03-10-02:ちょっとした苦難

 健やかと言ったな、あれは嘘だ。



 用事が押していれば、健やかサイクルなど薄氷を前にした小学生の様に崩壊する。


 特に夏休みの宿題が最後の3日でまだ終わっていないとか、印刷所の受付時間まであと1日とかそんな状態ではなおさらだ。


「あ゛ぁー……」


 よもやを書く、ただそれだけで死ぬほど困難であるなど誰が想像できたろう。

 朝昼を自室で過ごしてもさっぱり進捗があがらない。その目尻に無念の星が燦めくのは気のせいではあるまい。


「うぁぁおあおぁ……」


 敵はこの羊皮紙とかいう平面野郎で、武器は羽ペンとか言う軟弱ふにゃふにゃ円筒野郎である。


 羽ペンはロマン溢れる筆記具だが、しかし扱いがとても難しい道具でもある。


 まず書くためにナイフで軸を切り、ペン先として加工する必要がある。特に具合のいいペン先をこさえるのは中々難しく、力を入れ過ぎるとあっと言う間に切りすぎ台無しになる。


 やっと上手く作れたとしても、筆圧高いとすぐへたる。三擦り半でくたばるとはなんと軟弱であろう! 羽根そのものの不具合について本気で悩んだが、単にイラつきが筆圧に現れているだけだ。


 そして失意の内にカッティングのやり直し……正にこの世の地獄リンボだ。


 ああ、もし金属製の付けペンでもあればこう涙目にならずとも済んだろうに。形状も原理も分かっている以上、鍛冶屋のレギンかローヴに頼めばきっと作ってくれるだろう。でも欲しいのは今この瞬間で、完成を待っては間に合わない。


 だからこの慣れない羽ペンで戦うしかないのだ。


 幸い『こんにちわ』や『さようなら』とか『貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ』等の定型文は普通に書くことができるし、堅苦しい文体も屋敷の本を参考にすれば体裁を整えることはできる。


 ステラは今一番参考にしている本の表紙をなでる。それは意外なことに新旧二冊の建国史だ。


 これは年表がずらり並ぶだけではなく、教科書めいた説明書きも多様に含まれている。


 なんと当時の手紙の書き方なんてのも乗っているのだ。書き方について学ぶべきは非常に多く、そしておばあちゃんの豆知識めいて刻まれた歴史がゆるりとステラに語りかけて来るのだ。


 調べるためにページ開くと、ついつい読み込んでしまう魔性の書であるとは読んでから気付いた事である。


「ほほぅ……」


 特に新板に記載されたスタンピードの記述など、凄惨でありつつも同時に愉快痛快極まりない。


 まるで三国志、それものような活躍が描かれているのだ。特にという蒼金級オリハルコン探索者ハンターのサキュバスなど、一万の魔物と対峙して血の雨に酔いて殺戮を演じたとか、呂布かよと言いたい。


 光栄なる無双武将に出ても遜色無い活躍すぎる。この世界の英雄ってみんなこんなノリなのだろうか。


「しかし〈血塗乙女ブラッディメイデン〉カスケードか……」


 そういえば似た響きの名前を持つ、ワンサイズ小さい修道服すごくえっちぃふくの孤児院長を思い出す。彼女も淫魔属サキュバスだし、もしかすると姉妹なのかもしれない。今度聞いてみようとステラは心にメモした。



 メモした所で無意識に脇へと追いやった羽ペンと羊皮紙が目に入った。



「ハッ、小生は一体何を?!」


 するり流れる動作で現実逃避しただけだ。ステラは頭を振って邪念を払う。


 今は課題に取り組み書くべき時、脱線してはいけない。後ろ髪惹かれるが本を閉じて羊皮紙に向かい合うも……やはり硬直する。


「ううう……書けないよぅ……」


 ステラは何に困って書けないのか。見たことを記すだけなのになぜ苦労しているのか。


 それは偏に霧の森が余りに特異であるが故だ。



(空が赤青あからかなんぞ、どう書けぁいいんだ?!)


