第18話 ダーク・ライダー

 アメリカを視察したいという私の願いを、陳博士は心よく了承してくれた。

 「お二人の役割はもう終わりましたからね。でもアメリカに何があるんですか。」

 何かありそうだが、何だかわからん。という私に「いつもの歴史学者の堪ですか」と陳博士は笑った。


 翌日、私と戸部典子はホテルのロビーで天野女史が車で迎えに来てくれるのを待った。

 「天野先輩なり!」

 黒いスポーツ・カーがホテルの車寄せに入ってきたのだ。この車は知っているぞ。ファイヤーバード・トランザムだ。それも八十年代に生産されたもののようだ。昔のアメリカンTVドラマ「ダーク・ライダー」でヒーロー、マイケル・ダークが乗っていたダーク二〇〇〇ではないか。コンピューターを搭載した未来カー、秘密兵器を装備し、ジャンプ機能でひとっ跳び、海にだって潜る。コクピットにはおしゃべりする人工頭脳キャットが組み込まれていてマイケルの相棒を勤めるのだ。これは、すごいぞ!

 「先生、乗ってください」

 黒いコットン・パンツに黒のTシャツ姿の天野女史が降りてきた。これに黒いサングラスだ。エキゾチックな東洋美女である。

 天野女史は私を後部座席に押し込み、戸部典子が助手席に乗った。この車なら、私も助手席に乗りたいぞ!

 ニュー・ヨークの街を出たトランザムは、ハイウエーに乗りぐんぐんスピードを上げていく。

 頭の中では「ダーク・ライダー」のテーマ曲が流れる。

 テッテケ、テケテケ、テッテケ、テケテケ、テッテケ、テケテケ

 私がヒーロー気分に浸っていると、戸部典子のにまにま顔が後部座席を振り向いた。

 「最初の目的地は、デトロイトなりよ。」

 デトロイトだと。ニュー・ヨークから千キロくらいあるではないか。

 「先生、日本人が映画で知っているアメリカは東海岸や西海岸のインテリが住んでいるところだけです。ほんとうのアメリカは内陸部なんですよ。」

 天野女史はダッシュボードから煙草を取り出し、私たちに断ってからおいしそうに吸い始めた。

 「ニュー・ヨークでは自宅と車の中でしか吸えないんですよ。」

 私はダッシュボードのなかに大きな銃があるのをちらりと見てしまった。天野女史は、いったい私たちをどこへ連れて行こうというのだ。


 その夜は、道路わきのホリデー・インに泊まった。モーテルというやつだ。アメリカ大陸を車で移動する人々のために、街の郊外にはモーテルがある。何の特徴も無い、日本で言えばビジネス・ホテルである。夕暮れになるとモーテルの黄色い看板だけが妙に毒々しく発光している。長距離を移動したせいか、ひどく疲れている。私はテレビをつけたまま眠ってしまった。テレビでは、明日、デトロイトでロバート・トランク大統領候補の演説会があることを告げていた。


 トランザムはデトロイトの街に入った。かつて自動車産業で栄えたこの街は、日本車や韓国車に市場を奪われ衰退の一途をたどってきた。工場の倒産や大量解雇が続き、失業率や貧困率が跳ね上がった。ダウン・タウンには浮浪者が溢れ、犯罪率も高い。工場は何年も前に閉鎖され、廃墟となっている。トランザムはダウン・タウンをゆっくりと走った。街の荒廃が車の中からでも見て取れる。高層ビルの立ち並ぶ市街地とは別の、ここにはアメリカの真実があると天野女史は言う。

 「デトロイトが荒廃しているのは知ってたなり。でもここまで酷いとは思わなかったのだ。」

 中国のように登る国があれば、沈む国もある。いや、アメリカでも東海岸や西海岸の都市部は発展しているが、デトロイトのように凋落する街がある。ひとつの国の中でも富の集中があるからだ。

 アメリカや日本のような先進国では格差は拡大している。だが、世界的な規模で見れば、むしろ平等になっているのだ。ほんの三十年前を考えてみればいい。先進国が富の多くを独占し、後進国は貧しいままだった。後進国から搾取してきたと言っていい。中国やインドが経済発展を遂げると、その影響は先進国にも及ぶ。日本の市場にも中国製の商品が並び、その分だけ日本のいくつかの産業が衰退する。インターネットの普及はインドなどの優秀な労働力を世界の市場に送り出す。

