04-07-06:不測の事態はよくあることです(さらに不測は不測を呼びます)

 姿を表した一団で、頭一つ抜けた影が見えた。


 2足歩行するは肥大した肉が皮膚をちぎり破り、ジクジクと赤い血を弾いて垂れ流し、瞼のない瞳が獲物を捉えんとギョロギョロと周囲を睥睨する。


 腕は丸太のように太く、汚れた爪がきちきちと蠢き、ぐちゃぐちゃと音を立てる両足を引きずるように歩みを進めている。だが見た目に反して遅くはない。

 特筆すべき大口は……腹まで裂けて不揃いの牙が歩くごと不快な擦過音を立てる。


 全長7メートルはあらんとするバケモノが座していた。


「なんでしょうねアレ」

「さしづめ、ヒュージ・エダルベアってとこか」

「落ち着いてますね、あんなバケモノだと言うのに……」

「霧の森よりは常識的だよ? さて、仕事しようか」


 ディセオの一声で『ギアード・コーヴ』が結界を展開し、餌となる匂いの強い食料を放り投げる。するとすぐさまひくりと鼻を動かし幾多の4ツ目が陣地をみて、一斉に駆け出した。


 このままでは破られるだろう突進は、まず『ギアード・コーヴ』による魔法斉射で一度勢いを殺す。だがそれでも進むものは――、


「ッ?! ヴォオオ!!!」


 アワレ落とし穴へと真っ逆さまだ。かなりの数が減ったが、落ちた者を足場にして後続は次々と駆け寄ってくる。食い物を目の前にしたエダルベアの突進力は本当に侮れない。


 だが関門を通過できるのはただ1体のみ。『ギアード・コーヴ』の結界操作に従い導かれた先には、死出へと誘う戦士たちの影があるのだ。




 エダルベアの戦闘開始に前後して、巨大な化け物もまた動き出そうとしていた。同じく『エモノ』に食いつかんと四つん這いになろうとして、


「ばーん」


 という声に顎下が爆破して頭がかちあがる。バケモノの前歯がやけて真っ黒こげになった。


 樹上に控えるステラが放つ【火の矢】ふぁいあ・あろーである。続けて息を吸った彼女はぷくっと頬を膨らませ……一瞬迷った後に、


「  「 「 顎割れてやんのゔぁーーーか!! 」 」  」


 と叫ぶ。【大喝】ハウリングの拡張魔法である【挑発】いんさいとである。なおイラッとさせてヘイトを稼ぐ関係上、効果は罵倒に依存してしまう魔法だ。


 例えばシオンに『やーいお前なんて男の子ー!』等と挑発しても、混乱したあと悲しい顔をして『拾い食いはいけませんよ……?』と慰められるのである。


 果たしてヒュージ・エダルベアの反応や如何に。ステラに合わせたように頬――この場合腹の辺り――をプクリと震わせて吠えた。



「  「 「 GRRRRRRRRRRRRR!!!!! 」 」  」



「ウオオオオ!!」

「ッ?!」


 結果は大成功だが、いかんせん元気すぎた。ステラが『うるせぇ』とばかりに【石の矢】ストーン・アローを口腔へと叩き込むが……。


「うっそん」


 それなりに力を込めたのに、刺さりはすれど貫通に至らない。体躯から考えると……魚の小骨が刺さったぐらいのダメージにしかなっていない。


 ぎょろりとした目がステラに向いた。引きつった笑顔を浮かべれば、こちらに向けてずしんと身を倒した。その様はまるでワイルドボアが突進するが如く――、


「やっべ」

「逃げますか」


 足場を飛び退ると同時に、乗っていた木がボガンと音を立てて。良くステラが【石の矢】ストーン・アローを木に叩き込むのと様子は似ている。


「今度はこっちが木ってことかい!」

「無駄口叩かず急ぎますよ!」

「あいよぉー!」


 瞬間身体強化に魔力をぶち込み、戦場から戦いの始まった戦場から離れるように全力疾走スプリントを開始した。



◇◇◇



「おーにさ~んこっちらぁ~♪ てーのなぁ~るほぉ~うへ~♪ ってなーー!!」


 ぱーんぱーんと手を打ち鳴らして木々の間をすり抜ける。相手が追いつきそうで届かない鼻先でやるのが肝要だ。勿論その距離は相手の爪が届く距離となるので、隙あらば鋭い爪を振るってくる。


――ちゅいんっ!


「ギャア!! 掠った!!!」


「大丈夫です?」

「いや問題…………あるッ!!」


「どうしました?!!」

「リボンが千切れたァーーー! チクショウメ!!」

「アッハイ」


 ふわっと結われた髪が紐解かれ、風に乗ってゆらゆら揺れた。そもそも戦場でかわいいリボンをする事がナンセンスなのだが、長い髪をまとめるには仕方ない。


「それより前まえ! 道開いてたのーむ!!」


 答えは前方15メートルほどを先行するシオンが行動で示す。カツンという軽い音に、落ちる枝や草の音で応じてくれた。先行するシオンが森の道を開いてくれているのだ。


 獣道ですら無い道では、そうした支援があるとないではまるで逃げやすさが違う。


 シオンは強い剣士だと彼女は信じているがそれは間違いだ。、これがただしい。

 なにせ使っているのは得物の剣。枝打ちには向かないだろうに、一剣振るう毎に必要なものを必要なだけ切り裂いていく。


 なんて頼もしい奴だ。これじゃあ評価ゲージが青天井じゃあ足りないではないか!


