其の三

 今日はアルティス兄さんとの最後の別れの日だ。旧王国時代よりの騎士の名門ヴェルンティス家の若き家長の葬儀とあって、参列者も尋常じゃねェ。それこそ遠戚でしかない我々ベルモンド家の人間が参列するには場違いなほどに、だ。


 そして参列者は皆一様に悲痛な表情を浮かべていた。あれほどの好人物だ、その早逝を惜しまれ悲嘆に暮れるのは当たり前のことか。かくいう俺、人の死には特段慣れている筈のマシュー・ベルモンドですら、柄にも無く少し泣きそうな気分ときたもんだ。悲しみ堪えて空を見ると黒みを帯びた曇天、空ですら涙を零しそうですらあった。



「貴様らっ!よくものこのことこの場に出られたものだなっ!!」

「わ、我々とてこのような事になるとは思ってもみなんだのだ。せめてもの償いだ、可愛い部下に最後の挨拶だけはさせてもらえぬか?」

「可愛い部下だと!?自分で息子を死に追いやっていながらよくもぬけぬけと…!」

「私とて子を失う辛さは知っておる。同じ苦境を知る者同士のよしみでな…」

「黙れっ!!」



 ふと、遠くの方から怒声が聞こえた。皆が釣られるようにその声のする方を見る。壮年の男が三人の騎士に怒りをぶつけていた。壮年の男のほうは俺にも見覚えがある。アルティス兄さんの親父さんだ。息子の出来の良さに将来を見出し、早くから家督を譲り楽隠居していたと聞いている。その結果がコレたァ、やるかたないだろうよ。人目も憚らず怒鳴り散らすのも仕方がない。


 となれば、親父さんを前に平に謝り続けるあの三人も凡そ見当がつく。兄さんに酒を強要し死に追いやったという連中だろう。酒の席での出来心でとんでもないことをしてしまった、せめて墓前で償いたいと申し出ている、と言ったところか。だが―――



(―――ああ、ありゃァダメだ…)



 ああいう裏の「仕事」をしていると、人の言葉の真贋に敏感になっちまうもんだ。特に裏で画策する悪党をよく目にしてきたせいか、そういう連中のうわべだけの言葉などは目を見れば本音が透けて見えるくらいだ。翻って、目の前で親父さんに許しを請うあの副団長さんとやらは本気で謝ってなどはいないだろう。意図的に兄さんを追い詰め、そして世間様に対するジェスチャとして頭を下げているのが俺には丸わかりだ。


 まあ、だから言って俺にはどうすることもできねェ。尊敬する兄さんを追い詰め殺し、しかもそのことを欠片も悔いていないとわかった以上「あの野郎生かしちゃおけねェ」と怒りと殺意も湧こうモンだが、だからと言ってそりゃ実行に移すわけにはいかねェわな。ラグナントの法じゃあ仇討ち決闘はご法度だ。あるいは法の埒外のやり口、つまりは俺の裏稼業ならば誅することもできようが、「仕事」の頼みが無きゃ勝手に動くことも出来めェ。親父さんもそういう手に頼るような男でないことは知っている。つまるところ今の俺にはどうすることも出来ない。湧き上がった黒い感情は、必死に理性で抑えるしかねェ。やれやれ、胃の痛い事だ。


 それにしても気にかかるのは兄さんの彼女さんだ。参列者の中にふとその姿を見つけたが、随分と思い詰めた表情をしていた。早まったことをしてくれるんじゃねェぞ、と俺は思った。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「―――私とて鎧鍛冶の娘、そして騎士に嫁ぐつもりであった女。誇りや面子が何よりも優先されることは承知していますし、結果あのようなことになってしまったことも涙を飲んで受け入れたつもりです。


しかし、それでも拭いきれない思いはあります。『はたしてあの一件は本当に事故だったのか』と。


あの人は誠実を絵に描いたような好青年。およそ人に恨みを買うような真似はしてこなかったと思います。しかし、だからこそ本人の与り知らぬところで他人から嫉まれることはあったのかもしれない。そしてあの三人によって貶められ、事故同然に殺された…葬儀の場での彼らを見て以来、そんな疑念が胸にこびりついて離れません。


