第70話
「限界高度にまで到達。レーザー誘導ミサイル、迫撃砲の射程範囲外です」
シエナのその言葉に時雨は安堵の域を思わず漏らしていた。
未だ防衛省の包囲網の渦中から抜け出せずにいる状況、安堵などしている余裕などないはずなのだが。
「至急、本拠点、旧東京タワーへと帰還せよ」
幸正は時雨の様に気を抜くことなど知らず操縦桿を握るシエナに指示を出す。
「最短ルートで向かいますか?」
「油断大敵。敵の包囲網から抜けたとはいえ、まだ索敵範囲内ではありますぞ。迂回し、本拠点に向かうべきではないですかな」
機体内に横たわっている見慣れない男性。レジスタンスの正装を身にまとったその人物は負傷しているようだ。
そんな隊員の応急処置をとっていた酒匂が操縦席のシエナに後ろから指示をする。
「えっと……」
「酒匂の言うとおりにしてくれ。デルタ2ルートを迂回し、港区を迂回する形で帰投せよ」
そのような指示が飛び交うなか窓の外を視認する。目で見える限りでは機影はない。夜中の暗雲すれすれの位置を飛んでいるため、地上からこちらを確認することも難しいだろう。
距離を保って追跡でもされていない限りはこちらの位置を特定されることもない。
凝り固まった疲労を吐き出すように座椅子に腰を落ち着ける。
「……どうして戻ってきた」
「どういう意味?」
不審げに問い返してくる真那。時雨にとってその反応の方が不可解なのだ。
「空爆を受けたわけだろ。当然あの場所から離脱していたはずだ」
「その通りだ」
「あの状況下、俺の生存確認だってできてなかっただろ。無線も遮断されていた」
「ごもっともだ。実際俺たちは貴様を死んだものと見なしあの場所から離脱していた」
容赦のない幸正の一言だがそれは当然の決断だ。予測不能な空爆を受けた直後なのだ。新たな増援部隊が押し寄せるまでその場にとどまるような危険は冒せまい。故にそのことを責めるつもりは毛頭ない。
だからこそ解らなかった。あの無線すらつながらなかった状況下でどうしてあんなにも早く真那たちの救援が来たのか。
「何故生死の確認すらできていない貴様のために、あの危険な場所に舞い戻ってきたのか。それが気になるようだな」
レジスタンスの方針上、レジスタンスの存亡にかかわる状況ならば平気で隊員を見殺すものだと考えていた。実際棗ならその決断を下すことだろう。
「それについての回答は単純だ。そこの聖が貴様の救出を進言した」
「真那が?」
「…………」
少し驚いて真那を見やる。彼女は何か応じることもなくじっと見つめ返してくる。返事がないということは肯定ととっていいのだろう。
「なんですか時雨様。あからさまにUMN細胞数値を増加させて。あなたはあれですか。勘違いしやすい近頃の小学五年生ですか」
「いやなんでもないが……」
そういいつつも真那から眼を逸らせない。
これまでの真那ならさして棗と変わらない決断をしたはず。こんな危険を冒してまで救出にのり出さなかったはずだ。何か心境の変化でもあったのか。
「時雨様が考えていることはありありと想像できます。ですが過度な期待を抱いてしまう前に断言いたします。それはありえません」
「まだ何も期待してなかったんだが」
「どうせ『真那の攻略ルートに入った』とか妄想されているのでしょうが。違います。断言します。違います」
二度も言うな。そんなことは分かっている。
「真那様が時雨様を救うと決断したのは、あくまでも時雨様の存在の影響力ゆえです。時雨様はレジスタンスの一隊員として枠づけされていい人間ではありませんから。時雨様の性格や本質はともかく。時雨様は今のレジスタンスには必要不可欠。失っては大損失なのです……何故だかわかりますか?」
「さぁ」
「時雨様には私が付いているからです。この超高性能AIである私が。あれですよ、つまり真那様の時雨様救出の理由。『最新鋭人工知能。今なら操縦兼使用人の低能時雨様が付いてくる!』このフレーズにひかれたんですよ、そうに違いません」
「人を週刊誌の付録みたいに言うんじゃない」
「……私が時雨を助けた理由?」
ビジュアライザーを小突く時雨を不思議そうに眺めていた真那。彼女は少し考え込むような仕草をする。
「解らないわ。目を覚まして時雨と唯奈の姿が見当たらなかった。助けなきゃって思ったの。たとえ可能性が僅かしかないにしても」
「それはあれですか、自分でも名前の付けられない感情が募ってきたとか。そういうものでしょうか」
「馴れ合いはその辺にしておけ。ここはまだ戦場だ」
「そうですぞ。いついかなる時でも気を抜いてはなりませぬ。激戦区を抜けてもなおリミテッドは我々にとっては檻の内側。猛獣で溢れかえった檻なのですからな」
