今夜、桜木町で
@lods
第1話
会社勤めを始めて、早二年。
高卒でなんとなく働き始めた事務職も
すっかり慣れて新鮮さもなく。
ただお金だけがなくて
これだったらバイト掛け持ちしとった方がまだお金あるんやなかろうか
なんてことを考えたりしながら
友だちで夜のバイトしてる子が体壊して親元戻ったなんて聞いたら
まぁ、1人で暮らしてるだけ気楽でいいかなんて思う今日この頃。
あたし、こと、後藤泉はそんな日々を送ってる。
彼氏は半年前に別れた。
近くの駅で雨の日に傘を持ってなかったから貸してあげたら
何日か後にばったり会ってご飯をごちそうしてくれたところから付き合った彼氏。
悪い人じゃなかったんだけど、なんかいっつもつまんなそうにしてて
じゃぁ、いいやって別れちゃった。
それからはずっと1人。
1人でいるのは慣れっこ。
いじめられてたとかじゃないし
会社にいけば、男性社員のお相手とかで
別にそういうのに困ってない感じ。
楽しみは、毎日の銭湯通い。
家賃を安く済ませたら、うっかりお風呂なしの部屋を借りてしまった。
銭湯が近くにあって、ほんと助かった。
トイレあるから、まぁいいやって思っちゃったからな。
会社の帰りに近くのスーパーでちょこっと買い物して
アパートの2階の自分の部屋に荷物を置いたら
身軽なTシャツとスゥェットに着替えて
お気に入りのドキンちゃんの小銭入れとシャンプーとタオルを抱えて行く。
番台に座ってるおばあちゃんもお馴染みで
いつものように小銭を置いたら
空いている藤の棚の中に着ているものをぽいぽいと投げ入れる。
ガラスの引き戸を開けると、中の湯気がむぁっと出てきて
裸の女の人がいっぱいいる。
そこら辺の洗い場に、まずお湯をかけて
勢いだけはいいシャワーのお湯が出る方向には気をつける。
よく見るおばちゃんにあんたぴっちぴちの肌してんね、ってぱちぱち叩かれて
痩せたらいい女なのにねって言われるから
フルーツ牛乳がやめれないんだわって返すのがお決まり。
体も頭も洗ったら、ぬるい方のお湯から入る。
今日も1日、色んなことがあったなぁ。
営業の竹下さんがこぼしたコーヒー拭いてたら
FAX持ってた二課の空木さんがあたしにつまづいて怒られて
でかいからだってそりゃないっすよ。
ランチに食べたナポリタン大盛りにしなきゃよかった。
総務の宮本さんからもらった歌舞伎揚げ美味しかったなぁ、今度どこのか聞こう。
少しあったまってきたから、肩までお湯に入った時
目の前の女の子と目が合った。
女の子だろう。
女の子か?
かっぱじゃないか?
何故かって
おかっぱ髪の毛が水に浮いてるっていうか
お湯から目だけが出てる。
これはもしかして最近流行りの忍なれども、とか言う奴か?
てことは奴は忍者か?
じーっと目だけが合ってる。
逸らせずにいると、ずずーっと彼女が水面から上がってきた。
ふぅーっと息を吐いている。
何かの修行だったのだろうか。
歳は同じくらい?
