第2話 比較歴史学
そんな私に目をつけたのはマスコミだった。歴史解説者としてメディアに登場することになり、スポーツ解説者や料理研究科よろしくコメンテーターとしての席があたえられた。メディアが私に要求したのは、政治色を抑えた客観的な視点だった。歴史に対する解釈はともすれば極端なナショナリズムに走りがちだ。これを誰の目にも公平に解説しなければならない。
当初、私を支持していたのは、良識派を自称する人々だった。彼らは何でもかんでも、民主主義やヒューマニズムに照らしてどうか、という点を価値の判断基準にしているような人種だった。残念なことに、歴史の多面性や多義性については理解する能力をもっていなかったようだ。彼らは長篠の合戦の映像を見ては命の大切さを訴え、織田信長を虐殺者と非難する。また、江戸時代がいかに豊かだったかという映像をみても、所詮は差別を肯定した時代だと非難する。要するにウザい人々だったのだ。
視聴率が低迷し、広告収入が減少しつつあったテレビ界にとって、制作費の安い歴史解説番組は天の恵みだった。歴史解説者たちはテレビ業界から引っ張りだこになっていた。
私は次第にお茶の間の人気者になっていった。知識の豊富さ、見識の豊かさだけではない。語り口の滑らかさや、ツッコミに対するリアクションの良さは、他の歴史解説者たちの追随を許さなかったからだ。
タイムトラベラーたちは過去において撮影した様々な映像を持ち帰っていた。映像のほとんどは一般公開されたため、メディアは素材には事欠かなかった。つぎつぎに公開される歴史絵巻に、私は目を見張り心をときめかせた。文献や資料を再構成して、頭のなかにぼんやりとした像を結んでいた数々の歴史的光景が、目の前にあざやかに映し出されているのだ。
私が最も美しいと思ったのは、南蛮船が平戸の港に入港する風景だ。船が湾内に停泊し碇を下ろすと、港からは無数の艀が漕ぎ出て南蛮船を出迎える。
「なんという光景だ!わくわくするではないか。」
南蛮船の船首で赤いマントを羽織った男が手を振って何事かを叫んでいる。私も思わず叫んでしまった。
「やほぉーい、やほぉーい!」
これは私のテレビ出演中におこった、愛すべきエピソードである。その後、私は「やほぉーい先生」と呼ばれることとなる。
オーストラリアで歴史学の革命が起こったのは、私が歴史解説者として深い洞察と、おちゃめなキャラクターをお茶の間にお届けしていた頃だった。世界で最も歴史の浅い国、いや先住民族アボリジニの歴史は古くからあるのだが、長く世界史から隔離されていた国で歴史学の革命が起こったのは、彼らが最も世界史に無責任でいられるという特権を持っていたからだと私は理解した。
それは比較歴史学と呼ばれた。
つまり、タイムマシンによる歴史への介入を想定した学問だ。歴史を意図的に変えるとすれば、どのポイントに如何に介入すれば最も効果的な結果が得られるか。もしくは最も自分たちに有利な歴史とはどういう歴史なのか。
そう、歴史の「もしも」を探求するということらしい。
「なんという浅薄な学問だ!
歴史の冒涜に等しい。私の歴史学者としての正義が許さん!
オーストラリアの馬鹿ども、成敗じゃ、成敗!」
ところが暫くして、まことしやかな噂が囁かれるようになった。各国の指導者たちがこの比較歴史学に大きな関心を寄せているというのだ。アメリカや中国では密かに比較歴史学者が招集され歴史介入に関するチームが編成されているらしい。
歴史に介入せんと欲すれば、歴史学者の知識を持ってすべしであろう。
と、いうことは・・・歴史学者がタイムトラベラーとなり歴史介入の現場に赴かねばなるまい。
宇宙旅行でもそうだ。最初の宇宙飛行士は猿だった。その後に続く宇宙飛行士たちもテスト・パイロット出身だ。スペース・シャトルの時代になってようやく研究者が宇宙に行けるようになったのだ。タイムトラベルもスペース・シャトルの時代を迎えようとしている。
あーそれなのに、私はなんという了見の狭い人間だったのだ。歴史学者の正義などを振りかざし、いい気になっていた自分が恥ずかしい。願わくば、私にタイムトラベルの機会を与えたまえ。悔い改める者に幸いあれ。
子曰く、過ちては則すなはち改めるに憚はばかるることなかれ
私はその日から、日本における比較歴史学の先駆者たらんと努めた。
私はこの目で見たかったのだ。豊臣秀吉の大軍が対馬海峡を押し渡る姿を。満州族が山海関を越え中原へと突入する光景を。大航海時代の波音をたてて近世の東アジアに来航する南蛮人たちの船を。
私はそれを想像するだけで身もだえする。
ただ見たいのだ、十六世紀の東アジアの碧い海が、磨かれた青銅の如く鈍く輝くのを。
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