Extra edition / 和馬 - self foundation
2054年 12月1日(火)
第122話
「
駐屯地である自衛隊広報センターから地下運搬経路を経由しイモーバブルゲートを越えジオフロントへ帰投する道すがら。
大型輸送車両十二台のコンボイに揺られながら、和馬は久々に話題に上がったその富豪家の名を口ずさんでいた。
「まだ俺を照らしてくれてるか? ……優姫」
車窓から流れ行く無機質な地下運搬経路の変わらぬ壁面を眺めながら、ゆっくりと瞳を落とした。
◇
今年の冬は例年と比例してみても異様に雪と無縁だった。
まだ十二月とはいえ例年ならそろそろ雪が降り始めてもいい時期である。
指先の感覚がなくなるほどの氷のように冷たい風。それは休むことを知らずに吹き荒れているのに一切の雪が降らない。
異常気象と言うわけではない。あたかもイモーバブルゲートの内側リミテッドの時間が止まってしまっているかのようだった。
「……胸糞わりぃな」
東京都内23区。渋谷区竹下通り。イモーバブルゲートが建設されてからというものここはゴロツキやチンピラのたまり場となっている。
竹下通りの路地裏一角にて
冷たい風が頬を叩き長い髪をさらって吹き荒ぶ。視界の端で揺れるその髪は脱色に失敗したような澱んだ金の色で、それを見てさらに不快感を抱く。
自分で染めた髪だというのにそんな意味のない行為に及んだ自分に嫌気がさした。
「なんか最近よぉ、アンドロイドをぶっ壊すのもつまんなくなってきてね?」
「んなもんつまんねえって思ってたって、最初っから言ってたじゃねえか」
じめっとしたコンクリ壁に背をつけている和馬のすぐ傍で数人の男たちが下品な口調で雑談している。
耳障りだな。鬱陶しく思いつつ会話のする方へと視線を向ける。
赤さびたナイフや歪んだ金属バットやらの凶器を持っている数人のゴロツキが、地面に転がって燻ぶっているアンドロイドを足で転がしていた。
原形を留めないほどにまで破壊され既に機能していない機械。これはリミテッド建設時に23区全域に配備された警備アンドロイドである。
もともと警備アンドロイドには銃器が内蔵されていてリミテッド内部で起きる暴動を鎮静するシステムが搭載されている。
しかしこの渋谷区一角においてその警備システムなど意味を成さない。
竹下通りには現在和馬たちのような荒れた人間しか住んでいない。そういった事情から防衛省はこの区画を監視する探査ドローンの配備を中止した。
結果アンドロイドはドローンの犯罪防止プログラムの受信をできなくなった。無作為な銃殺権限など有していないため警備システムのほぼ百パーセントを抑制されてしまっているのである。
このアンドロイドもたったさっきこの男たちが徒党を組んで襲った物だった。勿論その男たちの中に和馬も混ざっていたわけだが。
「そもそも、こんな機械ぶっ壊したところで何の憂さ晴らしにもなんねえんだよ」
「あー人間殴りてえ」
「殴る人間すらいねーじゃねえかこの竹下通りにはよぉ」
「……はぁ」
男たちに感付かれないようさりげなくため息をついた。壁から背中を離し彼らに背を向けて路地裏の外へと向けて歩み出す。
「おい和馬、どこ行くンだ?」
「今日はもう帰る。気分が優れねぇんだ」
彼らの溜まり場を後にして路地裏から身を乗り出す。
先までの喧騒が嘘のような静寂に途端に包まれ、なんとなく心が落ち着くのを感じながら車道を進む。
現在時刻は深夜一時過ぎ、当然人の姿はない。今が平日の真昼間だったとしてもここは変わらず殆ど人がいないのだが。
節電のためか一帯の街灯は半分ほど消灯している。
社会からのあぶれ者、不適合者である和馬たちにはそれくらいの環境がお似合いだということだろう。皮肉な話だが妥当だと思った。
あたりは薄暗い闇に包まれている。明かりという明かりは雲の合間から顔を見れ隠れさせている仄かな月明かりくらいのものだ。その光を頼りにしながらなんとなく歩を進める。
ふとひび割れたショーウィンドウに自分の姿が写っているのを見て足を止める。
「何やってんだろな……」
身に纏っている余りにも軽装な服を見て無意識的にそう呟く。
金色に染めている頭髪も含めて全ては自分を飾って主張しているに過ぎない。
そうして現実を逃避することしか出来ない自分を垣間見て、今一度誰に向けるわけでもなく胸糞わりぃと言葉を漏らす。
今から二か月ほど前まで、旧東京23区リミテッド内全域ではチンピラが徒党を組んでは民間人を襲う事件が相次いで起きていた。
もともと治安が悪い地域では日常茶飯事的に起きていたことではあるが、ここ二か月前まではその数が加速度的に増加していた。
和馬もまたそのチンピラの内の一人。数ヶ月で数十人単位の都民を襲っては識別カードを奪い、警備アンドロイドを破壊してはそれを転売して闇商売をする。二年半ほど前から毎日そんなことを繰り返していた。
当然そんな治安の悪さが長々と容認され続けるはずもなく、探査ドローンの管制下でそのような破壊工作行為があった場合、警備アンドロイドによる即射殺の容認が報じられたのである。
それが施行された二年前以降アンドロイドを破壊する事件は極端に減ったが、近年になって反比例するようにドローンの監視がない区画での殺人行為が増え続けた。
さすがにこの政策ではチンピラたちを抑制しきれないと、2054年10月防衛省は更なる政策を考案した。
渋谷の一角をチンピラたちの天下としそこでは一切の法による抑制が存在しない。つまり本当の意味での無法地帯に指定したのである。
チンピラたちはここぞとばかりに渋谷に集まりそこで防衛省の目的を目の当たりにすることになる。
渋谷区一角の外周区には無数の軍用A.A.が配備され、チンピラたちの区外への移動を不可能にした。簡単に言えばこの渋谷区一角に隔離したのである。
マスメディアでは隔離した不良どもを一掃するかなどという憶測が飛び交ったが、防衛省はあくまでも不良群の反感を買わないために無法地帯制度自体は撤回しなかった。必然的に探査ドローンは全て回収されアンドロイドだけが残される。
その環境も相まって、チンピラたちはそれからの二か月間区画内部での天下と言う肩書きに甘んじてきた。
元々の23区でそういう破壊工作が勃発してしまっていたことは無理もないと思っている。
実際に和馬もまたチンピラになったことでそれは痛いほどに実感していた。その原因はこの東京23区そのものにある。
何気なく周囲を見渡すと背の高い建造物が至る所に存在している。
ビルやマンションに加えて得体の知れない企業名の大きく綴られた建物や用途不鮮明な工場。
また何やら『東京都都市化計画』という文字を点灯させるネオン掲示板。そういったものが空間を埋め尽くし息苦しさまで覚えてしまう。
「何が都市化計画だ。こんなもん、ただの隔離体制じゃねぇかよ」
そんなことをぼやくのもかれこれ何回目だろう。そんな行為には一切の意味が無いことは理解しているため舌打ちを一つ付くだけに抑える。
東京都都市化計画。これは2052年5月に施行された計画だ。
アジアのとある国の核ミサイル実験に対する予防策として。ナノテクノロジーを用いることで核ミサイルに対処するシステムと広報されているが、詳しいことはどのマスメディアでも公開されたことはなかった。
様々な政策が広報されたが、そんな中でも住民の反感を買ったものは23区のエリア・リミテッドへの改名。それに伴い23区の外周区には明確な壁が築かれたのだ。
イモーバブルゲートと呼ばれる超強固な鉄壁による物理障壁。そしてその上方に展開している軍事兵器対策の高周波レーザーウォール。物理障壁には様々な化学兵器の固定砲台が設置されているだとか。
詳しいことは解らないが、そういった対外交流を完全に遮断する政策が施行されたのである。
23区は完全自治体へと変貌を遂げていた。東京都内部で水道電力といったライフラインを賄う体制になり、結果リミテッド民は壁外とのアクセスが極端に取り辛くなった。
壁を越えられないわけではない。むしろイモーバブルゲートの関門を正式な手順を踏んで越える世帯も続出し、23区の人口はかなり減ったと言える。
しかし23区外への転移は現実的ではない。加速度的に人口爆発を起こしている日本の都会には、それだけの数の人間たちが移り住める余裕はなかった。
結果八割以上の住民が事実上壁を越えることが出来ずリミテッドの内側に閉ざされたのである。
それは就職などに関しても同じで、ここ一年間の間に大量の失業者と非雇用者が増えた。
そんな状況下であったから働く場所を失った若者たちはこうしてチンピラとなって、都内を騒がせていたのである。
結果今年の十月にそうした連中はこの区画に隔離されてしまったわけだ。
「考えてみりゃ、相当間抜けな話だよなぁ」
考えてみれば解る話だった。そもそもとして国がチンピラどもの覇権を容認するはずなどがない。
区画外に留まった社会不適合者もいるだろうが、大半が隔離されている今そういう者たちはおそらく何かしらの暴動を起こせば即刻鎮静化される。
防衛省の目論み通り、もともと最大の懸案事項であったはずのチンピラはこうして無力化されたわけだ。
「まさに籠の中の鳥ってか、はは、笑えねえ」
首輪を付けられたハイエナといった方が正しい気もするが。
周囲を見渡すとちらほら人影が見える。大半が中年だが中には学生にも見える者がいる。おそらくは東京都都市化計画によって親が失業したのだろう。
もはや悪行を働くつもりすらないのか、四六時中同じ場所に寝転がっている者や中にはそのまま野垂れ死ぬ者もいる。
同情などする気はないが、かと言っても当然の処遇だと鼻で笑う気分にもなれない。
かくいう和馬もまた二十一でありリミテッド建造までは大学にも通っていた身であるからだ。
「はぁ……」
自宅への帰路を辿りながらゆっくりとため息をつく。
どのような理由があるにせよ今やっていることに意味などはない。
日々することもなくアンドロイドを破壊し、既に荒らされ尽くしている繁華街に押し入り食い物をあさる。単独行動をしているチンピラに対し徒党を組んで襲っては略奪。
別に楽しんだり金に困って襲って金を搾取しているわけではない。
渋谷区隔離区画には事実上スファナルージュ・コーポレーション生産のレーションなどの食料品の配給は継続してなされている。その大半はチンピラ上層部の連中が独占してしまっているわけだ。
彼らからしてみれば社会的弱者は全員野垂れ死ねということだろう。
こういった行為に及んででも食い物を求めて争うのは致し方ないことである。だがそれも周りに併せてやっていたに過ぎなかった。
やりがいなど見つけられるはずもなく、暇をつぶそうにもキャバクラや枕業などがまだ発展してるはずもなく。存在していたとしてそんなものにも興味は沸かなかったろうが。
こんな環境で生き永らえているのならば、防衛省の思惑通り死んでもいいとさえ思っていたのである。
この腐れ切った自分の居場所と思えなくなってしまった街の中で。ずっと宛もなく彷徨い続けているのだ。
「あ……」
繁華街の中央、喧騒を忘れてしまったような深夜の摩天楼で。和馬はその少女に出会った。
電源のついていない電光機、背の高いネオン看板。その上に黒いタイツに覆われたスラリとした脚を投げ出して座っている少女。
