scene:02 異世界《ファンタジア》
「――というわけで、あなたから見てこの世界は異世界なの」
そう締めくくった少女の言葉に、仲村マリナは眉をひそめる。
マリナは今、『エリザベート』と名乗る少女の私室へと連れてこられていた。そして訳が分からないまま、その部屋の天蓋つきのベッドに腰掛けさせられ、銀髪の少女から『異世界』だというこの世界についての説明を受けたところだった。
「わたしたちの世界では、
「オレからすれば、今の話が全部がファンタジーだよ……」
頭を抱えるマリナに、エリザベートという少女は「無理もないわ。わたしも驚いてるもの」と同意する。
「まさか異世界の死者を召喚するなんて……。まあ、冥界はあらゆる世界の死者を
「それなんだけどよ。――オレは死んだんだよな?」
マリナの問いかけに、エリザベートという少女は「ええ」と断言する。
確かにマリナの最後の記憶は
それに。
と、マリナは自身の両手へ視線を落とした。
そこには削り出した白木で出来た手がある。球体関節で
だから自身が死んだことや、体を
だが『異世界に魂だけ召喚されて、人形の中に入れられた』と認める事には
「……米軍あたりの人体実験に付き合わされてるわけじゃねえのか?」
「何度も言うけれど、わたしはその『ベイグン』を知らないし、『アメリカ』も『ニッポン』のことも知らないわ」
いい加減疲れたとでも言いたげに、エリザベートは肩をすくめる。
確かにここで押し問答を繰り返しても仕方がない。マリナは少女に「いや、すまん」と手を振った。
それにマリナとしても、この銀髪の少女の言い分を認めてしまいたいと思い始めていた。
マリナは所属していた部隊の中でも『ニッポン』の遺産たる漫画や小説を読む方だった。マリナが愛してやまない武装戦闘メイドたちの中には、魔術やら魔法やらを扱う者もいたし、異世界から召喚された少年を主人と仰ぐ者もいた。だから『異世界の死者の魂を召喚して人形に移し替えた』と言われれば、イメージくらいは湧くのだ。
それでも少女の言葉を「はいそうですか」と納得できないのは、マリナが知る常識とはかけ離れた現象である事と、これまでの人生で得た『他人の言葉を
「んー、どうしたら信じてもらえるかしら」
表情からマリナの内心を察したのだろう。エリザベートは腕を組んで考え込む。
そして何かを思い出したのか、パッと表情が明るくなり、
「ねえ、契約の言葉を聞いた?」
「なんだそれ」
「
「……で、あんたは何て言ったんだ?」
マリナが半信半疑にそう問うと、エリザベートは「死にゆく者よ――」から始まる契約の文言を口にした。
それを聞いているうち、マリナの脳内に
見上げる曇り空、
失った右脚と
死ぬ前に表紙を目に焼き付けようと取り出した漫画本、
そして、死の瞬間に聞いたその言葉――
「…………思い出したよ。たしかにそんな
「ほんと!?」
よかったあ、とエリザベートは胸をなでおろす仕草をする。
見ていて飽きない少女だ。そうマリナは思う。考えていることがすべて、表情と動きに出てしまっている。隠し事ができない性格なのだろう。――ついでに言えば、こんな人間が
仕方ない、ひとまずはこの少女の言うことを信用してみよう。
そう、マリナはひとり結論する。
疑うことも悲観的に備えることも重要だが、不安に
ふと、エリザベートがマリナの顔を
「それで、何を願ったの?」
「あ?」
意味が分からずマリナが聞き返すと、エリザベートは少しじれったいような様子で、
「契約の文言にあったでしょ? 願いを
「ああ」
「わたしも詳しくは知らないけど、
魔導式というのはいわゆる『魔法』のようなもので、大気中や生物の体内にある魔力を使って、様々な現象を引き起こす技術ということだった。魔力とそれを操る『式』さえあれば、理論上不可能なことは無いらしい。マリナとしては眉唾も良いところだが、既にこうして死んだ後に
「主従契約は簡単に解除できない魔導式だから、わたしと結ぶ必要は無いけど、もしかしたらわたしの出来る範囲で『願い』を
「…………いや、覚えてないな」
付け加えるなら、このエリザベートという少女は異世界の王国における『貴族』らしい。そんな立場の人間に「メイドになりたい」などと言えば、事実その通りにされてしまうだろう。この世界の社会制度についてろくに知りもしない段階でそれはあまりに危険だ。
マリナは話を
しかし、
「あー……、いや、いいのいいの。やって欲しいことがあったのは確かなんだけど、
「そうなのか?」
「ええ。……まあ、アテが外れたのは痛いけど、仕方ないし」
ダイジョーブダイジョーブと笑うエリザベートは、初対面のマリナから見ても空元気だ。
と、
遠くから呼び鈴のような音がマリナの耳に届いた。
途端に「ああ……、来ちゃったか」と、エリザベートは額を押さえて天を仰ぐ。
「えっと、あなたは
言って、エリザベートはマリナを置いて部屋から出て行ってしまう。
