scene:04 鍬振り公女エリザベート


 マリナがまず驚いたのは、この世界にもキャベツやトマトが存在するということだった。

 

 名前は違うが見た目は丸っきり同じ。「ひとつ食べてみる?」と渡されたものを口にすれば、味もトマトそのもの。むしろマリナが今まで口にしてきたどのトマトよりも――そもそもあまり口にした事が無いが――しかった。


 そう。

 マリナがメイドとして頼まれた仕事は野菜の収穫だった。


 エリザベートという公女は自身が住む城の中庭を畑に変えており、幾つかの野菜を栽培していたのだ。聞けば「売って生活費にしてるの」とのこと。薄々感じていたことだが、このエリザベートという公女様はかなり貧乏らしい。先ほどの役人との会話を盗み聞いていた限りでは、どうやらこのデカい城にメイドすら雇わず一人暮らしのようだ。麦わら帽子をかぶり「マリナさん、こっちをお願い」と革手袋を振るエリザは、その銀髪さえ無ければ農家そのものだろう。

 もはや貴族というよりは『貴族の別荘の管理を任された使用人』と言われた方がしっくりくる。


 マリナが収穫したトマトを木箱に詰めると、エリザはそれを馬車へと積み込む。馬車は二足歩行の恐竜のようなものが引いており、聞けば『幻獣』の一種とのこと。

 まあ異世界ファンタジアだもんな、とマリナは深く考えるのをやめた。


「さ、一緒に」


 エリザ自ら御者台に乗ると、手綱を握ってマリナへ横に乗るよう促がした。馬の――いや恐竜の操り方など分からないので素直に御者台の横に乗って、2人は城の門をくぐる。


 途端、マリナの眼前に“世界”が広がった。

 エリザの城は山脈の中腹にあり、そこから高原の景観すべてが見渡せたのだ。


 眼下にはゆるく波打つ斜面と風に揺れる草原、頭上には突き抜けるような青空がどこまでも広がっている。左右には白い帽子を被った山々がそびえ、ここが山脈の谷間にある僅かな平地であるとマリナに教えてくれた。


 そして城から伸びる曲がりくねった一本道。

 その先には、段々畑のように石造りの建物が密集して生える一帯があった。

 きっとあれが『チェルノート』という町なのだろう。


「そうそう、町では魂魄人形ゴーレムだってことは隠しておいて」


 舗装もされず踏み固められただけの坂道を下りながら、エリザはそう言った。


「いいけどよ、なんでだ?」

「この辺りは汎人ヒューマニーしか居ないから、魂魄人形ゴーレムなんて言ったら珍しくてみんな集まってきちゃうもの。今日はちょっと寄るところが多いし」

「けど……バレるだろ」

 

 マリナは新しい身体である魂魄人形ゴーレムの燃えるような赤髪を触る。確かに服を着て球体関節を隠せば、魂魄人形ゴーレムの外見は人間とほとんど変わりない。だがこの髪はすがに違和感がある。

 そんなマリナの心配に対し、エリザは「え? 大丈夫よ」と請け負った。


「わたしたちの世界では、それくらい普通よ。髪の色は本人の魔導適正に影響されるから、赤髪なら順当に『炎熱系の魔導式が得意なんだ』としか思われないわ。コックを兼任するメイドなら、割とよくある色よ」

「はは……流石さすが異世界ファンタジアだな」

「でも手袋は外さないでね。素肌を見られたらすが魂魄人形ゴーレムだってバレちゃうから」


 そんなことを話すうちに馬車は町へと辿たどいた。エリザは器用に馬車を操って、密集する石造りの建物の合間を縫って進んでいく。そうして目抜き通りとおぼしき場所へと出たのち、エリザはその中でも一際大きい建物の裏手へと馬車をめた。どうやらそこが地元商会の積み下ろし場所らしい。


