第二十三話 マシュー、時をかける

其の一

「本当に行くのか?いや、行けるのか?」


 赤毛の魔導士ロゴスは、石柱の前に佇む勇者アランに向けて問う。


 彼らの旅は袋小路に陥っていた。地上を魔族の手から解放するために戦う彼らだが、いかんせん敵の数とこの大陸の広大さを鑑みればいかんともしがたい。それぞれが一騎当千の強者とはいえ所詮は四人パーティー、北の地域を魔族の手から解放したと思えば翌日には以前解放した南の地が再び敵の手に落ちる。ここ最近はこの堂々巡りであった。


 その悪循環を断つべく、ロゴスは「理力の塔」なるものの設計をした。大陸全土に特殊な結界を張り、地上での魔族の力や魔界からの入口をいくぶんか封じるという画期的な発明。しかしそれもまた実行に移せない机上の空論でしかない。中核となるエネルギー体がおよそこの世に存在しえないものだったからだ。



―――数万年前に存在したと言われる、「神の涙」なるクリスタル体が現存すればあるいは。



 設計図を前に溜息と共に呟いたロゴスの言葉を聞き、心当たりに気付いたアランが足早に向かったのがこの地である。ジャノベア王国領の森の中、不自然に規則正しく環形に並ぶ石柱群。地元民からは神話の時代から存在していたと語り継がれるそれは「時逆石」と呼ばれ、強い力と成すべき定めを持つ者を過去へと送る力があると信じられているのだ。


「で、その数万年前に遡って『神の涙』を持って来ようってわけか。考えが大胆というか、藁をも縋る思いというか。」

「そうですよね。本当に過去に行くなんて出来るんでしょうか?いや、神職である私が奇跡を否定するのも何ですけど…」


 同じく随行していた戦士ゴードンと僧侶ソフィアも口々に疑問を呈する。しかし、当のアランの瞳には一切の猜疑の色も見えなかった。仲間たちに力強い眼差しを向け、その意気を語る。


「精霊たちは僕に啓示を授けた。この地上に再び平穏を取り戻せ、と。」

「ああ、それは何度も聞いたよ。」

「そして街の人たちは言っていた。この『時逆石』はそうすべき運命を背負った者に呼応して過去への道を拓く、と。」

「そんなことも言っていましたね。」

「ならば、精霊の啓示が間違っていなければ、僕が本物の勇者であるならば、応えてくれるのが道理じゃないか。地上に再び光を取り戻すことが僕の使命ならば、その要石となる『理力の塔』を完成させなければならないのだから…」


 アランの声は実に凛としていた。しかし僅かに震えていた。使命があるから過去への道が拓かれる、ということは逆に言えば、過去への道が拓かれぬのならば己の使命が間違っている、という逆説も成り立つことになる。生まれてこのかた勇者となるべく育てられた16年のアイデンティティを賭けるに等しい行為、恐れを抱くのも当然だ。アランは、それでも恐る恐る石柱へと手を伸ばし、それに触れた。



カッ!



 瞬間、真昼の太陽すらも塗り潰すかのような溢れんばかりの光が、石柱の描く環の中央から放たれた。辺りは一瞬にして真白な世界に包まれ、目を開けることもままならない。それでもこの異常事態に勇者の身を案じたソフィアは、薄目で彼のほうを見る。そんな彼女の瞳には、光に飲まれ消えゆく中で優しく微笑むアランの姿。


 そして閃光が止んだ時、勇者アランは仲間たちの前から姿を消していた。






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「―――と、いうのが伝承にて語られる勇者アランの一幕でございます!その結果どうなったかと言えば、今しがたこのように観光を楽しむ皆様の存在が、その一番の答えと言えるのではないでしょうか!」


 エルフのツアーコンダクターが、「時逆石」を見に来た観光客たちの前で講釈を振るっている。時は輝世暦317年、所はジャノベア州勇者記念公園。勇者アランの冒険譚の中盤を飾る「時逆石」を中心に森を切り開いて作られたこの施設は、かの足跡に興味を持つ数多の人々で日々ごったがえす一大観光スポットだ。そして本日、その一団の中にはマシュー・ベルモンドとその使用人たちの姿があった。


 事は2週間前、仕事帰りの買い物中に何の気なしに引いた商店街の福引きで一等を当てたことに起因する。商品は「勇者アラン史跡巡りツアー」。歴史にも、勇者アランにもあまり興味のないマシューにとってはあまり欲しいと思えるものでは無かったが、使用人のモリサン姉妹にたまにはいいところを見せたいと思い、素直にこれを受け取った。そして思惑通り、彼女たちは主のこの手土産にたいそう歓喜した。マシューも当てた甲斐があるものだと満足したことだろう。