差し出がましい頼みかもしれませんが、どうかあの第一近衛師団の副団長と彼の同僚二人、彼ら三人の真意をお確かめ願えないでしょうか?そしてもし、私が思い描いたような悪意が彼らに存在していたときは、どうかあの人の、アルティス・ヴェルンティスの恨みを晴らしてやって下さいまし…」




「今回の頼み人は鎧鍛冶エルガン工房のミリア嬢。依頼内容は以上の通りです。ということですのでカーヤさん、早速ですが謹慎中の三人の動向、探ってきてはもらえませんか?」

「うむ。任された。」


(覚悟ってそっちのほうかよ…)


 確かに恋人の復讐のためとはいえ、人殺しを頼むには悲壮な覚悟が要ることだろう。葬式の場で見かけたミリアの思い詰めた表情の答えはわかったが、よもやそっちの意味だったとは。WORKMANの仲間たちと共に霊安室に入ったマシューは、肩透かしといえば肩透かしなのだが、ひとまずは安心した。と同時に、一度は抑え込んだ自身の復讐がこんな降って湧いた形で機会を得てしまった事に、顔には見せぬがひどく戸惑うのだった。






「まさか、あんなことになってしまうとはな…」


 深夜のエラルド邸。謹慎を命じられた三人はここで酒を酌み交わしていた。大手を振って外に呑みには行けぬ身、このように家でちびちびとやるしかない。そんな最中、ドガースがふとこのように呟いた。字面だけを見れば深く後悔をしているようにも聞こえる。アルティスへの悪意は確かにあったとしても、まさか死ぬとは思っていなかった、取り返しのつかないことをしてしまったと思っているのであろうか。




「ああ、まさか死んでしまうとはな…」


「よもやここまでうまく事が運ぶとは思っても見なかったわ!生意気な若造に灸を据えてやるぐらいの気持ちだったというのに、まさかこの世からいなくなってくれるとはな!」

「ええまったく!これで副団長殿の地位を脅かす邪魔者もいない、そしてミリアちゃんを独り占めする不心得者もいない。」

「しかも我々に下された罰もこの一週間の謹慎程度!まったくうまく行きすぎて笑いが止まりませんなぁ!」


 無論、彼らにそのような罪の意識は無かった。死に追いやったことは確かに予想外だったが、しかしそれすらも好事として捉えていたのだ。しかもこれだけのことをしでかしながらも、一種の事故として処理され軽い罰で済んだのだ。ゲラゲラと下品に笑いながら倫理に欠けた話をしているのは、今呑んでいる酒のせいだけではないだろう。


「そういえば副団長殿、この前小耳にはさんだのですが『酒に弱くなる茸』というものが世には存在しているらしいですよ。」

「ほう。つまりはそれを飲ませれば誰でもあのアルティスのようになる、と?」

「そうらしいです。つまりそれさえ手に入れば、今後奴のように我々の障害になるような者が現れても…」

「それを使って、同じように葬ってしまえばいいということだな。」


「くくく…ふはははははは!!」


 バフィがもたらした情報は、更にジギスを喜ばせた。邪魔になる者、逆らう者を事故に見せかけて葬る手段を半ば手に入れた騎士たちは、邪悪な高笑いを上げる。質の悪いことに、三人は今回の処遇に味を占めて同様の事件を起こそうとすら画策していたのだった。嫉妬や保身をゆうに越えた邪な目論見、普通の倫理観さえ持ち合わせているのならこれを許せる者はいないことだろう。


 事実、この一部始終をイエネズミから聞いたカーヤは、怒りに身を震わせていたという。






「…儂から伝えられることは以上じゃ。頼み人が懸念した通り、いやそれ以上悪意があったようじゃぞい。」

「そうですか…では残念ながらこの『仕事』は受理せねばならぬようですね。」


 翌晩、カーヤからの情報を聞いた神父は、懐から麻袋を取り出し霊安室に真中に備え付けてあるテーブルに置いた。その値三百万ギャラッド。ミリアが地道に結婚資金としてため込んでいたものだと言う。その金の重みを見て、WORKMANたちは「仕事」への覚悟を決める。しかし、その中にあってギリィだけが妙に気乗りのしない顔をしていた。