 エリザは奥から出てきた商会の元締めらしい男と会話してから「野菜をそっちに運んでもらえる?」と頼んで建物の中へと消えてしまった。


 そして、マリナが言われた通り野菜を詰めた木箱を運んでいた時だった。


「お、珍しいな。バラスタインの公女様がメイドを連れてるなんて」


 そばで作業していた荷役の男が、話しかけてきた。

 マリナは一応、潜入作戦で身に着けた営業スマイルを男へ向ける。


「最近屋敷に入ったのかい?」

「今日だけなんですよ。臨時雇いで」

「あー、なるほど。そりゃそうだよな、そんな余裕ねえか」


 どうやらエリザが貧乏貴族だということは、街の人間にまで知れ渡っているらしい。まあ、城で育てた野菜を売りに来ているくらいだから当然だろう。


 だが、男の言葉に嘲るような色が無かったことがマリナには不思議だった。

 たとえ貧乏だろうと権力者は権力者。自分たちを支配する人間の不幸や落ち度は普通、市井しせいの間では嘲笑のネタとなるもの。


 少し探りを入れてみるか。


 そう考え、マリナはキョトンとした顔を作り「余裕がない? 貴族様なのに?」と問いかける。男も話し相手が欲しかったのだろう。「お、知らねえのか」と話に乗ってきた。


「あの公女様はな、国税以外の税金を取ってねえんだよ。あらゆる所領税をな」


 マリナには税金の種類などよく分からなかったが「そんなことが?」と驚いたフリをしてみせる。どうやらその反応は正解だったらしい。荷役の男は「あるのさ、それが」と大きくうなずいてみせる。

 

「おかげでうちの商会は繁盛してるし、羊飼いやってる連中だって大喜びさ。特に小麦やトウモロコシの農家はただでさえ狭い畑で苦労してたからな。口ばっかりの教会よりよほどありがたいってんで、毎朝、城に向かって祈りをささげてるって話だ」

「でも、お嬢様は何故なぜそんなことをされてるのでしょう?」

「そこまでは知らねえや。けどまあ……領民思いの良い領主だとは思うぜ? 麓の街に出荷しに行った時にも向こうの連中から羨ましがられたよ。特にあっちは武闘派のエッドフォード家の所領にからな、最近また税を増やされたらしい」


 麓に降りただけで隣の領地になってしまうのかとマリナは驚く。

 それに『なっちまった』とはどういう事か。エリザの領地はこの山と町だけなのだろうか。マリナが興味深そうにあいづちを打つと、うれしくなったのか荷役の男は仕事そっちのけで話し続ける。


「まったく、大した公女様だよ。戦争で領地を失くしたのは、まあ……自分とこの家の責任としてもだぜ? 自分以外の一族みんな死んじまってんのに、いっちょまえに自治会にも顔出して領民の心配ばっかしてんだから。『くわ振り公女』なんて小馬鹿にするやつもいるけどよ、あのとしで野菜作って商売してるんだからそこらのガキよりよっぽど――」

「おい、エンゲルス!」


 と、何者かが荷役の男の話を遮った。

 振り返れば商会の元締めがやってきていた。エリザとの話は終わったのだろう。元締めの後ろにはエリザの姿もあった。「ナンパしてねえで、仕事しやがれ!」「すんませんっ」と、元締めに叱られ荷役はマリナから離れていってしまう。マリナとしてはもう少し話を聞きたかったのだが。

 そこへ、少し慌てた様子のエリザが駆け寄ってくる。


「ごめんね、待たせたかしら」

「いえ、丁度運び終えたところですから」


 申し訳なさそうにするエリザに、マリナは作り笑顔で応える。途端、エリザは不思議そうな顔を浮かべた。マリナの言葉遣いや態度が、城でのソレと変わっていたからだろう。エリザは背後にいる商会の元締めとマリナを見比べ、何かに納得したのかマリナの耳元へ顔を寄せて耳打ちする。


「メイドらしくしてくれてるのね、ありがとう」

「てめえんとこの召し使いが口悪いと、あんたの評判まで落ちるだろ」

「ふふ、そんな気を遣わなくても大丈夫よ。――それじゃあシュヴァルツァーさん、また来週にでも伺いますね」

「はい、お待ちしております」


 深々とお辞儀をする商会の元締めを残し、エリザは馬車の御者台に乗る。マリナもその後に続いた。


「さあ、メイドさん。これからもう少し付き合ってもらうわよ」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 それからエリザは町の商店を巡って紅茶やワイン、茶菓子などを買い集めていった。こうひんばかりだなと思い聞いてみると、どうやらそれらは来訪した貴族や役人を接待するためのものだという。店の方も承知しているらしく「これなら大公様に出しても失礼が無いでしょう」と良い酒や茶葉を出してきてくれる。それに対してエリザは笑顔で礼を言ってチップを弾んでいた。エリザと町人との関係はそれなりに良好らしい。