 かつては先進国に生まれれば、豊かさが保障された。日本人は日本のなかで競争すればよかった。だが、今は違う。競争は世界が相手である。日本のプログラマーはインドのプログラマーと勝負しなければならない。勝敗を分けるのは実力のみである。

 これが平等である。平等だから誰もが生まれた国や家に関係なく競争できるのだ。

 これが自由である。自由に競争し社会的な上昇を実現することができる。

 グローバルな経済が自由と平等を可能にしたのだ。

 しかし、それは幸せだろうか。

 私は廃墟の街を通り過ぎながら考えた。考えても容易に結論は出ない。

 私はただ、ここを通り過ぎるだけの旅人に過ぎない。


 デトロイトの街は、トランク大統領候補の演説会に集まった人々でごったがえしていた。

 集会場の駐車場に、天野女史が車を止めると、テンガロン・ハットをかぶった大柄の白人男性が、大げさに驚いて見せた。

 「こいつは驚いた! ダーク・ライダーだよ。いい車だ。」

 車から降りてきたのが日本人だと知ると、男は「こいつはたまげたね」といった風に肩をすくめて手のひらを上に向けた。腰には大きな銃を下げている。

 「オープン・キャリーといって、ミズーリ州では公衆の場でも銃を携帯することが許されている。」

 天野女史は馴れているからいいが、日本人には恐ろしい。だが、恐ろしがってばかりはいられない。集会場に集まった人々は例外なく銃を持っているのだ。ライフルを担いでいる者さえいる。

 戸部典子は青くなっている。

 「ここはトランク候補の集会なりよ。あたしたちみたいな日本人は狙われるなり。」

 大丈夫だと天野女史は言うので、私たちは恐る恐る後をついていく事にした。演説会場を囲む公園にはいくつもの屋台が出ていて、各所で男たちがたむろしている。

 銃を持った白人たちは、私たちを奇異の目で見ることも無い。彼らは私たちもトランク候補の支持者だと思っているようだ。

 「ヘイ!」

 声をかけてきたのはさっきの大男だった。男は仲間たちを連れている。私は思わず身構えた。

 「ダーク・ライダーのねえちゃんだよ。」

 男は仲間たちに天野女史を紹介している。なんか拍子抜けだ。

 「この東洋美人の車が何か知ってるか? なんとダーク二〇〇〇だぜ。」

 仲間たちが囃し立てて、「そいつはスゲーな」と言っているようだ。

 彼らは自動車工場で働いてきたのだ。八十二年式のトランザムを見て、デトロイトがまだ華やかだったころを思い出しているのだ。今ではその工場も無い。廃墟になってしまっている。

 戸部典子が男と話し込んでいる。どこにでもすぐ順応してしまうやつだ。

 「さっき、おじさんも白人至上主義者なりか、って訊いたなり。」

 ほう、そうれでどうだった。

 「違うそうなり。この街はどん底なり。トランクなら政治を変えてくれるかも知れない、と言ってたなりよ。」

 なるほど、マスコミはトランク候補の支持者を全て白人至上主義者のように伝えるが、実際は違うのだろう。アメリカでは貧富の差が広がり、一部の金持ちや特権階級が幅を利かせている。その不満をトランク候補の過激な発言が掬い取っているに過ぎない。

 会場ではトランク候補の演説が始まるみたいだ。私たち以外の誰もが会場のなかに吸い込まれていく。会場は熱気に包まれているようだが、私にはどこか悲し気な光景に思えた。


 「先生、どうでした?」

 天野女史の質問に、私は見たくない物を見たような気分だと答えた。

 「では、このまま地獄めぐりに付き合っていただきましょう。」

 冷たい笑いだ。気に入らんな。

 次は何処へ行くんだ?

 天野女史はギアをトップに入れ、トランザムはハイウエーを夕日に向かって疾走した。


 ダーク・ライダー。貧困と格差が広がる現代に蘇る正義の騎士。明日、我らを待ち受けるものは果たして何か?

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