第32話 第三話『奇妙な事実』第四回


 どこか遠くのサーチライトが、星空を大きく薙ぎ払うのが見えた。


 俺は東屋の柱に背を持たせかけ、巨人が現れるのを待っていた。少し前に腕時計で確かめたところ、時刻は午前一時を回っていた。


 もうじきだな、と俺は思った。前回、巨人の現れた方角を参考に、死角と思われる場所を潜伏場所に選んだ。柱の影から顔を出して木立の方を見ると、昨夜、巨人が何かをしようとしていた木がほぼ正面に見えた。俺は気配を殺し、目標の到来を待った。


 じっとしていると虫のすだく声や、夜気に溶けたさまざまな生き物の息遣いが体に染み込んでくる。このまま相手が現れなければ、仮死状態で朝を迎えてしまいそうだった。


 警戒されたのだろうか、そう訝った時だった。すぐ近くに、人の気配が出現した。

 俺は感覚を研ぎ澄ませた。よどみのない足取りが、昨夜の木との距離を縮めつつあった。


 どうやら、待っていた甲斐があったようだ。俺は懐中電灯の取っ手を握りしめた。やがて、人影が立ち止まる気配があった。俺は柱から顔を出し、人影の様子をうかがった。昨夜と同様に、二メートル近い大きな影が木のたもとに立っていた。


 やがて人影は腰をかがめるとその場にしゃがみ込み、背中からリュックのような物を下ろした。そして何かを取り出すと、一番下の枝に向かって手を伸ばした。今だ。俺は立ち上がると懐中電灯を人影に向け、スイッチを入れた。まばゆい光が人影を照らし出し、ぎょっとしたような二つの目が俺に向けられた。俺は人影の顔を正面から見据え、ゆっくりと言い放った。


「グッドイブニング、ミスターC-3PO」


 人影は唖然とした表情で俺を見返していた。人影の口が「おまえは」と言う形に動いた。


「こんなところで会うとは思わなかったろう?刑事さん」


 人影はライブハウスで会った二人組の刑事の、のっぽの方だった。刑事は狐につままれたような表情のまま、枝に伸ばしかけた両腕をだらりと降ろした。


「どうしておまえがここにいるんだ……とにかく、眩しいから照らすのをやめてくれ」


 人影は懐中電灯の光を振り払う仕草をして見せた。俺は懐中電灯を地面に置くと、木の枝を見上げた。


「メジロだな。あんたが愛鳥家とは知らなかった」


 俺が言うと、刑事は「なぜそれがわかった」と目を瞠った。


「昨夜、ここで張り込みをしていた時、気づいたのさ。このあたりのカラスの感情が昂ってることにね。やつら、この辺の小鳥の卵か雛を狙ってるみたいだった。昼間はともかく、夜になったら親鳥と言えど雛を守り切れない可能性がある。あんたはそれを助けようとしていたんだ。違うか?」


「そうだ。助けるといってもせいぜい、巣に籠をかぶせる程度だ。守り切れるなんて最初から思っちゃいない。ただ、このあたりのカラスが獰猛だときいていたから、なんとかしたかっただけだ」


「まあ、あんたぐらいの背丈がなきゃ、なかなか巣があることに気が付かないだろうな。その愛護精神が、噂好きの連中の格好の餌になったってわけだ」


「なんの話だ?」


「あんた、間違われてるんだよ、『サスペンデッド・フォー』とかいう連続殺人鬼に」


「なんだって?俺がか」


「そのようだ。深夜に二メートル強の巨人が木の枝に何かしてる……奴らにとっちゃ、それだけでもう都市伝説の一丁上がりだ」


「迷惑な話だ。大体、いくら背が高いと言ったって、俺の身長はせいぜい二メートルぎりだ。ブーツのせいで若干、水増しされてるが、それでも巣に籠をかぶせるのが精一杯だ。木の枝に死体を吊るすなんてことができるわけはない」


「どうやらご存じのようだな、連続殺人鬼の噂を」


「これでも警察の人間だ。殺人課でなくたってそれくらいの事は知っている。……それより、なんであんたが奴の事を調べてるんだ」


「探偵ゴッコの好きなお嬢さんから頼まれたのさ。巨人の正体を調べてくれってね」


「もしかして、お前と一緒だったパンク少女か。だったら言っておけ、警察のまねごとをしてもいいことは一つもないってな」


「それに関しちゃ、俺も同感だ。今度、言っておくよ。……それから、あいつはパンク少女じゃない。ギターとベースの区別もつかない箱入り娘さ」


 刑事は愉快そうな顔つきになった。どうやら本来の余裕を取り戻したらしい。


「俺の邪魔をしに来たんじゃないのなら、少しの間、放っておいてくれないか。まだ籠をかぶせる途中なんでな」


「わかってる。好きにしたらいい。ただ、俺の意見としては、それだけじゃ心もとないな」


「じゃあ、どうすればいい?」


「俺がこの辺のカラスに都市伝説を流しといてやるよ。メジロ一家は引っ越したってな」


                  ※

 