 マリナは買った品物たちを馬車の荷台に積み終えると、再びエリザが手綱を握る馬車へと乗り込む。一段落ついたのか「ゆっくりしてて」と言うエリザに、マリナは気になっていた事をひとつ、いてみることにした。


 つまり『なぜ、税金を取っていないのか』ということを、だ。

 

「所領税を取ってないなんて、どこで聞いたの?」

「商会の荷役から聞いたんだよ。で、なんでなんだ?」

「まあ、わたしなりのケジメかな」

「ケジメ?」

「そ。別に対したことじゃないわ」


 どうやら『ケジメ』の内容について話すつもりは無いらしい。マリナとしても問い詰めようとは思わないので、視線を町並みに戻す。


 町は山岳地帯のわずかな平地と斜面に作られており、石造りの建物が密集していた。その間を縫うような細い道はまるで迷路のようで、この町が城下町だという話を思い出させる。季節は夏だと言うが、日差しは穏やかで高地を吹き抜ける風も涼しく気持ちが良い。高地故に景観も抜群だ。観光地として売り出せば、良い避暑地として人気が出るだろう。


 だが何よりマリナが思うのは『ここに進軍する側になりたくないな』というものだった。不自然に増築された建物と、斜面の多い地形。入り組んだ道ばかりで、幅も狭い。装甲車や戦車の類は容易に足止めが可能で、進軍してきた歩兵を上下左右の建物から狙える。建物と建物の間には大量の洗濯物がたなびき、戦闘ヘリから武装ゲリラの姿を隠す。狙撃する際にも発砲音が山に反響するから位置を特定されにくい。

 街ごと焼き払うとしても、この高地へ自走砲や野戦砲を引っ張ってくるのは一苦労だろう。しかも山岳地帯に長く伸びるであろう補給路は容易に寸断できる。航空兵力を大量投入するにしても、それほどの戦略的価値があるのかどうか。結果として攻勢側は中途半端な戦力を逐次投入することになりかねず、守勢側からすれば陣取るだけで敵の戦力を削ることができる。


 つまり、ゲリラの拠点として考えるなら天国のような場所だった。


「そういえば」ふと、エリザが口を開く「あなたの名前って、どちらが家名なの?」

「家名? ――ああ、みようか」


 マリナは脳内で翻訳されたエリザの言葉をはんすうする。エリザは別の単語を口にしたはずだが、日本語の中に該当する語句があれば自然と翻訳されて聞こえるらしい。便利なことだ。こちらの言葉も勝手に翻訳されて口から出てくる。


「仲村が家名だ。マリナが名前」

「へえ。……マリナ、か。きっとあなたは両親に期待されていたのね」

「――は?」


 意味が分からずマリナが聞きかえすと、エリザは何かに気付いたように「あ、」と口を押さえて、


「ごめんなさい。あなたは異世界ファンタジアから来たんだものね」

「?」

「いえね。この辺りの言葉で『マリナ』っていうのは将来の成功を願う名前なの。元々は貴族を指す言葉だったらしいから、誇り高い人に育ってほしいという意味もあるかもしれないけど。だから、きっと両親から期待されていたんだろうなあ――って。でも、異世界ファンタジアではきっと別の意味なのね」

「…………まあ、そうだな」


 マリナは曖昧に笑うにとどめた。

 なにしろ孤児だったマリナへ名前をつけたのは、親ではなくゲリラの小隊長。両親が付けた名前をマリナ自身は知らない。

 くわえて後から聞いた話では、その小隊長は有名なAV狂いで、マリナの名前も自身が好きなAV女優からとったのだそうだ。やたらボディタッチの多いオヤジだと思っていたが、その理由も知れようというもの。もし何かを『期待』されていたのだとしたら、きっと気持ちの良いものではなかっただろう。早々に死んでくれて良かった。


