5-5.月と同じ
「ほんとに?」
「ちゅうはさすがに幼稚園までだったと思うけど、今だって普通に抱きついてくるし」
カルチャーショックに美登利は頭が真っ白になる。
「ああ、うん。可愛かったもんね、小さいとき」
「それは言うな」
苦笑する正人の顔を穴が開くほど見つめて美登利はわからなくなる。
自分が自意識過剰だったのだろうか。こんなことで思い詰めたりして。
既に震えが止まっていることに気づく。彼が握ってくれた手から暖かいぬくもり。あんなにざわめいていた心が落ち着いていることに美登利は驚く。
彼は不思議だ。安定剤のよう。別の感情が湧き起ってきて美登利は悲しくなる。涙が出そう。
そんな彼女のくちびるの端に、正人がそっと自分の唇を押し当てる。
「……」
「怒った?」
恐る恐る聞いてくる彼に、美登利は首を横に振る。
「もう一度ちゃんとして」
触れるだけのやさしいくちづけが、こんなにも切ない。先がないことを知っているから。
狡いことは承知の上で、彼女はもう一度キスをせがんだ。
夕食の準備を手伝っていると、リビングから兄の姿が消えているのに気がついた。開け放した窓辺でカーテンが揺れている。
庭を見るとガーデンチェアの背もたれから兄の頭が覗いていた。上を見上げている。
つられて美登利も夜空を見上げる。満月を少しすぎたくらいの月齢の月。
「こうやってお月様を見上げてしまうのは何故かしら?」
隣に立って訊いてみる。
「引力のせいだろうなあ」
「地球の引力に足をくっつけられて、頭を月に引っ張られて? 大変だね、人間は」
「だから立っていられる」
「なるほど」
肩で頷く妹の姿を見上げて巽は微笑む。
君にも引力があって、どうしたって離れられない。どこにいても引き戻されてしまう。引き潮のように引っ張られる力の方がずっと強くて抗えない。本気で抗おうとしたこともないけれど。
同じ満ち引きの胎から生まれて、自分が忘れていたものをこの子が取り返してくれた。
この世でいちばん彼女を抱きしめたいのは自分なのに、どうしてそれが許されないのだろう。誰に許しを請えばいいのだろう。
表からの物音を聞いて美登利は微笑む。
「お父さん、帰ってきたね」
「うん」
立ち上がりながら巽は思う。きっと、誰の許しもいらない。
それでも許しを請うなら彼女自身に。触れて、ささやいて、二人だけでただ満たされる世界で。
「……」
無慈悲なほどに美しい夢、月と同じ。手に入らないから美しい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます