舎弟と兄貴⑦(完)
「まさかお前みたいな人間が組長だとはな」
目の前でた静かににっこりと微笑むだけの男――大谷は、俺の発言にゆっくりと応えた。
「人は見かけで判断するものではありませんよ。結局は本質的なところを見なければ、わかることなんて表層的な部分のみです。かくいう私も、先代の息子というだけで、常に色眼鏡で見られてきました。それを覆すにはなかなか骨が折れましたよ」
そう言いながらも、顔には一切の苦労は感じられず、昔を懐かしんでいる様子もなかった。大谷はまだ話し続ける。
「結局のところ、この世界というのは誰に従うかを明確にする必要がありました。まあそれは自然なことです。基本的に人間という生き物は根っからの指示待ち人間ですからね。従うべき人間のことを理解できれば、自ずと人はついてきます。当時の大谷組はまさに先代がそうでした。誰しもが先代の言葉に賛同し、先代が見るべき道筋に目を向けていた。こんな裏稼業の世界でも、どこぞの中小企業よりはまともな一体感を先代は作り上げていました」
それは俺も耳にしたことがあった。主に仲介屋からの又聞きだが、先代の組長――大谷政継は人望に溢れ、裏社会でもそれなりに名の知れた人物だったと聞いている。
「つまり、私がそんな先代から従うべき存在であると、仲間に知らしめるには、方法は限られてくるわけです」
「限られるって……」
俺は大谷の発言に対し、嫌な予感しかしなかった。
「そうです。私が思いついた方法はただ一つ。先代に退いてもらうことです。それも文字通り、人生の退出をね。そうすることで、どちらが上位の人間であるかを体現する。私の凡庸な脳味噌ではこれくいの発想しか思いつきませんでした」
先代の組長が死んだのは確か去年の暮れ頃だったと記憶している。まさか本当にこいつが殺したとは……。俺は眉を顰めた。
「別に反省などはしませんよ。それにあなたとしていることはさして変わりない話です。あなたが殺してきたのは『他人』。私が殺したのは『肉親』。カテゴリーの違いこそありますが、元を辿れば、どれも同じ人間です。そんなもんでしょう」
大谷は悪びれもせずに言い切った。別に俺も殺人に対してとやかく言うつもりは毛頭ない。大谷の言う通り、俺も似たようなことをしている以上、それを反省しているかと聞かれれば、答えはノーとなる。
ただ大谷の言葉には一つの温もりが感じられず、無味無臭で乾ききっていた。それは人間から遠くかけ離れた存在のようで、ヤクザというよりは、むしろ俺たち殺し屋側の感覚に近い。
「……で、そんな組長様が、俺に対してどうするつもりだ」
「そうですねえ。今もまだ悩んではいるんです」
「何を悩む必要がある。親父を殺ったように、ひと思いに殺せばいい。簡単なことだろう」
「……確かに、あなたを殺すという行為は、私が考えた中で最も手っ取り早い手段の一つではあります」
そう言うと、大谷は腰につけたホルスターから拳銃をぬき、俺めがけて引き金を引いた。銃声と同時に、俺の太ももに激痛が走る。太ももに穴が開き、そこで湯水の如く血が湧き出してくる。俺は歯を食いしばり、痛みを堪える。そうこうしていると、もう一発の銃声。今度は左肩に激痛だ。あまりの衝撃に身体が反射的に仰け反ろうとするが、有刺鉄線がそれを許さない。
俺の反応をみて楽しんでいるのかと思えば、大谷は深いため息を吐いた。
「やはり、あなたも私の見込み違いだったようだ」
大谷の表情からは笑みが消え、みるみると失望に変わるのが見て取れる。
「私は期待していたんですよ。しかし、あなたもただの人間だったようだ」
「ただの人間だ? 人を化け物候補みたいに言いやがって。そもそもそんな言い草だと、お前は化け物の存在を認めているようんもんじゃないか」
額には脂汗が滲み、視界は醜く歪んでいる。ぐにゃぐにゃと水面を雑に掻き回したような世界に凛と立つ大谷がはっきりと笑っていることだけはわかった。
「それはそうですよ。だって私はその化け物に会ったことがあるんですから」
大谷は即答した。
「しかし、その時の記憶は全くありません。ごっそりと抜け落ちているのです。それはただ純粋に恐怖からくる記憶障害でしょう。平たく言うなれば、びびったんですよ。あの……切り裂きジャックに」
「切り裂きジャック?」
誰も見たことのない殺人鬼。
標的の前に現れれば必ず殺し、その証拠すら残さない、あの殺人鬼と相見えたと言うのか。
俺は耳を疑い、そう理解した脳に混乱した。
