scene:06 たとえこの身が朽ち果てようとも

 ――時を戻そう。


 エリザベート・ドラクリア・バラスタインは思い出す。

 ほんの一刻前。作戦会議の前に、エントランスホールの端で話したことを。



    ◆ ◆ ◆ ◆

 


「マリナさん、少し作戦について質問があるんです」


 そう、エリザが作戦内容についてマリナにただした時のことだ。


 事前にエリザが聞いていた内容は、騎士を倒す武器とその運用方法についてのみ。実際の作戦の流れに関しては大まかにしか教えてもらえず、肝心な部分は意図的に伏せられていた。そこに不穏なものを感じて確かめずにはいられなかったのだ。


 そのエリザの疑問を察したのだろう。

 マリナは「話しておく事がある」と前置きしてから、こう告げた。


「オレは、リチャードっつう騎士を出来るだけ怒らせて――負けるつもりだ」

「負ける――?」

「そうだ」


 マリナはうなずき、エントランスホール二階の壁に背中を預けてから説明する。


「まず前提として、

 つまり、オレはどうやったって負ける」

「マリナさん、何を言って……? だってこれは勝つための作戦じゃ、」


 エリザがそう眉をひそめると、マリナは「まあ、最後まで聞けって」と苦笑する。


「どうにも聞いた話からすると、リチャードっつう騎士は他と比べても規格外の強さだ。そこに転がってるGAU-8アヴェンジャーでも甲冑を抜けないだろうし、唯一甲冑を抜ける対戦車ランチャーの類はそもそも当たらない。地対空ミサイルなら多分当たるが、今度は甲冑が抜けないしな」

「らんちゃあ?」

「要は、オレが持ってる武器じゃ倒せないって話だ」

「じゃあ、どうするんですか?」

「簡単だろ。正面から倒せないんなら、正面から倒さなきゃいいんだ」

「それは……そうでしょうけど」


 そもそも、それが困難だから正面から戦う事になっているのではないか。

 マリナが持つ異世界ファンタジアの武器は、爆音を立ててしようするものばかり。優れた五感を持つ騎士の隙は突けない。だから仕方なく、正面から騎士甲冑サークを貫くために用意したのが『あう゛ぇんじゃー』という鉄塊なのではないか。


「だから、のさ」


 エリザの問いにマリナは「ニィッ」と歯を見せて笑う。


「オレはやつから出来るだけ恨みを買う。『ただ殺すだけでは納得できない』と思わせる。――ぶん殴って、ぶっ飛ばして、指を落として目をえぐって舌も歯も抜いて、散々拷問をした上で反省を促し、涙ながらに『ごめんなさい』と命乞いするオレを焼き払いたい。そう思わせる」

「――、」

「その怒りが、大きな隙になる」

「そんなこと……」


 エリザは言葉を失う。

 この娘は、自分が何を言っているか分かっているのだろうか。

 今、彼女が口にした拷問の内容は、彼女自身が受けることになる痛みだ。指を落とされ目をえぐられ歯と舌を抜かれるそれを、平然と『必要だから』と受け入れられる精神性が、エリザには理解できなかった。


 そうぜんとするエリザの表情をどう読み違えたのか、マリナは「心配すんなよ」と笑った。


「『憂国士族団』からの話じゃ、リチャードはよく敵をいたぶって遊ぶらしい。それに炎槌騎士団の中にはやつの親友がいるんだと。オレはそいつを殺す。自分が奪う側だと思ってるやつほど、奪われた時には激怒するもんさ。……だから安心しろって。やつは必ず、オレを。そしてやつがオレにトドメを刺そうと、炎剣とやらの固有式を発動させたら――」


 マリナはそこで言葉を切り、黒いスカートをたくし上げる。そこから生み出したのは、黒い鉄の筒。

 それを壁に立て掛け、エリザは親指でそれを指し示した。


「――エリザ、お前がやつを倒せ」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 エリザは記憶の海から現在へと意識を浮上させた。

 チェルノート城の城壁。その胸壁の陰に、エリザは身を潜めている。


 ――んだ唇から血が流れる。


 その赤色を見て、隣で身を隠しているエンゲルスが「こ、公女様……」と何か言いたげに口を開いたが、今のエリザにはそれを察してやれるほどの余裕はない。


 耳の奥で響くのは、悲鳴だ。


『――ぐが、!』『がぁ――、』『つぅ、あ、ひぃ――』『じゃ、ぶが、は、は――』『はぅあ、あッ、あッ、あッ、あッ、あッ、――――――』 


 激痛に苦しむマリナの悲鳴。

 それは空から墜落したマリナが、リチャードに断末魔だ。念話は彼女の悲鳴を余すことなくエリザへと伝達する。

 しかしエリザはすべもなく聞き続けることしかできない。その悔しさが、みしめた唇から鮮血となってあふしていた。


 しかし、これは事前の打ち合わせ通り。

 エリザ自身も「それじゃマリナさんが死んじゃいます!」とは言ったが、最終的には認めたこと。リチャードという化け物を倒すために、必要なことだと。


 エリザは聞こえる悲鳴をみしめて、自らが担ぐ異世界の武器メイドインファンタジアの、覗き穴の先にリチャードの姿を捉えた。


 その武器の名は、01式軽対戦車誘導弾。

 ――通称『ラット』。

 非冷却式の赤外線センサーと夜間照準器まで備えた対戦車兵器。

 二重タンデム成型炸薬HEAT弾頭は厚さ600㎜以上の均質圧延鋼装甲R H Aをぶち抜き、自律式誘導弾は対象の赤外線を捉えて自ら2㎞先の標的へとしようする。歩兵が一人で運用できる最大火力の一つだ。


 ――だがこれは本来、騎士に通用する武器ではない。

 しよう速度は音速に遠く及ばず、赤外線誘導は対象が戦車並みの熱を発していなければ使用できない。人間大の化け物に使えるものではないのだ。

 

 だが、もしも。

 対象が足を止めて、何かに意識を集中させている事があれば。

 戦車のディーゼルエンジンの排気並みに熱を放出しているのなら。

 01式軽対戦車誘導弾ラットは、猫をころす窮鼠となり得る。


 つまり。

 他の十把一絡じっぱひとからげの騎士には通じなくとも、炎剣レイバティーネの担い手である【断罪の劫火】にだけは――リチャード・ラウンディア・エッドフォードにだけは通用するのだ。

 そう――隙さえあれば。


〔遠見式〕のように拡大された景色の中で、リチャードが炎剣レイバティーネの真の姿を解放した。太陽にも匹敵するほどの熱を持つという、白き炎の刀身。個魔力オドの保護膜によって周囲に漏れる熱を抑えられてなお、膨大な熱を発するソレを『ラット』の赤外線センサーが捉えた。

 照準が固定、発射準備が整う。


 異世界ファンタジアの武器には扱いに習熟が必要なものが多いというが、この『ラット』という武器は比較的操作が簡単。しかも〔爆裂式〕が仕込まれた筒は勝手に狙いをつけて飛ぶという。これならばエリザでも外す事はない。

 リチャードという化け物を倒すことができる。


 無論それだけならばエリザがやる必要はない。一人で扱えるとはいえ『ラット』は重く、それにリチャードが見える位置に居なくてはならない以上、常に死と隣り合わせ。力のあるエンゲルスや、戦闘に慣れたダリウスに任せるという判断もあったはず。


 しかし、マリナは『ラット』をエリザに託した。

 それは、エリザベート・ドラクリア・バラスタインという少女が、本物の領主になるために必要なことだからだという。


 父の言葉が、エリザの脳裏によみがえる。


『王や貴族というものは、民草の幸せのために戦わねばならない。

 ――それが出来るからとうといのだ』


 つまり、それを示せという事だ。

 エリザが敵を倒す姿を、背後の城内でおびえる民草へ見せつけろと。

 わたしが領主なのだと宣言しろ、と仲村マリナは言った。


 ――だけど、こんなこと。

 そうエリザは覗き穴ファインダーの向こうを見やり、更に唇をみしめた。


 エリザの視界には、手足を失って上半身だけになったマリナと、それを見下ろすリチャードの姿がある。念話からはマリナが感じる痛みだけが伝達され、もはや意味を成していない。わたしが本物の領主になるためだけに、これほどの苦しみを課さねばならないのだろうか。そのおもいが、エリザをさいなんでいた。