部屋のドアが閉まる音を聞きながら、マリナは頭をポリポリと
「今後のこと、つってもな……」
とりあえず、服と武器が欲しい。
そう思いマリナは部屋の中を見渡す。
しかし貴族の娘という割にはずいぶん質素な部屋だ。
確かに部屋は家が一軒入りそうなほど広いし、床の
だが、それらは『貴族』としての体裁を最低限取り繕うために
そもそも貴族というなら、
まあ、つまり。
あのエリザベートという少女には何かある。
そう判断したマリナは、部屋の中を探索する。
と、そこにあった物にマリナは目を
そして、瞬間的に理解する。
あのエリザベートという少女が、何を考えて
アパートの一室かと思うほど広いクローゼット。その中には、やはりと言うべきかろくに服がなかった。数だけなら、各国軍の野戦服を
その服はマリナもよく見たことがあるもの。
だが一度も着たことはなく、実物を見たことすら無かったもの。
黒いロングスカートのワンピースと、真っ白なエプロン。
そして実用性を重視しつつも僅かなレース生地で装飾したヘッドキャップ
実用性と見栄えを両立したゴシックな黄金比。この世界では何と呼ぶのかは知らないが、マリナのいた世界ではこれを『ヴィクトリアンスタイル』と呼んでいる。
つまりそこにあったのは、
――メイド服だった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「いやあ、ご壮健そうで何よりですバラスタイン嬢」
応接間に通された男――王政府から派遣されている調整官は、わざとらしく大げさにエリザの機嫌を取っている『フリ』をする。
ついでに言えば、役人は堂々と上座へと腰掛けていた。確かに彼は王政府直属の人間であり、エリザは爵位の継承も済んでいないただの公女だが、それでも平民が貴族へ取ってよい態度ではない。
つまり――それをしても良いほどの力関係が、ここには存在する。
「それにしても、バラスタイン嬢自らお出迎えしてくださるとは。このエッジリア、感激のあまり涙を流してしまいそうだ」
「それほど喜んで
「いやいや本当に。私の相手など、メイドにでも任せてしまえば良いものを」
王政府の役人――エッジリアは、ハンカチで目元を拭う仕草をしてみせる。こんな馬鹿げた態度をとられたままでは貴族の威厳が傷つこうというものだが、エリザには守るべき威厳はすでにない。
そう、この男は分かっていて何度もこういう事を言うのだ。
メイドを雇う余裕など、今のバラスタイン家には
なのにいまだ『公女』扱いなのはエリザの領地運営能力を評価し、真の後見人たる王政府へ報告するのがこの男だからだった。
「これほどの城主ともなれば色々と忙しいでしょうに。……そういえば、いつもの老婆はどうされたのかな?」
エッジリアの言う老婆とは、祖父の代からバラスタイン家に仕えてくれていた女性の事だった。召し使いのひとりも雇う余裕のないエリザの事を案じ、城下町に移り住んでまで城の管理を無償で手伝ってくれている。いつもなら、この役人が来る時にはメイドの代わりを務めてくれていたのだ。
「……今は暇を出しております」
「そうなのですか! たしかに彼女は高齢でしたからな。そろそろ来るべき時が来たのかと思いましたよ」
「――ッ、」
一瞬、エリザは頭が沸騰するかのような怒りを覚えたが、何とかそれを飲み込む。自分が小馬鹿にされるのは受け流せるが、尽くしてくれている身内への侮辱は耐えられない。「ご心配には及びませんわ」と笑顔を浮かべた自分の自制心を褒めてやりたいとすら思った。
いくら耐え難くとも、今だけは我慢せねばならない。
この男は王政府へ報告する
それはエリザが領地を問題なく運営し、税を得て、王政府へと献上できるという事を証明するためのもの。実際、マリナは街の農業や商業についてまとめた資料や証拠としての
これが王政府に届けば、爵位継承へ大幅に近づく。そうすれば法や税制、公共事業に至るまで――領地内に限り――エリザの一存で決められるようになるのだ。これまで協力してくれた民への恩返しができる。
だが、男はそれの資料が目に入らないかのように、ぐだぐだと
「だが、そうなりますと困りましたな……」
「なにがですか?」
「いえ、ここの城は随分と町から離れておりますから、歩き疲れて喉が渇いてしまいましてな。しかし召し使いが居ないとなると、私は渇きを潤せそうにない」
なるほど、今日はそういう趣向なのか。
エリザは思わず奥歯を
つまりこの男は、わたしにメイドの
エリザが出迎えた時点で、今この城にはメイドが居ないという事に気づいたのだろう。いい加減、
もし貴族が平民に対して給仕の
とはいえエリザはこの資料を男に受け取らせ、王政府へ届けさせなくてはならない。それは権利ではなく義務。エリザが領地運営を放棄したと見なされれば、バラスタイン辺境伯領最後の土地であるこのチェルノートすらも召し上げられ、バラスタイン家は消滅する。
