其の二

 初夏のザカールに朝が来た。日の出とともにそれに呼応し鳩たちが騒ぎ出す。餌を求め飛び交うその中に一羽、妙な鳩がいた。その鳩は群れに入らず、餌場とは逆方向に飛んでいる。やがて辿り着いたのは街の奥まった位置にある家の窓。家人はそれを見つけると事も無げに両手で掴む。鳩は逃げる様子も見せない。


 そしてその家人のドワーフの若者は、鳩の足に結わえ付けられた紙束を解くと、そのまま家の奥へと戻って行く。奥には同い年ほどの同族が数名。見た目あまり柄の良い集団ではない。


「思った通りリーダーからの手紙だ。今回は来られないのでお前達だけで対処に当たれ、と。」


 手紙を読んだ男が書面を要約して話すと、ひとりのドワーフが怯えた顔を見せる。


「ちょっと待てよ。リーダーが来られないってことはつまりそういうことだろ?掟破りの罰則は厳しいって話じゃねえか。少し危ない橋を渡ることにならねえか、コレ?」

「じゃあお前だけ残ってろよ。今回は随分蓄えがあるだろうってリーダーも言っていた。こんな儲け話、俺は乗らない手は無いと思うぜ。」

「何にせよ急ぐことになるだろうよ。リーダーが来ないのなら別の奴が来ている筈だ。そいつに先を越されたらそこで終わりだからな。乗るか反るかで考える時間が欲しいってんなら置いていくぜ。」

「わ、わかったよ!俺も行くって!」


 身じろいだ男も連れ立ち、ドワーフの男三人がいそいそと家から出て行く。一体何の話をしていたのか。その正体も目的も、杳として知れない。






 時は過ぎ午前八時、革職人のダンゲ・ゾゾも朝食を終えぼちぼちと仕事に移る。先日から軒下に干していた馬の革を取り込み、乾布で磨き艶を出す。もう何百年と繰り返した作業、普段なら淀みなく進むはずである。しかし、今朝はどうも動きが僅かにぎこちない。遠くから誰かに見張られている、そんな気配を感じていたからだ。


「おいギリィ、さっきから何コソコソ覗いてんでェ?」


 ダンゲには視線の主の察しがついていた。名を挙げて呼びつけると、対面の民家の影から呼ばれた名の通りのハーフリングの男が姿を現す。


「な、なんだよ爺さん。気付いてたのか。」

「馬鹿野郎。若ェ娘ならともかく、野郎に物陰からジロジロ視線送られても気味悪ィいだけだ。用事があるなら面と向かって言え。」

「いやちょっとな、爺さんの昔話ってのを聞きたくなってさ。」


 ギリィの目は明らかに泳いでいた。大体、聞きたいことがあるのなら正面から聞きに来るはずだとダンゲは認識している。このように影でこそこそするような男ではない。それがこの態度、怪訝に思うのも已む無しだろう。


「何でェ、手前ェ昨日はガキじゃねェんだからジジイの御伽噺なんか興味無いって言ってたじゃねェか。どういう風の吹き回しだ?」

「き、気が変わったんだよ!ほら、爺さんも昔は今以上にヤンチャしてたって聞いたからよ、その武勇伝でも…」


 明かな嘘。見るからにそれは伝わった。


「悪いが帰れ。」

「え?」

「俺も気が変わった。手前ェに話すことは何も無ェ。」


 ギリィのそんな態度に気を悪くしたのか、あるいは別の地雷を踏んだのか、ダンゲは一転して頼みを無碍に断った。その荒っぽい語調こそ変わらないがその声には明らかに不快を示していた。玄関先に出していた作業道具一式を仕舞い込み、戸に鍵をかける。玄関先には、取り残されたギリィがひとり立ち尽くしていた。




「どういうつもりや?ギリィはん。」




 不意に、ギリィの耳に先程まで自分が隠れていた影のほうから声が聞こえた。影からひょっこりと頭を出す猫の耳。クオータービーストのニース・チェシャ、西のWORKMANというギリィの同業者にして、頼み人の恨みを受けはるばるダンゲを殺しに来た刺客。


「ニース…」

「いやホンマびっくりしたわ。まさか的がギリィはんの親しい人物やったなんてな。」


 馴染みの仲ではあるが、その軋轢からかギリィは振り向かずに応えた。ニースはそこに寂しそうなそぶりを見せるものの、だからといって「仕事」を諦めるという選択肢はさらさら無い。