 しかし、今現在に至りてその満足は遠く彼方へ消し飛んでいた。おしくらまんじゅうめいて押し寄せる人波の重圧、じゃんけんに負けて持たされた荷物の重み、その苦痛の末に見られるものは小汚い野ざらしの石柱。マシューにとって面白い要素などひとつもなかった。


「いやー、ちらっとしか見えなかったけど、それでも尚神々しかったですねー。」

「そうね~フィラちゃん~。やっぱり風格というか、歴史の重みを感じさせる何かがあるわよね~。」


(何知ったような口きいてんだよ!お前らそこまで史跡に興味なかったくせに!)


 一方、手ぶらで時逆石を拝謁したモリサン姉妹はご満悦で話していた。マシューが心の中で毒づいた通り、彼女たちは普段そこまで歴史や史跡に興味があるわけではない。ただ、旅のテンションというか場の空気で通ぶっているだけであった。そのにわかな会話もマシューにとってはあまり心地の良いものでは無いのだが、本人たちが楽しいのならそれでいいとぐっと飲み込むのだった。



ぴかりっ



 ふと、マシューの視界に何か眩しいものが映りこんだ。その光は、道なりに進んで既にはるか後方の時逆石のほうから放たれたかのように思える。不思議に思ったが、ただの日の光の照り返しだろうと結論付け、足早に馬車のほうへと歩いていくのだった。






 その後、観光各所を回ると日もとっぷり暮れ、マシューをはじめとするツアー客一行は宿へとチェックインした。



「はぁ~、いいお湯でした~。やっぱり広いお風呂はいいわねぇ~。」

「主様も早く入ってらっしゃいな。昼に汗かいてたみたいだし、そのままだと臭いますよ?」


「ふぁ~い…わかってるってェ…」



 宿の大浴場から戻ってきたモリサン姉妹が見かけたのは、ベッドの上につっぷして微睡む主の姿であった。その表情は、日中の不満を感じさせぬほどに幸せそうである。そう、今こそがマシューにとってこの旅で楽しみにしていた時間なのだ。


 この宿はランクとしては中の上、それでもいつものボロ屋敷での暮らしとは比べるべくも無い。いつもの貧相な食事とは違う宿の夕食に舌鼓を打ち、いつのも煎餅布団とは違うふかふかのベッドで眠る。とりわけ睡眠にだらしのないマシューにとって、後者こそが一番の享楽だろう。日中の疲れもある、風呂にも入らぬまま泥のように寝るのも已む無しだ。


「明日は昼から劇場でお芝居ですよ、お姉様。」

「もちろん演目は地元の名作『ジャノベア心中』!ああ~楽しみだわ~。」


 そんな主の趣味と体調を鑑みたのかどうかはわからないが、モリサン姉妹はこれ以上風呂を強要することなく、明日の観劇に期待を膨らませていた。






 ふと、ぱちり、とマシューの目が覚めた。睡眠にだらしのない自分が自分で目を覚ますなど珍しい。眠りを妨げるような騒音の類も聞こえない。もう朝かと見回したがまだ部屋は暗い。時間にして丁度日付の代わる頃だった。見れば記憶の中では楽しそうに喋っていたモリサン姉妹も、既に各々のベッドで眠りぬついている。


「なんか、興が削がれたなァ…」


 再度布団にくるまり二度寝を試みるも、妙に目が冴えて眠れない。良いベッドで惰眠を貪る気満点だった彼にとってあまり気持ちのよくない状況。何故に目が覚めたのかわからないのもまた気味が悪い。


「しゃーない、少し散歩でもしてくるか…」


 マシューはすくっと起き上がると、同室の姉妹を起こさぬよう注意して部屋を出て、寝巻のまま夜のジャノベアの街へと繰り出すのだった。






 遠くにはひときわ明かりを放つ区画が見える。恐らくあの辺りがこの州の歓楽街なのだろう。しかしマシューの足はその真逆方向、森と記念公園のほうへと向かっていた。知らぬ街でひとり酒を飲むのが恐いというのはある。だからといって今向かう先には猶更用事が無い。勝手に足が進んでいる、マシューはそんな奇妙な感覚を味わっていた。初夏の夜特有の、いやに肌に馴染んだ温度もその感覚を冗長する。


 勇者記念公園はこの時間、既に閉演していた。縄と鎖が張り巡らされ立ち入りを禁止する。そんな中、マシューはその障害を乗り越えて公園の中央へと吸い込まれるように歩いている。何故自分がそんなことをしているのかわからない。まるで自分の身体が言うことを聞かない、意識はあるが夢か現かの区別もつかない。そんな状態のまま「時逆石」の前までやって来た。


