第5話 受けて立つなり

 台南はオランダ東インド会社の基地とされ、要塞化が始まった。

 入り江には港が築かれ、オランダ船が停泊している。、

 東アジア海洋帝国の中に残された唯一のまつろわぬ地であった台湾は、北を井伊直政が、南をオランダが統治することとなった。

 もちろんオランダは島全体を手中に収める腹だ。

 台湾は帝国の海の中心に位置する。ここを押さえられてしまえば、中華帝国に打ち込まれたくさびとなるのだ。西欧諸国の東アジア侵略の足掛かりとなってしまう。

 それだけは避けねばならない。


 それにしても、時期が微妙に早いのだ。

 碧海作戦の歴史介入の影響が、西欧に及んだ可能性が無いわけでは無い。

 だが、タイミングが良すぎる。

 もう十年もすれば、台湾は中華帝国の版図に組み込まれていただろう。政権の基礎固めも終わり、西欧の植民地化に対してつけ入る隙さえ与えないだろう。

 何か別の力が働いているような気がする。

 「別の力って何なりか?」

 陳博士が額に人差し指をあてて考え込んでいる。何かの推理もののアニメのポーズらしいが私は知らない。

 「現代人が力を加えたとしたら、どうだろう!」

 「例えば、現代の西欧人があたしたちの時空に介入したとかなりか?」

 「ラノベならありそうな展開じゃないか。」

 陳博士はラノベで日本の文字をおぼえたらしい。漢字の本家である中国人には、平仮名ばかりのラノベは格好のテキストなのだそうだ。

 「ラノベならあるなりね。」

 二人で「ラノベあるある」でもやってろ。


 事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、この場合、事実は「ラノベあるある」だったのだ。

 私たちの意見が人民解放軍に伝えられ、調査が開始された。

 そして、西欧において何らかの歴史介入が行われた痕跡が発見されたのだ。

 中国が介入している歴史に、他国が干渉することは、国連の歴史介入協定により禁止されている。これは重大な協定違反だ。ただ、動かぬ証拠をつかまない限り、安保理に提訴することはできない。

 中国政府は人民解放軍に徹底した捜査を命じた。


 「現地から、極秘の映像が送られてきましたわ。」

 李博士が送られてきた映像をメイン・モニターに転送した・

 人民解放軍が捉えたのはイギリスとオランダを激しく往復する怪しげな男の姿だった。

 ドローンが撮影した映像は遠すぎて顔がわからない。

 「もっとカメラが寄れないなりか!」

 「拡大しますわ。」

 映像は静止画像になり、拡大された。

 その男の顔がアップになると、誰もが怒りを顕わにした。

 こいつの顔はよく知っている。

 ジョン・メイヤー博士、イギリス人歴史学者だ。

 SPQR作戦に失敗した腹いせに、碧海作戦を馬鹿にし、黄色人種に差別的な発言をした私たちの仇敵である。

 「こいつだけは許さないなり!」

 戸部典子が熱くなっている。


 西欧諸国は碧海作戦が順調であることに嫉妬していたのだろう。特にイギリスはこれから輝かしい大英帝国の時代を迎えるのだ。世界中に植民地を有し「日の沈まぬ帝国」とまで呼ばれるようになる。碧海作戦の時空において中華帝国は植民地拡大の最大の障壁となるはずだ。

 そこで、ジョン・メイヤー博士を送り込んだというわけだろう。中華帝国の繁栄に水をさし、この時空においての大英帝国の威信を守り抜くことがこの男の使命なのだ。

 碧海作戦に恨みをいだくジョン・メイヤーほどの適任者はいない。


 これは重大な協定違反だ!

 中国政府は国連に提訴した。

 だが、イギリス政府からの回答は実にふざけたものだった。

 これは調査に過ぎない、というのだ。

 中国の時空に介入は禁止されている。だが、調査をしてはいけないとはどこにも書いていないというのだ。

 いわゆるグレー・ゾーンだ。

 調査とは名ばかり、歴史介入が行われたことは明らかだ。だが、白を切られてしまえばそれまでなのだ。

 中国政府は歯噛みして悔しがった。


 碧海作戦の研究室でも皆がイギリス政府の回答に怒りを感じていた。

 そんなとき、戸部典子が言った。

 「相手がその気なら、受けて立つなり!」

 陳博士が拳を握り締めて笑った。

 李博士も笑みを浮かべた。

 戸部典子もにまにましている。

 私もその言葉に頬が緩んでしまった。

 見てみたいではないか、戦国武将たちが海で戦う姿を!

 「勝てるなり! 信長様が作った今の中華帝国は無敵なりよ!」


 この後、みんなで碧海作戦のテーマ・ソングを歌った。

 研究者たちも、人民解放軍広報部隊の諸君も、声を合わせて高らかに歌い上げたのだ。

 日本のアニソンのパクリだけど、この歌は燃えるのだ。

 GO!GO! 碧海ビィハイ、GO!GO! ビィハイ、GOGOGOGOGO! ビィハーイ!


 「受けて立つなり」、戸部典子の発言は世界を揺り動かすことになる。

 陳博士によって「海洋迎撃策」としてまとめられ、中国政府の上層部にに具申さた。そして、国家主席の采配を仰ぐこととなったのだ。

 国家主席、劉開陽は「ハオ」と一言発したのみで、具申書にサインした。

 その顔は、満面の笑みをたたえていたと伝えられる。


 「站在收到ジャンザイシュウダオ!」 

 受けて立つなり、は中国人民のスローガンとなり盛り上がりに盛り上がった。

 碧海作戦の街頭キャンペーンでは、ワゴン車の屋根の上に設置された演説台の上で、戸部典子が拳を上げて叫ぶ。

 「受けて立つなり!」

 これに呼応して、中国人民が「站在收到ジャンザイシュウダオ」と声をそろえて拳を突き上げる。

 なんだか、ファシズムの匂いさえするのだが、

 「ギレン・ザビになった気分なり!」

 と、戸部典子は自分がパロディに過ぎないことを理解しているようだ。

 ファシズムに打ち勝つ精神は、パロディの持つ自己相対化にこそ宿るのだ。

 この歴史改変そのものが壮大なパロディであることに自覚的であれ無自覚であれ分かっているのは、私と戸部典子くらいなのかも知れない。


 日本でも「受けて立つなり」は流行語となった。今年の流行語大賞も戸部典子がかっさらう勢いだ。

 「받아 서《バダセェオ》」韓国人たちも拳をあげた。この頃、韓国では織田信長の先祖は朝鮮半島から来た渡来人で、そもそも織田家は朝鮮人であるとの解釈が一般化していたのだ。

 韓国人によれば侍も忍者も朝鮮半島が発祥ということななるから、この際、織田信長が朝鮮人であっても何の不思議もないのだ。


 ション・メイヤーという共通の敵が出来たことで国家を越えて団結する。人間の行動原理というのは複雑だ。

 まっ、なんでもいいが、ともかく日中韓の足並みが揃ったことはめでたい。


 だがこの直後、国家主席、劉開陽は日本政府に対して、前代未聞の要求を突き付けてきたのだ。

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