「おや、どうかされましたかギリィさん?」

「いや、少しテンションがな…」

「と、言われますと?」

「頼み人の恨みは御尤もとは思っちゃいるんだがよ、その大本になった話がな。言っちゃあ何だが、こんなもん近衛師団のお偉いさんの権力闘争みてえなモンだろ?そう考えるとなぁ…」


 ギリィは反骨の男である。こと権力の匂いには人一倍敏感なほうだ。そんな彼の事、特段他意は無いのだが、このような意見が出るのも仕方がないかもしれない。しかし。それを咎めたのはマシューであった。


「馬鹿野郎。俺らの稼業、恨みに貴賎なしだろうが。喩え数十ギャラッドしか出せねェ貧乏人でも故あれば恨みを晴らす、それが鉄則だ。逆に言やァ、数万出す金持ちだろうが国王様だろうが、その恨みが正当なら殺る。相手が御偉方だからってやる気が削げるなんざァWORKMAN失格もいいとこだぜ。」

「わーってるよ、ンなことぐらい…」

「まあ、相手にビビって降りてェっつーんなら話は別だがな。何せ相手はエリート中のエリート騎士団、第一近衛師団さまだ。尻尾まくって逃げても誰も責めねェよ。」

「なっ、そんなんじゃねえよクソ役人!大体お前はなぁ…ってオイ!」


 ギリィの反論を聞くまでも無く、マシューはさっさと自分の取り分を懐に仕舞い霊安室を発って行った。続いてリュキア、カーヤも部屋を出る。そして、言いたいことも言えぬまま取り残されたギリィもまた、銀貨を手に取り「仕事」へと向かって行った。


 ついぞマシューは、己と被害者の関係を仲間に打ち明けることは無かった。いや、そもそも言ったところで何かが変わるでもない。「自分の兄貴分を追いやった憎い相手だから念を入れて殺ってくれ」などと頼めようものか。頼み人との奇縁によって私情に帰結することはままある彼らの稼業ではあるが、本来的には私怨を挟む余地のない「仕事」なのだ。そして、今度の的は復讐心に囚われた曇った心のままで勝てる相手ではないことは、当のマシューが一番自覚していた。






「謹慎明けの記念だ!さあお前ら飲め飲め!!」


 とある酒場、ここで皆に奢ると高らかに宣言するのはバフィであった。件の一週間の謹慎もこの日に終わり久方の出勤、その夜の事である。騒げる場所を求め、歓楽街の酒場まで出て大盤振る舞い。しかしタダ酒というにも関わらず、場の空気は重く人々の表情は苦々しい。下された沙汰は無罪放免動揺だったと言え、事実上アルティスという好漢を殺した男の酒は飲みたくない、というのが本音だったのだろう。


(まあいい。下民がどれだけ騒ごうが、俺の盤石に変わりは無い。)


 周囲の白眼視もバフィは意に介さなかった。何しろ自分は悉く邪魔者を蹴り倒す術を手に入れたのだ。たとえ自分の地位が揺らごうとも、そいつを罠に嵌めアルティス同様に葬ればいい。かくて気の大きくなった彼は、いつも以上に深酒を煽った。



 しかし彼は忘れていた。アルティスのように命に別状は無いとはいえ、過ぎたる酒は確実に神経を鈍化させるということを。



 暫く飲んだ後、バフィは店を出た。今夜も外では寒風が吹くが、まだ厚着を着こむほどではない。衰弱したアルティスを苛んだ寒気も、酒で火照るバフィの身体にはむしろ丁度いいくらいであった。人気の無い道を上機嫌で歩いて行く。ふと、ひゅう、と一際強い風が吹いた。秋のから風というやつだろうか。砂埃を警戒したのか、バフィは目を閉じた。


―――まさにその一瞬であった。これまで後をつけてきたギリィが仕掛けたのは。


 物陰から飛蝗の如き跳躍で的の背中に取り付く。当のバフィは急に子供程度の重みが圧し掛かったことに驚き、思わず目を見開いた。しかし彼が、それが何であったのか確認することも、自分に何があったのかを思案することもなかった。そのような暇すら与えることなく、ギリィの手にした長針が耳の穴から三半規管と脳を貫いたからである。