顔は薄めだけど、目がぱっちりしてる。
あんまり派手そうじゃない。
自分と同じようなOLさんか
この辺だと学生さんも多いみたいだから意外と学生さんかも。
そんなことを考えながら、彼女を見てたら
薄く開いた目がすーっと閉じていって
お風呂に入りながらがくんがくんと眠り始めた。
ザボンッッ。
完全にお湯が顔に着水したところで、思わず抱きかかえた。
「…………死ぬよ!」
「……え?あれ…………寝て…………ました?」
周りにいたおばちゃん達はみんな拍手をしてくれている。
それがあたしと駒田さんの出会いだった。
それからあたしは何度か銭湯で駒田さんを見た。
話したりはしなかったけど
命の恩人なので、あ、どうも、ぐらいな感じで
ちょうど上がるタイミングが一緒で
あたしはフルーツ牛乳
駒田さんはコーヒー牛乳を
腰に手を当てて飲んでるのに気付いて
笑っちゃったりもしたけど、それ以上のことは何もなくて
ある日、銭湯の帰り、アパートに戻ろうとしたら
電柱の影で猫の泣き声がした。
「にゃー」
あたしは猫が好きだ。
自分が行くと、逃げられてしまうのを知ってるのに
鳴き真似をして近づこうとする。
「にゃー」
その影はそこから動かない。
これは行けるかもと思ったら
向こうもにゃーと鳴いた。
「…………」
そーっと近づくと、それは猫じゃなくて駒田さんだった。
「あ…………」
駒田さんは小さい猫を抱いていた。
まだ子猫だった。
ぴょんっと駒田さんの手元から滑り抜けると
子猫は心配そうにこっちを見てた親猫の元へ駆け寄った。
「行っちゃった」
駒田さんは少し寂しそうな声を出す。
「猫好き?」
「好きです」
銭湯帰りらしい駒田さんのほっぺたはほかほか赤くて
なのに、荷物はなんだかいっぱいで大きな画板みたいなのまで持ってた。
「学生さんなん?」
「あ、近くの美術大なんです」
「へぇ、寮?」
「1人暮らしで」
「寮やったらお風呂あるもんねぇ」
ぐぅ、ちょうどよく駒田さんのお腹が鳴ってしまって
くすくすと笑ってしまった。
「うち、すぐ近くやけん。なんも作れんけど、ご飯食べてきな」
「ありがとうございますっ!」
あんまりきれいじゃないアパートに、頑張って飾り付けした女の子っぽい感じ。
頑張ってる風の北欧の置物とか、使わないのに増えるマグカップ。
似つかないどんぶりにご飯をよそって
お肉たっぷりの回鍋肉を大皿に。
女の子の料理じゃ全然ないけど
ちっちゃいテーブルを挟んで向こう側、彼女は目をキラキラと光らせる。
「お肉だ…………」
「あははは、地元こっちやなかと?」
「宮崎なんです」
「そっかぁ、1人で出て来てんだぁ」
「あ、いただきます…………」
お口いっぱいに頬張ってご飯を食べる姿がかわいい。
壁に立てかけられてるいっぱいの鞄。
美術大ってことは絵を描く人なんだろう。
高校を卒業して、そのまま就職して
こんなアパートで暮らしてるだけのあたしには知らない世界だ。
「おねーさん、名前は?って命まで助けてもらったのに、あたし、名前も聞いてなくてごめんなさい」
「そうだよね、うちは泉!後藤泉!」
「あたしは駒田京伽、21歳です」
「あれ?21?うち、20…」
「え、あれ?うちの方が年う…………え??」
「年下やと思ってた!!」
「おねーさんやと思ってたよ!!?」
あたしは駒田さんって呼ぶことにした。
美術の人っぽいから。
冷蔵庫に入ってたビールで二人で乾杯した。
駒田さんはずっとあたしのことをなんて呼ぼうか考えてた。
あとはなんの話をしただろう。
気付いたら、何本もビールを飲んでいて
駒田さんは帰らなきゃと千鳥足になりながら階段を降りていった。
ばいばいと手を振って、部屋に戻ると
彼女が忘れていったであろう
真っ白なニット帽が置いてあった。
あたしはあたまを掻いた。
追いかけて渡しに行こうか。
でも、なんだか、すぐに会える気がしたし
今日、それを返してしまうと
さっきまでの楽しかった気持ちも
さぁっと出て行ってしまうような気がして
お皿をキッチンに置いて、缶を片付けて横になってしまった。
駒田さんはうちによく来るようになった。
むしろ半分住んでるのに近い。
でも、友だちとしてシェアしてるっていうよりも
あたしにとっては、駒田さんっていう生き物を飼ってるのに近い。
自由で、気ままで、怒りっぽい、不思議な駒田さんとの同居生活は
あたしのつまらない生活を一変させた。
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