「何故俺はこんな所に…?」


 夢遊病めいた行動の末辿り着いたのは、日中興味の欠片もなかったはずの史跡の前。自分で自分の行動を怪訝がっていると、再び、ぱちり、と目に閃光が飛び込んで来た。それも一度だけではない。二度、三度、と光るたびに次の間隔は短くなる。ぱぱぱぱっ、と点滅する閃光はいつしかひとつになり、夜の闇の中であるにもかかわらず眩いばかりの光がマシューの視界を支配していた。


「お、おい…ちょっと待てこれって…!?」


 嫌な予感がマシューの胸中をよぎる。まさか国家の英雄たる勇者が経験した奇跡を、自分などという小さく汚い立場の者が体験するというのか?分不相応にもほどがあるのではないか?徐々に広がる光はそんなマシューの疑問ごと、彼を飲み込んでいった。






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「ちょいと。そんなところで寝てると風邪ひくわよ。おーい。」


 誰かの呼ぶ声にようやく目を覚ます。寝起きの頭に入って来るのは朝の日の光と小鳥の囀り。そうか、今度こそ朝か。俺は身を起こした。


 しかし目覚めたそこは、期待に胸を膨らませていた宿のやわらなかベッドの上ではなく、屋外の固く冷たい土の上。傍には規則的に並んだ石柱。そうか、俺は外に出たまま眠ってしまっていたのか。正直そこまでの経緯が自分の頭の中でもぼんやりとしていて気味が悪かったが、これで確証も持てたというものだ。


「どうしたのよそんな恰好で?しかも勝手に公園に入って…」

「えっと…どちらさまですか?」

「私?私はここの管理の者よ。」


 俺を起こしたのも勿論モリサン姉妹ではない。見たところ20代後半か30代の女性。記念公園の管理者を名乗るだけに、身なりを見てもかなり高い地位の家系の者と言った感じだ。そして彼女に言われて思い出す。そうだ、俺ァあの夜に記念公園に無断侵入してたんだと。しかも寝巻のままだから傍から見れば珍妙極まりないことだろう。


「す、すみません!何か意識が無いうちにこんなところまで来てしまったみたいで!えっと、入園料払った方がいいですか!?」

「い、いや…お金の問題というか、何がどうなってアンタがこうなったのかのほうが問題なんだけど…」


 女は俺の恰好と行動を怪訝に思って仕方がないといったところなのだが、自分でも何が起こったのかわからないのだから説明などしようが無い。それどころか混乱を極めた脳が素っ頓狂な応対を命ずる。寝巻のポケットをまさぐると、転ばぬ先の杖にと用意していた銅貨5枚の感触が手に触れる。俺はそれを慌てて管理人の女に差し出した。


「こっ、これで足りますかね!?とりあえず早いとこ宿に戻りたいんですが!」

「…アンタ、このお金は使えないよ。」

「へっ?」


 とりあえずこの場から逃げ出したくてしょうがない俺の思惑とは裏腹に、女はより一層懐疑の視線を向けてきた。


「こんな子供騙しのニセ金、使える訳無ないって言ってんの。」

「ニセ金…?いやどこからどう見ても王国鋳造の銅貨じゃないですか。ホラちゃんとラグナント王国の刻印も入ってますし。」

「語るに落ちるとはこのことだねぇ。その刻印が無茶苦茶だからこう言ってるんじゃないか。」


 まさか手前ェの手持ちの金を偽物呼ばわりとは予想だにしていなかった。あるいは精巧な贋作が流通に乗って自分の手元に来た、という可能性も無きにしも非ずだが、その論調を聞く限り誰でも気付けるくらい確実に偽物だと言いたげだ。まったくもって腑に落ちない俺に、女は銅貨を見せつけ得意げに語ってくる。


「ここだよここ、鋳造年月日。輝世暦307年ってどういうことなんだい?」

「はい?」

「まあこのやっとこさの平和な時代が300年も続くって言いたいんなら、多少は心温まるジョークグッズにも見えないでもないけどさ。」


 今は輝世暦317年、307年鋳造の銅貨が流通していても何らおかしいことはない。一体この女は何を言っているのか―――と、同時に、とある可能性が頭の中をよぎった。もしこの推測が正しいとしたら、と思うと冷や汗が頬を伝う。唾を飲み、恐る恐る女に尋ねた。



「えっと…少しお聞きしますが、今年は輝世暦何年でございますか…?」


「決まってるじゃないか。輝世暦30年、勇者が魔王を倒してからちょうど30回目の夏だよ。」



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