第139話

 原宿から都心の千代田に戻ってくるまでそれなりの時間を要する。とはいえ地上は既に厚い闇に包まれていて、あまり時間はかけられない。

 そう判断しモノレールではなく隔離立ち入り禁止区域に格納されていた車両群からバイクを拝借して向かう。

 レッドシェルターに到着するころには既に深夜帯を回っていた。

 妃夢路に発行してもらっていた一時通行証。それを提示すると管理課は特に和馬を阻むこともなく内部へと通した。


「こんな時間に訪問したら、あとから妃夢路のばぁさんにしこたまどやされるんだろーな」


 病棟施設の内部一つの部屋の前にて。施錠を解除するか思い悩む。

 しかしてあの妃夢路恋華という女はいったい何者なのか。本来ならば部外者の和馬がそう簡単にレッドシェルターの出入りができるはずがない。

 今は仮釈放中とはいえ尋問期間中の罪人予備軍だったはずだ。だのに許可を取るだなんて彼女は本当にただの陸准尉なのか。

 今はそんなことを気にしている時でもない。無言でカードキーをロックに通した。

 病室に足を踏み入れ遮光カーテンの引かれていないベッドに歩み寄る。そこには足を崩した体勢でぺたんと座り込んでいる優姫の姿があった。

 光が差し込む窓をじっと見つめる彼女。吹き込んだ凪が金色の髪をさらう。幻想的な様まで醸していて。それでいて、その姿は今にも消え入りそうなほどに脆い。

 わずか数日会っていなかっただけなのに彼女は酷くやつれているように思えた。


「久しぶりだね……和馬くん」

「……ああ」


 振り返らずに彼女は静かに和馬を感じていた。光の閉ざされた暗闇の中で彼女は確かに和馬を見ている。


「和馬くんが来るの、待ってたんだ」

「俺がどんな結論を出したにせよ、か?」

「……うん、ちゃんと和馬くんとはお話しして終わらせないといけないから」


 心臓を鷲掴まれるような激しい衝動。苦しくてつらい。

 それでも優姫、お前に会いに来たんだ。


「あのね、和馬く――」

「優姫」


 何かを決心したような彼女の元へと歩み寄りその華奢な肩を掴んだ。そうしてまっすぐに双眸を見つめる。

 

「お前に話さなきゃいけないことがある」

「……っ、ま、待って」


 彼女は焦ったように和馬の袖を掴む。

 改まった和馬の言葉を聞いて優姫はおそらく自分の決意を揺らがすためにここにやって来たのだと思ったのだろう。

 そうではない。自分の中の気持ちに決着をつけるためにここまで来たのだ。逃げていた現実を受け入れるために。

 ポケットに手を入れ小さな金属を握り締める。

 

「悪いけどもう時間がない。あのな優姫、俺は……っ!?」


 その言葉を遮るように首筋に鈍い衝撃が走り抜けた。

 ぐわんと脳天が震えるような激しい目眩に耐えきれず、その場に顔面から横転する。赤く染まった視界の中に一瞬誰かの靴が映り込んだ。 


「……恋華さん」

「葛城優姫、君の事情は理解しているからね」


 病室の床にぶっ倒れている和馬の足元に立って、その人物は静かに和馬を見下ろす。タバコ臭いな。


「それで、だ。悩めとはいったけどねえ。急すぎるアプローチじゃ女は靡かないもんだよ和馬翔陽。前にも言っただろう? 積もる話はシラフじゃできないのさ。まずは酒を飲んで、お互いに落ち着いてから核心に迫る。それで女はたいてい落ちるもんなのさ」

「そ、そういう物なのですか?」

「そういうものさ。少なくとも……その相手が、既に惚れてればね」


 からかうようにそいつは言った。和馬をからかってるのか、あるいは――――。


「だけどまあ、時間を有効的につかえたみたいだねぇ和馬翔陽。悩んで、自分の中に蟠ってる感情に名前を付けられたんだね。……でも順序ってものがあるさ。気持ちを伝えるときは、さ」