だが、この男はきっとエリザが茶の準備をして差し出すまで、目の前の資料に気づかないフリを続けるだろう。
エリザは静かに拳を握る。
仕方ない。いずれ爵位を継承するまでの辛抱。
今だけ。今だけは。
この男の望む通りにしてやろう。
そうエリザが決意し立ち上がり、エッジリアがほくそ笑んだ瞬間だった。
「失礼いたします」
応接室の戸がノックされ、給仕台車を押したメイドが現れた。
「お茶の用意が
しずしずと二人へ歩み寄ってくるのは赤髪の
「遅くなり申し訳ありません、お嬢様。スコーンを焼くのに手間取ってしまいまして」
「あ……そう。次からは気をつけなさい」
「かしこまりました」
「表情、がある」そう
驚くエッジリアに構わず、
「どうぞ、冷めないうちにお召し上がりください」
「あ……、ああ」
言われるがまま、エッジリアはカップを口へと運ぶ。だが、その手はエリザから見ても哀れなほど震えていた。視線は泳ぎ、こめかみには血管が浮いているように思える。
恐らくエリザに
驚きのあまり思考がまとまらないのだろう。エッジリアは紅茶を飲み干すと「すまないが、これで失礼する」と宣言して立ち上がると、逃げるように応接間を後にしようとする。
だがそれを、
「な、なにかね?」
「お忘れ物でございます」
言って
「街まで馬車を出しましょうか?」
「結構だ!」
エリザの提案をも断って、エッジリアは応接間の戸を乱暴に閉めて去ってしまった。
そうして応接間には、エリザと
先に口を開いたのは
「わりい、迷惑だったか?」
その姿がなんだかおかしくて、エリザは思わず吹き出してしまった。
「んだよ! なんで笑うんだよ」
「いえ、ごめんなさい。なんでもないの」
「はあ?」
「……助かったわ、ありがとう」
言って、エリザが手を差し出すと、少し驚いたような顔をしてから
「この世界でも、握手はするんだな」
「あ、そういえば
「ああ」
「なら良かった。ほんと、感謝してるわ」
「……いやまあ、オレもああいう男は嫌いでさ。小馬鹿にされたら、小馬鹿にし返すのが一番だ」
「仲村マリナだ」
「え?」
「オレの名前だよ。言ってなかっただろ?」
そういえばそうだった。
混乱する
「エリザベート・ドラクリア・バラスタイン。――エリザと呼んで」
「エリザ、ね。よろしく」
「……でも驚いたわ。あなた、メイドの経験があったの?」
「ん? いや、無いぞ」
「それにしては、様になっていたけれど……」
そう問うと、『ナカムラ・マリナ』と名乗った
「さっきの話だけどさ」
「さっき?」
「ほら、『何を願ったのか』ってやつ。オレは『武装戦闘メイド』になりたいって願ったんだ」
「ブソウセント……え?」
「ああ、いや、良いんだ。そこは気にしなくて。というか気にするな。するんじゃねえ。いいな?」
あまりの気迫に、エリザは「え、……ええ」とたじろいでしまう。ともかく『ブソウセントウメイド』というものがどんなメイドかは深く聞いてはいけないらしい。
エリザがコクコクと
「とにかくっ!! オレは『メイド』になりたかったんだよ。だから、多少は作法とかも知ってたってわけ」
「紅茶やスコーンは? というかキッチンの場所がよく分かったわね」
「……前の職業柄、こういうとこの構造は少し歩けば予想できる。それに大体準備してあったしな。あれ、アンタが用意しといたんだろ? オレにやらせる
「ええ、まあ」
確かにエリザは、エッジリアとの折衝のために
だが、それを状況証拠だけで判断し、見ただけで準備を整え、完璧に実行してみせたのは驚異に値する。
「……あなた、メイドになりたいのよね?」
「ああ」
「それなら、わたしが役に立てると思うわ」
「そうなのか? だって、メイドを雇う余裕なんか無いんだろ?」
エッジリアとのやり取りを聞いていたらしい。『ナカムラ・マリナ』は
しかし、
「これでもわたしは『貴族』だから。家政婦派遣協会に紹介する位はできるし、なんなら知り合いの伯爵に
「なるほど……」
しばらく『ナカムラ・マリナ』は考え込んでいたが「なら派遣協会とやらに紹介して欲しい」と答える。
「でも良いのかアンタ、
「いいの、今日だけ乗り切れればと思って起動させただけだから。あなたもせっかく生き返ったんだから、したい事をしたいでしょ?」
それはそうだが、と口ごもる『ナカムラ・マリナ』は、きっと
やはりこの人を手放すのは惜しい、とエリザは思う。洞察力も行動力あって気遣いも出来る。メイドとしてはもってこいの人物だ。
だが、休息も食事も必要のない
だからこそ、先ほどエッジリアに
なら、とエリザは提案する。
「もし気兼ねするなら、取り引きをしましょう?」
「取り引きだ?」
「ええ」
エリザは警戒する
「協会へ紹介する代わりに、今日一日だけ、わたしのメイドとして働いてくれたら
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