「それで? そろそろ帰るのか、お嬢様」

 

 太陽はすでに傾き、身体に当たる風も冷たく感じるようになってきた。街から城まではそれなりの距離がある。日が暮れる前に戻るというなら急いだ方がいいだろう。

 だが、手綱を握るエリザは首を横に振った。


「あとは薬屋に寄って、屋台通りで何かそうざいを買うわ」

「今日の晩飯か?」

「それもあるけど――」とエリザは苦笑し「ちょっと寄りたいところがあるの」



    ◆ ◆ ◆ ◆



 そうして辿たどいたのは、町外れにある小屋のような家だった。

 もう随分と手入れもしていないのだろう。石造りの家にはこけだけでなく、屋根や壁には雑草まで生えていた。一応、玄関まわりだけは草を刈ってあるのが、人が住んでいる痕跡と言える。

 エリザはその家の正面に馬車をめ、そのボロ小屋のドアをたたいた。


「ミーシャ? ミシェエラ? いるー?」


 途端、バタバタと小屋の奥から慌てて人が出てくる気配。分厚い木のドアが内側に開くと中からシワくちゃの老婆が現れた。『ミーシャ』という名前らしい老婆はシワの奥にある両目を見開いて「お、おひい様ですか?」と驚く。


「よかった。思ったより元気そうね。風邪の具合はどうなの?」

「お陰さまで熱も下がりまして……。ああ、いやいやいや。そうではなく。一体どうなすったんです? こんなとこまでいらして」

「お見舞いよ。薬も買ってきたから」

「――そ、そんな、あたくしなんかのために……」

「それはこっちの台詞せりふよ。いつも世話になってるんだもの、たまには恩返しがしたいわ」

「おひい様……」


 老婆は感動しているのか目元に涙を浮かべ、「ありがとうございます」とエリザの手を包み込むようにギュッと握る。


「それじゃミーシャ、中に入っても良いかしら」

「ええ、もちろんですとも――あら、そちらの方は?」


 エリザを迎え入れた老婆は、そこでようやく馬車の横に立つマリナの姿に気付いたらしい。げんそうにマリナを見つめ、エリザへ問いかける。

 先に中へ入ろうとしていたエリザが振り返り、


「ああ、今日だけメイドとして働いてもらってるマリナさん。ミーシャ、彼女も一緒でいいかしら?」

「それはそれは……申し訳ありませんねえ、どうぞマリナさん」


 そう促されたマリナは、メイド然とした態度を崩さず「ありがとうございます」と家の中へ足を踏み入れた。思わず靴を脱ぐ場所を探してしまったが、どうやらそういう習慣は無いらしい。マリナは靴の泥を少し落として奥へと進んだ。


「ミーシャ、晩御飯まだでしょう? わたしが用意するから」

「ええっ!? なにを言ってるんですか、おひい様は料理なんかできないでしょうに」

「ちょ……! ひどい言い方しないでよ。大丈夫です、おそうざいを温めるだけですから。――マリナさん、さっき買ったお料理持ってきてもらえる?」


 言われて、マリナはオカモチのような金属製の箱を手渡す。中には屋台で買った料理がいくつか入っていた。エリザはその中身を取り出し、キッチンとおぼしき場所に並べていく。


「マリナさんはミーシャと一緒に待ってて。こっちは魔熱炉コンロで料理温めるだけだから」

「……おう」


 マリナとしては、どう見ても自分の世界にある電熱式調理器クッキングヒーターにしか見えない何かが気になって仕方がなかったが、主人がそうしろというなら従うしかない。マリナはリビングへと戻った。

 すると先にテーブルへ座っていたミシェエラという名の老婆が笑いかけてくる。


「そこに座りなさいな。おひい様は『メイドは座るな』とか言う人じゃないよ」

「はい、では失礼して」


 マリナが腰を下ろした途端、老婆は「ねえ、聞きたいんだけどさ」と話しかけてきた。


「あんた、これからもおひい様の所で働くのかい?」

「いえ。……その、お金が無いと断られました」

「ふひひ、おひい様らしい」


 老婆は楽しそうに肩を震わせる。どうやらこの老人は話好きのようだった。初対面のマリナにも気安く話しかけてくる。キッチンの方をうかがうと、エリザの方はまだしばらく時間がかかりそうだった。