 そう、あの霧の森は須らく鞄語ポートマントーで構成されたカオスである。


 鞄語は元々矛盾、あるいは同意単語を合体させただ。つまり狂壊くるわれし混沌を表現できる文字がこの世界に存在しないのである。


 無理やり仕立てて書くことも出来るが……そうすると誰も読めなくなる。不特定多数が読むだろう報告書レポートでそれはまずい。


 困り果てたステラはシオンに相談したところ、


『その、なんです? 単語? 何か風なりのような音しか聞こえないんですが……』


 と凄く心配そうな顔で労られた。どうやら聞き取れぬ上に理解できないらしい。


 唖然とするステラは逆に正気を疑われる有様であり、少し涙ぐんだシオンにとても優しく労られた。その優しさが鋭いナイフになって心に刺さって、いたく辛い思いをしたのは記憶に新しい。


 何とか無事であること、正気で有ることを納得してもらったが……結果唯一と言っていい相談先がなくなった。


 すべてはステラが自己解決するしかないのである。


 結果ペン先は宙を迷い、羽が風を切って健やかな飛翔体験を満喫している始末である。


 おお我は嘗て鳥であった、今羽たれど風を切るは忘れじ。ヘイお嬢さん、俺と一緒に風にならぬ? ならぬ?

 羽ペンもそう言っているし、最早風になりたかった。でもごめんなさい。全てを終わりにしないと風にはなれないのよ! 犯人が白状する海辺の崖での一幕という設定での茶番劇だ。


 そんな現実逃避を織り交ぜ憔悴しつつ、ステラはなんとかペンを走らせる。



「ハァーッ、ハァーッ……赤くて青いあからかでぇ……」


 ペンが羊皮紙をなぞり、カリカリと記号が記される。


「ねじれまっすぐ悪夢のせかい……フへへぇ! できっとぅアアアAA! …………っ」


 書き上げた文字はステラにも全く読めない、まるでミミズが毒を煽ってのた打ち回る末期を表したかのような何かだった。


 謎めいたその正体はなんぞやと問えば、10人が10人『こいつが呪詛はんにんです』と答える代物である。世が15世紀なら魔女裁判で火刑待ったなし、致命的な証拠品になりうる劇物だ。


 実際見ているだけで何故か不安を催すのだ。そのまま見続けると『聖杯に呪いあれ!  その願望に災いあれ!』と訴えかけてくるようで、その禍々しさは目を見張る物がある。


 ちょっと自分で書き出した文章だとはとても思いたくない呪物である。


 また側に書かれた挿絵もまた悍気を催すのだ。


 例えるならヴォイニッチ手稿の挿絵を全部生物ナマモノ成分マシマシにしてみましたテヘペロイ♪ とでも言うべき物である。


 単色インクでよくぞここまで描き込んだ、そういう意味では胸を張れる。だが絵柄はショタでゴスなアレの神を連想させる、書いた本人の正気を奪うヤバイ系生命体の生き様だ。


 一言でまとめるとこの羊皮紙、邪神の読書感想文である。世界線が合致すれば確実に確保収容保護えすしいぴい判定を喰らっていただろう暗黒非合法スクロールであった。


 当然こんな危険物は、


「だめじゃああーー!」


 とかなぐり捨てるしかない。キレたステラが羊皮紙を振り上げ破り裂きぶん投げようとした所で……しおしおとしょぼくれながら机の上に戻す。


 羊皮紙は単価が高いのだ。


 勢いよく『ビリッ! ビリッ!』と破けばステラの無愛想なお財布に深刻なダメージが入ってしまう。これ1枚で何串焼き相当になろう、考えるだけで憂鬱だ。


 だが安心して欲しい。


 羊皮紙はその特性上、表面を薄く削り取ることで文字を消すことができるのだ! お小遣いを無駄に消費しないためにも、ここは頑張って削り取るのが最も限りなく正解に近い判断である。


 ナイフを構えたステラは羊皮紙に構える。


 溜りに溜まったフラストレーション、そのすべてをこそぐ作業へとぶつけるのだ!



「ふぬああああ!!」


 奇声をあげてステラは削る。全体的に書き込んだからもう全体的に処理していく。削った表面は荒れて書きづらくなるが気にしない。


 だって書ければよかろうなのだァァ! 究極生命体は実に良いことを言う!


 全体を綺麗に削り取ったステラは息をついて額を拭う。なんとスッキリした心地だろう、また1から始めることが出来るなんて。

 なぁに失敗したらまた削ればいいさ、そしたら1から始めることが出来る。


 1から、1から、1から、1から……。数えるごとにステラの表情が消えていく。


「…………」


 ステラは徐に立ち上がると、


「にゃあああああん!!!」


 と叫んで錐揉み回転しながら絨毯に倒れ転がった。もう限界だった。勘弁して欲しい。涙がぶわりと溢れて溢れる。どうか愚かな我を許したもう、許したもう! 誰にともなくステラは願う。


「ふえぇえ、悪夢を書き出すとか正気の沙汰ではないよぉ……ボスけてルイス氏……」


 アリスの神は凄かった、ステラは身をもって体感する。心が砕けた彼女はそのままごろごろと転がって、机の下で身を抱きしめ縮こまって丸くなった。

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