 市中の抜けたやぐらのように崩れ落ちる肉体から飛び退き、ギリィは倒れ伏した的を確認する。酒によって早まっていた鼓動はもう聞こえない。あるいはその酒さえ入っていなければ、いくら不真面目とはいえ精鋭第一近衛師団の騎士、この突然の強襲者の存在にも気が付き、返り討てたかもしれない。その酒のおかげで自分は火中の栗を易々拾えたということは、ギリィも自覚するところであった。






「きゃああああっ!!」


 深夜の公園に絹を裂くような女性の悲鳴。しかしこの時間では助けに来るような人の姿は見られない。いや、あるいは日の昇っている時間でも、この光景を見れば余程勇気ある人間でもない限り割って入ることはできないかもしれない。


 着衣を乱され、泣き叫ぶ娘の名はミリア・エルガン。そして今まさに彼女に暴行を働こうとしている男の袖口には、近衛師団を示す旧ザカール王国の紋。その地位を笠に着た蛮行に及ぶは第一近衛師団団員、ドガースであった。


「君だってこうなることはわかってて来たんだろ?なら俺に全部委ねろよ…」

「そんなわけないでしょ!嫌っ!離して!!」


 謹慎明けの本日、ドガースはミリアと接触し「今夜アルティスの件で謝りたいことがある」と告げた。そしてやって来た彼女を押し倒し、今のこの惨状に至る。ミリアとて件の犯人が馬鹿正直に己の愚行を悔いるとは思っておらず、懐にはナイフを持参してはいたのだが、いかんせん騎士の腕力を侮り過ぎたと言わざるを得ない。あっという間に屈強な男にねじ伏せられ、一矢報いることも出来ないままその毒牙にかかろうとしていた。


愛する男を奪った相手に復讐することはおろか、逆にその憎い男に貞操を奪われそうになる。その悔しさはいかばかりか、その瞳からは涙がとめどなく流れている。


「俺のものになれ!なぁ!ミリアちゃんよぉ!!」


 鬼気迫る形相でドガースが叫ぶ。皆のアイドルであった娘と交際したアルティスを抜け駆けと罵りながら、この行為と発言である。この男の程度が知れよう。しかしこの異常なまでの執着は、騎士としての集中力を削ぐ欠点である。



 事実、今の彼は真後ろに立つ暗殺者の存在に気付かないでいた。なおも悪いことにこの暗殺者は、今自分が行っているような性の蹂躙に何よりも怒りを覚える者だったのだ。



 しゅるり、と黒糸がドガースの首にかかった。わずかながら肌に触れた感触があるはずなのだが、目の前の娘に執心するドガースがそれに気が付ける筈も無い。彼が気付いたのは、その黒糸が締まり気道を圧迫した正にその瞬間であった。


「…あがっ!……ががっ!!」


 先程まで意気揚々とミリアに詰め寄っていたドガースの声が、苦痛に満ちたうめき声に変わる。同時に、彼女を押さえつけていた上体が起き上がり、喉を締め付ける何かに抗う。不意に体の自由が利くようになったミリアが何事かと見上げれば、そこには必死の真っ赤な形相の騎士。憎い相手なれど、その苦痛に悶えるさまには同情すら覚えてしまう。


 ミリアの視界が自由になったことに気付いたリュキアは、姿を隠すため傍らに植えられていた樹木へと飛び上がった。そして、未だ葉を落としきらない枝の上に身を隠し、猶の事首を絞める手を引く。怨念の為せる技か、細腕のダークエルフらしからぬ剛力で高所から黒糸を引っ張った末、体重80~90キロはあろうかというドガースの巨体が遂に浮き、足が地面から離れる。文字通りの絞首刑の如き状態、最早超常の魔物でもない限り生きていける者はいないだろう。


 一方ミリアの目には信じられない光景が広がっていた。黒糸が碌に目視できぬ夜の闇の中では、ドガースが吊られているとは気が付けまい。宙空に浮きながら悶え苦しむ巨漢の姿は、まるで魔法か呪いの仕業にしか見えない。やがて悶えることもなくなり、どさりと地に落とされたドガースの姿を見てミリアは悟るのだった。半信半疑で恨みを頼んだWORKMANの存在、その超常の力を。