 薄れ行く意識の中で誰かの声が響いていた。お節介も大概にしやがれ。



 ◇ 



 人肌が頬に触れる。誰かが頬に触っていた。

 ギンギンと痛む頭は何か柔らかいものの上に乗せられ、そこからもまたどこか心地いい人肌が伝わってくる。誰かに膝枕でもされているようだ。


「ごめんね、和馬くん」


 一抹の哀愁が紡がれ落ちた。目を瞑ったまま規則正しく息をして寝たままの状態を維持した。


「私……ね、きっと臆病だったんだと思う」


 ポツリと奏でられた言葉は酷く震えている。

 

「今後の和馬くんの人生で、私の存在が足枷となってしまうことは解っていたから……だから言うことが出来なかった。生きることって難しいコトだよね。いつかは消える、だから目を覚ました後、和馬くんと深く関わることを避けたの」


 ずっと自分の辿る未来を理解していながら彼女はそれと戦っていたのだ。

 一人でその運命に抗うわけでもなく、ただその限られた中で何かを成そうとするのはとても辛いことだっただろう。


「我侭だってことは解ってる。でも、私は人間のまま……綺麗な体のまま死にたいの……」


 思わず表情を歪めかけた。彼女の言葉の意味が理解できず同時にあまりにも不可解すぎる発言だったせいだ。


「最期に、一度だけでいい……和馬くんの存在を感じたかったなぁ」


 夕立の雲のように彼女の言葉には哀愁が広がっていた。

 震える言葉には彼女の吐き出すことの出来なかった本音が幾重にも折り重なっている。

 こんなか弱い少女を抱きしめてやれない、そして抱えているものの重さを理解してやれなかった。そんな不甲斐ない自分を殴り飛ばしたくなった。

 

「和馬くんの気持ちを考えず一人で勝手に死のうとしてる私には、そんな権利ないのかもしれないけど、それでも……」


 何か熱いものが頬に弾けて消える。

 徐々に漏れ出す嗚咽は、酷く脆くて儚い彼女の内面を痛いほど映し出していて。


「私……寂しい、んだ……!」


 そっと瞼を開いた。

 

「闇に閉ざされてても、真っ暗でも光が差さなくても……ッ、わかるの、私、だって……どうしても、和馬くんのことが……!」

「解ってる、そんなこと」

「っ、和馬、くん……?」


 彼女の頬に手を触れさせていた。滑らかな頬を伝う銀色の雫は指を伝い落ちていく。

 彼女の涙は熱かった。情ある人間の優しい温もりだ。


「一人で往かせるわけないだろ? ずっと俺の所にいろ。どこにも行くな。ずっと、ずっと……」

「で、でも……」


 上半身を起こし彼女の肩を掴んだ。戸惑いと憂いを隠しきれない彼女は小刻みに肩を震えさせている。

 

「だって私、和馬くんに、酷いこと……」

「気にすんな」

「本当のこと黙って、っ、和馬くんに、隠して……!」

「いんだよ、そんなの」

「だって、だって……っ、わた、し……!」


 しょうがないほどに彼女は脆かった。もう解ってるから。


「またあのボロ部屋に帰ろう」

「……うん」

「ぐちゃぐちゃになっちまってたけどさ。俺たちの思い出が消えたりはしてない」

「……うん」

「優姫、また行きたいって言っていたじゃないか」

「そう、だね……いきたい」


 また一雫、伝い落ちる。華奢な身体をゆっくりと抱き竦める。しなやかな体躯が歪曲した。


「いきたい……」


 力ない手が襟首をきつく握り締めた。脆弱な生命が最期に咲き誇るように。嗚咽が脆い感情に変わる。


「いき、たい……いきたいよ……!」


 彼女の震えはもう抑えられない。


「もっと……生きていたかったよ……! 和馬、くん……っ」


 しばらくの間、胸元に頭を押し当てたまま優姫は何一つ発言をしなかった。静かに嗚咽を漏らしながら。

 小刻みに震える彼女の体を離さずしばらくその体勢のまま落ち着くのを待つ。嗚咽と震えが収まっていくのを肌で感じ、そっと彼女に背中に回していた腕を解く。


「もう無理すんな。お前のこと、ちゃんとわかってるから」

「で、でも……」

「お前の築いたものは全部俺が引き継いでやる。お前との思い出も記憶も、全部、俺が護っていくから」

「……和馬くん、でも私は」

「もう永くないんだろ? 解ってる。それでも俺と優姫は何処かで繋がりあってる、それだけじゃ駄目なのか?」


 優姫は少し驚いたように瞬きをした。

 瞼を閉じると同時に最後の水滴が溢れ頬を伝い落ちる。それを拭うと同時に憂いが消えたように優しく微笑った。


「結構ロマンチストなんだね、和馬くんは」

「意外だろ? 俺も優姫のこと解ってないこと多かった。お前のこと疑ったりもした。お前のこと信じられなくもなった。全部投げ出したくもなったさ。でもお前の笑顔を思い出したらさ、お前との記憶、沢山の思い出。それ全部……捨てられるわけなんかなかった」

「私だって、和馬くんとの思い出が、和馬くんとの時間が、何よりも大切だったんだから」


 もう一滴伝い落ちる。それを指先で拭ってやった。

 二人してベッドに並んで座る。優姫は和馬の肩に体を凭れかけさせるようにして窓の外を見つめている。暗闇に沈んだ夜の街を。


「あそこに見える光……和馬くんの住んでたところ、かな」

「さすがにここからじゃどれなのか特定するのはできないけど、あのどこかにあるんだろーな」


 遥か先の地平線に並び立つ摩天楼。和馬を閉ざしていた世界であり、同時に優姫と出会った場所でもある。閉塞的な暗闇にこもっていた和馬に光を差した場所だ。

 持ち合わせていたカバンから目的の物を取り出して蓋を開けた。


「優姫」

「なに? 和馬くん」

「口開けろ」


 戸惑ったように見つめてくる。目配せする和馬を見て開けずには乗り切れないと考えたのか。優姫は小さく口を開いた。

 そこに用意していたタッパーの中身を摘まんで放り込んだ。


「なにこれ……っ! うぅ……」


 口に含んだ瞬間、優姫はきつく目を閉じた。そうして鳥肌でも立っているかのように体を縮みこませる。


「まずいだろ。すっげー不味いだろ。甘すぎんだよお前のレシピ」

 

 これまでの仕返しだ。よくもこんなもん毎晩食わせやがって。


「ぅ、ぅぅ……ッ」


 吐き出すわけにもいかず優姫は涙目になっていた。

 そうなることが解っていたため、引き寄せていた段ボールの包装を解く。以前シエナとルーナスがここに送ってくれていたものだ。

 そこから2リットルのペットボトルを引っ張り出しキャップを開ける。優姫はそれを一気に呷る。やはり本人が食っても不味かったのか。


「ぅぅ……酷いよ、和馬くん」

「毎晩それを俺に食わそうとしていた奴のセリフか」

「こんなに甘いはずがないもん……絶対かさまししてる!」


 確かにこれまでの鬱憤もかねて大匙五杯ほど追加したが。正直そんなに変わらないだろう、その次元にまで達すると。


「どうだ? 中和できたか?」

「……できるわけなかったね、ごめんね」


 意図を汲みかねたか優姫は萎れたように目線を伏せる。言いたいのはそういうことじゃない。


「甘すぎだよね。ごめんね、ずっと」

「そうじゃねえ。お前の作るハンバーグ、ぜんっぜん甘くなかった。クソしょっぱかったぞバカ」

「えへへ……分量、また間違っちゃったのかなぁ」


 ふふっと柔らかい笑い声。目頭に熱い感触がこみ上げてくるのをぐっと抑えた。


「お前の言う通りさ、一緒につくりゃもうちょっと加減できたかもな。時間かけてお前のもっと色んなこと知ってくのも悪くなかったかもな」

「私ももっと、和馬くんのこと知りたかったな」


 目を伏せて優姫は静かに感情を漏らす。

 そんな彼女を尻目に見ながら月の位置を確認した。そろそろ日付が更新しそうだ。


「でももうそれも叶わない。仕方ないことだから。だからさ優姫」

「……?」

「もう一度やり直そうぜ、俺たちの……クリスマス」


 優姫がそっと視線を上げる。ポケットに手を突っ込み最初に感じた冷たい感触をつかみ取る。


「あの時は渡しそびれちまったけどさ……これをお前に」


 彼女の手を取って冷たい手の甲に自らの手のひらを添える。

 今度は落とさない。絶対に。そっと薬指に指輪を通した。

 

「これ……」

「遅くなってごめんな。二ヵ月越しだけど……」


 指に嵌められたその感触を彼女は逆の手の指で確かめる。感覚のない右手の指だったがそれでも彼女は何かを感じたらしい。

 数度の瞬きの後、表情がまた少しほころんだ。優しい涙が伝い落ち次いで彼女は自分の首にかかっていた鎖を引き抜く。


「和馬くん、私からはこれで悪いけど……」


 吊るされているものは彼女に渡したものによく似ている銀色の指輪。


「和馬くん、これ、私が他の男の人から貰ったものだと思ってたでしょ」

「それは……」

「私そんな軽い女じゃないもん。だって私、和馬くん以外に気持ちを寄せた人なんていないんだから」


 優姫は目を伏せた。指輪を手のひらに収め和馬の手を取った。そして和馬がやったように薬指に嵌め込んでくる。


「何かで繋がってる……なんて、そんな曖昧なこと言われても私は不安だもん。死んでも死にきれない。だからこれは、私と和馬くんを繋ぐ約束の指輪エンゲージリング

「約束……か」


 その言葉は温かく和馬の心に染み渡った。

 思い出だけじゃ物足りない。優姫と交わすものが他にも欲しくて。そっと優姫の華奢な肩に手を添えた。


「和馬、くん」

「優姫……あ」


 彼女と視線が重なったとき不意に視界の隅を何かがかすめた。

 窓の外を下に流れていく白いベール。暗闇に包まれていた世界が仄かな純白の光に包まれていた。


「今冬、二回目だな」


 冷たくも暖かい白い光景。この雪を最初に見たのは確か、優姫のために生きようと決意した日だったか。


「そうだ、忘れるところだった」


 世界が幻想的にスローモーションになったような光景を目にして、和馬ははっとしてビジュアライザーを点灯させる。そうしてライブラリリストから楽曲の選択をした。

 月明りくらいしか光源がなく薄暗い病室内、その静寂に優しい前奏が浸透する。幻想的でそれでいてどこか悲しげな。


「NEXUS、だね」

「ああ、くだんのクリスマスソングだ」


 優姫はすぐに曲名に思い至ったようだ。そんな彼女の華奢な肩に軽く腕を回し自身の方へと引き寄せる。


「曲名、Breathing snowだってさ。優姫にぴったりじゃん」

「確かに発音はユキだけど、意味は雪じゃないんだよ?」


 ネット上で直前に聞きかじった情報をひけらかす和馬に、優姫は可笑しくなったように柔らかく微笑った。そんな風にはにかむ彼女はどうしようもないほどに綺麗だ。


「本当はさ、クリスマスの時みたいに街が気を利かせて流してくれればよかったんだけどさ。全く配慮の足りてねえ街だぜ全く」

「私たちの事情なんて、ほとんど知っている人いないんだから仕方ないよ」

「ビジュアライザーで電子音流してなんて、風情もロマンスも何もあったもんじゃねえよなぁ。本当はNEXUSの燎鎖世かがりびさよに生で演奏させたかったんだけど、どこにいるか分かんねえし、そもそも俺のマジョリティじゃ限度額いっぱい使ったって絶対無理だったけどさ」

