患者と医者②
私には息子がいた。もうすぐ五十になる年齢なのだからいても別段おかしくはない。今年でちょうど二十歳となる。
生きていれば――の話だが。
息子は五年前に死んだ。当時通っていた中学校の屋上から身を投げて死んだ。屋上には遺書が残されており、中学生が書いたとは思えない、悲痛な心の叫びが太い文字で書きなぐられていた。私はそれを読んだとき、本当に息子が書いたものなのか、と疑問に思った。私が知る息子はこんな陰惨な文章が思い付くような子ではなかったからだ。よく笑い、よく食べ、よく喋る息子が、親である私たちに相談も無く、尊い命を放り出すなど、考えられなかった。しかし、この文面が事実であるならば、何より私の息子が虐めを受けていたことが何よりも衝撃的だった。
十五歳という若さでこの世を去ることとなった息子は、勉学に励みながらも、所属しているサッカー部でほぼ毎日グラウンドを走り回っていた。家にいるときの息子は、笑顔が絶えず、学校の話を聞かせてくれていた。授業の話や、部活に友人……仕事上、なかなか家にいることのできない私にも嫌な顔ひとつすることはなかった。
そんな息子が突然この世から消えた。
虐めの主犯格とされる子供は泣きながら私と妻に土下座をした。頭を垂れ、額を地面に擦り付け、「どうもすいませんでした」と。鼻水をすすり上げ、声にならない声で、何度も同じ言葉を大声で発する。それが謝罪だと気付いたのは、彼らが帰った後、引率の教師と母親が「償っても償いきれない……」なる謝罪の常套句を並べた時だった。
何故だろう。何故あの程度のパフォーマンスで、息子の命と対等になると思い上がってしまえるのか。怒りよりも先にその疑問点が浮かび上がった。悪いことをすれば謝る。それは当然のことだ。相手が小学生だろうが教師だろうが、医者だろうが限らず等しくそうあるべきである。しかし、その謝罪が許されるかどうかは別問題であり、被った側の意思によって自由に変動するもののはずだ。それを知ってか知らずか、彼らはもう許された気でいるらしい。私は思わず笑ってしまった。
「償っても償いきれない、というのはどういうことでしょうか」
言葉を覚え、周囲の万象に興味を持ち始めた幼少気の子供のように、純粋な気持ちで質問を投げた。
「え」
教師と母親はぽかんと口を開けたまま二の句を繋げずにいる。私は仕方ないので、もう一度同じ質問を少しゆっくりとした口調で繰り返した。
「いえ、あの……子供のやったこととはいえ、今回の件は反省してもしきれるものではなく、私どもも、深く反省し、二度とこのようなことが起きないよう、最善を尽くして参ります」
「質問の回答になっていませんよね。私が聞いているのは、これからどうするかではなく、この結果をどうするか、です。これからの再発防止などやるやらないもあなたがたの勝手にすればいい。それは未来の話でしょう。今の話を私は求めています。医者が病気を発見して、今後病気を発生させないように、最善を尽くすなんて言葉を吐くと思いますか。それよりも患者に必要なのは、今患っている病気を治すことです。明日を生きる勇気を与えることです。今のあなたたちは、病気を患った患者を見捨てたのと同義ですよ」
「いえ、そんなつもりでは……」
教師たちは手を顔の前でぶんぶんと振りながら否定の意を示す。しかし、私は嘲笑する。
「そんなつもりがあるのか、ないのかは問題ではありません。それを患者がどう受けとるかが問題です」
「は、はあ……」
彼らとの無意味で無駄なやり取りを終えた私はどっと疲れがこみ上げ、椅子に座ると力が抜けたように大きな音をたててテーブルに突っ伏した。
先程のやり取りを思い出す。教師たちは困惑の色を浮かべ、返答に窮し、頭を下げるだけの人形と化していた。それが私のやりたかったことか――。否、全くもって違う。ただ何をやるべきなのか、どれだけ頭を回転させても答えは導き出せない。これならば重病の患者に対する治療内容を模索する方がよほど簡単だった。患者は生きている。しかし、息子はもう死んでいる。未来の話も今の話すらも出来ないのだ。
そう考えたとき、どっと両目が熱くなった。そして止めどなく涙が溢れてきた。私は恐らく一生分に近い涙をこの日、流した。
私はこの日を一生忘れない。
私は息子を死に追いやった彼らを忘れない。
主犯格とされる、彼の名――美濃洋介を。
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