記者と政治家⑤

 先輩と離れ、東京に戻ったわたしは、源田智和の元職場である大学へ向かうことにした。とは言うものの、政治家に転身してから二十年もの月日が流れているため、有力な情報が手に入るかは定かではない。それでも調べてみなければ、何があるかはわからない。もし、源田智和の残虐性が真実ならば、政治家人生とほぼ同程度の期間在籍していた大学でもどこかで見せていたかもしれない。それが痕跡として残っている可能性にわたしは賭けてみることにした。

 あの結果が出るまでは常に疑ってかかる先輩が源田智和を黒と確信している以上、それには何か理由があるはずなのだ。ならばわたしがするべきことは決まっている。

 源田智和が黒である証拠を遠く離れた岐阜から調べること、だ。

 雑誌SCOOPは、季刊誌で年間四冊、ネタによっては増刊号として別に出すこともある。ともあって基本的には〆切が間近になるまでは編集長も特に本人主義で、わたしたち記者は自由にネタを探して記事を作り、編集長に相談をする。そこで許可のでた記事のみが雑誌SCOOPとして世に出回る。季刊誌とはいえ、年間四冊ものネタが見つかるものなのか、疑問に思ったこともあったが、今にして思えば、それは些末な心配事だった。日本国内において非人道的な事件というのは津々浦々に溢れかえっている。

 わたしたちは岐阜という、地理上での日本の中心から全国に飛び回り、SCOOPの記事となるネタを集めるのだ。

 早速、出掛ける準備を整えて、デスクを飛び出した。

 源田智和の在籍していた大学へ出向くと、受付を通して広報の小柴という男が、わたしの前に現れた。

「はじめまして。こちらの大学で広報を務めております、小柴と申します」

 慣れた手つきで名刺を差し出した小柴は褐色のいい細身のシルエットだが、袖から見える手の隆起などからも鍛えていることはわかった。右腕にはめた金色の腕時計が小麦色の肌と程よく重なり、妙な色気がある。白髪混じりの頭髪は、少なくなる気配を見せず、快活に笑う姿も年齢の衰えを感じさせない。

「えっと雑誌の記者さんが、うちのような大学に何の用でしょうか。電話で聞いた内容と名刺を見る限りでは、関係が一見無さそうにみえるのですが……」

 相変わらず笑って話をしているが、目の奥には疑惑の色が浮かんでいる。

「まあ、そう思われても仕方がありませんよね」

 わたしは苦笑しながら、同意してみせる。

 小柴に案内され、通された場所は応接室――といったご立派なものではなく、ロビーの隅に申し訳程度に設置されている打ち合わせスペースだった。

 簡易的に仕切られたパーテーションに安価な量産品で知られる会議用テーブルとパイプ椅子。座ると歪んでいるのか、ぎしりと軋む音を上げた。

 まあ、話を聞いてもらえるだけでも及第点だろうな、と心の中で呟く。

 ただでさえ、奇特な雑誌に属する一記者の訪問を歓迎してくれる教育機関が存在するはずもないのだから。

「今回は少しお伺いしたいことがありまして……」

「……と言いますと」

 ここが肝心だと気を引き締める。

「御校出身の源田智和氏についてお伺いしたいことがあります」

「源田智和氏って、現官房長官で、最も総理大臣に近いと言われている?」

「そうです。その源田智和氏です」

 小柴は多少の驚きを見せたものの、曖昧な返事で濁しただけだった。

「源田智和氏は、御校で教授を務めてらしたんですよね」

「はい。わたしもこの大学に務めてそれなりに長い方ですが、源田さんが衆議院議員に立候補されるまでの二年間だけ、同じ教壇に立たせて頂いたことがあります。当時の源田さんは、今と全く変わらず、思慮深く、気品に溢れ、生徒にもよく好かれていたと記憶しています」

 小柴の話をメモしながら、源田智和の過去の姿を想像してみる。そこにはやはりイメージ通りの清廉潔白な姿しか浮かび上がらない。

 小柴の口振りはとても嘘を言っているようには思えなかった。それだけ源田智和の外面には隙がないということか。

「国会議員となってから、源田智和氏は大学に訪れることはありましたか」

「それはもちろん。地元で務めていた大学ともあれば、気にかけない方がおかしな話でしょう。それに講演会という点において、かなり贔屓をしていただいて、度々壇上に上がって頂くこともありました」

「プライベートではどうですか?」

「まあ深い付き合いをされていた方とは食事などはされたことがあると思います。実際わたしもその一人ですし。ただ大学時代の昔話に花を咲かせる程度の他愛もない話で終始しています。そういった所も、公私混同されない源田さんらしいな、と思っています」

「ちなみに講演会は最近だといつ頃行われましたか? あと、近々講演会が行なわれる予定があれば教えていただけませんか」

「何故それを聞く必要があるのでしょうか」

 核心を突く質問が投げられた。かなり小柴は怪しんでいることがありありとわかるが、それは大学の風評を気にしてのことか、源田智和の風評を気にしてのことか、どちらだろうか。