「あれは紛れもなく殺人鬼、切り裂きジャックでした。それは疑いようがありません。ただ私の記憶が全くない。あるのは言い知れぬ恐怖。そして『化け物』という言葉の記憶のみ。私はこれでもそれなりに視線は越えてきた自負があります。しかし、その過去の危険なんてものが、まるでB級映画のパニックムービーのようにお粗末な代物に成り下がってしまうほどの衝撃でした。そしてその記憶が胸に刻み込まれてしまったのです」
大谷は冗談を言っているようには思えぬ迫真の言い回しで、当時の記憶を語っている。それにはどれもリアリティがあり、信憑性が高かった。
「だから、私はあなたに期待していました」
「俺に……?」
今の話で俺に繋がるものが見当たらなかった。
「あなたはもしかしたら、あの時の恐怖を感じさせてくれる人なのかもしれない。そう思ったのです。だってそうでしょう。全く関係のない所で湧いたあなたの元へ訪れたあの若い男。切り裂きジャックに殺されたじゃありませんか。あなたは知らない、と躱しながら、どこがで密かに繋がっているのではないか。そう思うのも無理はないでしょう。彼にとって、あのタイミングで、あの殺人鬼による事件は我々が手を引くには十分な理由がありましたからね。あの殺人鬼が絡めば、警察は否が応でも周辺を固く捜査するでしょうし、手が出しづらい状況を一時的とはいえ、作ることが出来る。どうせどの道死ぬ運命なんだ。周りを巻き込まない最善の殺し方だったと思いますよ。まんまと策に乗ってしまったわけです。だから仕返しではなく、ほんの興味本位で、橘をあなたの元へ向かわせた。先日に因縁のあった相手です。二つ返事で向かってくれました。そして案の定、のこのこと殺された。おかげさまで、あなたを拉致する公然の理由が出来た。あとはゆっくり話を聞いて、じっくりと見極めればいい。そう考えていました。あなたがあの時の記憶さえ呼び起こしてくれれば、切り裂きジャックの跡を辿るきっかけに繋がるかもしれない。あなたが直接的に繋がっているかは実は関係ありません」
大谷は長話で自分の醜態を晒していたにも関わらず、雄弁に演説を語り終えた大統領のように堂々としていた。
俺はますます腹が立ち、大声をあげた。
「俺たちを玩具にして楽しかったかよ」
椅子から立ち上がろうと気を振り絞る。有刺鉄線の痛みなど、この際関係ない。しかし通常の人間は鉄のワイヤを引きちぎることなど出来ない。
「どれもこれも想像の範疇を超えてはくれませんね」
一発の銃声。飛び上がる身体に、軋む鉄線。
今度は右肩を抉られた。
「一つ、申し上げておきます。あなたや橘さんは玩具なんかではありませんよ。あなた方はただの実験台、モルモットに過ぎません。だってそうでしょう。誰だって自分の玩具は吟味して選び、大切に愛でるものです」
もう限界だった。大谷の言葉がとうとう断片的にしか耳に届かなくなった。右の太ももに弾丸がめり込んだところで、俺は椅子ごと倒れた。仰向きに寝転がり、静かに目を閉じる。
「ちょっと待て」
俺が発した言葉だと理解するにはしばしの時間を要した。それでも俺の口は、俺の意識とは別の回線を使って言葉を紡ぐ。
「その切り裂きジャックが俺かもしれないとは何故思わない」
「あなたが切り裂きジャック? 笑いすら起きませんね」
寝ているため、大谷の顔は拝めないが、腹を立てていることは声色で流石にわかる。かつかつとコンクリートを蹴る音が近づいてくる。
「最後に命乞いですか。みっともない」
「そんな格好いいもんじゃねえよ。おたくと同じ、面子ってもんさ」
強がりだった。その割にすらすらと言葉が飛び出る。
「――あんたとの仕事、楽しかったぜ。仲介屋」
大谷の動きがぴくりと止まり、強ばるのを空気で感じた。
「……いつから気付いていましたか」
「気付いたとか、そういうんじゃねえよ。だいたい、名前も顔も知らねえじゃねえか。……ただ何となくだ」
俺はそう言いながらも、仲介屋がよく口にする「一つ、申し上げておきます」を思いだしていた。
「……切り裂きジャック、見つかるといいなあ。俺はあの世で待っててやるからよ。早く会わせてくれよな」
「……考えておきます」
大谷の言葉と銃声を最期に俺の意識は完全に無くなった。
深い深い眠りの中で俺は仲介屋の頼りを待つことにする。
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