「そんなのいいんだよ。それにこっちの方が和馬くんらしくて私は好き」


 そう言われてしまっては言い訳をする気も起きなくなる。手の甲に重ねられた繊細な指先が、それ以上の言葉は必要ないと言わんばかりに和馬の指に絡んだ。

 その手のひらはどうしようもないほどに冷たかった。それについて触れるような暴挙には及ばない。手のひらを返して自分からも優姫の指に絡ませる。

 優姫は瞼を閉じて静かに快い音に耳を傾けていた。前奏に合わせて小さく鼻歌を奏でる姿も優姫という人間の新しい発見に思える。

 和馬もまた瞼を落とした。銀色の景色から一変世界は暗闇に包まれる。不思議と寂寥感はない。手のひら越しに優姫の存在を感じられているからかもしれない。

 不安感も何もなくなって和馬の心中には充足感らしきものが浸透を始めていた。これから来る恐ろしい未来を前にして一瞬の感動に浸るように。

 曲に身を任す。



 ◇



白く滲んだ世界だ

歩んできた道は ひどく荒んでいたね

孤独に満ちたその道を

やっぱり僕はひとりで歩んでいたんだ



遠く離れたどこかで 鐘がなる

誰と誰を祝福する 優しい音色かな

なんて 僕はロマンチストだ



心のどこか 内側から何か叩いてる

苦痛の叫びが 聞こえてくるんだ

ねえ きみは今どこにいるの?

いま どこで同じ雪を見てる?

いま どんな夢を見てるかな



荒ぶる気持ちを 何と表現しよう

Blessing snow is falling dance.

自分でも名前が付けられない わがままだ

Don’t lose to sadness. Throw lowly of heart.

心に渦巻いてるのは きっと後悔かな

でもこんなこと 伝えられるはずもなくて

ばかな僕は 君を手放してしまったんだ




白く滲んだ光景だ

巡り合った場所は ひどく荒んでいたね

孤独に満ちたその場所は

だけど僕を 君がつなぎとめたんだ



遠く離れたどこかで 鐘がなる

君と僕を祝福する 優しい音色かな

なんてね 僕はリアリストだ



僕の胸を 激しく君は叩いてる

苦痛の叫びが 聞こえてくるんだ

ねえ きみは今どこにいるの?

いま どこで同じ雪を見てる?

いま どんな夢を見てるかな



荒ぶる気持ちを 何と表現しよう

Breathing snow is falling dance.

自分でも名前が付けられない わがままだ

Don’t lose to sadness. Through lonely of heart.

心に渦巻いてるのは きっとためらいかな

でもこんなこと 伝えられるはずもなくて

ばかな僕を 君は手放さなかった




君はいつも 闇の中

孤独の中に閉じこもる

だって君は 僕をこばんでいるから

居場所が欲しいって 心が泣いてる



私がきみを 照らすから

孤独が何度閉ざしても

きっと私が 君を照らし出すから

居場所になるんだ 僕だけが君の





遠く離れたどこかで 鐘がなる

君と僕を祝福する 優しい音色かな

やり直そう 僕らのクリスマスを



僕の胸に 優しく君はもたれてる

Breathing snow is falling dance.

喜びの声が 聞こえてくるんだ

Don’t lose to sadness. Through lonely of heart.

ああ きみは今ここにいるよ

いま ここで同じ雪を見てる

いま 同じ夢を見てるから





僕の胸に 優しく君はもたれてる

Breathing snow is falling dance.

喜びの声が 聞こえてくるんだ

Don’t lose to sadness. Through lonely of heart.