「でもな、わかっとると思うけどそないな理由ではいそうですかとはいかへんで?的が知り合いやったから勘弁してくれなんて理屈、通る稼業やないのはギリィはんも承知の上やろ?」

「わかってるよ、ンなことぐらい!」

「今夜『仕事』を決行する、それは譲れん。もし邪魔するんなら愛しのギリィはんと言えども…な?」


 ニースは右の小指を立てた。暗い物影の中、ひときわ伸びた小指の爪が朝日を受けぎらりと怪しい光を放つ。紅爪のニース―――その爪を相手の血で紅く染めることからついたニースの通り名だ。今宵その爪を染めるのは誰の血になることだろうか。



「…つまり、夜までに爺さんの無実を証明すりゃいいってこったろ!?」



 そんなニースの覚悟に対してギリィが提示したのは、最も平和的な解決策であった。確かに頼み人の誤解とわかれば「仕事」を却下することも可能だ。しかし、その可能性はまさに雲をつかむような話だと、ニースは半ば呆れていた。


 頼み人の実業家エルドアは恨みに突き動かされるまま金にあかして綿密な調査を行っている。優秀な諜報員・探偵を何人も雇い、その結果をWORKMANへと持ち込んだ。無論、西のWORKMANのほうでも裏取りはしている。それがまさかの間違いである可能性などどれほどであろうか。


 しかし、そんなことは露知らずギリィはダンゲの無実を信じ奔走している。思えば哀れな話、言って止めることもできるだろう。だがニースにはそれが出来なかった。言って止まるような男でも無いことは知っているし、何より彼の今の心境を思えばそうする以外に気持ちの置き所が無いこともわかる。今はただ、惚れた男が夜まで足掻くさまを見つめるしかなかった。それもまた、ニースにとっては辛いことだ。



「おっ?カーヤじゃねえか!おーい、そっちのほうはどうだった!?」


 そんなニースの気も知らず、ギリィは前方からとぼとぼと歩き来る少女を呼び止めた。同僚の諜報役、カーヤ・ヴェステンヴルフト。彼女もまた、ギリィに頼まれダンゲの周辺を張っていた。いつもなら「こちらが受けた『仕事』でもあるまいし給金は払え」と足元を見るところだが、ギリィの必死さに押されてそれも言えず仕舞い。しかし、それを抜きにしても今の彼女は随分と覇気が無かった。


「中の様子はどうだった?そんなおっかない爺さんでもなかっただろ?」

「ま、まあのう…」

「それで、無実の証拠になりそうなものは何か無かったか?」

「い、いや。収穫らしい収穫は0じゃったわ。残念ながら。」


 いつもならば表情で収穫が無いことは察せそうなものである。ギリィはそれが出来ぬほどに切羽詰まっていた。無言で舌打ちをし、あてもなく何処かへ駆け出していく。それを見送るカーヤに、物陰から出てきたニースが声をかける。


「なあ嬢ちゃん。ホンマは収穫があったんちゃうの?」

「………」

「0どころかマイナス、ギリィはんにはとても言えんような収穫が。」

「儂の口からは何も言えん…」


 そう言うとカーヤはニースと目を合わせることも無く、歩き去って行った。事実、ニースの推察は当たってる。カーヤにダンゲの家の捜索を頼まれたイエネズミがもたらした目撃情報、それは家の奥の奥、開けることの無さそうな押入れに封印するかのように隠されたもの。年季の入った血塗られた斧と漆黒の鎧の存在であった。






 それからも、ギリィは無実の証拠を求め走り回った。州衛士隊や商人ギルドなど、あまり友好的ではない連中にも頭を下げ情報を請うた。しかし連中は構成員の大体が人間である。輝世暦前など五代六代前の過去、その頃に起きた長命種の過去など知る訳も無い。何一つて収穫が得られぬまま、日は既に沈み始めていた。






「そうか、お前さんがギリィ・ジョーか。神父様から話は聞いていたがこうやって会うのは初めてだな。まあそこへんにでも座っててくれ。」


 夕刻、ギリィはとある薄汚い鍛冶屋を訪れていた。元WORKMANのガンノスの店である。彼の引退後しばらくしてから加入したギリィは、サムライソードのメンテナンスで足しげく訪れるマシューと違い、ガンノスとはまるで面識が無かった。そんな他のメンバーとの話の中でしか知らぬOBの元を訪ねたのは、マシューより以前に聞いた「勇者アランのガイアカリバーを打ったとうそぶく元WORKMAN」の記憶を、この段になってようやく思い出したからだ。じき日は沈む、時間的にもこれが最後のチャンスになることだろう。


「長居をするつもりはねえ。ただ、ひとつだけ教えてほしいことがあるんだ。」

「何だ藪から棒に。」

「ダンゲ・ゾゾって革職人の名は聞いたことあるか?」

「…まあ、それなりに有名だからな。」

「その人の過去について、知ってることを教えてほしいんだ!」


 瞬間、息を切らす客人に水を出そうとしていたガンノスの手が止まった。


「あの人が輝世暦前に暴れていた漆黒の狂戦士だなんて噂が聞こえてきたんだが、そんなわけないよな!?ただの善良な職人だよな!?そうだと―――」


 必死に縋るギリィの言葉は、浴びせかけられた冷水によって強制的に止められた。はっとなったギリィの目の前には、いつになく厳しい顔をしたガンノス。


「人間並みの寿命のハーフリングじゃ知らねえことだろうがな、あの時代にはひとつの決め事があったんだよ。『輝世暦より前の罪は全部水に流せ』ってな…」

「罪って…」

「あの時代まで生き残った悪党のこれまでの罪は一度清算、引き摺らないで忘れましょうって暗黙の了解よ。勿論、それから後に起こした罪はちゃーんと王国政府が罰したがな。」


 魔王の侵攻により混迷を極めた時代がようやく終わりを告げた。ようやくやって来た平和な時代に、あの時期の罪科を混ぜっ返したくはないというのはおおよそ全ての民の希望であった。勇者の偉業を讃えての一種の恩赦のようなもの、と思えばわかりやすかろう。その理屈はわかる。しかしギリィが引っ掛かったのはそこではなかった。


「ちょっと待てよ…罪を赦したってことはよ、ダンゲの爺さんも罪があるって言ってるようなもんじゃねえか!」

「だからその探られたくない腹を探るような真似をするんじゃねえって言ってんだ!!」


 ガンノスも声を荒立てて返した。その怒号は、暗に肯定の意を示していたと言えよう。


「ふざっけんじゃねえよ…!じゃあよ、今更になってその頃の恨みを持ち出した頼み人のほうこそルール違反じゃねえか!!」

「なるほどな。急に面識の無い後輩が来たから何かと思ったが、大体察しは付いたぜ。まあ確かにお前さんの言う通りだ。」


 突然やって来たWORKMANの後輩、ダンゲの過去の罪、そして頼み人という言葉。それらの情報はガンノスに彼の背後のある事情を推測させるに十分なものであった。そして、そういうことならば今更になって殺し屋ギルドを頼りにしてきた頼み人の筋が通らぬという彼の言い分もわかる。しかしそれ以上に、彼がWORKMANの先達として言わねばならぬことがあった。



「だがな、ルールがあろうがなかろうが恨みを晴らすというのが、俺らの稼業じゃねえのかい?」



 ぐうの音も出ぬほどの正論。そしてWORKMANの存在意義。法やルールに守られている外道もためらわず討てることこそその本懐では無かったか。ギリィもまた、そういった相手を何人も地獄に送ってきたのだ。反論に値する言葉など出るはずが無かった。


「今日の事は聞かなかったことにしてやる。とっとと帰りやがれ、まったく神父様もどういう教育してるんだか…」



 WORKMANとしては掟破りともいえる行動をとったギリィに釘を刺すと、ガンノスは奥間へと姿を消した。鍛冶場には、放心状態のギリィがただひとり。太陽はいよいよ沈み、夜の時間が訪れ始めていた。






 夜のとばりが落ち、街の灯りも徐々に消えゆく時間。ダンゲ・ゾゾも火を落とし、今日という日を終えようとしていた。朝に若い職人が不穏な行動をしていたが、それ以外は全くつつがない一日。その日の締めくくりにと酒に手を伸ばした。


 その時である。どんどん、どんどん、と戸を叩く音。こんな時間にまで来る客人に心当たりはない。無視を決め込んでもよかったのだが、このままではさすがに近所迷惑と思い玄関まで足を延ばし戸を開ける。



「爺さん!まだ生きてたか!早く逃げるんだ!!」


「なっ…ギリィ!?何言ってんだお前!?ていうかどうしたってんだ!?」



 玄関に飛び行ってきたのは近所のハーフリングの職人、ギリィ・ジョーであった。しかもよくわからないことを口走っている。今朝の挙動不審な様子と合わせて考えれば、頭がおかしくなったのかとさえ思える姿だった。しかしそのあまりの必死さを見ていると、無碍にしたら余計な厄介を呼び込みそうと思い、一応反応を返す。