黒のコートに身を包んだ彼女の風に煽られ溢れ出す長い髪。それは廃れ切った闇の中で月明かりに照らされ眩く金色に輝いていた。
何よりも目を引いたのは、その内の片方の目を覆っている上品な純白の眼帯。
ほの暗い満月をバックにしている少女の姿は幻想的なまでに美しくて。
「あなたも、私とおんなじなのね」
ずっと、じっと魅入っていたくなる少女の姿。
ゆっくりとこちらを見つめ返してきた彼女と目線が合うと思わず目を逸らしていた。
せせらぎの様な澄み渡る声に形容し難い安堵感を覚えてしまっている。
少女は何も言葉を返さない和馬のことを三メートルほども高さのある看板の上からじっと見下ろしていた。
「あなた。なんで黙ってるの?」
「あ、いや」
「もしかして危ない人? 大声で人を呼んでいい?」
「呼ぶにしても俺本人の許可を取んなよ」
働かない口を無理やり動かして応じる。彼女はそんな和馬のことを見やり、こちらを品定めするような遠慮ない視線を浴びせてくる。
「その反応からして呼ぶ必要はなさそうね」
「ここではそんな確認なんてとってる暇がないのが日常茶飯事だぞ」
「ふーん。あなた、ここでの土地勘に強そうね」
興味深そうな瞳。再びそれに魅入られそうになっていると彼女は看板の上から飛び降りた。
身軽な着地。少し大人びた黒のスカートがふわりと危うく舞い上がる。
それをヒヤヒヤしながら見ていると彼女はどこか気品のある足取りで歩み寄ってきた。
手の届く距離で足を止め至近距離でじっと顔を見つめてくる。
「うん、やっぱり私とおんなじだね」
端整な顔立ちが迫り条件反射的に目を逸らそうとした時、彼女はどこか満足そうに柏手を打つ。
「同じって、お前何言ってんだ?」
「ゆき」
「は?」
「名前よ名前、私の名前。
どことなく浮かべられた無邪気な微笑み。こんな廃れに廃れ切った竹下通りでは、毛ほどにもなくなってしまった笑顔だった。
「初対面の男に名前晒すな。ここでその行為がどういうことなのか解ってんだろ」
名前を晒すということは、この竹下通りというより渋谷隔離区画内ではチンピラどもに対する威嚇行為となる。
つまり、ここは俺の覇権じゃオラよそ者は出てけやということである。
そんな自殺行為をする人間が未だこのスラム街にそれもこのような少女がいるだなんて思ってもいなかった。
「そうやって気遣ってくれてる感じ、あなたは怪しくなさそうだし大丈夫。というかお前じゃなくて優姫だってば」
「いやあのな」
「それで、あなたの名前はなんていうの?」
この女本当に解っているのか。一度灸を据えてやった方がいいかだなんて思考に至るものの、そんな度胸もつもりもないことに気が付く。
この優姫とかいう女、こんなオープン思考でよくこれまで犯されなかったものだ。むしろ最初からそのつもりで和馬に声をかけたのか。
「言っとくがこの辺じゃ、これくらいでどう? なんて交渉もなしに問答無用でその場で襲われるのが基本だからな。まあ襲う相手もいないが」
「これくらい? 何の話をしているの?」
指を三本立ててみるが彼女は素で何を言っているのか解らなかったようだ。
よもやこの区画内に穢れていない女が存在しているとは。穢れていない保証なんてないのだが。
「それであなたは何て名前なの? 私にだけ言わせて自分は教えてくれないの?」
「言わせた記憶はないんだけどな」
「初対面の相手には自己紹介するのが社交辞令なのよ。この隔離区画の人たちはみんなそんな教養もないの?」
「教養も何も、ここは法の拘束が一切効かない無法地帯だからな。常識が常識なりえない区画だ。まあいいか和馬翔陽だ」
名乗らずに場を乗り切れそうにないと判断し渋々自分の名前を教える。
