第4話 シンガポール

 バタヴィアからシンガポールまでは目と鼻の先である。

 シンガポールは前宰相、浅井長政が開いた貿易港である。浅井家は東南アジアにおける貿易の特許状を織田信長から賜り、貿易商社のような組織になっていた。その財力は小国の国家予算に匹敵するといわれ、財閥化しつつあるのだ。

 一五十一年、ポルトガルはマラッカ王国を滅ぼし、その二年後にはシンガポールを壊滅させている。生き残ったマラッカ王国の王族はジョホール王国を建て、ポルトガルに対抗してきた。

 浅井長政は東南アジア進出においてジョホール王国と協力することにしたのだ。浅井家はマラッカにおいてポルトガルと戦った。ここ戦いの指揮を執ったのが長政の嫡男、輝政であったが、ポルトガル船の砲撃を受け討ち死にしてしまう。宰相の地位にあり上海を動けない長政は、毛利輝元に援軍を仰いだ。毛利は村上水軍を母体とした強力な水軍を持っている。

 そのうえ、九鬼守隆率いる帝国第一艦隊が合力したのだ。

 「九鬼水軍と村上水軍の共同戦線なりか。見てみたかったなり!」

 西欧人たちがアジアに進出するまで東南アジアの海はイスラム商人たちの活躍の場だった。かつて、モンゴル帝国の皇帝フビライはイスラム商人たちのネットワークを利用して交易に乗り出したのだ。マラッカ海峡は海の交通の要衝である。

 そのマラッカ海峡をポルトガル人たちは独占した。イスラム商人たちはマラッカ海峡を避け、遠回りの危険な航路に回らなくてならなかった。

 毛利水軍と帝国第一艦隊はポルトガルをじりじりと追い詰め、マラッカ海峡の制海権を取り戻したのだ。浅井家は世界の海で最も重要な海峡をすべての民族に開放したのだった。

 ジョホール王国はイスラムの国である。スルタン、アラディン・シャーは浅井家に感謝し、シンガポールを浅井家の領地とすることをもってこれに報いた。荒廃したシンガポールを立て直した浅井家はここを本拠地に定めた。街には浅井家はじめ様々な国の商館が立ち並び、中華街や日本人町が建設された。


 ここが海帝国の貿易の中継点である。三成の艦隊はシンガポールに寄港した。

 浅井家の当主、浅井広家が大艦隊を出迎えた。

 「浅井広家って誰なりか?」

 改変前の歴史では吉川広家である。毛利元就の孫にあたり、毛利家当主、輝元の甥にあたる。関が原の戦いでは徳川家康に内通し、その功績が後に毛利家を滅亡から救うことになるのだ。

 改変後は、父の元春を碧海作戦の都合で暗殺され、不遇を囲って成長したが、毛利家と浅井家の政略結婚により浅井家に婿入りしていたのだ。妻は信長の妹、お市の長女、茶々である。

 「これは大変そうなり。お姑しゅうとめさんがお市で奥さんが茶々、二人とも信長様の血を継いで気が強そうなり。」

 そうなのだ。広家は大変忍耐強かったのだ。お市から浅井家の婿としての立ち居振る舞いを注意されても素直に聞き入れ、茶々のわがままにも笑って応えてきた。浅井家と毛利家のためにどんな仕打ちにも耐えに耐えてきたのだ。

 「あの時、政宗君が言っていたのはこのことなりね。」

 そうだ、あのエピソードは笑えたが、実際に広家を見てみると同情を禁じ得ない。

 上海で皇帝、織田信忠隣席のもとで台湾攻略を祝う宴席が設けられたとき、信忠は並みいる諸将に尋ねた。

 「帝国一の強者は誰か?」と。

 島津義久、長曾我部元親など武門の誉れの高い武将の名が上がるなか、伊達政宗がぽつりとつぶやいた。

 「帝国一の強者は浅井広家殿でござろう。」

 各武将たちは政宗の意見に大きく頷いたと言われている。帝国一、恐ろしい姑と、帝国一、気の強い嫁の猛攻を凌いで、なお戦い続ける広家に誰もが恐れ入ったのだ。

 織田信忠は叔母と従妹を揶揄されたにもかかわらず、玉座の上で笑い転げた。


 「心なしか、広家君、やつれて見えるなり。」

 戸部典子が気の毒そうな声で言った。

 だが、さすが帝国一の強者、この大艦隊を迎えても見事な差配ぶりである。細かいところにも気を配り、船旅に疲れた三成たちも久々の陸地でくつろぐことができた。

 「広家君、完璧なりね。」

 完璧でなければやっていられないのが浅井の婿の立場である。

 浅井広家は歓迎の宴を開いた。テーブルの上には東南アジア各地から集められた珍味の数々が並べられている。

 「おいしそうなりー。」

 戸部典子が指をくわえて恨めしそうにしている。みんな船の上で粗食に耐えてきたのだ。逃げ出したおまえが何をいうか!

宴にはジョホール王国のスルタンからの使者も出席している。使者は石田三成に跪いて懇願した。

 「ポルトガルの残存勢力を打ち払って欲しい」と。

 広家も「何卒」と三成の助けを求めた。

 ポルトガル船はスマトラ島のメダンを占領し、度々、海賊行為を働いているというのだ。

 ジョホール王国は海帝国の冊封下にある。属国の難儀を見過ごすことはできない。


 数日後、シンガポールを出航した大艦隊はポルトガル人たちが占領しているメダンを海上包囲した。三成は降伏を促す使者を送り、返答の期限を三日とした。

 降伏の条件は三つである。

 ポルトガル人は占領地から立ち退くこと。ただし、交易を希望する者はシンガポールに商館を開くことを許す。

 ジョホール王国へは今後一切の手出しを禁じる。違反した者は帝国の敵とみなす。

 マラッカ海峡は全ての船が安全に航行できる海とする。これを妨げる者も帝国の敵である。

 「見事なり、三成君! みんなの事を考えているなりね。」

 海帝国の大艦隊の脅威を目にしたポルトガルは即日、条件を受諾しマラッカは平和の海となった。ここでも三成は、戦わずして勝ったのだ。

 「巨大船は示威行動のために造ったなりね。」

 いやいや、石田三成をなめてはいけない。まだまだ戦略はあるのだ。戦いには弱っちいけどな。

 「失礼なり! 三成君は強いなりよ!」

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