 そして後日、ミリアはその美しい髪を切り、尼僧になった。それは半ば信じてなかったとはいえ暗殺者という闇の存在を頼ってしまった自らへの贖罪であることは言うまでもないだろう。






 時計が夜の10時を回った頃、ジギスはようやく帰路へとついた。平の団員と違い副団長という責ある身、やらねばならない仕事も多い。加えて一週間の謹慎でそれらも随分と溜まっていたとなれば、謹慎明け初日からこの時間まで拘束されるのも已む無しだろう。もしかすれば、例の事件の思惑を見透かしていた隊長ガリオスの当てつけで増やされた仕事もあったのかもしれない。


 しかしこれほどの残業にも、ジギスの気持ちは晴れやかだった。かと言えば仕事にやりがいを見出しているというわけでもない。いくら上から睨まれようが、自分にはそれを打開する手段がある。故あればガリオスとていつでも葬れる、そして自らが第一近衛師団のトップに立つ。酒の席を利用した陰謀ば、今や彼の中でやもすれば誇大妄想の位にまで達していた。


 そんな根拠のない自信で上機嫌になりながら帰路の中頃あたりに差し掛かると、目の前に人影が立っていた。周囲にそれ以外の人の気配は無し。気味が悪いと思い早足になるが、やがて暗闇でも目視できる程度の距離まで近づくとそれは杞憂だったと判断した。目の前の男が、自分と同じ公僕だとわかったからだ。


「これはこれはジギス・エラルド副団長殿、お待ちしておりました。」

「お前は?」

「自己紹介が遅れましたな。お初にお目にかかります。私、州衛士隊のマシュー・ベルモンドと申す者です。」


 マントを羽織った革鎧姿の男は州衛士隊を名乗った。と同時にジギスは再び警戒に入る。見たところ夜回りといった風体でもない州衛士が、こんな人通りの無い道中で自分を待っているというのもおかしな話。何よりもこの男の眼光が、とてもではないが公僕のそれには見えなかったのだ。


「して、こんな時間に州衛士が何用か?」

「実はですね、栄えある第一近衛師団副団長殿の謹慎明けを祝うために州衛士隊でも何か贈り物をという話になりましてですね。こうやって渡せる機会を待っていたというわけなんですよ。」

「ほう…」

「あ、こちらです。どうぞ―――」


 そう語るマシューが手渡したのは中身の入った瓶。しかもラベルを見るに果実酒である。相応に高い酒であることは見て取れたが、酒の席での不始末で謹慎を食らった者の謹慎明け祝いに酒とはこれいかに。よほどの慇懃無礼か、さもなくば意趣返しか。州衛士隊全員が雁首揃えて無礼な品を選んだとも考え難い、となれば後者、アルティスを慕い自分を苦々しく思っている者か。最悪、その手の者が送り込んだ暗殺者の線すらジギスは考慮する。そしてそれは正しかった。


「―――そして、お悔やみ申し上げます。」


 男のマントの奥が、月明りで煌めく。とびきりに研ぎ澄まされた刃の輝き。やはりそういうことかとジギスはほくそ笑んだ。自分の両手には酒瓶、これを渡し抱えさせることで反撃を封じようということか。瞬時に暗殺者の思惑を読み取ったジギスは、酒瓶を放り投げ腰に備えたブロードソードを疾風の如く抜刀した。




 ジギスの出は貧乏貴族、そして名門エラルド家に婿養子として取り入ったことは以前に説明した通りである。しかしその事実が意味するのは「ただのおべっか使い」というわけでは断じて無い。そもそも騎士とは武力を売り物にする職業、そして最高峰のエリートたる第一近衛師団の副団長位ともなれば、相応と求められる力は余程のものでなければならないだろう。


 そしてジギスにはそれだけの力があった。いや、所詮貧乏貴族という周囲の嘲りの中で第一近衛師団副団長に相応しいと認めさせるにはそれ以上の実力が必要だったことだろう。成り上がりの為にひたむきに鍛え婿入りを認めさせたその剣の腕は、老いた今もなお健在であり、団員からも尊敬と恐怖の念を集めているほどだ。


