第二十七話 ギリィ、中二病を弟子にする

其の一

「レイナ・ファイエットとは世を忍ぶ仮の名前。ボクの本当の名はレイ・ヴァンパレイア、かつて世界を混迷に導いた魔族の末裔さ。」


 ギリィの目の前に姿を現した少女は、開口一番己をこう紹介した。言われたギリィも思わず作業を止め、啞然とした表情を見せる。夏も盛りを過ぎた、ある日の出来事であった。






 事の起こりは3時間ほど前。ギリィは朝の10時を待たずして早めに店を開けた。10分ほどしてから訪問者の姿、しかしそれはアクセサリを求めに来た若い娘ではなかった。そもそも客ですらない。ただの偉そうな中年の男であった。


「やあおはようございますギリィさん。朝から精が出ますねえ。」

「………」


 容貌らしからぬ低頭とわざとらしい笑顔で挨拶を投げかける中年男を無視し、ギリィは鑿と槌を振るい作業を続ける。随分と不遜な態度だがそれには理由があった。


「こちらの細工などはお見事としかいいようがありませんよ!いやはや、もうギルドの若手では並ぶ者がいないんじゃないですかね?」

「………」


 この中年男、実はザカール州職人ギルドの幹部格である。以前会合に出席しないギリィを注意しに来たことからもわかるように、彼ら側から見たギリィ評は「腕は立つがこちらの言うことに従わない厄介者」といったところだろうか。その辺りは本人も自覚済みだ。


「これだけの腕をあなた一代で終わらせてしまうのは勿体無い!どうです?そろそろお弟子なんか取ってみては?」

「………あのさぁ」


 そんな印象を持っている人間が、こうも掛け値なしに褒めそやすのだ。気味が悪い、あるいは何か裏があると考えるのが自然だろう。最初は無視を決め込んだギリィだったが、際限なく続く心の篭っていない賞賛の嵐についに耐え兼ね、作業の手を止めてしまう。そして、ばんっ、と膝を叩きながら鬱憤をぶつけるのだった。



「言いたいことがあんなら回りくどい事してねえではっきり言ってくれよ!俺がおだてられてハイそうですかって従うようなタマじゃねえことはあんたらだってよく知ってるだろうによぉ!」



 余程の大声だったのか、近所の連中がそぞろにやって来てギリィの店を覗く。元より音の漏れやすいあばら家横丁、プライベートの尊重という事情もあり何か大声がしてもあまり聞き耳を立てないのがこの辺りのマナーである。そんな暗黙の了解があるにも関わらず人が集まって来たのだ、どれほどの怒号だったか想像できるだろう。わらわらやって来る野次馬相手に、幹部の男は恥ずかしそうに人祓いをして、今ひとたび話を仕切り直すのだった。




「では単刀直入に言いましょう。ギリィさん、弟子を持つつもりはありませんか?」

「まだそんな齢でも腕でもねえよ。大体何で俺に弟子を取らせたいんだよ?」

「それは…貴方の腕を後世に残すべきと…」

「おべんちゃらはもういいから!」

「コホン、失敬。弟子と言うのも語弊がありましてですね。実のところ、ひとりの少女を鍛え直してもらいたいのですよ。」


 そう言うと幹部の男は、懐から肖像画を取り出しギリィに見せた。描かれていたのは十代前半といった風体の可憐な少女。服装を見るに、かなり裕福な家庭で育ったことも伺える。そもそもこのように肖像画を描かれること自体が、金持ちかお尋ね者の特権ではあるのだが。


「誰だよ、この嬢ちゃん。」

「我らギルドが懇意にしている金貸しファイエット氏の娘、レイナ嬢です。」


 ファイエット商会。金の無心はしないギリィでも名前は聞いたことがある。しかしギルド単位が商売相手というほどの規模だとは知らなかった。そしてこの少女はそこのご令嬢というわけなのだが、となれば「鍛え直してほしい」とは穏やかでない。ギリィがその疑問を挟むまでもなく、幹部の男は事の経緯を話し始めた。


「このレイナ嬢、最近になってお転婆が過ぎましてな。お父上や周囲の人間もほとほと困り果てていたそうです。で、その話を聞いた我々が『精神修養のため丁稚奉公に出す』ことを提案したのですが…」

「ですが?」

「まあ何と言いますか、お嬢様のお転婆も予想以上だったと言いますか、普通の職人では相手の親の影を察して強く出られないと言いますか…ともかく有名処の工房数件にお願いしたもののまるで暖簾に腕押し糠に釘。かといって、更生させてみせますと啖呵切ってやっぱり無理でしたでは職人ギルドの沽券に関わる。」

「何だかなぁ。」

「そこで!我がギルドきっての無頼漢であるギリィさんに白羽の矢が立ったのですよ!貴方なら高名な金貸しの娘相手でも物怖じしないでしょうし。どうか、どうかこのザカール州職人ギルドの面子の為、このお願い引き受け手はくださらないでしょうか!?」


 結局のところ有力者にいいところ見せたい助平心と安請け合いによる自業自得じゃねえか、話を聞きギリィは心底呆れた。無論そんな尻拭いめいたお願いなど受ける気は無かったのだが、これが成功すれば向こう三年はうるさい事言わないと条件を出したため、毎度のお小言にうんざりするギリィは結局この願いを受けた。幹部の男はその二つ返事を聞くと、足早に店を出る。


 お転婆とは聞いたがどんな奴か、相当の我儘か荒くれ者か。さてさて鬼が出るか蛇が出るか、ギリィがそんなことを考え三時間ほどした後、件の令嬢レイナを連れてくるのだった。




 ―――そして、そのレイナの第一声こそが、冒頭の自己紹介である。




「懐かしいなこの辺りも。400年ぶりだろうかな。あの頃はまだ草木しかない野原だったというのに、人間の繁殖力というものに驚かされるよ。」


 そもそもにして彼女の容姿も、先に渡された肖像画とはまるで異なっていた。深窓の令嬢のようなドレスはどこへやら、丈の短いパンツにへそが見える上着と鋭角的なシルバーアクセサリがところどころに輝く。ブロンドの長髪も、紫と緑という奇抜な二色に染められざっくりとしたショートヘアに刈られている。


 この容姿にあの発言だ、なるほどそこいらの工房の手に負えるような相手では無いな、とギリィは心底納得していた。想像していたものとはだいぶ別の意味、でだが。


「どうしたの先生?驚いて声も出ないのかな?そりゃそうだよね。滅んだと思った魔族の末裔が、今目の前にいるのだから。」


 魔族を名乗る少女の口調は思いの外理知的であった。いや、そういうふうに見せかけようとした喋り方といったほうが正しいか。思春期特有の現象を目の前に、驚くというか呆れ返るギリィは、さてどう言葉を返したものかと作業の手を止め考える。


 ふと窓から外を見ると、そこには見慣れた狐耳の少女が丁度通りがかっていた。


「よお、カーヤじゃねえか。」

「おおギリィ…って、誰じゃそこな娘は?」


 何かを思いついたのか、ギリィはレイナの自己紹介に対しリアクションを返さぬまま、窓越しにカーヤを呼び止める。半ば無視された形となったレイナも、何があったのかと窓に寄りそこにいる人物を確認した。しかしそこにいたのは、見た目ありふれたクオータービーストの童女でしかなかった。


「まあいろいろあってな。ところでお前、魔族なんだよな?」

「はぁ…何を言いだすかと思えば。あれだけ言うておるのに、まだ疑っておるのか、おぬしは?」

「そりゃあなあ。お前の見てくれで信じろって方が難しいだろうぜ。」


「全く…理解できぬのなら何度でも言うぞ?儂はカーヤ・ヴェステンブルフト!今でこそ落ちぶれたが、魔王バルザークの命を受け地上侵攻に従事した誇り高き獣魔の名門、ヴェステンブルフト家の当代頭首じゃ!よう覚えておけ!!」


「わかったわかった。悪かったな呼び止めたりして。」


 カーヤは不機嫌そうに鼻をふんっ、と鳴らしながら再び歩を進めた。わざとらしい笑顔でそれを見送ったギリィは、すかさずレイナのほうを見やる。その同じく魔族を自称した少女は、顔を真っ赤にしてぷるぷると恥ずかしそうに震えていた。かの狐耳の少女が本物であることなど露知らぬ彼女だが、見た目自分より三つ四つ下と思しき童女と同じようなことを吹聴しているという事実は流石に素に戻り恥じたようだ。逆に言えば、それで恥じる地点で本物とは言えないのだが。ともかく、ギリィはレイナの妄言を逆手に取り、やり込めたのだった。


「まあ何だ、そういうのはニ三年前ぐらいに卒業しとけよって事だ。」






 その後、ギリィが黙々と作業をする中、少女は店の端で体育座りのまま塞ぎ込んでいた。俯いたままで表情こそ伺えぬが、耳まで真っ赤にしているところを見るに、どうやらあの童女と同じレベルだったという事実は未だ堪えているようだ。先程までの威勢はどこへやらといったほどに黙りこくっている。すると、しばらくしてギリィがレイナに話しかけた。