 ならばと、マリナの方からも話題を振ることにした。


「ミシェエラさんは、ずっとお嬢様の城で働かれてたんですか?」

「そうだよ。今の城じゃなくて、ワルキュリアの頃からさ。先々代が生きてた頃……先代がまだ若君だった頃にバラスタイン家へ入ったのさ」


 ワルキュリアが何処どこなのかマリナにはさっぱりだったが「ここまで一緒に来るのは遠かったんじゃないですか?」と調子を合わせる。少なくとも付近にチェルノート以外の町も城も見えなかったからだ。それに距離は主観の問題なので、たとえ近くともそれほど不審に思われることはない。

 こうしてマリナが話を合わせたのは、自分が異世界ファンタジアから来た死者の魂で、実は魂魄人形ゴーレムだと伝えたくなかったからだ。伝えてしまえば必ずマリナの身の上話になる。


 ――それでは困るのだ。

 今はそれよりも聞き出したいことがあるのだから。


 そんなマリナの内心をつゆ知らず、老婆は「ああ、本当に随分遠くまで来たもんさ」と深くうなずく。


「先代様が命を張って戦争を止めたっていうのに、王様だの貴族だのは寄ってたかって『バラスタイン家が悪い』と、おひい様を責め立てて。挙げ句の果てにはこんな城に押し込めて『国境警備をしろ』なんて言い始めてさ。……あたしくらい、おひい様の味方をしてやらにゃあわいそうだろう」

「国境警備……?」


 思わずマリナは聞き返す。

 警備もなにも、エリザは今日の生活にも困る有様だ。そもそも軍隊どころか民警すらこの町では見かけていない。どこか軍の基地が近くにあるのだろうか。

 マリナがそう問うと、老婆は首を横に振った。


「あるわけないよ、そんなの」

「どういうことです?」

「つまりさ。バラスタインの土地をかすった貴族たちは、おひい様に復権されちゃ困るのさ。だから『竜翼騎士団』の騎士団長としてここに縛り付けておきたいんだよ。……第一、帝国軍がガルバディア山脈なんか越えてくるかね」


 それから老婆はポツポツと、エリザがこの一年で辿たどってきた経緯を話し始めた。


 要は戦争で一族郎党を失ったエリザは、そのまま周辺の貴族たちに自身の領地を奪われたらしい。休戦になった途端、味方同士でそんなことをやりあったとすれば、それなりに恨みがまっていたのかもしれない。ともかく公女でしかないエリザは貴族同士の政争にすべもなく負けたのだ。


 そうしてエリザは『騎士団長』という名目上の役職を与えられ、あの城へと封じられた。金のかからない幽閉のようなものだろう。城から離れれば『敵前逃亡』として処罰できるのだそうだ。貴族ではあるが爵位を継承していないエリザは、他の貴族や王族の命令に唯々諾々と従うしかない。このままいけばバラスタイン家は早晩、消滅することになる。


 それを嫌ったエリザは町の運営に力を入れ、領地の運営能力を証明することで爵位の継承を求めようと決めたのだという。それが今日の役人との折衝内容だったようだ。


「……そんな肝心な日なのに、あたしゃ風邪で寝込んじまって。情けないったらないよ。何がおひい様の味方になるだよ、まったく」


 なるほど。どうやらエリザが魂魄人形ゴーレムを起動させる事を決めた原因の一つは老婆らしい。マリナは心の中で感謝しておく。

 だが、このままだと老婆は自己嫌悪に飲まれてマリナの話を聞いてくれなくなってしまいそうだったので「そういえば」と、慌てて話を戻す。


「町から税金を取っていないとか聞きましたけど、領地の運営能力って言うなら税金をたくさん集めた方が優秀って言われるんじゃないですか?」

「そりゃそうさ。けど、おひい様はそんな事しないよ。く国税分だけが増えるように指導してるのさ」

「どうしてです?」

「そりゃ、おひい様の信条ってやつだね。

『王や貴族というものは民草の幸せのために戦わねばならない。それが出来るから貴いのだ』

 ってやつさ」

「なんですか、それ」

「先代の口癖だよ。貴族は民草を守り導く代わりに税を取る。民草への義務を果たさずに貴族としての権利を行使はできない。……いや、おひい様からしたら『したくない』ってところかね。いやもう、ほんと、立派な娘に育ってくれたもんだよ」