「俺の名前は、柳原武土やぎはらたけし。前に一緒にいた刑事は、近藤弦太こんどうげんたさんといって俺の先輩だ」


 長身の刑事は、俺が淹れた深煎りコーヒーを前に自己紹介した。俺は現在の名前である泉下を名乗った。それにしても刑事と一対一で向き合い、お茶をすることになろうとは。


「やっぱりあんた、刑事だったんだな。弦太さんが言ってた通りだ。……何で辞めたんだ?」


「捜査中に事故に遭って大怪我をしたんだよ。その時に自信も記憶もなくしちまったんだ」


「ふうん。そりゃあ気の毒だな。……それと、ライブハウスのあの、おかしな技はなんだ?」


「あれは、まあ一種の特技だな。蠅の好む臭いを持ち歩いているんだよ」


 俺は適当に言いつくろった。柳原は「信じられない」と言った表情になった。


「あの時はすまなかった。何しろ、逃げ出すことで精いっぱいだったからな」


「まったく、死ぬかと思ったぜ。できればあの技は封印してもらいたいな」


 柳原は思い出したのか、身体をぶるっと震わせた。俺は「覚えておこう」と言った。


「ところで、この店は楽器屋なのか?ジャンク屋なのか?」


 柳原は店内を見回すと、興味深げに言った。俺は「両方かな」と答えた。


「ふうん。俺も音楽が好きなんだ。こういう店は嫌いじゃない」


 柳原は店内に流れている『ホワッツ・ゴーイング・オン』に合わせて体を揺らした。


「そりゃあ良かった。ちなみにどんな音楽が好きなんだい」


「そうだな。メロディアスな音楽かな。学生時代はバンドでキーボードをやっていた」


 俺は思わず「ひゅう」と口笛を鳴らした。大男のキーボードか。楽しいバンドのようだ。


「そいつはいいな。俺はブリティッシュ・ロックのバンドでベースをやっている」


「ほう、なかなか渋いじゃないか。今度、聞きに行かせてもらっていいかい」


「そいつは構わないが、ハードロックだぜ。あんたの好きなタイプかどうか、わからんぜ」


「ふふん、パープルだってZEPにだってメロディアスな曲はいくらでもあるじゃないか」


 言われて俺はなるほどと納得した。確かにビートを抜いたらフォークみたいな曲もある。


「時々、覗かせてもらおうかな。なんだかまた、バンドをやってみたくなったぜ」


「ああ。ついでにお得意さんになってくれたら、言う事なしだ」


「考えとくよ。あんたのバンドはキーボードはいるのか?」


 俺はかぶりを振った。プログレっぽい曲をやることもあるが、キーボード担当はいない。


「うちはキーボードは無しなんだ。ゲストで参加してもらう分には、構わないがな」


「わかった。そのうち乱入させてもらうかもしれないから、その時はよろしくな。……ところであのぬいぐるみも売り物なのか?」


 柳原はカウンターの上を目で示した。レジの横に楽器を持った猫のぬいぐるみがあった。


「あれはうちの歌姫が勝手に持ってきた奴だ」


 凉歌によると「夜の店番は寂しいから、話し相手を連れてきた」ということらしい。


「ふうん。……そうだ、あんたのガールフレンドに言っときな。都市伝説もいいが、本物の殺人事件に安易に興味を持たないほうがいいってな」


「俺もそう思う。……しかし、四つの死体は本当に同一犯によるものなのかな。全然、繋がりが見えないし、死体を損壊する理由もなさそうに思えるが」


「ふん。今さら刑事の嗅覚が動き出したか?確かにこれだけ身元が割れてりゃ、擬装する意味もないだろうな。実際、最初の一件以外は模倣犯だって言ってる奴もいるらしい」


「わざわざ木に吊るす理由もわからない。あんたの背丈でも難しいってんだから、相当な重労働だろうに」


「まったくだ。俺が思うに、二メートル半のでかさで、目が光ってうなりを上げる……もし、犯人が単独犯だとしたらこれらすべてを満たす状況は一つしかありえない」


「重機を使った犯行か。しかし一体、なんのために?」


「頭のおかしい奴のすることになぜもへったくれもねえよ。それより、もし四件の犯行が同一犯によるものなら、実行犯は重機の扱いになれた奴ってことになるだろうな」


「重機の扱いに……なるほどそれは考え付かなかった。動機とはまた別の絞り込み方だな」


「それも、あの公園の周囲は見通しがいい。いくら夜中とはいえはるか遠くからトラックに載せて運んできたら目立ってしょうがないだろう。つまり短時間で運び込める距離に、重機があったってことだ」


「公園の近くの工事現場、あるいは工場だと?」


「例えばの話だ。正直、動機についてはまるで分らないってのが本音だ。俺だけじゃない、おそらく所轄の捜査担当者も頭を抱えていることだろうよ」


「まあ、そうだろうな。案外、相方が言ってた世の中を憎んでいる人間っていうのがあたりなのかもしれない」


「ほう、鋭いじゃないか。もちろん、そう見せかけているだけってこともあり得るがな」


「それは俺も考えた。だとすれば、四人の中の誰かが真の標的だったってことになるな」


「たぶん捜査担当者も同じように考えて、被害者別に容疑者を洗い出しているだろうな。四人全員に共通する容疑者がいるとは考えにくい」


「だとしたら、犯人は憎んでもいない人間を三人もためらわずに殺せる人間、ってことか」


「それだけじゃない。その三人を重機を使って木に吊るして平気な人間でもある」


「イカれてやがるな」


「そういうイカれた奴を、そいつの気持ちになって探すのが刑事の仕事だ」


「イカれた仕事ってわけか。俺が刑事をやめた理由がわかってきたぜ」


「俺もあんたと同じ気持ちになったら、辞めるかもしれないな。そうなったら、俺もジャンク屋をやるかな。案外、客商売も向いてるかもしれない」


「どこの世界もいっしょさ。壊れた楽器を扱うか、壊れた人間を扱うかの違いでしかない」


 俺が自嘲気味に言うと、柳原は「たしかにな」と口元を捻じ曲げた。


             〈第五話に続く〉

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