こんな面倒な女無視してもよかったが、今の時世、皆が和馬のように紳士ばかりなわけではない。
というか紳士などほぼ存在しない。社会不適合者、世間からのあぶれもの。そういう者しかいないのだから。
この様子では和馬が彼女の前から消えたら優姫は他の男どもに声をかけるのだろう。
それが普段つるんでいるチンピラ連中だったりしたら。想像しただけでも怖気が走る。
あの連中はこの辺を牛耳るチンピラ派閥の中でも有数の権力掌握組。
犯され貞操を奪われるだけでは飽き足らず、きっと彼女は全身の臓器まですべて失うことになるだろう。そういう場所なのだここは。
「和馬くんね、うん、よろしくね」
「自分から聞いたくせにひどく興味なさそうだな」
「言ったでしょ、社交辞令だもの。名前に意味なんてあんまりない」
と言っては和馬の顔を再度品定めするように見つめてきた。
自然と眼帯に目が引きつけられるが、それについて問うのはさすがに失礼かと考え直し目を無理やりそらす。
「それでおま……葛城、結局同じってのだが、俺とお前何が同じなんだ?」
「結局お前って言ってる」
意味なんてないといったくせに何故そんなにも名前にこだわるのか。
「きみ、なんだか死んだ魚みたいな目をしてるんだよ」
「失礼なやつだな」
「あ、違うの。なんて言うかな……私と同じで、なんだか楽しいことなくて、それで不貞腐れてる感じって言うかな」
口元に指を添えて考え深げに唸る優姫の横顔を見つめながら、何を言わんとしているのかに検討を付ける。
どうやらこの少女は初対面の和馬の内側にあるリミテッドへの疑心や不満に感づいてしまったらしい。その影を自分に重ねている。
まあ感づくも何も、ここ渋谷に残存する者たちは皆等しく抱く感情ではあろうが。
「変な奴だな。お前は不貞腐れてるようには見えねーけどな」
内を覗きこまれたことへの動揺を気取られぬよう、ひどく澄ました顔でそう応じた。
優姫は特に気にも留めた様子もなくすぐ傍にあったゴミ箱の蓋の上に腰を下ろす。
この区画ではありえないほどに上品な服。それが汚れてしまうと思ったが優姫はそういうのを気にする性格でもないらしい。
その大雑把な性格から鑑みても、どうやらこの世間知らずのお嬢様はここに来てまだ間もなそうだ。
もちろんチンピラ天下の渋谷一角における世間だが。
「そうでもないよ。だって私、家の決まりごととかがいい加減嫌になって家出してきたんだもん」
「家出?」
「うん、それで誰か泊めてくれる優しいオジサマでも居ないかなーと思ってたんだけど……なんだか人が全然この辺いなくて」
幸いここは一番街から外れているため大通りに人は少ない。
もしオジサマがいてもそのオジサマは確実に優しくはないだろう。一晩泊める代わりに優姫の身体を隅々まで散々堪能しそうなものだ。
「それで街が見渡せるかな、って思って看板の上に座ってたら、和馬くんが見えたんだ」
「人がいないのは時間帯もあるが俺みたいなチンピラしかいねーぞここには。そんな思考だとお前、数時間ともたずに食われんぞ」
何の警戒心もなくペラペラと事情を話してくる優姫。そんな彼女に言い知れない苛立ちを覚えあえて自分が社会不適合者であることを伝える。
「和馬君がチンピラ?」
「ああそうだよ、ほらさっさとどっか行け、襲われたくなかったらな」
案の定と言ったところか優姫はぽかんとした表情を浮かべたが、突然表情を弛緩させ上品にも手の甲を口元に押し付けて小さく笑いだす。
「……そうやって見栄張って、楽しい?」
「は?」
「やっぱり私とそっくり。今の情勢、色々嫌なこといっぱいあるしね。あなたの気持ちよくわかるよ。自分の居場所を見失っちゃったんだね」
「お前、何言って……」
