第三部 最後の聖戦なり

第1話 大航海

 台湾の役から三年が過ぎた。私たちの時間では一か月に満たない。

 どうしてこうなるのか、理論物理学の専門家、楊博士から何度も説明を聞いたが未だに理解できない。

 「アインシュタインの相対性理論をご存知ですか?」

 そう問われてもSF映画程度の知識しかない。私たちが準高速で一年間宇宙を飛行し、地球に戻って来た場合、地球上では何百年もの時が流れているという、まるで浦島太郎みたいな話だ。

光の速度に近づくと時間が圧縮されるというアレですか? 私の質問に揚博士はできるだけ分かり易く答えてくれた。

 「その知識だけで充分です。じゃあ、こう考えて下さい。」

 私たちの時空は光の速度で歴史改変の時空に接近している。接近速度は次第に緩やかになり、歴史改変の時空が私たちの歴史と同じ二十一世紀に達する頃には同じスピードで時を刻むようになる。 

 いかん、私の脳細胞が大気圏に突入して燃え尽きていくうう。

 結論はこうだ。私には理化系の学問は向いていない。



 その日、上海ラボのメイン・モニターの前には人だかりができていた。碧海作戦に携わる研究者たちはもとより、人民解放軍の諸君も集まってきた。これから始まる歴史的な光景を見届けようと誰もが目を輝かせている。

 モニターには上海の市街を流れる黄埔江の港に接岸している玄徳丸、雲長丸、翼徳丸の巨大船三隻が映し出されていた。

 三隻の巨大船は艦隊を率い世界一周の大航海に挑むのだ。

 上海の人々は巨大船三隻が揃い踏みしているところを見るのは初めてだった。誰もがその壮観な姿を一目見ようと黄埔江の岸壁に押し寄せていた。

 玄徳丸の諸葛砲が街の空気を震わした。空砲である。そして雲長丸、翼徳丸も空砲を撃つ。空をつんざくような轟音に驚いた野次馬たちが黄埔江に転落し、それを救い上げようとする人々がまた河に落ちていく。岸壁を警備していた水兵たちが水面にロープを投げ込んだ。野次馬たちがつかまったロープを水兵たちが二十人がかりで引き上げている。

 街のあちこちでは爆竹が爆ぜ、ドラが鳴らされ、男たちは布で作った全長十メートル近くもある龍を晴れやかな空に掲げて龍舞を踊っている。日本人たちは神輿を持ちだし、わっしょい、わっしょい、と街を練り歩く始末だ。上海は盆と正月が一緒に来たような大騒ぎである。

 巨大船を黄埔江から出航させたのは上海の人々へのアピールなのだ。帝都、上海の人々に海帝国の栄光を印象付け、海の帝国の威信を示す。これも三成の戦略だ。


 三番艦、翼徳丸には次々に荷駄が運び込まれている。絹や陶磁器、茶など海帝国の物産が積み込まれているようだ。指揮を執っているのは大蔵卿、小西行長だ。行長は堺の商人の出だから、経済官僚になっていたわけか。

 二番艦、雲長丸は武将たちの船である。いざ陸戦となった場合は雲長丸から楊陸船が出て戦闘に臨むのだ。武将たちのなかには浪人たちも多数いる。戦国の世が終わり、仕官先や仕事にあぶれた者たちだ。彼らは貿易の中継点を築くため海外に移住する事を希望した植民部隊であり、一国一城の主という戦国乱世の夢を諦めきれない猛者たちである。彼らの指揮を執るは立花宗成。これくらい実績のある武将を頭に据えておかないと血気盛んな荒武者たちを押さえつけることはできないということだ。

 旗艦、玄徳丸は海帝国の将来を担う若き官僚たちが乗船する船である。彼らは職務の傍ら、この航海に向けて操船を学んできた。宰相、石田三成は海帝国の官僚が船を操ることもできないようでは、大航海時代に後れをとると考えていたからだ。彼らはマストに登り帆を張り、海図を読み、星の位置と羅針盤から船の位置を知ることができるよう水兵としての訓練を受けてきたのだ。


 岸壁に押し寄せた民衆たちの群れが、まるで海が割れるが如く左右に分かれていく。宰相、石田三成とエリート官僚たちの乗る十台の馬車が現れたのだ。

 この艦隊は、三成自身が率いる。齢五十を過ぎた三成は、これが最後の仕事になると密かに覚悟を決めていた。三成は海帝国を担う次の世代の育成を急いできた。その集大成が大艦隊による世界周航なのだ。帝国の若き才能を従えて世界を巡り見分を広めるのだ。宰相の仕事は大谷吉継が留守を預かることになっている。

 三成は悠然と玄徳丸のタラップを登り、若きエリート官僚たちがそれに続く。

 民衆たちは「万歳、万歳!」の大合唱だ。

 甲板に立った三成は右手を上げて、民衆の歓呼の声に応えた。


 おや、なんだか若侍二人がタラップの下で警備の水兵ともめ事をおこしたらしい。

 皆、規律正しく乗船しているのだ。とんでもない不良官僚がいたもんだ。

 と、思ったら戸部典ノ介こと戸部典子ではないか。もう一人は木場茜ノ介こと自衛隊ドローン部隊所属の木場あかね三尉だ。

 何してるんだ、まったく!

 そういえば昨日、人民解放軍広報部の仕事で出張に行くとか言っていたな。十七世紀に行って艦隊の出航をレポートする仕事だったのか。

 戸部典ノ介が懐からスマホを取りだしたぞ。水兵の写真を撮った。またあの手だ。「お主の魂は吸い取った」などと言っているのだろう。スマホの画面を押し付けられた水兵が怯えだした。

 その隙に二人の若侍がタラップを駆けあがっていく。二機の小型ドローン、ギンヤンマが二人を追いかけるように飛んだ。自動追尾モードにしているのだ。

 「戸部典ノ介、参上なり!」 

 そう叫んだ戸部典ノ介が勢いよく甲板に踊り出た。

 甲板では三成が訓示を行っているところだった。官僚たちが一糸乱れず整列し、厳粛な面持ちで訓示に耳を傾けているではないか、

 お呼びでない、お呼びでないぞ、戸部典子!

 場違いにもほどがある。ほら、みんな知らんぷりしている。

 やっちまったな。寒いだろ、寒いだろ、身に染みるがいい!

 うららかな春の日差しのなか、戸部典子だけがシベリア寒気団の如く寒々している。

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