 ただステラの感動などまるで関係ないとばかりに爪は飛んでくる。


――きゅぉっ!


「ワオオー!!」


 隣を通過する風音があまりに近い。恐らく4ツ目が正確に空間を把握しているのだ。だがステラも負けていない。なにせ彼女は背中に目がついているのだ。


【鷲の目】いーぐる・あいがいい仕事してますね!)


 普段上空にある視界を限りなく低位置に、かつ方向を背後とすればかなり活用範囲は広がる。


 そうして見れば、もうヒュージ・エダルベアの何もかもが丸見えであった。


 破れた皮の隙間から覗く傷口、力を込めるごとぶちまけられる血潮、爪を振るうシンプルで暴力的な動作、顎からでろんとはみでた舌、涎でぐじゃぐちゃな毛皮、血走った目に蒸気機関のように吐き出される鼻息。


 成る程、確かに自身を美味そうな餌として認識しているようだ。一爪一爪が狩るための手段であり、食うための策であり、腹一杯にするために必要なことを淡々と成している。


 走りつつ思うのは、魔物は……ヒュージ・エダルベアが何を食べているかと言うことだ。


 この逃走劇、途中でシオンと逃走役を交代することも試みたが、一向にステラばかりが狙われている。【挑発】を加味してもそこまでヘイトを稼いでいない筈が、どうにもシオンに食いついていかないのである。


 此処に来て美人補正か! とは流石に冗談であるが、何かが理由となってステラが狙われるというのは真実である。


 シオンとステラ、2人の違いは何か。1つは彼女が一般的にハイエルフとして認識されていることが思い浮かぶ。


 ハイエルフはエルフと見た目は余り変わらない。故に判別するには専用の魔道具か検知魔法が必要となる。仕組みはである。


 試しに調整中のハイエルフの気配を隠す魔法を使用すれば、今度こそシオンへとヘイトが向いたのだ。


(ヒュージ・エダルベアはに惹かれるのだ!)


 つまりヒュージ・エダルベアにはステラがステキな飴ちゃんに見えているのであった。


「しっかしいつまで逃げればいいんすかねー、飽きてきましたよ~」

「まだ1刻ぐらいですよー」

「マジカヨー」


 うんざりすれどしかし軽口を叩く余裕はある。3日はいいすぎだが、少なくとも日が暮れるまで逃げ続けるぐらいは訳ないのは事実だ。


 だからこそ想定外に気づく余裕が2人にはあった。特にステラの耳は、聞き漏らすことが無いほどにハイスペックなのである。


「バッ、なんで?!」

「ステラさん?」

「シオン君ッ! シェルタちゃんがおる!!!」

「?!」


 ステラの悲鳴に、シオンがくぐもった声を上げた。


 何故。理由を問うのは後。

 如何。動くべきは今。


「右手前方オーク2、いやパーティーがもう1つ、オーク3だ!距離150、シオン君行って!」

「しかし!」


「馬鹿野郎小生を誰だと思ってやがる、君の頼れる相棒だぞ!

 これぐらい訳無いとしるがいいさ! だからはよう行けい!」

「ッなら、ご武運を!」

「君こそなー!」


 ステラが弾けるように左へ、シオンは右へと逸れる。



 エダルベアの眼球の2つが逸れたのを確認し、駒のように一回転したステラが【氷の矢】あいす・あろーを叩き込む。毛皮には弾かれたが、衝撃が毛皮をガチガチと凍らせていった。


「  「 「 ばああああああか! よそ見するからだ、あーーーほぉ! 」 」  」


 【挑発】いんさいとをぶつけるも、何故かヒュージ・エダルベアの動きが止まる。すでに4つ目はこちらを見ていない。



 何故、理由を問うは今。


(奴は魔力に惹かれる。なら今魔力がある場所は何処だ?)


 戦闘開始時は少しの怒りで、底から先は『美味そう』なステラに食いついてきた。それはステラが気配を漏らしている以上に、適宜魔法を使用しているからに他ならない。



 如何、瞳がこちらを向かぬ理由は何だ。


(向いたのはシオン君の向かう先、戦闘中のシェルタちゃん……彼女は)


 彼女は、ステラが教えた〈ウォラーレ・シーカー〉で戦っているだろう。使うには相応に高い魔力量が必要で……彼女はオークに苦戦する程度に



 ヒュージ・エダルベアが構わず振り向きのそりと動き出した。



「ばっかやろう! 追うべきはこっちだろうが!!」


 焦ったステラが手加減なしに【炎の矢】ふぁいあ・あろー【石の矢】すとーん・あろーを叩き込む。だがダメージを与えられど、こちらには振り向こうとしない。

 何故ならステラよりずっと与し易く、が有るのだから。


(どうする?! 向こうまで距離は一呼吸もないぞ?!)


 相手はステラを無視すると決めきっている。

 ならばどうするか、ステラは腹を決めた。




 駆け出したヒュージ・エダルベアは発生した悪寒に足を止め振り向く。振り向かざるをえなかった。


 四つ目が見たのは極彩の虹光、己を魔法の輝きを目に止める。余波だけで甘露のような味わいで、貫くような怖気が立ち……。



 とても背を向けてなど居られない。



「おうテメェクマ公がよォォオ……」


 ぱしりと紫電が弾け燃える、一条の光輝を携えたステラは宣告する。


「テメッ来いやあ! ぶっ殺してやっからよオオオオ!!」


 美しき声が、恐るべき圧となってエダルベアを貫いた。


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