「わたしたちの雑誌SCOOPは、小柴さんがご存知のように少々過激な事件を売りにしています。しかし昨今の売上は正直なところ芳しくないのが現状でして……。方針を変更する訳では無いのですが、クリーンな政治家として名高い源田智和氏にはどうしてもわたしたちのような野蛮な輩が隙を窺っていると思うんです。そういった輩との話を記事にするのもリアルでありなんじゃないか、と編集長から指示を受けまして。それに源田智和氏は岐阜出身で、わたしたちも岐阜を拠点に活動していることからも、どこかに縁を持っておくのもありなんじゃないか、といった野次馬めいた心理に基づいて動いています。これで相手にされなかったら、まあ仕方ないなと諦めがつくので、無いなら無いと仰っていただいて構いません」

 苦し紛れの言い訳にしてはよく考えたものだ、と自分で自分を褒める。

 小柴は怪訝な表情を浮かべながらも、「ちょっと待ってください」と告げて席を立った。戻ってきた小柴の手元には手帳が抱えられている。

「最近、源田さんが講演会に出席されたのは五年ほど前になりますね。それにちょうど良かったですね。次の講演会は二ヶ月後の十月十日に予定されていますよ」

「ありがとうございます。できれば講演会に参加する前に予習という形で参加された方々へインタビューをしたいのですが」

「それは好きにしていただいて構いませんよ。個人情報保護に触れない程度にリストを作成してお渡しいたしましょう。明日の正午にはメールで送信できるようにしておきます」

「いろいろとすいません。申し遅れましたが、こちらが私どもの連絡先になります」

 わたしは情報提供者に渡す専用の名刺を小柴に手渡した。

 まずは講演会に参加したリストから手当り次第インタビューを試みるより手は思いつかなかったが、少しばかりの光が垣間見ることができたかもしれない、と胸を撫で下ろした。


「政治の内々の話が聴けて、とても勉強になった」

「初めは全く興味がなかったけれども、源田智和氏の話を聴いて、政治の大切さを学べた気がする」

「どの政治家も腐った奴らばかりだと思っていたけれど、源田智和氏は違うことがわかっただけでも収穫だった」

「こういう講演会なら是非次回も参加したいと思える内容だった」


 インタビューを行った結果をまとめれば、惨憺たる結果に終わった。どれもこれも異常なほどに肯定的な意見しか出てこない。普通であればもう少し否定的な、もしくは無関心な意見が出てきてもおかしくないはずなのに。事前に小柴から送られた資料にはリストの他に、当時の参加者が記入したアンケート結果のまとめも同封されていたが、それの結果と今回のインタビュー結果は確かに一致していた。アンケート回収率九十八%も然ることながら、感想欄も良かったと肯定的な意見も九十八%だったのだ。これが真実であることがインタビュー結果で証明されたに過ぎなかったわけだ。

 それだけ人心掌握に長けた男だからこそ成せる業なのか。聞けば聞くほどに源田智和という人物像が霞がかっていくようだった。

 しかし、もうしばらくすればその理由も明るみになるはずだ。

 十月十日の講演会。参列すれば、きっと何かを得ることが出来るに違いない。

 大学の聞き込みを開始してから約一ヶ月。大方調べ終えたわたしは、雑誌SCOOPのデスクに戻った。入口の前に立ち、小さく深呼吸をする。あれから一ヶ月。先輩からの連絡は無いが、もしかしたら帰ってきているかもしれない。そうすれば、今回のことを報告しよう。わたしはその時の先輩の表情を想像しながら、思わずにやけてしまう。

 しかし、扉を開けた先のフロアに先輩の姿は無く、壁に掲示している行動予定ボードにも東京出張が記されたままだった。

「お疲れ様。ちょうど良かったよ。君宛てに荷物が届いているけど……」

「わたしに、ですか」

 このデスクに届く荷物というのは、大抵がネタ元の証拠品だったり、情報をまとめた資料が大半だが、それと同じくらいに嫌がらせや誹謗中傷を書き連ねた手紙なども届く。しかし、入社五年目のわたしには、まだこれといった実績もなく、大口のクライアントや情報提供者もいなければ、嫌がらせを受けるような大きい記事を書いたこともない。結論からいえば、身に覚えがなかった。ただ、もしかしたら小柴が私宛てに何か情報を提供してくれたのかも、とも思ったが、宛先にはまるで見覚えの無い名前と住所が印字されている。

 編集長が持ってきた荷物は両手で抱える程度の大きさのダンボール箱で、受け取るとずしりと重さを感じた。

「何か怪しいね」

 編集長もわたしの反応を見て、小首を傾げている。

「まあ、とりあえず開けてみよう。爆発物じゃなければ、よっぽと大丈夫だろう」

 冗談にもならないセリフを吐きながら、わたしに代わって編集長が荷物の封をカッターで切っていく。蓋を開けてみると、中には半透明の緩衝材が詰め込まれており、中身までは確認出来ない。

 しかし、それよりもデスクにいるメンバーの顔を歪ませたのは、開けた瞬間に飛び出した強烈な腐敗臭だった。臭いは拡散し、デスク全体に充満する。

「もう一気に開けるぞ」

 編集長は勢いよく緩衝材にカッターの刃を通した。

 そして、中から姿を現したのは――。


 ――人間の左手だった。

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