「おう、そこの壁にかかっている9番の錐を取ってくれ。」


 レイナは突然の出来事に頭が回らぬと言った感じであったが、ギリィは手を差し出し要求を続ける。やがてその様子を見て理解し、言われた通りに9番の錐を差し出した。


「は、はい。これ。」

「ありがとな。」


 礼を言うとギリィは再び黙って作業に没入した。貰った錐で銅板に美しい鳥の紋様を刻んでいく。その一連の動作を眺めていると、レイナは何か感じたのかギリィに話しかけた。


「先生ってさ…」

「ん?」

「物怖じしないよね。」


 要領を得ない質問に、ギリィも思わず手を止めキョトンとする。


「いやさ、今までの先生のところだとみんなおっかなびっくりで、物を取ってこいなんて言ってこなかったから。」

「そりゃまあ、こっちは手伝い通して根性叩き直してくれって頼まれた側だからな。専門的なことは無理でも、使いっ走りぐらいはやらせねえと。」

「さっきの魔族の事もそうだけど、何で怖がらないの?」

「何だ?怖がってほしかったのか?」


 なるほど確かに自分の前任者たちは彼女を怖がったことだろう。しかしそれは魔族の末裔などという与太話を信じたからではない。彼女の背後にいる父親、金貸しのファイエットの存在を恐れたに過ぎない。彼女の気分を害し、親に告げ口されれば自分に何事が降りかかるか、それを考慮すれば強くは出られぬのも道理だ。


 しかしギリィは反骨の男であった。権力を振りかざすような輩にはむしろなにくそと反発を強める、そんな昔気質の職人だ。加えて言えば、権力を振りかざすあまり弱き者の尽きせぬ恨みを買うような輩を誅する裏稼業も兼業している。そんな男なだけに、レイナの返事次第では約束を無視して店から叩き出すくらいの気構えはあっただろう。


「ううん、全然。むしろ逆に安心した。そういう人もいたんだって。」


 そんなレイナの返事は、あるいは彼にとって肩透かしに思えたのかもしれない。尤も、言われた通りに錐を渡してくれた地点で、本質的には素直な娘であることはなんとなく察せたのだが。


「前の先生たちみたいな腫れ物を触る扱いってのも、それはそれで傷つくからさ。」

「何だ寂しがり屋かお前は。」

「そうかもね。」


 レイナははにかんでそう答えた。一連の奇行もツッコミ待ちの構って行為だというのならば、容姿の愛らしさもあり可愛げもあると思えるかもしれない。ギリィはすっかり毒気を抜かれ溜息をつく。しかし、そんなレイナの表情には拭いきれぬ一抹の寂しさも伺える。



「…仕方ないよね。金貸しの娘なんて事実腫れ物みたいなものなんだから。」



 レイナがそう呟くと、彼女の表情に寂しさの影がより一側濃く射すのだった。




「他人の弱みに付け込んで、お金で縛るような悪党がボクのパパ。そんな人間の子供が、怖がられないわけないんだもの。それこそ魔族みたいなものだから。」

「おいおい…そりゃ言い過ぎってもんじゃねえか?」

「同じだよ。人の不幸を糧にしているというのなら、輝世暦前の魔族と同じだよ…」


 レイナは再び腰を下ろし、塞ぎ込んだ。その声の震えは、明らかに涙交じりのものだった。彼女が魔族の末裔と吹聴した理由、それはただの思春期の衝動や他人の気を引くための奇行だけが原因では無かった。父の職への揶揄、そして自分自身の血への忌避。


 しかし、この感情は「WORKMANギリィの目」から「客観的に」見てあまりピンとくるものでは無かった。なにぶん万死に値するほどの悪党の情報には事欠かない立場だ。ファイエットが何か悪辣なことをしでかしたのなら、恨みを抱いた誰かが藁にもすがる思いで丘の上の教会の懺悔室に駆け込むはずである。だがファイエットはこれまで話の俎上に上がったことは一度も無い。完全に善良、とはいかぬまでも、少なくとも今まで彼らが手にかけたような金貸しに比べれば随分マシであることは疑いようも無い。


 要するにレイナは繊細すぎるのだ。ファイエットが行ってきたであろう金貸しとして最低限の行為を悪徳と感じ、自分にそのような者の血が流れていることを呪う。多感な十代とはいえ、いささか潔癖に過ぎる感情だ。世の中の酸いも甘いも嚙み分けた大人には理解しがたいものだろう。