「それなら私が和馬くんの居場所を作ってあげる。だから和馬くんは私の居場所になって」
思わず言葉を失った。
この女は何を言ってやがるんだ? そんな形のない疑念と彼女は本心からそんなことを言っているのかという疑惑。
様々などろどろとした感情が脳裏を過ぎっては消えていく。
「私も自分の居場所なくしちゃったんだ。家はあるけど、でもあの家は……パパとママがいるあの家はもう自分の家に思えないの。だから家出したんだ」
「それはまあ分かったが俺が葛城の居場所をつくるってのは一体どういうことだ」
「平たく言えば、私を泊めてってことかな」
なるほどそういう魂胆か。
一見無害そうな和馬を信じ、この少女はこの区画での寝床の確保をしようとしているわけだ。
和馬とてまったくそういう欲がないわけではない。世間をなめ切っているこの少女に手を下すことだって出来るのだ。
「和馬君なら信用できそうだし。それに私を匿ってくれるって約束するなら、私は和馬君に何をされても文句は言わない」
やはり言葉を失う。この少女は一体何を求めてこんなことを言っているのか。
見た目からの判断でしかないが、この少女は決して軽軽と自分の身体を売り渡すような人間ではあるまい。
つまり今の発言はそこかしらの覚悟と賭けで発せられたものだ。
和馬がそういう行為に及ばない比較的常識ある人間であると踏んでの言葉。あるいは自身の貞操をはく奪される危険性を冒してでもこの場にとどまらなければならない理由があるのか。
出会って早々、全くと言っていいほど得体の知れない和馬を何故そこまでして信用しているのか甚だ理解が及ばない。
そもそもなぜそこまでして匿って欲しいのだろう。自分の貞操を放棄してまで家出を止めさせられたくないのか。本当はもっと何か理由があるんじゃないのか?
「あのな、お前アホか。お前みたいな目を引く感じの女がそんな迂闊なことするんじゃねぇ」
「お前お前ってさっきから私は優姫だってば」
むっとしたように頬をふくらませる彼女はさておき。
「いいか? お前みたいな女がこの場所をウロウロしてることがまず前提的におかしい。ここは一般人が迷い込んでいい場所じゃねえ。ここは社会不適合な危ない連中を隔離した場所で、かつここにお前みたいなやつが入ってくるのは、狼の檻に子豚を一匹投入するようなもんだ」
「子豚って……せめてキリンにして」
「狼はキリン食わねえだろ」
「そうなの? ならせめて国産一等豚にしてよ」
「格付けの問題なのかよ」
この女本当に自分がどんな場所にいるのか解っているのか。
「とにかくよ、お前みたいな奴は基本すぐに襲われて身包み剥がされる。これまで手を掛けられなかったのが奇跡みたいなもんだ」
「今和馬くんに手を掛けられてるよ?」
「そういう意味じゃねぇ……いやそうだな。俺だって不良だ、お前に何するかわかったもんじゃねぇぞ? とにかくだ。葛城みたいなみてくれの綺麗なやつは襲われかねないからさっさと帰れ」
ここに来てしまった以上、渋谷外に帰ることなんて出来ないのだが。
「うん解った。じゃあ変な人に襲われないように和馬くんに匿ってもらう」
「お前俺の話聞いてなかっただろ」
ゴミ箱から足をおろして手首を掴んだ彼女にはもはやため息しか出ない。
和馬自身が不良であると言ったばかりなのにどうして何一つ疑いもしないのか。
「聞いてたよ」
「聞いてねえだろ、あのなだから」
「もう煩いな、いいから早く家に連れていって」
「……もうどうなっても知らねぇぞ」
ぐいっと手首を引っ張ってくる彼女を前に無意識的に諦めの声を紡いでいた。引かれる腕を振り払おうとするが直前になってやはりやめる。
どうしたことか彼女と会話をしていた間、心なしか鬱憤が和らいでいた気がする。
彼女と言う人間と交わることに温もりのようなものを見出していた。
