第11話 ローマ教皇

 艦隊はジブラルタル海峡を越え地中海に姿を現した。この当時の北アフリカはオスマン帝国の版図である。イスラム世界の人々も大艦隊の威容を目にした。


 石田三成は伊藤マンショを自室に呼んだ。

 三成はローマ法王への謁見を申し出るつもりなのだ、伊藤マンショには道案内とローマ法王庁への取りなしを任務として与えた。

 大艦隊はローマから近くのチヴィタヴェッキアの港を包囲するように停泊した。

 東の帝国から来た大艦隊の情報は既にローマに伝わっており。港町は商人や野次馬たちが押し掛け大変な騒ぎになっていた。

 「巨大な船来る」との情報は即日、ローマにもたらされ、教皇パウルス五世は恐れを抱いた。三成に砲艦外交の意思は無かったが、巨大船の威容が効きすぎたと言わねばならない。

 大艦隊が入港すれば騒ぎをさらに大きくするだろうとの判断から、艦隊はティレニア海に待機を命じられ、三成を乗せたガレオン船一隻が入港し、錨を下した。

 三成一行は現地で馬車を整えローマを目指した。石が敷き詰められたローマ街道は快適かつ迅速に一行を運んだ。この街道が千年以上の古代に造られたことを知った三成は驚愕したと伝えられる。

 イタリアは長く分裂状態にある、古代において大帝国を築いたかつての栄華は遠い昔である。衰亡してなおローマは世界の都の名にふさわしい都市だ。三成たちは古代ローマの史跡を訪ね、西欧文明の源流に触れた。そしてこの文明は中華に比肩する歴史を持っていることを知った。

 伊藤マンショはローマ教皇庁に出向き、教皇謁見を申し出た。教皇は三十年ぶりにローマを訪れた伊藤マンショを温かく迎え、祝福を授けた。

 その五日後、三成は謁見を許された。

 馬車に乗った三成一行を人民解放軍の小型ドローン「銀嶺」が追っている。銀嶺は自衛隊のギンヤンマの模倣品なのだが、繊細な動きはまるでできない。まぁ、大聖堂のような大きな建物内の諜報活動なら問題はないか。


 「もったいつけてくれるものよのう。」

 三成は馬車の中でそうつぶやきながら、サン・ピエトロ大寺院の門をくぐった。

 サン・ピエトロ、聖ペテロのことである。使徒ペテロはローマにおいて布教を行った。キリスト教を創ったのはイエスではない。イエスは教えを説いたが、それを体系化することも教団を創ることもしなかった。キリスト教はペテロが作った。ペテロの布教は教団を生み、やがてキリスト教はローマ帝国の国教となる。

 「受験生諸君! テストでキリスト教の創始者はペテロと書いたらバッテンなり。気をつけるなりよ。」

 お前、誰に話しかけているんだ?

 三成に随行する官僚たちは、その壮麗な寺院建築に目を見張った。壁という壁は、神の物語を描いた宗教画で埋め尽くされ、中央には宝石をちりばめた十字架が掲げられている。ステンドグラスから差し込む光は、世界を荘厳に見せている。美という美を集めて、宗教の威信を人々に伝える。三成はこれを宗教的な装置であると見抜いた。無知な民衆たちも、これならば跪かざるを得ないだろう。なるほど、これがキリスト教の布教方法なのかと、あくまで合理的なこの男は納得したのだ。

 大聖堂の中ではミサが行われていた。三成たち一行も厳粛な面持ちで大聖堂の最後部に整列しミサの様子を見学した。我々は異教徒である。そのことを忘れてはいけない。伊藤マンショからのアドヴァイスだ。

 ミサが終わると、教皇は東の帝国の使者を迎えた。

 三成は伊藤マンショに教えられたとおり教皇の前で跪き、指輪に接吻する。パウルス五世は大げさに感動したふうを装い、三成の体を抱くような仕草で祝福を与えた。

 パウルス五世は三成に問うた。

 「東の帝国にはキリスト教徒は居るのか?」

 「居りまする。」

 と、三成は短く答えた。

 「如何ほど居るのか?」

 「百万ほどでございましょうか。」

 「おお」、とパウルス五世は感嘆の声を漏らした。

 「我が帝国では信仰は自由でございます。キリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も、みな豊かに暮らしておりまする。」

