて」

「あは、そう?」

 朝倉は背を向けかけたが、雄吾が名前を呼んで振り向かせた。

「おまえ、今、どこでプレーしているんだ」

「んー……さぁ?」

「さぁ?」

「私にもまだわからないの。どうなるのかな……。よかったら、君も見守っててよ」

「何だよ、それ」

「そのうちわかるって」

 じゃ、と手を振り、行ってしまった。

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