「公女さん」


 エリザの姿を見かねたのだろう。声をかけたのは、かつて魔獣使いビーストテイマーとしてエリザを襲ったダリウスだった。

 ダリウスがエリザの肩を抱きささやく。


「待つことはない、

「……、」

「やれるんでしょう? その武器なら」

「いえ……まだです」


 エリザは返事を肺腑はいふから絞り出す。

 打ち合わせでは、放つ合図はマリナが出す事になっていた。なにしろ一度きりの大勝負。失敗は許されない。故に、最も近くでリチャードの意識を探れるマリナが合図を出すというのは至極当然の判断ではある。

 ――しかし。


 まだか。


 まだか。


 まだなのか。


 もしや、と思う。


 マリナは既に合図など出せる状況に無いのではないか。手足全てを失い、拷問まがいの責め苦を受けたのだ。もはやまともな判断力など残っていないのかもしれない。もしそうならば、合図を待っているうちにマリナは炎剣によって消し炭にされてしまう。


 エリザは『ラット』の引き金トリガーを握ろうと――


『――冗談じゃ、ない』

「マリナ、さん?」


 マリナから届く念話。

 どうやらエリザの発射しようという意図が、念話によって伝達されてしまったらしい。『まだだ』という念話が飛ばされてくる。


『まだ、アイツの意識がオレだけに向いていない』

「でも――」

『チャンスは一度しか、ない。中途半端なことを、するな』


 マリナという少女の感じる痛みが、念話を通じて漏れ出してきていた。

 これほどの苦痛を味わいながらもこの少女は、まだわたしを――!

 

「ごめんなさい」


 この謝罪は偽善だと分かっている。

 提案したのはマリナでも、それを承諾して指示したのはエリザ自身だ。

 そのくせに、今更になって許しを請うなど、傲慢も甚だしい。


 けれど――

 それでも、口から漏れてしまうものもある。


「こんな辛いことをさせて、わたしは……」

『なに言ってる――。オレはな、幸せ、だよ』


 ほほむような念話の言葉。エリザを安心させようとしているのだろう。

 だが、念話はマリナの感情を伝え、その感覚の一部もエリザへ伝達する。マリナが今なお、身体全身が溶けていくような痛みにさらされている事が、エリザには手に取るようにわかる。


「でも! このままじゃマリナさんが死んじゃいますッ!」

『そいつは、見当、違いだな』


 オレは死なない、と。マリナは笑う。


「どうして!?」

『エリザがオレを助けてくれる、からだ』


 マリナの念話に『発射準備』の意図がにじむ。

 

 エリザが隣にいるダリウスに軽くうなずいてみせると、意図をんだダリウスは「いつでも」とうなずき返す。

 それは『ラット』へ仕込んだ〔〕の起動確認。これにより発射機と弾頭そのものが発する音の全ては、〔音響制御式〕にまれて消える。

 五感がどれだけ優れていようとも、〔魔導干渉域〕によって〔音響制御式〕が破られるまでは弾頭の接近に気づくことはない。


 最終確認を終えたエリザは、マリナからの合図を待つ。


 念話から流れ込んでくるのは、マリナという少女の心。

 痛みで混濁した少女の意識と言葉が、エリザの脳内に響いて冒してくる。もはやマリナには、意識から言葉だけを選別して伝達する事すらできないのだろう。それだけの痛みと苦しみに耐えているのだ。


 エリザは魂の濁流の中に潜む合図を見逃さぬよう、意識を集中させた。

 念話が届く。



『エリザはオレの希望、だ。

 人間も捨てたもんじゃ、ねえって、思わせてくれた……。

 オレ自身に絶望せずに、済んだ』



 心の濁流にマリナの記憶が混じる。

 それは絶望の記憶。

 仲村マリナという少女が、自分自身に殺意を抱くまでの記録。


 初めて人を殺した時の恐怖、

 分かり合えた敵兵を処刑した苦しみ、

 仲間にかばわれ自分だけが生き残った寂しさ、

 命がけで救った人々が次の日には黒焦げになっていた虚無、

 だまし、だまされ、

 殺し、殺され、

 奪い、奪われ、

 そうしなくては生きる事が出来ない人間に、

 死にたくないからと同じ事をする自分自身に、

 生き物の在り方に、

 世界の在り方に、

 存在する全てに絶望し、心を殺し、「今更なんだ」「それが世界だ」「夢など見るな」「それが大人になる事だ」と冷笑し、し続けた。


 そうして仲村マリナは、自分自身が大嫌いになった。

 こんなヤツの手は切り落としてしまえばいい、足など砕いてしまえばいい、目をえぐって舌も歯も抜いて脳髄をかき回しふん尿にようらす肉袋をミキサーにかけてつぶして野良犬にわせてしまえ。オレ自身の悲鳴を聞くことが、オレが望む最大の悦楽。