船坂と酒匂の叱責に思わず言葉を失う。怒気の孕んだ声ではないが有無を言わさぬ圧迫感がある。
それからしばらく機内には静寂のみが流れていた。酒匂たちの叱責のためというわけではない。黙り込むことで現実を直視せざるを得なくなっていったのだ。
「今回の一件、あまりにも損失が大きすぎました」
口火を切るように現実を言葉にしたシエナ。その発言はひどく現実を直視していて。無理やり頭の中から消し飛ばそうとしていたアクチュアリティを、垣間見させる。
「人的被害。軍兵器、それを含む資源的な損失。何より精神的なダメージが大きすぎます……唯奈様の死も拭いきれない痛手です」
考えないようにしていたことをシエナが擦り付けてくる。目を背けるなと。
機内の空気が冷えていくのを感じた。感覚的なものに過ぎないのだろうが。
「何があったの? 私たちとはぐれた後に」
「空爆を受けて施設が崩壊しただろ。俺たちはそこから離脱できなかった」
その瞬間の光景が、スクリーンに映し出されるようにまぶたの裏側に張り付いている。
ガラガラと崩れゆく天井。照明はすべて消え光が差し込むこともない無機質な空間。
暗闇に閉ざされたその場所で唯奈は。
「柊は、俺を庇って瓦礫に呑まれた。あの状況下では、助かってないだろうな」
「……そう」
真那は表情を歪ませることはなかったが、どこか悲哀そうにただ短くそう述べた。
瓦礫に呑みこまれた瞬間の唯奈の表情がぶり返す。彼女が命を落としたのは時雨のせいだ。その責任、後悔は後を継いで止まない。
「レジスタンスへの打撃、急所を突かれたわね」
「佐伯・J・ロバートソンの策略にまんまとはまってしまったわけだ」
「今考えれば、イモーバブルゲート外部の拠点の壊滅も私たちをおびき寄せるためだけの演出に過ぎなかったのかしら」
「誘導か……」
そう考えて間違いはないだろう。無慈悲かつ限界を知らないデルタボルトによる狙撃。それを受けてはレジスタンスも行動に出ざるを得ない。次なる狙撃ポイントが本拠点に定められる可能性も否めないのだから。
それ故に十分すぎる武装でデルタボルトに乗り込んだ。本来ならば形勢的にもこちらが不利になることのない人員でだ。
その慢心によって生まれた虚を佐伯は突いたのである。誰が予測などできるだろうか。U.I.F.が何十人も内部にいる施設に空爆をするだなんて。
ただの囮作戦ではない。あれは紛れもない目くらまし作戦だ。あの空爆はデルタボルトにいたU.I.F.たちの知る由もないところで計画された作戦。
ここから考察できる事実は一つしかない。
「防衛省内部で分裂が起きている……?」
「昴様の憶測の信憑性も色濃くなってきましたな」
「どういうことだ?」
「佐伯・J・ロバートソンの、工作に関することですぞ。あの者が省長である伊集院純一郎の認識の枠外で、何やら画策しているという可能性」
「これまでの幾度とないデルタボルト使用。それらにはすべて、佐伯局長が関わっていた。それは間違いない……そこから考察するに佐伯局長は伊集院純一郎の指針に反する政策を掲げている」
「今回のクラスター空爆も、完全に伊集院純一郎は虚を突かれたでしょうな。レジスタンスの反旗のみに対策していたのならば、今回の空爆は未知の事態。佐伯はなぜ自身の統括者たる伊集院に牙を立てたのでしょうな」
疑問は重なるばかりだ。佐伯の目的は一体なんだったのか。伊集院に敵対する結果を伴ってまで何をしたかったのか。
レジスタンスの抹殺か。それにしてはあまりにも大がかりすぎないか。レジスタンスの主格たる棗があの場に同伴しないことは分かっていたはずだ。事実上の壊滅にまで陥れられないことも。
なぜこんなリスクを冒してまで空爆作戦に出たのか。
「何か別の目的があった?」
「これに関しては憶測を並べても致し方ないだろう。まずは、」
「メイデイ! メイデイ! 応答しろッ!」
大喝が無線越しに響いた。
「こちら救援ブラックホーク。オーバー」
「和馬だ! 場所は第三統合学院! 問題が発生した!」
「問題……? 何が起きている」
途端に機内に走り抜ける焦燥。時雨もまた悪寒が背筋を舐める感覚に翻弄されていた。
「いま学園は酷いことになってやがるッ。滅茶苦茶だ、学生も民間人もすでに何人も殺されてる!」
「っ、何が起きた!?」
切羽詰ったような彼の言葉。思わず話を遮るようにして彼に問い詰める。
「相当数の学生によるレボリューション。それが今起きてる」
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