自分の中に湧き上がる不可解な感情。それに名前をつけられず戸惑いただ引かれていくことしか出来ない。
◇
出向いた場所は竹下通りから少し離れた地点にある原宿ヒルズ。
それを取り囲むように高層建造物が無数に立ち並ぶ摩天楼、そんな中で出向いた建物はひときわ背の高い複合施設だ。
もちろん内蔵ショッピングモールとしての機能は失われているが、この複合施設にはマンションが内蔵されている。部屋はその最上階にあった。
「ボロい部屋だね」
部屋に足を踏み入れたと同時紡がれた第一声がそれだった。
彼女は扉を開けるなり、明かりのついていない廊下を見回しては興味深そうに壁や靴箱に触れボロいボロいと連呼する。
「ここ、渋谷でも一等地の高級マンションだぞ……?」
渋谷内部の施設はどこも経営主や従業員たちもこぞって渋谷外部へと離脱している。
それ故にチンピラはセキュリティなど気にせず好き放題窓を割っては侵入し寝床としていた。
原宿ヒルズを始めとする上流階級の最高級マンションやビル。
そういった施設などはチンピラの覇権争いで上位に君臨する者たちが牛耳っているが、このマンションはそこまでのグレードではない。
原宿摩天楼の一等地一角といえど幅広い土地の中だ。わざわざ低グレードの施設にねぐらを作るチンピラたちは少ない。
だからこうしてその中でも誰にも目を付けられていなかったこの複合施設を寝床にしていたわけではある。
とはいってもあくまでも高級マンションであることには変わりない。庶民層からしてみれば夢のまた夢のような部屋なのだ。もちろん家賃などは払っていないが。
一体この女は何が不満だというのか。どれだけ贅沢な暮らしをしてきたのならばそんな発言が口をついて出てくるんだ?
「ボロいけど、でもこの匂い好き」
蛍光灯を点灯させ暖房器具をオンにする。
勧めたソファに上品に腰を下ろした彼女は肘掛に肘を添えながら無遠慮に室内を眺めまわしていた。
全くとんでもない状況になった。女を自室に招待するなんてこれが初めてなのだ。
惑いながら彼女のコートをハンガーに掛け尻目に様子を伺う。どことなく興味津々に部屋を見回す彼女。
長いあいだ自分以外誰もいなかったこの部屋なのに優姫の様な少女がいることに新鮮さと違和感を拭い得ない。
インスタントコーヒーを煎れガラステーブルを境に彼女の向かい側に腰掛けコーヒーを差し出した。
「んで、だ。とりあえず連れて来たはいいが、泊めるとは言ってないわけだ」
「えぇ和馬くん酷い。私はもうお風呂入って寝ちゃうつもりだったのに」
「お前遠慮とかなさすぎだろ。てかなんたってそんな無用心な……」
どことなく楽しそうに部屋を見回す彼女を見ていると、勝手な彼女の思考に対する憤慨など忘れてしまう。調子を乱されてばかりだった。
「まあいい、それより泊めるとは言ってないわけでだ」
「このコーヒー美味しくない。色からしてモカだと思ってたけど、匂い全然違うし加工品みたいな味がする。コクもなにもない」
「インスタントコーヒーにケチ付けんなよ。何求めてんだお前。てか話逸らすな」
話を逸らすことが目的ではなく本当に不味かったようで彼女は渋い顔をしてカップをソーサーに置く。ナプキンで口元を拭い小さく溜息をつく。
そうしてソファから立ち上がり突然深々と頭を下げた。
「和馬翔陽くん、この度はお招き頂いてありがとう」
「え? ああいやまあいいんだが……いや招待してねえよ」
「いいって言ったね。ありがとう、遠慮なく泊まらせてもらいます」
「それとこれとは話が別だ」
おかしな敬語の謝辞。返事に戸惑っているうちに彼女はニコリともせずに今一度ソファに座りなおす。
そうしてスプーンでコーヒーを混ぜては渦巻く表面とにらめっこをし始める。