 しかし、自分を嫌いになるというのは、自分への期待の裏返し。

 人間という存在への期待だ。

 これ以上、他人を傷つけたくないという叫びから産まれる自己嫌悪だ。


 だから――少女は夢を見た。


 もしかしたら、どこかにクソじゃない人間も居るかもしれない。

 そんな誰かに尽くすことが出来るのならこれ以上、誰かを嫌いにならなくていい。好きになる余地がある。自分の事は許せなくとも、誰かのことを許せる。誰を大切にして、愛して、与えて、信じても良いのだ。


 オレは、そんな誰かに尽くしたい。

 武装戦闘メイドになって、そいつの夢を支えられたら――。


 そして。

 赤黒い汚泥に満ちた記憶の果てに、白く輝くかけが現れる。

 それはエリザベート・ドラクリア・バラスタインとの出会いの記憶だった。

 


『それだけでオレには充分、だった。

 満た――された。

 だからッ!』



 もはや、それはエリザへ向けられた言葉ではなかった。

 もうろうとする意識の中で、吐き出される叫び。

 それは魂魄に刻まれた、ただ一つの行動原理――



『たとえこの身が朽ち果てようとも、

 オレはエリザの願いを、かなえてやると誓ったんだ!』



 エリザベートが担ぐラットの覗き穴ファインダー

 その向こうで、リチャードが炎剣レイバティーネを両手で構えた。

 頭上へと掲げ、今まさに振り下ろそうと――


 念話。



『エリザ、』




 待ち望んだ合図。

 引き金トリガーを――握った。


 途端、誘導弾のロケットブースターが点火する。

 無音のまま発射機から飛び出したミサイルは安定翼を展開。続いて点火されたメインロケットモーターは左右から炎を噴出させながら誘導弾を更に加速させる。安定翼は誘導弾を空高く上昇させ、ミサイルの赤外線画像シーカーが下方でリチャードが掲げる炎剣レイバティーネを捉えた。

 

 二種類ある誘導方法のうち、

 選んだのは上空から戦車の上部装甲を狙うための『ダイブモード』。

〔音響制御式〕の加護を受け、対戦車誘導弾はリチャードへ向けて急降下する。



 落ちゆくのは、成型炸薬を内包した誘導弾窮鼠の牙

 下されるは【断罪の劫火】への天罰トップアタック――



「――――っ、」

 

 思わず、拳を握った。

 覗き穴の向こうで〔爆裂式〕のような炎と煙が噴き上がる。

 ――直撃だ。


 途端、白煙の中から何かが飛びだす。それは吹き飛ばされていく炎剣レイバティーネだった。個魔力オドの供給を失った炎剣レイバティーネは白炎の刀身を格納し、五またさやを閉じて斜面へと突き刺さる。

〔爆裂式〕を受けたくらいで、騎士は武器を取り落としたりなどしない。

 つまり――――リチャードはたおれた。


「マリナさん!」


 思わず立ち上がり、エリザは爆煙の向こうにいるはずのマリナの姿を捜す。

 あの爆発に巻き込まれて果たしてマリナは無事なのか。エリザの個魔力オドを大量に送り込む事で魔力の膜を作り、ある程度は爆炎を防げるという話だったが、本当に無事なのかこの目で確かめたかったのだ。

 