 「おお」、と教皇は再び感嘆した。

 教皇は遠い東の帝国のキリスト教徒に祝福を授け、神の恩寵を願った。

 猿芝居だな、と三成は内心思っただろう。この男には宗教的権威は通用しない。織田信長の合理主義こそこの男が唯一信じる思想だからだ。

 「此度は、何故ローマまで来られた?」

 「交易のためにございます。また、西欧諸国との友好のためにござります。」

 三成がぽんと手を打った。控えの間にいたお小姓衆が大聖堂のなかに次々に入って来た。赤や黄色の派手やかな裃に身を包んだ美少年たちである。キリスト教の大聖堂には似つかわしくない装束である。

 「友好のしるしでござれば、どうぞお受け取りくださいませ。」

 お小姓たちの手には教皇への貢物がうやうやしく掲げられている。絹の反物、青磁、白磁の器の数々、そして袋に詰められた砂金である。

 教皇は大いに喜び、三成の望む教皇領内での交易を許した


 「教皇は特に砂金がお気に召されたようじゃ。坊主というのはどこも同じよのう。」

 帰りの馬車の中で三成は若き官僚たちに漏らした。

 チヴィタヴェッキアの港に戻った三成は、ここでも大いに交易を行った。利益は莫大。ローマ教皇への献上品など安いものである。

 だが、三成の中に疑問が残った。巨大とはいえ、たがが一宗教が、何故ヨーロッパを支配しているのか。


 三成は再び伊藤マンショを自分の船室に呼び、キリスト教について聞くことにした。

 「三成君は一神教に対して理解できないことがあるのが分かっているなりね。」

 だろうな。自らの無知を知る、これが三成の頭の良さだ。

 伊藤マンショが旧約聖書の創成記について講義している。神はこの世の全てを創られた。最後に神の姿に似せて人間をお創りになられた。

 「それはもうよい。何度も聴いた。キリストの神とはどのような神なのじゃ。」

 「キリストは神の子にございます。我らが父、唯一絶対の神を信仰するのがキリスト教でございます。」

 伊藤マンショは困惑しながら、旧約聖書から「ヨブ記」を牽いて語り始めた。

 旧約聖書はユダヤ教の聖典である。ユダヤ教から派生したキリスト教は、旧約聖書と新約聖書の、いわば二階建てになっている。新約聖書が神の子キリストについて記述しているのに対し、旧約聖書はユダヤ民族と神の歴史である。神について説明するのなら旧約聖書がふさわしいと伊藤マンショは判断したのだ。

 ヨブは正しい信仰を持つ義人であり、神はヨブに満足していた。ある日、サタンがやってきて神に言った。「ヨブが正しく生きられるのは財産があり子供が立派であるからだ。それを奪い取ってみよ」と。神はヨブから財産と子どもを奪ったが、ヨブはそれでも正しく生きた。サタンがさらに言った。「ヨブの健康を奪え」と。神はヨブを酷い皮膚病にし、ヨブは体中を掻きむしり苦しんだ。

 ヨブの三人の友達がヨブにいう。「お前の苦しみは何か罪を犯したからではなか」と。ヨブは反論する。「私は決して罪を犯していない。」友達は言う。「お前のように罪を隠しているのが一番の罪だ。ヨブと友達は決裂し、ヨブは友達も失う。

 ヨブは神に抗議する。「神よ、これは試練なのですか? しかし酷すぎます。私は何か罪を犯したのでしょうか?」神は言う。「お前は何様のつもりだ。私は天地を創造した神である。天地の創造は大仕事だった。怪獣も退治したんだ。お前にそんなことができるのか?」

 神の怒りにヨブは黙ってしまうが、最後に神はヨブを褒め、三人の友人を非難した。ヨブは全てを元に戻され長生きした。


 三成は考え込んでいる。神仏は慈悲深いもの、それが三成の先入観である。

 「キリストの神は慈悲深い神ではないのか?」

 伊藤マンショが答える。

 「神の思し召しは、我ら人の及ばぬところにございます。」

 「分からぬ。」

 三成はひとりつぶやいて、伊藤マンショを退室させた。

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