出鼻をくじかれ彼女がここに泊まるという案件について切り出せなくなる。致し方無くそんな彼女のことをじっと見つめた。
スラリとしながらも出るところは出ている体躯。それを包む服装は素人目にもわかる高級そうで上品なものばかりである。
流れるような長い金の頭髪は絹のようでとても丁寧に手入れされている。素直に綺麗だと思った。
そして視線は彼女の右目に止まる。そこには純白の眼帯がつけられ目は全く露出していないために見えない。
「ああ、これ?」
じっと見つめていたために、眼帯に軽く指を押し当てながら優姫は何度か瞬きをした。
「別に気遣かわなくて大丈夫。むしろね、一切これについて和馬くん聞いてこなかったでしょ。それ自体がありがたく思う。私が無条件に和馬くんを信頼して家までついてきたのは、それが理由として大きいのかも」
「いや別に興味がなかっただけで」
「やっぱり、気になる?」
「気にならないと言えば嘘になる。でもお前が深くまで触れて欲しくないなら、別にいい。俺たちはあくまでも赤の他人だからな」
「優しいね。でもいいよ、泊めてもらうお礼に見せてあげる」
そういってさりげなく確約させて既成事実作ろうとしても無駄だぞ。
「むぅ……和馬君、結構手厳しいね」
「今の時代対価なしで泊めて貰おうだなんて甘いんじゃい」
「対価交換っていうやつかな。まあいいよ、見せてあげる」
優しく微笑みながらそう告げ彼女は後頭部に手を回してゆっくりと眼帯を外した。
露出した彼女の瞳は右の透き通るような色に比べひどく澱んでいた。
純水に濃い絵の具を垂らしたかの様な濁り方。黄というよりは黒の色に近い。
「私ね、盲目なんだ」
「目が見えないのか」
「ううんまだ初期段階だから右目も完全に失明してるわけじゃないの。でも、後数年でこっちの目は見えなくなっちゃうんだって。でも左目はお婆さんくらいの年齢になるまでは完全に失明はしないらしいんだ」
「……そうか」
そんな彼女にかける言葉を持たず、そこで言葉を切る。
彼女の世界はすでに半分近く光を失っているわけだ。いずれは闇に閉ざされ触れられるものにも触れられなくなる。
そこに恐怖がないはずがないだろう。そしてこの区画いや世間の中でも、それは彼女にとって明確な弱みになる。
彼女は何故そんな事実を教えてきたのか。
長い髪をかき上げ眼帯をつけ直した優姫。和馬をじっと見つめては瞬きひとつせずゆっくりと唇に切れ込みを入れる。
「和馬くん、迷惑なら出てくよ。ううん迷惑じゃないはずがないよね」
「なんたってお前、俺を信用してんだよ」
真剣な眼差しにはこの目のことを理由に同情はするなとでも言わんばかりの光があった。
たとえ完全にその目から光が失われても、きっとその強いプライドに似た光は消えることはないのだろう。なんて卑怯な女だ。
「これは完全に私の感情の押し付けだけど、和馬くんを一目見てあなたと私はそっくりだと思ったの。同じ境遇だからこそ、あなたは私のことを理解してくれるって」
「境遇、か」
彼女はきっと何かを隠している。
和馬らが似ていると言っているがそれはきっと嘘だ。似ているように見えてその実全く違う境遇に立たされている。
優姫はきっと和馬なんかよりもずっと重たいものを背負っている。
「自分の居場所じゃなくなったこの世界で居場所になってくれそうなきみを見つけた」
「変な奴だな」
頬をポリポリと掻きながらその場から立ち上がった。突然ことが進みすぎて全く思考が追いつかない。
とは言え和馬もまた自分の中に、この葛城優姫という少女に対する興味や好奇心のようなものが芽生え始めているのも事実で。
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