 うんうん、とうなずく老婆に作り笑顔を向けながら――その実、マリナの心は急速に冷めていった。


 れいごとおつしやる、と鼻で笑いそうだった。

 同じことは権力者だけでなくマフィアも、そして市民ゲリラも口にする。

 

『俺たちが守ってやってんだから、お前たちは感謝しろ』というやつだ。

 

 感謝の示し方に関しては様々なものがあるが基本的には金であり、その名前が税金だのミカジメ料だの支援物資だのと変わるだけだ。マリナ自身『祖国ニッポンのためだ』と言って食糧を徴発したことが何度もある。一応は現地住人も協力してくれたが、こちらは武器を持っているのだ。断りたくても断れなかっただろう。所詮は強者のべんでしかない。

 

 それでもまだ実際に問題が起きたり、現地住民が攻撃に遭ったときには率先して守って代わりに犠牲となるならば『スジ』は通っている。たとえその契約関係が押しつけであったとしてもうそは吐いていない。住民側も納得できるだろう。


 ――だが、実際には誰もそんなことはしないのだ。


 誰だって自分の命が惜しい。金や食料をもらったからといって、その人間のために命を投げ出したくなどない。それは軍事政権の独裁者だろうと、マフィアだろうと、市民ゲリラだろうと変わらない。何かと理由をつけて逃げるのだ。


 マリナが所属していた『ニッポン防衛戦線』でもそうだった。


 普段どれだけ、使命だのきようだの信条だのと口にしていても、追い詰められたら途端に「そんなこと知るか」「大義のための小さな犠牲」と言い出す。もしくは「ごめんなさい」と謝りながら全力で逃げ出し、後から「仕方なかったんだ」と自分を正当化。それを聞いた時はマリナも思わず腰の拳銃スチェッキンを抜きかけた。なにしろマリナが敵の足止めに踏ん張り住民の避難誘導をしていた時には、すでにゲリラ本隊は雲をかすみと逃げ去っていたのだから。

 

 もちろん、エリザベートはそいつらとは違う。

 ある意味でもっと悪質だ。


『貴族は領民を守るから税金を取る』という信条を掲げながら、税金を取らないというのはつまり、『わたしにはあなたたちを守る力はありません』と言っているのだ。

 税金を取らないことを免罪符にしようとしているのがアリアリと分かる。『義務を果たせないから権利も主張しない』というのは一見スジが通っているようだが、そんな支配者は居ても居なくても同じ。領民からも敵からも責められる事を怖がって、れいな身体でいたいだけの臆病者だ。


 本当にきようだの信条だのに従っているのなら、たとえ一人きりでも、少なくとも自分が死ぬまでは戦ってみせて欲しい。

 だが、無理だろう。

 他人から責められるのを怖がって、父親の言いつけに従っているだけのお嬢様がそんな大それたことを出来るはずがない。


 だから、

 きっとエリザベートという少女も、追い詰められれば本性を現すに決まっている。


 と、


「さあ、できたわよ……って、ずいぶん仲良さそうね、二人とも」


 思考の海に潜っていたマリナを、キッチンから食事を乗せた盆を持ってきたエリザの声が引き上げた。


「そりゃあもう。おひい様がすごい人だって話をしておったんで」

「ええ? わたしはすごくないわよ、結局まだ何もできてないもの」

「そんなことありゃあせん。あたしゃいつもいつも……」

「はいはい。先にご飯にしましょう」


 笑顔で会話するエリザと老婆を眺めながら、マリナは夢想する。


 ――けれどもし、エリザベートが本当に自身の信条に殉じて命をかけられる少女だとしたら。

 そのときオレはどうするのだろう、と。

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