「だから落ち着けって!要点を言え要点を!」

「殺し屋が今夜アンタの命を狙ってんだ!ここにいたら危ねえんだよ!」

「何で俺みてェなのの命を…まあ、そういうことだろうな。」

「落ち着いてる場合かよ!早くしろって!」


 殺し屋という言葉に何かを合点したダンゲは、急に落ち着きを取り戻した。そして逆に慌てふためくギリィを座らせ、水の入ったコップを出す。


「とりあえず、詳しい話を聞かせてくれ。」


 そうギリィを諭すダンゲの瞳には、言いようのない色が混じっていた。悲しみと喜び・悔恨と諦観、相反する何かが同時に感じられる。その重々しい輝きは、ギリィに平静さを呼び戻すに十分だった。


 そしてギリィは一切を話した。漆黒の狂戦士に滅ぼされた村、その生き残りのエルフ、そして村の技法を使った革靴からダンゲの存在を知ったこと。そう、掟破りに釘を刺されたギリィがとった行動は、更に深刻な掟破りであったのだ。


「そうか、ロアノ村の生き残りがいたか。」

「何村かは知らねえが、アンタがそこを滅ぼした狂戦士だって勘違いしてるんだよ。ははは、こんなよぼよぼの爺さんをそんなバーサーカーと見間違うなんて無茶苦茶な奴もいたもんだよなぁ!?」

「いや、全部事実だ。」


 半笑いで茶化して誤魔化そうとするギリィの耳に、一番聞きたくない答えが返って来る。


「あの頃には星の数ほどいた、若ェ頃は魔物退治と息巻いて旅に出たはいいが、現実に打ちのめされ強盗風情に身を落とした冒険者のひとり。それが俺だ。」

「なっ、何言って…」

「しかもタチの悪ィことに、そっちのほうで名が上がっちまってなァ。漆黒の狂戦士、随分と恰好のいい渾名まで貰っちまってよォ。」


 最早薄笑いも消えたギリィの目の前で、遠い目をしながらダンゲは煙草に火をつけた。煙と同時に過去を噛み締め、ふぅ、っと吐き出す。


「ロアノ村か…ありゃ手前ェで思い返しても酷ェことしたもんだ。一番陰に籠ってた時期とはいえ、魔物以下の屑の所業だ。今の今になって恨み殺されても文句は言えねェわな。」


 今度はダンゲが自嘲気味に微笑んだ。聞いている側は全く笑えなかったが。


「そんなこんなをしてるうちに、魔王バルザーグは勇者アランによって打倒された。正直その報を聞いた時ははっとなったね。15・6の人間のガキが折れず曲がらずで地上の宿願を成就したってのに、無駄に齢だけ重ねた俺は何してんだって。」

「……」

「それからは武器を捨て、恩赦にあやかり慎まやかに生きていくことを決めた。故郷に帰り、革職人としての人生をな。」


 灰皿に煙草を立てかけると、傍らに畳んであった馬の革を手に取り広げる。薄暗い灯りの中でもはっきりとわかる色艶は、ギルドも認め多少の無頼を許すのも納得できる仕上がりであった。その腕ひとつで周囲を納得させる生き方は、ギリィの憧れだ。


「この革の仕上げはな、ロアノ村の名産だったのを見よう見まねで再現したもんだ。人生で一番酷ェ真似をしてしまった村を偲んで、せめてその存在の証だけでもなんとか残してやりてェと思って必死に勉強して得た技術だったんだがな。そうか、剽窃と思われちまったか…」

「なら言おうぜ!今からポルガまで行ってその人に!贖罪の為だって言って誤解を―――」

「馬鹿野郎そんな恥ずかしい真似できるか。伝わらねェ善意なんざ只の自己満足だ。口で言ったって納得してもらえるわけもねえだろ。」


 再び煙草を手にし、吹かす。白い煙が立ち上がり、やがて空気に交じり消える。


「だが、その言葉で決心もついた。伝わらねェどころか悪意を持って受け取られてた、罪を償おうとしてきたこの300年は無意味なものだったってわかったんなら諦めもつく。ならもう未練も無ェ。すっぱり散るのが潔いことだろうよ。」



「なあ、殺し屋の姉ちゃんよォ。」



 突然、ダンゲが後ろを振り向きながら呼びかけた。その背後には隣の部屋に通じる扉が一枚。ダンゲは独り身で家人は自身以外には居ない。はて誰に呼び掛けたのか不思議に思うところだ。


 しかし、扉一枚向こうに潜んでいた者は肝を冷やした。西のWORKMANニース・チェシャ。先んじて家に潜入し「仕事」の機会をうかがっていた。ギリィの乱入には流石に泡を食ったが、それでも冷静にチャンスを待っていた。しかし、的に気付かれていたというのは想定外だ。


(なんやねんこの爺さん!?これが昔取った杵柄っちゅうんかい!?)