ああ ホワイトクリスマスだね

いま 祝福のかけらたちが 

そっと 白い幕を下ろした



 ◇



 月明りを反射し銀色に輝きながら降り続く雪を眺める。

 最初に見たのは優姫と本当の意味で分かり合えた日。優姫との関係が音もなく始まった瞬間だった。

 あの時の雪はあたかも背中を押していたかのように思えて。

 そしてこの雪は二人を祝福しているようで。それでいてどこか悲しい。


「なあ、優姫……っ、!?」


 唇に熱い感触が伝わる。

 ほっとするような、冷えきったこの世界の何もかもを包括するような彼女のぬくもり。優しくて穏やかでそれでいてどこに行く当てもない。

 実感する。この雪は区切りの合図なんだ。

 二人の物語はこの雪から始まった。短い時間だったが楽しくて、悲しくて、優しくて、温かい。愛おしくて仕方ないかけがえのない時間。それが今幕を引こうとしていた。

 積もる雪たちが二人の物語に静かに白い幕を下ろしている。

 俺たちの終わりにはふさわしい演出だろう。二か月遅れの俺と優姫だけのホワイトクリスマス。


「っ……」


 ほんの一瞬の接触だった。名残惜しさすら感じる暇もなく彼女の存在が離れていく。

 もう終わる。二人の物語が。二人だけのクリスマスが。


「えへへ、しちゃった……」


 耳まで赤く染めて優姫は唇を離した。恥ずかしそうに目を伏せそれでいてどこか寂しそうに。

 人知れず頬を熱い感情が伝い落ちる。ああ、ちくしょう。


「――――ッ」


 気が付けば優姫のことを抱きしめていた。きつく絶対にもう手放さぬよう。

 彼女の存在に縋りつくように小さな背中を掻き抱く。


「ちくしょう……」

「和馬、くん……?」

「ああ、くそちきしょう! なんだよ、なんなんだよ、これ……!」


 優姫を抱きすくめる腕が震える。体が言うことを気かなかった。堪えられることなんて到底出来なくて。


「嫌だ、嫌だ嫌だ! 往かないでくれよッ、俺の、俺の傍にいて、くれよッ! どうして、どうして、こんな……こんな理不尽なんだよ……!」

「和馬くん……」

「お前を見送るなんて、なんでだよ……どうしようもねえよ!」


 溢れだした感傷は収まらなかった。こんなはずがなかったのに。


「ずっと、我慢しててくれたんだね。私の前では泣かないように、ずっと、気を張ってくれてたんだね……」


 子供のように泣きじゃくる和馬を優姫が抱きしめ返す。その胸に和馬を抱いて優しく頭を撫でていた。

 ああくそ……本当は自分が優姫を勇気づけなきゃいけなかったのに。どこまで無力なんだ。


「……ごめん、取り乱して。みっともない姿、見せて」

「ううん、ありがとう。ほんとにありがとう。私のために泣いてくれて」


 頭を上げて優姫を見つめる。


「和馬くんの涙、初めてだな」

「お前だって、泣いてんじゃねーか」

「私は泣き虫だもん。私ね、そういう優しいところ、大好きだよ和馬くん……ううん、翔陽くん」

「俺だって優姫のこと、大好きだ」


 それを伝えるためにもう一度彼女を求めた。今度はもう思い残すことがないようしっかりと。

 しばらくして離れる。そうして目元を拭い元の位置に座り直した。優姫は揺れる瞳を伏せる。


「和馬くん、私がやり切れなかったことやり切って。結局私は何も掴むことが出来なかったけど……私の死を無駄にしないで」

「ああ、約束するよ」

「言葉では説明しきれないの。だから、私がいなくなったらこれを開けて欲しい」

 

 ベッド脇から引っ張り上げたものは小さめの紙袋。彼女はそれを和馬に渡し指輪のはまった薬指を大切そうに包み込む。

 もうそろそろ時間なんだ。


「約束するよ、絶対にお前の想いは成就してみせる」

「約束だからね」

「ああ、だから待っててくれよ。出来るだけ俺も早くお前のところに行くからさ」

「だめだよ、和馬くん」


 和馬の手に重ねていた手をきつく絞って。


「せっかく私がいい世界にできるよう頑張ったんだから、翔陽くんはその世界できちんと真っ当に生きてね」


 開け放たれた窓枠から無限の光が差し込んでいた。白い光は優姫の目の端に浮かんだ涙に反射する。

 光を失ったはずの黄金色の瞳は、心なしか鮮やかに色付いていて。


「私はいつまでも、」 


 彼女は優しく微笑った。

 吹き抜けた風が彼女の長いブロンド髪を巻き上げ幾筋もの美しい軌跡を描く。黄金色の光が反射して彼女の髪がオレンジ色に染まる。

 一筋の雫が陶器のような頬を伝い落ち、



 いつまでも、待ってるから――――。



 まばゆい光にまぎれて消えた。

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