05-05:猫の頼み事

05-05-01:猫の頼み事

 ある夜のことである。以前居た宿屋のごとく騒音ギシアンのないデルフィの家、『ギフソフィア生花店』では静かで健やかな夜が訪れていた。既に2つの月は中天を指し示し、真夜中特有の静寂という音がステラの耳を優しく撫でる。


「……――」


 ステラは今、ベッドに座禅して瞑想している。眠れないわけではなく考えるべきことが在るのだ。嘗て友達から言われた命題、ステラにとってのシオンについてであるが……やはり答えは出そうにない。ずっと考えていると思考が思考でなくなって、溶けてきりになって無になる感覚に陥ってゆくのだ。所謂無の境地であるが、無になっても答えは出ないので頭を振り払って思考をもとに戻す……というのをここ数日繰り返している。


 だが今日は静かを犯す騒音が窓を引っ掻いて呼びたてた。宵闇に珍客のようである。


(なんだろ……?)


 目を向ければ1匹の鈍色の猫が居た。見覚えのある彼は猫神シストゥーラの遣い、猫王が一匹アッシェである。ステラが窓をそっと開くとアッシェは窓際に飛び乗って、床へ降り立つとしっぽを揺らして座り込んだ。


「ニャ」

「にゃーん?」

「ニャウ」


 ステラは眉根をひそめる。彼は火急の何か問題を知らせに来たのだ。腰を据えた彼女はアッシェを抱き上げてその話を聞くことにする。


 膝上のアッシェはニャ、としっぽを揺らして挨拶した。答えるようにステラも鼻を近づける。


『拝謁至極』

『どしたのさ。なにかもんだいがあったの?』

『至急応援……』


 堅苦しい言葉に反し、切実な鳴き声に尋常でないものをステラは感じ取った。


『たすけがいるのか。何があった?』

『仲間寿命、切実願望』

『それは小生でたすけになれる?』

『極地正当……了承如何?』

『わかったいこう。だがすこしだけまって』


 にゃーニャーと鳴いていると、シオンがむくりと起きあがった。その目はバッチリと開かれている……うるさくして起こしてしまったのだ。


「……ステラさん?」

「ごめん、ちょっとかれの用事があるんだ」

「そうですか……きをつけて行ってらっしゃい」

「まかせて。おやすみシオン君」

「いえ……おやすみなさい」


 また布団にくるまると、うにゅうと音を出してすやすやと寝入ってしまった。彼にしては無防備に思えるが、得物の長剣は枕元にあるので備えは万全である。

 寝息を確認したステラは、アッシェに従って夜のルサルカへ飛び出して行った。



◇◇◇



 屋根を飛び、河を超え、洗濯紐をつたい、水路をくぐり、たどり着いたのはルサルカ最大の猫の集会所だ。一見地下水道に見える場所だが、しかし中央には円形の広場があって草花が生え揃っている。月明かりが差し込んでいることからも、人の立ち入らぬ……それでいて潮の満ち引きにも干渉されない不可侵の場所のようだった。


 この場所はアッシェが猫王ニャンペラーとして街に築いた王宮なのだろう。昼間であればちょうど日差しがぽかぽかお昼寝に居心地が良さそうだ。そんな王宮広場の中央には朽ち錆びた金毛の猫がぐったりと横たわっていた。


「これは……」


 ステラの目からは黒い霧が吹き出して見え、しかし外傷は無いことから寿命なのだろう。完全に猶予がない状態であるとすぐに知れた。


『此猫対象』

『りょうかいだ……』


 猫たちが心配そうに見守るなか、しずしずとステラが歩く。見守る猫の数は10や20では効かず、猫はずいぶん慕われているようだ。ある意味引退したボス……所謂長老といった立場の猫だったのかもしれない。


 猫はステラが近づいたことに気づいて目を開きステラを見上げると、しゃがれた声で『なおん』と鳴いた。


『おお……女神さまがお迎えに……』

『いや逝くな逝くな、小生女神じゃないから』

『……よく見れば猫では、無いようですじゃ』

『だろう? はじめましてネコくん、小生はステラ。きみのねがいはなにかな?』

『ああ……ああ……ではアッシュ様が私めの願いを……ならば、願うのは唯1つでございます。……いつか居た"飼い主あるじ"に、再び見えたいのです』

『あるじとな……』


 ステラが顔をしかめる。ステラが撫でる老猫はもはや寿命間近であり、また野良特有の毛の粗さがある。つまり飼い主がいたとしてもまみえるには……。


『大切な人だったのです……かつて、この街にいた……女の子なのです。せめて彼女がどうなったかだけでも、私めは知りとうございます……』

『ふむぅ……』

『探して……いただけませぬか……?』


 ステラはぬぐぐと唸る。眼の前には寿命間近の老猫が1匹、手がかりがそれだけでは流石に糸口がない。しかし黒い霧を見た以上、聞いた願いを無下にするのも致しかねる。

 彼女が持つ恩恵ギフトは決して何かを壊したりするだけのものではない。誰かの助けになれる素敵な心象魔法ちからだと信じるからこそ諦めたくなかった。だからだろうか、ステラの脳裏に魔法のアイデアが星降る夜の如く降ってきた。


『わかった、やってみよう。成功するかは定かでないが、挑戦しないのも義に反する』

『おお……ありがとうございます……ありがとうございます……』


 涙ぐむ老猫を撫でながらステラは願いを叶える魔法を構築する。胸の内、静けさの漣、セピア色の大海に手を差し入れてひとすくい。


過去パスト想起リコール――歴史ジャーニー心象イメージ――願掛ファンクション:老猫……)


 力の根源は此れに、想像の可能性は如何に、思い描くがままに形を作りだす。


『略式』リデュース【過去観測機構】サイコメトリー・センサーシップ


 瞬間ステラと猫の時間が混ざり合い、感覚は吹き飛んで視界だけが眩しさの中に閉じ込められていった。

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