 エリザは乏しい月明かりを頼りに、魂魄人形ゴーレムの赤髪を見つけようと、


「――え、」


 白煙の合間に見えたのは、白銀の甲冑。

 ――瞬間、せんこうきらめいた。



    ◆ ◆ ◆ ◆



 その時マリナが見たのは、何かで爆破されるチェルノート城の城壁だった。


「エ、リザ――」


 ぼうぜんと、マリナは己が主人あるじの名を呼ぶ。

 ――しかし煙が晴れた後に現れたのは、無残に破壊された城壁だった。

 そこに人影は、無い。


「……やってくれたな、クズども」


 対して、リチャードは健在だった。

 悪態を吐く騎士は、城へ向けていた左腕を降ろす。

 つまり、城壁を爆破したのはコイツだ。〔爆裂式〕か何かを扱える武器を、騎士甲冑サークに仕込んでいたのだろう。

 無論、リチャードも無傷ではない。確かに弾頭が直撃したと思われる右腕は吹き飛び、甲冑のかぶとは砕け散って、右半分がただれた面貌をさらしてはいる。

 ――だが、それだけだ。


 マリナの立てた作戦は全てくいった。

 自身の命まで賭け金にして挑んだ大勝負は、マリナの思惑通りに進行した。

 そして――負けたのだ。


 マリナが持つ全てを費やしてそれでもなお、届かない。

 断罪の劫火を消し去るには、あまりに無力だった。


 ふと、熱で白濁した眼球がマリナを見下ろした。

 ギリリと、リチャードは苦々しく歯を食いしばる。


「貴様ら家畜ごときが、俺の右腕を奪うなど――!」


 残った左腕が伸び、マリナの頭部をつかげる。


「キサマを殺すくらい、ティーネがなくともなぁ……」


 ミシリ――、と魂魄人形ゴーレムの頭蓋がきしみを上げた。

 痛い。

 だがマリナには抵抗する術がない。手も足も既に無いのだ。既に賭け金として費やしてしまった。


 くそ。

 またか。

 また、何も出来ずに死ぬのかオレは――。

 せっかく、尽くしたいと思える相手を見つけたっていうのに。

 ……………………チクショウ。


 仲村マリナは絶望を胸に瞳を閉じ、




 ――ふと、光を見た。





 それは月光をはらんできらめく銀の絹糸。

 風になびくそれが、遠く、リチャードの背後で揺れている。


 鮮血を滴らせ、焼け焦げたドレスを身にまとい、農作業で鍛えた脚で一直線に駆けてくる。


 あれは、オレのだ。

 オレの主人あるじだ。

 オレのわいい公女様――


 ――エリザベート・ドラクリア・バラスタイン!!


「なんだ、」


 マリナの瞳に光が戻ったことに気づいたのだろう。リチャードが背後を振り返り、そして目にしたエリザの姿にリチャードは目を見開いた。


 破れたドレスを引き千切り、歯を食いしばりながら猛然と斜面を駆け下りるエリザは、その両手に何かを抱えていた。

 それは長い木の柄の先に、金属の平たい刃がついた農具。

 土を掘り起こし、畑を耕すために振るうもの。

 エリザが家族を失ってから、ずっと握ってきたもの。


 ついに二人の下へ辿たどいたエリザは、リチャードの背後でを振り上げる。



「そのはわたしのぉ――」


  ――エリザが振り上げたのは、


「――メイドだぁッ!!」


  ――農作業用の、くわだった。



「――ガ、」


 振り下ろされた鍬はリチャードの後頭部を直撃。そのままうなじに突き刺さり、リチャードは焼け焦げた地面へと倒れ伏した。


 そして当然、リチャードにつかげられていたマリナも地面へと投げ出される。

 だが、それでもマリナの瞳はエリザの姿を捉え続けていた。

 もう、見失いたくなかったのだ。

 荒く息をつき、額から血を流し、焼け焦げた身体を動かしている主人あるじの姿を。


「マリナさん!」


 今度こそリチャードが動かないことを確かめてから、エリザはマリナへと駆け寄ってきた。

 眼鏡もメイド服も無く、赤髪は泥に塗れ、胸より上しかない魂魄人形ゴーレムの身体を、エリザベートはそっと膝の上に抱く。

 血を流し火傷やけどを負っている自身よりも大切に、壊さないよう、エリザを抱き上げる。


 そんな姿を、主人エリザの膝から見上げてマリナは思う。


 ――ああ、オレの目に狂いはなかった。

 やっぱりコイツは――イイ女だ。


「……マリナさん? しっかりしてマリナっ!? マリナぁッ!!」



 主人の声に包まれて、

 あんとともに仲村マリナは瞳を閉じた。


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