 極力殺気は消していたつもりである。それでも気付かれたのは正に漆黒の狂戦士時代に積んだ経験の力か。幸い的に抵抗をする気は無いようだが、それとはまた別の厄介が頭をもたげる。


「ニース!?ニース!いるのか!だったら聞いてくれ!この『仕事』待ってくれよ!!」


(…!?名前言うなや!!)


 ギリィの嘆願。しかも名前を出してしまっている。ここまで来ると好いた男への贔屓目では済まない。さすがのニースも苛立ちを覚えた。


「後でなんでもする!だから…だから少しだけ待ってくれ!!」

「おいギリィよ、何でそこまで俺に肩入れする?独り身の偏屈爺が因果応報で死ぬ、そんだけじゃねえか。そんなに取り乱すこたァねェだろうよ?」



「俺が死んでほしくねえんだよ!!」



 因果も恨みも関係ない。飾らない、愚直な感情。胸から湧き上がるままに出た言葉だった。気が付けばギリィの顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。


 思えばこのギリィという男、父性に飢えていた。幼少の頃に豹変した実父により人生を狂わされ、父親らしい父親というものを知らない。そしてついぞ一年前には、父と錯覚するほどに慕った師に先立たれた。この上で、尊敬に値する人生の先達を再び失うことが、彼にとって耐え難いものだろう。


 しかし、だからと言ってそれが赦されるわけでもないのもまた自明の理だ。今まで彼が手にかけた外道にも、死んでほしくないと慕う者が少なからずいた筈。そこにきて、自分のケースだけ見逃してもらおう、などという虫のいい話通る由も無い。WORKMANたるニースも、そうすべきことはわかっていた。しかし―――



「おい爺さん。今日一日は待ったる。」



「へ?」

「に、ニース!?」


 隣の部屋からのポルガ訛りの声。それは確かに「待つ」と言った。人生の終焉を覚悟したダンゲも、それを受け入れられないギリィも、等しく驚く。


「いいのか姉ちゃん、殺し屋がそんな情けかけて?」

「アホ抜かせ、こないな空気ん中で殺しなんかできるかいな。せやから今夜は無しや。明日一日、身の回りの未練全部片付けときなはれ。そん時改めて、冥途に送ったるさかい。」

「随分と太っ腹なこってェ。未練なんざあるかどうかわからねえが折角だ、明日一日有効に使わせてもらわァ。」


そうニ・三言言葉を交わすと、次の瞬間には隣の部屋からの気配は消えていた。気が付けば、灰皿に置きっぱなしの煙草は、既に燃え尽きようとするほどの時が経過していた。






「本当、すまねえな。ニース…」

「まったく、ウチやったから良かったものの、そうやなかったらアンタ西のWORKMAN全員を敵に回しとるところやったで。」


 その後、夜がさらに深まった頃、ギリィはニースの借家を訪ね詫びを入れていた。WORKMANが同業者にその場で「仕事」の待ったをかけ、あまつさえ承諾するなど前代未聞であろう。もしこんなことがバレたら、ギリィはおろかニースとて無事では済まない。


「流石に死の制裁まではいかんやろうけど、こないなこと『虎』にバレたらめっさペナルティ食らうんやろうなぁ…騙し通せるんやろか。」

「本当にすまねえ!言った通り埋め合わせになるなら何でもするから!」


 その言葉を聞いて、ニースが色めき立った。


「ほな、体で払ってもらうおうかいな。」

「えっ…!?まあ、仕方ねえ!男に二言はねえ!」

「いやそこは嫌がってもらわんと!そういうの逆に調子狂うわー!」

「いやそれこそ知らねえよそんなこと!」


 ギリィが覚悟を決めて着衣に手をかけたが、ニースが止める。ポルガ文化のノリである。同時に先程まで消沈していた空気が緩む。そして、くすくす、と笑えるほどの心の余裕がようやく戻って来るのだった。






そして、長い夜が明けた。


朝からダンゲの姿は、その家から消えていた。

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