 しかし、「アクセサリ職人のギリィ」から「主観的」に見たそれは、痛ましいまでに共感を呼ぶものでもあった。




(だったら、あの親父を持つ俺はどうなるんだよ…)






「なんてこった!折角〇〇〇〇〇したってのにこれじゃあ何もオイシク無いじゃないか!」


 今日のような暑いある日、ギリィの父ジューロ・ジョーは突然叫んだ。所々聞き取れぬ部分があるが、それが丁度、豹変の契機だったとギリィは記憶している。そして始まるのは、実験と称した虐待の日々。愛し合いひとつになった妻、そしてその結晶たる息子に対するにはあまりにもあまりな行為に対し、彼はこう言った。


「あんな冴えない女と所帯持った覚えも無けりゃ、お前みたいなガキを持った覚えもねえんだよ!大体俺はまだ〇〇だっつの!」


「俺が欲しいのはハーレムだ。その時の為にお前らみたいなコブは邪魔なんだよ!」


 まるで理解の追い付かない理屈で暴虐を振るうジューロ。そしてやがて来る母レイアの死。死の直前、レイアはギリィにひとつの金属塊を手渡した。父の発明品、意志ある金属。ズシリと重いそれを手にすると、ギリィの心の中で何かが語り掛ける、「お前はどうしたいのか?」と。怒れる少年は力と武器を求めた。やがて刃物へと変わる意志ある金属、その刃にて父の部下をふたり斬って捨てる。これは母が最期に残した護身具だと理解したギリィは、いつか復讐を誓いグランギス州の片田舎を逃げるように出て行った。


 弱冠十歳のハーフリングの子供、片手に琥珀の腕輪を巻き放浪の日々。やがて辿り着いたのはグランギスよりほぼ対角線上に位置する大陸東南の州ザカール。手先の器用なハーフリング族の彼はそこの路上でアクセサリを売りながら雌伏の時を過ごす。


 しかし一番の肉親に裏切られその悪意に晒された彼は、人一倍市井の悪に敏感になっていた。弱者を跳ねのけ闊歩する権力者、賄賂を貰う州衛士、押し込み強盗、高利貸し、いつしか彼は、この世の全ては悪しか無いと思うようになっていた。






(このままじゃコイツも、あの時の俺と同じになっちまう。そして―――)


 目の前には、あの時の自分と同じ二の轍を踏まんとしている少女。親の血を呪う感情は、いつしか世界への嫌悪へと変わる。本物の悪党を親に持った自分でもああだったのに、レイナほどの潔癖な少女なら猶更だろう。その行きつく先を想えば、是が非でも止めねばならぬという使命感がギリィに湧き上がる。


「まあ、お前がそう思うのなら親父さんもそうなんだろうな。」

「先生…」

「だがそんな悪党の親父さんでも、もっと悪党の食い物にされる。その悪党も、もっともっと悪い奴の食い物にされる。世の中そんなもんだ。まったくクソみてえな話だけどよ。」

「やっぱり世界って、そんなふうに汚いんだ…」

「だから俺は、こうすることにしてる。」


 言うが早いか、ギリィの手元が高速で走った。鑿・錐・槌・小刀をせわしなく交換しながら、作業の最中だった銅板細工を一気に仕上げる。やがて手が止まると、そこには躍動感溢れるフェニックスの姿が掘り上げられていた。その翼には、一飛びで世の不浄を焼き尽くすかの如き美しさと力強さを感じられる。まだ審美眼に疎い筈のレイナにすら、そう思わせるほどの出来であった。




「世界が汚いなら、せめて自分だけは綺麗なものを作り続けよう、ってな。」




 そう言うとギリィは銅板細工に櫛を付け、レイナの頭髪に刺した。


「こいつは弟子入り記念にくれてやるよ。でだ、お前が望むのなら、これくらい作れるように教えてやってもいいんだが、どうだ?」

「…う、うん!いや、はい!お願いします先生!!」

「よっしゃ、良い返事だ。じゃあまずは基本的な道具の使い方からだな。」



 レイナはぱあっと明るい笑顔で答えた。その返事に気を良くしたギリィは、レイナを作業台の前に座らせ、仕事道具を握らせその使い方を教授する。性根を叩き直すだけと預かった少女だったが、まさかまだ取るつもりも無い本物の直弟子になってしまうとは。奇縁を感じながらも、彼女が闇を払い真っ直ぐ生きていくための契機になれたことにギリィはひとつの満足感を得ていた。




 ―――心の奥底で、それがどうしようもないほどに欺瞞であると自覚しながら。



 ―――自分が本当に選んだ解決策は、こんな綺麗なものでは無いのだから。





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