 しかしそのことを知る者は、そして知ろうとする者はごく僅かしかいない。内情を知らぬ市井の人間はこぞって口と色目で名門に取り入った田舎貴族と決めつけたものだ。恐らく目の前の暗殺者もそのクチだろう。その判断の甘さを死を以って償わせるかのように、飛燕の剣閃が目の前の男に向かって放たれた。




―――そして、実際に判断が甘かったのはジギスのほうであった。瓶を投げる動作と言う初動の遅れはあったとはいえ、自身の剣ならばその程度の隙は誤差にもならない筈だ。惜しむらくはその暗殺者が並の相手では無かったことか。マシュー・ベルモンドのサムライソードによる横一閃は、自分のそれよりも疾く腹を裂いたのだ。相手の横腹の一寸先で力尽き止まった自身の剣先を見つめ、信じられぬという驚きを抱えたままジギスは血を吐き死出の旅路につくのだった。


(いや…俺もまだまだだな…)


 しかし第一近衛師団副団長の剣速を凌駕して猶、マシューは己の実力不足を反省していた。自分の実力が十二分に出せたのなら、抜刀させることすらなかった筈だ。ふと気が付けばサムライソードの先端に熱気が感じられた。「仕事」前に捨てきったと思っていた自身の復讐心が未だ僅かに燻っていたということか。暗殺者としての未熟さを感じると同時に、人間なかなか自分の感情は偽れぬものだなと苦笑しながら、マシューはサムライソードについた血を懐紙で拭い夜の闇に消えていくのだった。






 アルティスの事故死の原因となった三人の死は、翌朝の内にザカール市街へと広まった。とはいえ生前の印象から、市民の心象は専ら天罰だという論調で流れ、彼らを殺した何者かを咎める声はほぼ聞こえなかった。しかし市民の声がそれでも公の機関はそうなるはずも無かった。第三近衛師団長、第五近衛師団長に続き、自身の直属たる副団長親子が謎の死を遂げたとなれば、全近衛師団を統括する立場にあるガリオスも黙ってはいられない。以前より思案していた再編成に早速着手し、取り締まりの強化と共にWORKMANを追い詰めることとなるのだが、それはまた別の話。






 そしてそんなお上の動向など知る由も無いマシュー・ベルモンドは、今朝も遅刻ギリギリの時間にフィアナにたたき起こされていた。


「ほらほら~急いでくださいな~。このままだと一週間遅刻記録を更新してしまいますよ~?」

「もう少し寝かせてくれよ…昨日は夜回りで遅かったし、今朝も寒いし、腰は痛いし…」

「言い訳ばかり並べてないでさっさとしてください!まったく、ついぞこの間までは人が違ったように真面目になってたっていうのに…」


 フィアラは愚痴るように吐き捨てた。確かにマシューはついぞ先日まで早起きを心掛けていた。それは全てアルティスの影響。彼の死により、マシューの中での真面目マイブームの火も尽きたのだが、フィアラにそれがわかるわけもなかった。


「いや、お前もこの前までは『無理はしないで』って言ってたじゃないか。これがその無理のない自然体なんだよ、私にとって。」

「もう、屁理屈ばっかり。」

「それにだ、お前たちも私が真面目ぶっている時困っていただろう?」

「!?」


 モリサン姉妹はぎょっとした。マシュー自身、真面目だった頃に見た彼女たちのたどたどしい反応を見てのカマかけ程度ではあったのだが、それは図星だったのだ。そして同時に姉妹は、ぐうたらな主の有様に安堵を覚えている自分に気付き、ぎょっとした。


「い、いや…確かに主様は不真面目な方がそれらしいですけど、それこれとは話が別で…」

「わ、私たちの心の平穏は遅刻の理由にはなりませんですよ~?早くお出になって下さいましな~」

「へいへい、行ってきますよ。」


 主の不真面目を良しとしている自分の深層心理に動揺する姉妹を尻目に、マシューはゆったりと出かけていった。口ではああ言いながらも、彼女たちもやはり変わらぬ日常を求めていることを知り、マシューは道すがらで微笑む。と同時に、その変わらぬ日常が何時まで続けられるかを考えると、うすら寒いものを背筋に感じるのだった。




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